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 こんばんは。お世話になります。

 人間には『現実的な解釈ができる人間』と『現実的な解釈ができない人間』が居るように思います。

 例えば、Aさんが事実無根の悪者扱いをされている状況を見て、
短絡的に「Aさんが悪い」等と思い込んでしまう第三者は多いと思いますし、
逆に、そのような状況であっても、適切に現実的な解釈ができる人も居ます。
(もちろん、どのような状況においても現実的な解釈ができるような完璧な人間は居ないと思いますので、
現実的な解釈ができる傾向の人、できない傾向の人、等と言った方が適切かもしれません)

 そこで質問ですが、まず、現実的な解釈ができる人と、できない人の違いを、
専門的な立場から、うまく説明して頂きたいと思います。
(自分でも更に調べたいので、専門用語等も教えて下さい)

 次に、現実的な解釈ができる人と、できない人の割合はどのくらいなのか、教えて頂きたいと思います。
(経験談や経験から得た憶測等でもかまいません)

 宜しくお願いします。

A 回答 (22件中11~20件)

私の説明が良くないために混乱してしまったようです。

 もう一度整理させて、回答させてください。

質問の条件設定
(1) Bが相対しているAを悪者扱いしているのを、Cが目撃した。【BはAが悪い理由を言葉に出している。例:Aが盗んだ。Aが痴漢した。Aが壊した】【Aは自分が悪いことをしたと言う明言はしていない】【CはBの言葉を聞いた】
(2) CはBの主張(態度等含む)を鵜呑みにしてしまい、短絡的にAが悪いと思い込んでしまった。(CもAに対して直接的に悪者扱いをした)【Cは思いこむだけでなく、Aを悪者として扱った。例:CはAを取り押さえ、警察・駅員・店員にAを突き出そうとした】
(3) A,B,Cともに初対面である。【A、B、Cは、普通の服装をしていて、言動や外見は異常な人には見えない】

質問の内容  (ハニ)は今回追加)
(イ) 人間には『現実的な解釈ができる人間』と『現実的な解釈ができない人間』が居るように思います。
例えば、Aさんが事実無根の悪者扱いをされている状況を見て、短絡的に「Aさんが悪い」等と思い込んでしまう第三者は多いと思いますし、逆に、そのような状況であっても、適切に現実的な解釈ができる人も居ます。(もちろん、どのような状況においても現実的な解釈ができるような完璧な人間は居ないと思いますので、現実的な解釈ができる傾向の人、できない傾向の人、等と言った方が適切かもしれません)

(イー2) そこで質問ですが、まず、現実的な解釈ができる人と、できない人の違いを、専門的な立場から、うまく説明して頂きたいと思います。(自分でも更に調べたいので、専門用語等も教えて下さい)

(ロ) 次に、現実的な解釈ができる人と、できない人の割合はどのくらいなのか、教えて頂きたいと思います。

(ハ) Bの主張だけを鵜呑みにして出来上がった論理が正当な論理と言えるのか疑問に思います。

(ニ) CがAの目の前でAを悪者扱いするようなケース(Aを直接傷つけるようなケース)については、どのような見解をお持ちでしょうか?

  ~~~~~~~~~~~~~~ 以下が 私の回答です ~~~~~~~~~~~~~~~~~
(1)(3)の状況下で、(2)のように短絡的に「Aが悪い」と受け止め・反応・行動することを、現実的な解釈ができないと[buhahaさんは]呼んでいます。(2)のように短絡的に「Aが悪い」と受け止め・反応・行動する人を、『現実的な解釈ができない人間』と[buhahaさんは]呼んでいます。
私は、こうした場面での人(C)のとる態度は色々であり、簡単に、現実的な解釈ができる、現実的な解釈ができないという区分は難しいと思います。 また、(1)(3)が同様でも、他の条件が異なると、同じ人(C)でも反応の仕方は異なり、いつも同じにはならないと思うので、こうしたケースの反応で人を[~~できる人][~~できない人]と色分けするのは」難しいと思います。
buhahaさんが、[できる傾向の人、できない傾向の人]という見方をされるのであれば、傾向としてどちらに傾くことが多い人というのはあると思います。

具体的な言い方をすると、(1)(3)の条件で[絶対的にAは悪いことをした人間だ]と確信する人は多くはないと思いますが、[Aは悪いことをした。それをBが発見し告発している]と理解する人は相当数になると思います。[あれがそんなことをした人間か。どんな顔をしているのか]と興味本位でAを見ようとする人も多いと思います。(このCの行動の裏には、Aが悪いことをしたんだろうという推定があります) 一方、Bの告発の声や音質、行動によっては、[Bは不愉快なやつだ。遠ざかっていよう][Aも悪いけど、Bもいやなやつだ]と思う人も出てくるはずです。 積極的にBに荷担するあるいは社会的正義を実現するために[Aが犯人として扱われるように、Aを拘束し、警察や店員に引き渡すことに協力行動をとる]人も少数(10人中数人)はいると思います。逆に、(1)(3)の条件で[絶対的にAは白で濡れ衣だ]と理解する人は皆無に近いと思います。また、えん罪で誤認逮捕のようなことを多く見聞きしている場合は別として、通常状態で、(1)(3)の場合、AがBから事実無根の悪者扱いされているのではないか、その可能性も高いと思う人はかなり少ないでしょう。 {Bの告発が正しいか、Aは事実無根で被害を受けているのか、その実態を検討しよう}として、実態解明のための行動や質問をしていく人も皆無に近いと思います。(Cは、AにもBにも、事件にも無関係な第3者で、警察などでもないとします) 傾向からすれば、多くの人は、Aが事実無根でBから指弾されているという可能性を少しは残しながらも、Aが悪いことをしたのだろうと解釈して済ませます。
Aが事実無根であるにもかかわらずBから悪者扱いされているという可能性を[あるレベル以上に心に留める人]もいます。
上記のような事案で、Bのような人が事実誤認していることもあるかもしれない、あるいはBが悪意をもって意図的にAを糾弾していることもあるかもしれないということを何回も考えた経験が多い場合、悪事が現実的に起きたことの糾弾としてはBの指摘している内容がCには不自然に感じられてしまう場合、BがAの悪事を指摘糾弾する場面や方法がCには不自然に感じられてしまった場合などでは、Aが悪事を働いたというBの指摘それ自体にCが疑問を持つ可能性が高くなります。 これは、Cの経験や思考のパターンに関わることです。
