プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

レオン3世が偶像崇拝禁止令を出したのは、『イスラーム勢力への対抗上』の理由だと教科書に書いてありましたが、どのような点で対抗したのでしょうか?
イスラームは偶像崇拝を禁止していたはずですが・・・

A 回答 (6件)

「イスラーム勢力への対抗」というのは、偶像を否定するイスラム教からのキリスト教に対する批判がされたから~というのがその論旨のようです。


ただ、根拠としては薄いってのが昨今の潮流のようですね。

人気の説は、キリスト教内部の問題です。
当時のキリスト教は、ローマ教会が主導するカトリシズムとコンスタンティノポリス教会とが主導権争いを繰り広げていました。
そして、西方のローマ教会は異民族(主にゲルマン人やケルト人)に布教する手段として、積極的に偶像を活用してました。
そこで、偶像破壊令を出して対抗したのではないか?という説ですね。

また、元々発生した当時のキリスト教は偶像崇拝を禁じています。
これは、ユダヤ教から受け継がれた要素でした。
しかし、レオ3世の時代には、キリスト教がオリエントからオチデントに移り、ギリシア化していくなかで、偶像崇拝・聖母崇拝が流行っていきました。
また当時は、火山の噴火や大地震などの天災が相次いでいました。
その社会的背景から、レオ3世が神の怒りだと恐れたのが原因だ~とする人もいます。

しかし、いずれも「仮説」の一つでしかありません。
実のところ、なぜレオ3世が偶像破壊令を出したのかはわからないのです。
というのも、この「聖像破壊運動」は後のた「第2ニカイア公会議」にて「異端」とされ、その記録が抹殺されたからなんです。
よって、レオ3世の意図がどこあったのかは「永遠の謎」となってしまいました。
日本の「邪馬台国がどこだったのか?」というのと同じように、「歴史の謎」なんです。
なんで、様々な研究者が様々な見解を述べるにとどまっています。

まぁ、日本で使われる学校の教科書はいろんな「仮説」をつまみ食いして載っけてるので、「仮説の一つ」程度の認識でいてもらえればと思います。
もし、興味が出てきたなら図書館なんかでいろんな参考書を紐解いて、なるべく多くの「仮説」にふれてみてください。
そうすると、「仮説の中でも、有力な仮説」が見えてきますよ。
    • good
    • 0

「レオン3世が偶像崇拝禁止令を出したのは、『イスラーム勢力への対抗上』の理由」というのは、あまり支持されている説とは言えませんね。


今時まだそんなことを書いている教科書があるとすれば、日本にとってキリスト教がいかに縁遠い宗教かをあらわしているように思います。
(もちろん、日本人はそんなにキリスト教なんて知らなくてよいと私は思います。むしろ神道・仏教について知ることの方が大事。だから「レオン3世の偶像禁止令」なんてことまで何故日本の教科書で教える必要があるのか個人的には疑問です。でも、もしも教科書に書くなら正しい説、または通説をきちんと書いて欲しいものですね。)

東方キリスト教史の専門家(日本では第一人者)だった森安達也氏の『キリスト教史III:東方キリスト教』(山川出版社)では、聖像破壊運動の発生の原因には諸説がある、としたうえで、だいたい次のような趣旨のことを書いています。

●外的原因説(森安氏は否定的)
イスラームの影響とか、イスラームとの融和策として起こったとの説明は無理、または誤解。肥大化した修道院の勢力をそぐために起こされたとの説もあるが、論理の飛躍。

●聖像破壊運動の起きた原因はむしろキリスト教信仰の内部に求めるべき。当時はイコン(聖画)崇拝が極端になり、偶像崇拝や迷信と区別が付かないほどになっていた。聖像破壊運動は、その弊害を防ごうとして起こされた。

イスラムとの融和策説はよくあったそうですが、
・イスラーム側が聖像破壊運動を理由にビザンティン帝国に友好的製作を取ったとの証拠が見当たらない。
・8~9世紀に小アジアがイスラーム化されなかったのは、ビザンティン帝国側がイサウリア朝の皇帝のもとで積極的攻勢に出て、軍事力で小アジアを守ったから。(つまり宗教政策のおかげではない。)
    • good
    • 0