なお、Bの指摘や糾弾におかしいところがたくさんあっても、そのことはAがやったということが事実無根であるかどうかとは別のことです。Bが事実を誤認してAを糾弾していたとしても、Aが実際に悪いことをしていたということもあります。
Cが、冷静に色々なケースを考えるというのは、単に可能性として色々なケースを挙げるということではないはずです。その場の状況、Aの態度、Bの態度をできるだけ客観的にみて、Bの指摘していることが起きたとしてつじつまが合うかどうかを感じようとする姿勢をCがどの程度持っているかによります。また最近身近で起きていることについてのCの情報収集や情報分析の状況も大きく影響します。
しかし、(1)(3)のような状況では、Cがいくらその案件に関心を持ち、Cが頭脳明晰であっても、判断材料が少なすぎるはずです。Bも調書を読み上げているのではないので、重要な事実の立証をせずに、単に非難・糾弾しているだけという場合が多いでしょう。そうであれば、Cも推理を続けることはできません。Bの言い方、Aの態度などを参考にするしかないです。Aが無罪を強く主張していれば、Bの主張を鵜呑みにはしないでしょうが、Aが強く否認する発言をしていなければ、Aがやったんだろうという推定をCもすると思います。


公平な人と言われる人の中には、少ない情報で良い悪いを決めつけない人が多いと思います。また、一部のうわさや前評判で人にラベルを貼ってしまわない人が多いと思います。 また単に決めないというだけ、判断力がないという場合には公平な人とは言わないと思います。 一般的には、相応の理解力判断力があり、世間常識も多くて、その場の雰囲気に惑わされず、ある程度冷静で、納得性の高い判断をする人を、公平な人と言うのだと思います。
公平という言葉は、偏らない、えこひいきしないというのが原義ですが、公平であるためには単に天秤でバランスを取るということではなくて、きちんと諸関係を把握し、関係者の納得のいくような解決に導くということを同時に実現することを含んでいると思います。
専門家でもないし、専門の立場での説明はわかりませんが、私は、次のように思います。
その案件を検討するにあたって何が大事な情報かを判断し、大事な情報を集めようとする人、この状態で何を解決することが大事なのかわかる人、基本と例外の区別を考えることのできる人、論理的とかつじつまとか、人の行動は発言の癖、偏り、変動とかについて考えたことが多い人であれば、公平なジャッジができる可能性が高まると思います。
自分で考える習慣のない人は、公平なジャッジはできません。自分で情報を評価し総合しないので、他人の意見を取り入れるか、単にあまのじゃくを言うことになります。 人に異論を立てないという生活習慣、他人志向・集団志向で生きている人は、誰かが自信を持ってAさんを悪く言えば、それを自分の考えとする傾向が強くなります。
大衆心理は、権威的という説もあるようですが、多くの人は自分で判断するよりも、他人の言説を取り入れることが多いので、声高に何かの主張がされていて、多数からそれを否定する言説がなければ、声高の主張を取り入れます。
AさんについてのBさんの評言を聞いて、それだけでAさんを判断するということばかりの人は、AさんについてDさんの評言を聞いて、それだけでAさんの評価を変えることがありますが、そうした変節に関しても、自分の内部で葛藤を起こさないことが多いようです。
人の善悪とは若干違うかもしれませんが、組織のトップ(担任の先生、校長、部長、社長、大臣、首相)についても、それまでは立派な人として、その人の言説を受け入れていたのに、世間から失格だ、ダメだ、あの人の所為でおかしくなったという方向に評価がぶれ出すと、そのトップを悪者にしてということで終わり(それ以外に複雑な分析や評価判断をしない)というのは、非常に多いパターンです。
自分で多くの情報を整理して、分析し、矛盾していることが少なくなるようにしようとすると、時間も掛かるし、単純に誰が悪い、これが悪いという言い方はできなくなることも多いです。 そんなことよりも、誰かの尻馬に乗って、良いやつ、悪いやつという方が簡単です。 旗幟鮮明に見えて理解しやすいです。 自分で情報を集めて分析整理することはせずに、先行する発言者の結論と同調する方法で発言するのは、非常に多い手法です。 
こういう方法は珍しくはなくて、ごく普通のことです。公平なジャッジをしてくれることで多くの人からの信頼が高い人でも、Aさんについての情報が一つ方向のもので、内容も貧弱な情報しか得られなければ、その範囲でAさんを見るはずです。


公平な見方ができる人か、現実的な解釈ができる人か、は、決まり切ったものではなくて、流動的でその時々、問題毎に変わりますが、傾向として(他人の意見を取り入れて自分のもののようにしてしまうことが多い人)は、大人でいえば、7割以上になると思います。(根拠はありません。個人的経験です)


(他人の意見を取り入れて自分のもののようにしてしまう)のは、行動の傾向あるいは、思考の傾向です。
Cが取り入れた他人の意見(Bの意見)が論理的におかしくないか、現実的にも妥当なものであれば、Bから取り入れた意見をCが述べたとして、それを聞いた人は、論理的におかしくない、現実的にも妥当な意見として聞くでしょう。
[Bの主張だけを鵜呑みにして出来上がった論理が正当な論理と言えるのか]この質問・疑問は難しいです。
先生から新しいこと(見解)を教わって、生徒・学生がいかにも自分の意見のように誰かに言ったとします。
そんなのは、学生の意見じゃないという言い方もできるでしょうが、ピュアに自分で考え出すことは非常にまれです。
ほとんどの場合、過去に聞いた論理やものの見方を、その時々で適宜はき出しているのが、ごく普通なのです。
[Bの主張だけを鵜呑みにして出来上がった論理を、拡声器や録音再生機のようにリピートしているだけであったとしても、その内容自体を見たときに(貧弱、根拠薄弱、大きな矛盾がある)のでなければ、筋の通った論理であるというしかないと思います。 
なお、ただ尻馬に乗ってBの主張の結論に同調しているだけの人の場合、詳しく聞こうとするとつっかえて、説明できなくなるなど馬脚を表すこともあるようです。


CがAの目の前でAを悪者扱いするようなケース(Aを直接傷つけるようなケース)については、どのような見解をお持ちでしょうか?
【Cは思いこむだけでなく、Aを悪者として扱った。例:CはAを取り押さえ、警察・駅員・店員にAを突き出そうとした】というようなケースでは、通常社会正義実現の協力者として認めることが多いと思います。
Aが事実無根で捕まったのであれば、Aからすれば、Cは事情も真実も知りもしないで、何を正義面しているんだ。私はCに乱暴な扱いを受けたと訴訟したくなるかもしれません。
通常 (3)のような状況下で、(1)に遭遇したCは、Bの主張である(Aが悪いことをした)ということの真実性に論理的な判断はできません。(BがAを無実と知っていてAを糾弾している)可能性は少ない=Aが悪いことをした可能性は高いという状況判断のみが可能です。
そういう状況判断の中で、警察に行く必要を認めないで帰ろうとしているAを拘束し、警察に連行あるいは通報するのかどうか、結構微妙ですね。
単純に自分が遭遇したCであるとしたら、私は、何もしないことが多いように思います。もちろん、Aが悪いことをしているのを私が目視したりしている場合は、Bに協力する可能性があります。
通勤のホームで、電車から降りた女性Bが男性Aを捕まえていて、Aを痴漢だと言い立てているところに出くわしたらどうするでしょうか。AがBの手をふりほどいて立ち去ろうとしていたら、、、、  
一見難しそうですが、身動きできないような満員電車ならともかく、私の乗っている程度の混み方であれば、AはBにさわったのかもしれないけれど、Aの取り押さえに私が協力しなければならないようなことではなかったはずだろうと勝手に思って、Aが立ち去っても黙認するような気がします。(なってみないとわかりませんが)
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この回答へのお礼

 おはようございます。
 何度もありがとうございます。
 きっと頭の良い人なんだろうなぁ、と感心しながら拝読しました。

 それにしても、どんどん回答が長くなりますよね。どこまで読んでも終わらないので不安になってしまいました(笑) こんな私の為に大切な時間と労力を使って頂けるなんて…… 世界観が一変するほどの感動を味わいました。(ス、スミマセン。。。 ちょっと大げさでした;)

 7割という具体的な数字も出して頂き、ありがとうございました。別に驚く数字ではありませんが、それだけ居るのですから、世の中は生き難いはずですよね。

 さて、疑問に思ったことでかつ重要と思われることを以下に記しますね。

(1)[絶対的にAは悪いことをした人間だ]と確信する人と、[Aは悪いことをした。それをBが発見し告発している]と理解する人(等、Aが悪いと思い込む人)の違いが今ひとつわかりません。もし宜しければ、その違いを教えて頂けたら幸いです。

(2)「えん罪で誤認逮捕のようなことを多く見聞きしている場合は別として~」とのことですが、多くの人は人生を歩む中で、多かれ少なかれそのような経験――自分や身近な人間が事実無根の悪者扱いをされる経験をするわけですよね? 私には数え切れないほどあります。(友人等に訊いても「ある」と言いますし、hatenasateさんのご回答の内容からも、事実無根の悪者扱いは非常に多いであろうことが伺えます) だからこそ私は、そのような状況ではBの主張を鵜呑みにはしません。(もちろん「100%しない」等と断言するようなことは致しません。そのような傾向にあるという話です) そのような前提があり、質問のような疑問を抱いた次第です。
(そのような状況から、事実無根の悪者扱い等誰もが経験するであろう身近な問題と、自分が疎い事柄についてオピニオンリーダーに同調してしまう類の問題や、未知の事柄について大学の教授等から学ぶ類の問題等は分けて考える必要があると思います)

 ぎゃっ 約束の時間に遅刻してしまうので、とりあえず行ってきます!