ビザンツ帝国が、偶像崇拝禁止をしても、イスラムがビザンツ帝国攻撃の手を緩める事はありえません。


レオ3世が、偶像崇拝禁止令をだした後も、イスラム軍との戦いは行われています。
しかしながら、それにより、偶像崇拝禁止令が撤去される事はなく、続けられ、ビザンツ国内での混乱は続いてゆきます。
この事は、「イスラムからの侵攻を逃れるために偶像崇拝禁止令が出されたわけではない」という事になります。

偶像崇拝禁止の問題は、キリスト教内部の問題なのです。
キリスト教では、明確に偶像の崇拝を禁止しています。
しかし実態は、マリア像とか十字架を拝んでいるわけです。
その事をイスラムから追求されても、回答できないのです。
その事への回答が、偶像崇拝禁止令へとつながります。
そらに同じ事は、キリスト教国家であるアルメニアからも突きつけられていました。
ビザンツ帝国とイスラム帝国の中間地帯に、アルメニア人が住んでいました。
アルメニア人は、単性派(キリストは神もしくは限りなく神に近い存在とする)や二元論派(小パウロ派)などを信仰しており、いずれも偶像崇拝を禁止していました。
この人たちを、ビザンツ側にするのかイスラム側にするのかの問題があり、偶像崇拝禁止派は、アルメニア人の帝国内編入を目指しますが、偶像崇拝派は、アルメニア人弾圧を行います。
このことは、偶像崇拝禁止派からしますと、かつてシリアやエジプトを失った時の悪夢と重なり、ビザンツ帝国滅亡の危機感をいだかせました。
シリアやエジプトが、簡単にイスラムの手に落ちたのは、当時のビザンツ帝国が、単性派(シリアのヤコブ派、エジプトのコプト教)を徹底的に弾圧していたため、全ての宗教を容認するイスラム軍の侵攻の前に、単性派がビザンツを裏切り投降していったためでした。
ビザンツ帝国の中枢においても、アルメニア人が、ヤコブ派やコプト教のような行動をとらなとは限らないのです。

偶像崇拝でのカトリックの解釈は、「偶像を崇拝しているのではなく、十字架やキリスト像は、単に神の方向を示すシンボルである」という事になっています。
    • good
    • 0

ユダヤ教 キリスト教 イスラム教


日本人の感覚でざっくり言うと

ユダヤ教:旧約聖書メイン
キリスト教:旧約聖書と新約聖書
イスラム教:コーラン 先行聖典として新旧聖書
※ 上記は、日本人がキリスト教を一番知っているという前提でのざっくり分類。

で、新約聖書ってのは お手紙集だったり 行跡集だったりする。
宗教理論として、□□という決まりは絶対です。んで、具体的な細かいことは・・・・という話をするときの □□ があるのは、根本的には モーセの十戒にたどり着きます。(まぁざっくりした話だが)
モーセの前は、「俺以外を信じるな!」という物語だったりしますし、モーセの後は、「と、モーセが言ったように」という展開になっています。
すると、キリスト教とイスラム教がどっちが 神の御心に従っているかという話題になると、モーセの十戒が分かりやすいことになります。どちらも預言者としてますし。

本家と宗家があったときに、どっちが創業の経営方針にあっているかと 威張りあうようなものです。
    • good
    • 0

もともとキリスト教も偶像崇拝は禁止していました>#1. というか, ユダヤ教もだけど. 確かイエスがユダヤ教 (の指導者) を批判するときの 1つのネタに使っていたはずです.


ただ, キリスト教はローマ帝国で広まったんですが, ローマのそれまでの宗教では「神の像」なんかがいっぱいありました. なので, そこからキリスト教に改宗させるためには「これが神だ」と目に見えた方が簡単なので作るようにした... とかじゃなかったかなぁ.
    • good
    • 0

「偶像崇拝する異教徒」をイスラム教徒がそれを理由に攻撃するので、それを避けるためだと思います。

攻撃の口実を与えないと言う意味で。

本来キリスト教にも偶像は無いはずですが、キリスト教以前のヨーロッパ文化の名残で偶像を使っていた訳なので、偶像禁止はキリスト教の教義に反する訳ではありません。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!