お礼日時:2008/08/17 06:02

2つの質問に、補足回答させていただきます。



「AさんがBさんから事実無根の悪者扱いをされている状況を見て、短絡的に「Aさんが悪い」等と思い込んでしまう人もいるが、そのような状況であっても、適切に現実的な解釈ができる人もいる」 その両者のどちらに属するのかは、(BさんがAさんを悪者扱いしているのを目撃したCさんが、その後にAさんにどのような態度をとるか)で判別する。なお、Cさんは、AさんやBさんに利害関係はなく、偶然その場に居合わせた利害関係の無い第三者という位置づけとする。 この場合、『短絡的に「Aさんが悪い」等と思い込んでしまう』反応をCさんがとることが多いと思う。
 そう考えるのか。
 『短絡的に「Aさんが悪い」等と思い込んでしまう』人が多くなるのはなぜか。

回答1 多くの場合、Cさんは『「Aさんが悪い」等の場合を想定してAさんに対する』と思います。
回答2 理屈で言えば次のように思います。
2-1 リスク回避のための合理的選択である:Cさんは、BさんがAさんを悪者扱いしているという情報しか入手していません。Bさんが事実無根でAさんを悪者と言っている可能性もありますが、AさんがBさんの言うような悪者であるかあるいはそのように受け取られかねない行動をした可能性もあります。Cさんは、Aさんについて確定判断を避けるとしても、Aさんが悪者である可能性のある人として一定の警戒の視線で見るのは、合理的です。
2-2 親しい人との日常会話でメンバーにとっては、仲間を直接傷つけない格好のうわさ話として適している:(Bさんが嘘をつく人であるという事前の評判でもあれば別ですが)、Aさんを悪者扱いしている内容が、Aさんが悪口・陰口を言って回っているとか、Aさんが試験でインチキしたとかの糾弾・非難である場合、Cさんにとって直接の利害はなくても、Dさんなどの友人に「Aさんはインチキしたんだって」という言い方で、あたかも事実であるかのように言う可能性は高いです。流言飛語、デマ、風評というのは、これが一気に大々的に広がることを言います。心理学などでは、重要性とあいまいさ、不安・恐怖がこうしたことを増幅させると説明しています。しかし、単純なケースでは、好奇心が高く、友人知人とのダベリング的会話を重視している人にとって、格好の話題であるからということが多いと思います。週刊誌のゴシップなどと同じです。Cさんにとって直接の利害関係がないAさんについての評判であれば、Aさんが事実として悪者でも、事実無根の悪者扱いでも、その区別はそれほど重要ではなくて、友人知人との会話での格好のテーマであるという方が重視選択されたのだと考えることができると思います。


 次に、今回頂いた回答の中に、わかりにくい箇所があった為、確認させて下さい。
「推理小説を読むような人は、1つの報告でも背景に色々なことがありうるし、どの報告(事実)とどの報告(事実)をどう結びつけるかで、見えてくる関係が全く異なるものになることを知っています。推理小説や推理ドラマを好む人でも、実際に身の回りに発生する事実や見聞きする報道を[実は違う解釈があるかもしれない]というようには考えたりすることは、あまりないと思います。
推理小説が好きだから現実的な解釈をする能力があるとは限りませんが、現実的に物事を解釈する能力を持っていても、それを発揮する場面は限定しているのが普通です。
【わざわざ事実無根の悪者扱い等非現実的な解釈をする】のではなくて、解釈するという活動を普通はしないのです。」の部分についてです。
 この文章の前半と後半、つまり(1)「[実は違う解釈があるかもしれない]というようには考えたりすることは、あまりないと思います」等の辺りと、(2)「解釈するという活動を普通はしない」の辺りが、矛盾しているように思える。
 (1)を含めた文章の前半部分は、(情報を鵜呑みにする等して)何らかの解釈を導き出す、ということですよね?

回答3 (説明ができていない日本語で済みませんでした)(1)「[実は違う解釈があるかもしれない]というようには考えたりすることは、あまりないと思います」と、(2)「解釈するという活動を普通はしない」とを、同じ方向にあることとして書いたつもりでした。矛盾しているとお読みになったのであれば、どちらかの文章の私の書き方が悪かったのだと思います。

『推理小説や推理ドラマを好む人でも、実際に身の回りに発生する事実や見聞きする報道を[実は違う解釈があるかもしれない]というようには考えたりすることは、あまりないと思います。』という文章は、次のような意味で書きました。
 推理小説を読んでいるという意識が強い場合は、文章表現に書かれていることに別の意味や側面が隠れていることが多いと意識して、作者の仕掛けに惑わされないように頭を働かしているし、そうした頭の働かせ方もできることが多い。しかしそうした人であっても、推理小説を読んでいるときではない場合には、(実生活や報道の中で得る情報を受け取るときには)聞いた言葉や報道には別の意味や側面が隠れていることが多いと意識して、見聞きした範囲の情報に惑わされないように頭を働かせることは、あまりしない。
また、『【わざわざ事実無根の悪者扱い等非現実的な解釈をする】のではなくて、解釈するという活動を普通はしないのです。』という文章は、今見ると、わかりにくい文章でした。次のような意味で書きました。
 普通は、言葉は言葉通りの意味であると受け取る。 {Aさんは悪者だと言われれば、Aさんは悪者なんだなと思う}これが普通です。 {Aさんは何何をしたので悪者だ}と言われれば、Aさんは何々をしたのだなと思う。(それをするのは悪者と思うかどうかは、Cさんの日常の考えによります) もっとも『Aさんは何何をしたので悪者だ』と言われても、何々をしたという部分を重視せずに、Aさんは悪者だという部分だけを聞く人もいます。これはBさんの話し方にも大きく影響されますし、Cさんの思考の癖にも大きく影響されます。『Aさんは何何をしたので悪者だ』とBさんから聞いたときに、{Aさんは何々をしてないのではないだろうか}{それは事実無根ではないか}と思い、色々なケースを考え始めるのは普通には、それほど多いことではありません。 {Aさんが何々をしていないことをBさんは知っていながら、Aさんは何々をしたので悪者だとBさんは言っている}というのは、通常は非現実的な解釈であり、わざわざそんな解釈をすることは普通はしません。=【わざわざ事実無根の悪者扱い等非現実的な解釈をする】ことはしない。 普通は、裏を読むとか、裏の裏を読むとかはしません。普通は、言われた言葉、聞いた言葉の実際が存在したと聞き取ります。
普通は、受け取った情報、聞いた話を鵜呑みにします。 鵜呑みにするし、普通は、短時間でその話の詳細を忘れます。
覚えているのは、Aさんは悪いやつという話をきいたということだけになっていく可能性は高いです。
普通でない場合としては、次のような場合があります。
Bさんが当てにならない人物だとと思えているとき、Aさんについてそんなことがあるだろうかと信じられない思いを持っているとき、Bさんの話自体が荒唐無稽であるように思えているとき、Bさんの話にある何々について別の情報等を持っているとき、Aさんが自分に身近な関係者であるとき、


(情報を鵜呑みにする等)というと聞こえが良くありませんが、とても大事なことだと思います。統計学で、仮説検証という方法があります。 統計に限らずに重要な思考方法だと思います。
言われた内容をきちんと細部まで確定します。(勝手にねじ曲げないことが大事です)
その細部まで確定した内容で、矛盾が起きないか、他の情報と突き合わせ、矛盾があれば言われた内容にはおかしいことがあると見なすことです。

Aさんが何々をしたという話も、できるだけ日時や内容、その情報の入手先などを聞くことです。
その内容に矛盾がなく、かつAさんがそのときそうしたことをしたということに、他の事情が関係なかったか、本当にAさんがしたのか、それは他の人であればしないようなことなのか、を自分なりに考えて、Aさんがそうした状況下でそうしたことは悪いと断定できるのか、またその一事をもってAさんは悪者であると人物断定することが適当なことなのかを考えられれば、それに超したことはありません。

でも、普通はそんなことまでしません。Bさんの情報をいい加減に(不正確に)聞いて、Aさんは悪い人なんだととりあえず思って終わりにするのが、普通でないかと思います。

脳は使わないと退化するという話があるそうです。 しかし、使っていたって退化します。 退化しなくても、元々脳の大部分は使っていないという話もあります。 私自身、あるいは周りを見ても、先ほどの1時間に頭を使ったのか、何を考えていたのかと質問されたら、ほとんど何も考えていませんでした。 お腹がすいた、何か飲みたい、眠たいとかは何度も思ったとしても、どれだけ頭脳を使った、何に使ったといえるような使い方はしていません。
今PCを使っていますが、タスクマネジャで見るとパフォーマンス4%、メモリの使用も少量です。
人間でも、能力的にはもっと考えることができるということはいえても、実際の生活の中では、ほとんど頭を使わない生活をしているのではないでしょうか。

仮説検証せずに、仮説を事実と受け止める、仮説の詳細をとばして、コアだけを事実と受け止める こうしたやり方が、ごく一般的だと思います。

この回答への補足

 状況設定について補足させて頂きます。

(1)BがAを悪者扱いしているのを、Cが目撃した。

(2)CはBの主張(態度等含む)を鵜呑みにしてしまい、短絡的にAが悪いと思い込んでしまった。(CもAに対して直接的に悪者扱いをした)

(3)A,B,Cともに初対面である。

 宜しくお願い致します。

補足日時:2008/08/16 20:55
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この回答へのお礼

 補足ありがとうございます。毎回詳しい説明をして頂いて、すっごい恐縮してしまいます……

 それにしても暑いですね…… エアコンはあまり好きではないので、汗だくでお礼を書いてます;

 さて、まずは回答1および2-1についてです。「Aさんが悪者である可能性のある人として一定の警戒の視線で見る」とのことですが、その「一定の警戒」というのがどの程度のレベルの話なのかが問題だと思います。
 くどいようですが私が疑問を抱いているのは、Aが悪いと思い込む(そうだと固く信じる http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BB%D7 … )ことにありますので、hatenasateさんがおっしゃる「確定判断」が同様の意味であれば、Aが悪いと確定判断してしまうような状況を問題にしています。

 次に回答2-2についてです。そのようなケースも考えられますよね。(そのようなケースが、どの程度の割合を占めるのかわかりませんが)
 そのようなケースは能力の問題というよりも、品性の問題ですかね。(能力の問題は全く無い、という意味ではありません)
 それでは、CがAの目の前でAを悪者扱いするようなケース(Aを直接傷つけるようなケース)については、どのような見解をお持ちでしょうか?
 
 次に回答3以降についてです。CがBを信頼できる人物(事実無根の悪者扱い等はしない人物)と思い込んでいるのであれば、おっしゃるようなこともわかります。その場合のCは、Aに対する誤認以前にBに対する誤認があり、それがAに対する誤認を招来した……という話ですね。そういう話になりますとBに対する誤認が形成された過程等にまで話を広げる必要があるのですが、そこまでやったら収拾がつかなくなりますし、質問の主旨から離れてしまいますので、当質問におけるBとCの関係は初対面ということに設定させてください。このような展開になるとは思っていなかったため取り分けて設定していませんでしたが、A、B、Cとも初対面である旨を明記した方が良かったですね。勉強になりました。

 仮説云々のお話につきましては、どちらにしてもBの主張だけを鵜呑みにして出来上がった論理が正当な論理と言えるのか疑問に思いますが、おっしゃる意味は理解できました。ありがとうございました。

 あ、また文字数が…… ということで宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/08/16 20:48

> 現実的な解釈ができる人と、できない人の割合は・・・


> こちらの質問は個人的な見解でも結構ですので、

答えがないと考えています。わからないことをわからないまま、そっとして置くのも、認識力かと思います、
わからないことに、無理に出す答えは、100%間違っているという(変な)自信があります。

そして、私自身が余り好きでないんですネ、このように統計学を、あたかも人の心理のように扱うことが、
むしろ、「百害あって一利なし」だと、考えていますし、自分で出して言うのもナンですが、
「○○のとき何%の人間がどういう行動をする」と言うようなことで、人間を解ったような気になるのは、
大変に危ないことだと、胆に銘じておりますので・・・(勝手な個人的見解です、)
いつも、目の前にいるその人間をちゃんと見なさいと、叱られていますので、

これまでのこのご質問の経緯からもそうですが、
言葉の解釈は人それぞれに違って来ます、さらに材料が不確かだと、
キチンと自分で考えることも難しいですし、独自の視点がなければ、単なる受け売りに終わります。

現実的な解釈の為には、そういった、独自の視点をもつことと、
その独自の視点留まらずに、普遍的な解釈ができる力、客観力も(←カウンセリングの話に少し通じますが・・・)
必要になって来ると思います。

> この部分について、もう少し詳細に教えて頂けたら幸いに思います。

申し訳ありませんが、この質問に答えると、私の回答はこのスレッドの回答ではなくなり、
規約違反になるのではないかと思います、一度この質問の結論出されてから、
改めて質問をされることを、お薦めします。

尚、私に、回答を書ける(能力と時間が)があるかわかりませんので、
確実な答えを期待なされぬように・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


>答えがないと考えています~

 了解いたしました。


>規約違反になるのではないかと思います

 教えてくれてありがとうございます。以後気をつけます。


>一度この質問の結論出されてから、改めて質問をされることを、お薦めします。

 了解致しました。では、この質問を〆てから改めて質問をさせて頂きますので、そのときは宜しくお願い致します。

お礼日時:2008/08/15 03:39

ANo.8です。

  以下の質問にポイントをあわせたつもりです。

「現実的な解釈はエネルギーの無駄遣い」「事実でも事実じゃなくても、どちらでもいい」等と思うなら、「私には判断できません」「判断しません」等といった姿勢で良いと思うのですが。
 非現実的な解釈をしてしまうが故、(トラブル等)余計に時間とエネルギーを浪費する事態を招いてしまうことも多いと思いますし、事実無根の悪者扱いをした結果、殺されてしまうことだってありますよね。
 現実的な解釈をする能力があるのに、なぜわざわざ事実無根の悪者扱い等非現実的な解釈をするのだろう? と思います。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1 次のような場合には、無言の同調・無言の同意をする人(異論を述べ立てない)が多いと思います。その無言の同調者に場を改めて個別に見解を聞いた場合には、同意していないあるいは事実関係について全く異なることを教えてくれることもあると思います。
その例1ー1:結婚式で新郎の人となりを紹介している場面
その例1-2:全校集会で昨日の暴力事件に関連して訓話?をしました。その冒頭・前振りで事件の概要説明がされました。
その例1-3:9.11のニューヨークビル倒壊の2ヶ月後にアラバマ州の政治集会で、イスラム原理主義は危険な集団である!という演説があった
その例1-4:教育長が戦後教育を改める必要があると教育委員会で滔滔と述べた(時間は10分くらい)
その例1-5:甲子園出場経験も多い学校の非レギュラー部員Aが不肖事件を起こして甲子園出場を辞退することになった後で、Aは自宅謹慎していたが、甲子園出場できなくなった部員が練習後の部室で、優秀と評判の高い3塁手Bが、Aの問題点を色々と挙げて野球部としてAの入部を認めるべきではなかったとまくし立てた

2 次のような場合には、意見を述べるとか、同席者の見解を確認するために質問するとかの行動をとらないことが多いと思います。 その無言の人、無行動の人に、改めて個別に見解を聞いた場合には、同意していないあるいは事実関係について全く異なることを教えてくれることもあると思います。
その例2-1:先生や先輩が、努力の大切さを発明王エジソンの99%の汗の話を例に挙げて訓話していた。
(聞いていた人の中には、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC% …、を読んでいた人もいた)
その例2-2:モーツアルトの紹介(説明)記事を読んだ。読んでいる友人がいた。そこには天才ぶりが紹介されていた。
(コンスタンツェのことには書かれていたが、モーツアルトの異性関係の紹介はほとんどなかった)

その例2-3:佐藤栄佐久氏は逮捕の直前に辞任するまで18年間知事職にあり、その間利権と結びつかないクリーンな政治を標榜してきました。
( http://times.okushima.org/2006/11/post_106.php )( http://blogs.yahoo.co.jp/bunbinban5/41905154.html )
http://goisu.net/cgi-bin/psychology/psychology.c …
その例2-4:痴漢容疑で複数回検挙された人Aがいます。このA氏は無罪を主張しています。マスコミでは実名で何度も報道されています。そうした記事や報道を見かける人は多いです。 電車や自宅でこうした報道を見た。
( http://yuutama1.blog.shinobi.jp/Entry/186/ )


1の場合も2の場合も、そのような状況にあっても(その例の状況にあっても) 多くの人は、報道を見たまま、演説や訓話を聞いたままで、特にそれについて意見を述べたり、コメントしないと思います。
身近に起きたことでも、何も言わない人の方が多いように思います。

道路端に交通事故目撃者の通報を求むという看板を見かけますが、交通事故を見かけても通報しない人が相当程度いるという事実の上でこうした看板を作成し設置していると思います。

事実を知っていてもそれを述べたりしない、あるいは事実と異なる説明、事実の一部しか説明していない偏った説明が行われていると思ってもそのことを取り立てて言わないというのは、ポピュラーな行動です。


確認できる報告等から推定できる(事実関係)が複数存在するのはごく普通のことです。
 例えば、 書店主から万引きの報告があった として
 書店主の誤解かもしてません 
  (実は売っていた)
 Aを万引きの現行犯として別室につれきた
  (Aは 他の本も探して歩いていただけ)
  (BがAの手提げに入れて、Aを万引きにしようとした)
 Aが持っていた本は、自分の本だった

推理小説を読むような人は、1つの報告でも背景に色々なことがありうるし、どの報告(事実)とどの報告(事実)をどう結びつけるかで、見えてくる関係が全く異なるものになることを知っています。推理小説や推理ドラマを好む人でも、実際に身の回りに発生する事実や見聞きする報道を[実は違う解釈があるかもしれない]というようには考えたりすることは、あまりないと思います。

推理小説が好きだから現実的な解釈をする能力があるとは限りませんが、現実的に物事を解釈する能力を持っていても、それを発揮する場面は限定しているのが普通です。

【わざわざ事実無根の悪者扱い等非現実的な解釈をする】のではなくて、解釈するという活動を普通はしないのです。

BがAを悪者扱いしているのを、Cが目撃した(直接聞いた)として、
Cが、BやAを知っている知っていないで4通りの場面がありますし、悪者扱いの内容(過去の事実?)についてCが既知・無知の問題が絡むので、本当は色々と想定しないと意見が言いにくいですが、
Bが自信を持って息巻いている状況で、Cから反論や疑問的意見を求めているのではなくて、単に同調を求めているとCが感じたならば、Cは何も言わないか、簡単な相づちで済ませるのではないでしょうか。
悪者扱いの内容(過去の事実?)はBには絶対該当しないという明確な根拠をCが知っていて、それをAに説明しAに納得させるのが容易であり、その説明に懸かる時間等も問題がないという場合には、CはAに事実誤認ではないかということを言うかもしれませんが、そうした条件が揃うことは、まれだと思います。
例えば、盗難事件の実行犯がBであるとAが言っているが、Cは盗難事件発生時にBが別の場所にいた事実を説明できるような場合は、まれなケースです。

いじめを受けているとAが思い、その首謀者がBであるとAが述べ立てている場合、Bは首謀者ではないとか、そこに起きていることはいじめではない可能性があるとかをCがAに説明するのは、結構大変なことです。まして、Aの行動が原因となっている可能性があるとCが思っている場合には、AがBを悪者扱いしていても、CはAをいさめたりしないと思います。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

非現実的な解釈をしてしまうが故、(トラブル等)余計に時間とエネルギーを浪費する事態を招いてしまうことも多いと思いますし、事実無根の悪者扱いをした結果、殺されてしまうこともある。

南オセチアというとところでグルジア紛争が起きていて多数の死者が出ています。旧ソ連だけではありません。チベット、新疆ウイグル、アフリカ、イラク、世界のあちこちで軍事公安関連で大量の殺人がありその死傷者の数は、通常の殺人障害の死傷者の数を上回るのではないかと思います(未確認)。誰が悪者なのでしょう。どういう事実を確認して、どういうことをしているのでしょう。事実確認とその対策行動(軍事行動)とのつながりの妥当性(これこれのことがあるので、○○のために、これこれを目的としてこういう軍事行動をとる。その軍事行動の過程でどの程度の予算を投じ、破壊行為、傷害行為、殺人行為を許容するのかについての妥当性)について、多くの人の合意・納得があることはまずありません。

膨大な時間とエネルギを消費し、財産と身体、生命にも大きな損害をもたらすことは明らかですが、(加害側に近い当事者:例えば政府)が軍事行動を起こす政府に対し考え直すように強く申し入れることはしません。申し入れる場合でも、考え方についての見直しではなくて、交戦中止、戦線自粛、部隊の引き上げ撤退要請です。事実関係の理解を深め、悪者扱いを止めるようにという申し入れはあまりしません。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上は、現実的解釈をしたり、他人により現実的な解釈をするように求める行動が、一般的ではない、むしろまれな行動であるという説明をしたつもりです。

『なぜ』そうなのかについては、解釈になりますが、人間の頭脳はフルには活動しない、日常生活を繰り返す範囲で普段の脳の活動を行い、特別な場合以外には深く考えたりしないようにできているのではないかと思います。

諍い(いさかい)は、多くの場合、何かしらの誤解やコミュニケーションの不足、行き違いを伴っています。戦争も利害が絡んだことが根底にあるにしても、誤解やコミュニケーションの不足、行き違いを伴っています。
それはわかっていても、harrywithersさんのいわれ「(2)事実にかかわりる無く物事を現実的に解決する」能力を発揮することがまれなのが、人間なのではないかと思います。

この回答への補足

※お礼欄だけでは文字数オーバーになってしまう為、続きはこちらに投稿させて頂きます。

 次に、今回頂いた回答の中に、わかりにくい箇所があった為、確認させて下さい。
「推理小説を読むような人は、1つの報告でも背景に色々なことがありうるし、どの報告(事実)とどの報告(事実)をどう結びつけるかで、見えてくる関係が全く異なるものになることを知っています。推理小説や推理ドラマを好む人でも、実際に身の回りに発生する事実や見聞きする報道を[実は違う解釈があるかもしれない]というようには考えたりすることは、あまりないと思います。
推理小説が好きだから現実的な解釈をする能力があるとは限りませんが、現実的に物事を解釈する能力を持っていても、それを発揮する場面は限定しているのが普通です。
【わざわざ事実無根の悪者扱い等非現実的な解釈をする】のではなくて、解釈するという活動を普通はしないのです。」の部分についてです。
 この文章の前半と後半、つまり(1)「[実は違う解釈があるかもしれない]というようには考えたりすることは、あまりないと思います」等の辺りと、(2)「解釈するという活動を普通はしない」の辺りが、私には矛盾しているように思えるのですが、もう少し説明して頂けたら幸いに思います。
 (1)を含めた文章の前半部分は、(情報を鵜呑みにする等して)何らかの解釈を導き出す、ということですよね?
(せっかく頂いたご回答を無駄にしたくないので質問をさせて頂きました。攻撃しているわけではありませんので…… 念の為;)


 大切な時間を使わせてしまい、たいへん申し訳なく思いますが。。。汗  宜しくお願い致します。

 うぅ…… 睡魔が…… では、おやすみなさい。

補足日時:2008/08/15 03:35
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この回答へのお礼

 詳しい説明ありがとうございます。

 hatenasateさんは本当に色んなことを知っているんだなぁ、と感心しています。すごい勉強になります。

 さて、「事実を知っていてもそれを述べたりしない、あるいは事実と異なる説明、事実の一部しか説明していない偏った説明が行われていると思ってもそのことを取り立てて言わない」とのことですが、そのようなお話であれば、まったく問題は無いです。疑問を抱くこともありません。

 ここで私が問題にしているのは、「Aさんが事実無根の悪者扱いをされている状況を見て、短絡的に「Aさんが悪い」等と思い込んでしまう(重要!)第三者は多いと思いますし、逆に、そのような状況であっても、適切に現実的な解釈ができる人も居ます」ということです。
 念の為に「思い込んでしまう」について補足します。(状況を『BがAを悪者扱いしているのを、Cが目撃した』とすると)それは、CのAに対する態度(第三者に示す態度も含む)で判断します。(通常であれば、これらの方法以外では判断できないと思います) つまり、CがAや第三者の目の前でAを悪者扱いするような言動を取るか否かで判断しますし、そこが重要です。(悪者扱いやそれに由来する行為が、BとCの二者間の話だけに止まっていれば何の問題も無いわけですから)
 また、8月11日に他の回答者様の補足欄をお借りして投稿した通り、「私がイメージしている状況は、利害関係に由来する悪者扱い等ではありません。偶然その場に居合わせた利害関係の無い第三者が、Aさんが悪者扱いされている状況を見て、直ちに「Aさんが悪い」と思い込んでしまうような状況を想定しています。」という状況を想定しています。
(私と致しましては、状況設定は十分ではないかと思うのですが如何でしょうか? これでも状況設定が不十分とお考えであれば、改めてご指摘を頂けたらと思います)

※文字数オーバーにつき、続きは補足欄に投稿します。

お礼日時:2008/08/15 03:39

ANo5です。


参考にするにあたり、少し確認させて下さい。「現実的な解釈をしない人たちは、関心を持っていないから表面的な理解で済ませているのであって、けっして能力が劣っているわけではない」ということで宜しいですよね?
のご質問にお答えします。

次のようなケースがあります。(他のケースもあります)
表面的な理解で済ませている 
…… 意図的に、表面的理解で済ませている
     その問題の現実がどうであるかに関心を持っていない
     その問題を正しく認識すること以上に大事と思っていることがある
…… 表面的理解に傾いてしまった
     事態が切迫していると思い込んだ状態なり、精神的余裕がなかった
     話者・情報提供者の権威等が高く、批判的理解を封止する心情が働いた
     従者としての姿勢が身についていて、批判的理解や咀嚼、追求姿勢を持っていない
…… 言葉と実態とは異なるという言語的理解が身についていない

3番目のケースは、言語表現が表象していることと現実は異なるということを言葉でもよく知っていて、その時々でこのことを利用できるという能力に関係しています。
幼児などで、言語と客体を弁別して理解する能力を習得していない場合に、【あれは危ない】と言われると、【あれは危ない】と理解してしまい、その他の理解ができないような場合です。 これを能力が低いと呼ぶならば、こうした能力が低い場合には「現実的な解釈をしない人」となってしまいます。
言語表現が表象していることと現実は異なることが多いことを知っており、そうした面では批判的に理解することが多い人でも、隣家の住人が凶悪な路上行きずり殺人をしたと言うテレビを見た場合に、路上殺人が発生したということにまで疑いをもち事件の存在のところから確認するケースはまれでしょう。
裁判官が核になり、検事、弁護人が調査し検討論駁して判決しても、事実誤認を完全に避けることはできないのですから、悪者扱いしたか、誹謗中傷したかという価値的解釈が混じることについて、現実に何があったのかを理解解釈するのは、相当に理性的、冷静、論理的に能力が高いからといって簡単なことではないと思います。

こうした能力が低ければ、現実的な解釈をするのは難しいとは言えますが、現実的解釈をしないから能力が低い(能力が劣っている)のではないでしょう。

harrywithersさんが「(1)客観的な事実の把握する能力がある人=情報処理能力が高い人」と書かれていますが、同じ人でも、多くの事柄や情報に関してその能力をいつも振るっているのではなくて、普段はそうした能力を発揮しないでいるのではないかと思います。
harrywithersさんは「(2)事実にかかわり無く物事を現実的に解決する能力がある人=問題解決能力が高い人」と書かれていますが、同じ人でも、その問題を解決しなければならない状況にないときには、そうした能力を発揮しないのではないかと思います。

特に自分に影響の少ないこと、自分と関わりが薄いこと、その場限りあるいは短期間に忘れても支障がないような事柄に関しては、事実を確認したり、現実的理解をしようとしないのがごく普通の行動であり、能力の高低には関係ないと思います。

harrywithersさんが「言葉の内容は僅かに7%しか伝わらない」という情報を教えてくださっています。
この研究内容も、研究の方法も、その妥当性・汎用性の範囲も知りません。(webで見た範囲では、内容が見つからなかった。追試やこれと反する研究の有無もみつからなかった)(記憶力や論理性の誤謬をテストしていないとして)この言葉を私流に都合よく理解すると次のようになります。

人の話の内容や書かれた言葉を正しく理解しようという姿勢で(気持ちをもって)、人の話を聞いたり、文章を読んだりすることは、むしろまれである。そこに話された言葉や書かれた文章に重きを置かずに、いい加減に聞き、いい加減に読む。 それを習慣としている人が半数以上になっている。まして、書かれた文章、言われた言葉から、その現実的な理解をしようとすることはとてもまれである。

そんな事情(いい加減に読み飛ばすくせを持つ人が多い/あるいは本を読む習慣も持っていない)があるから、国語や現代文の試験で、何が書かれているのかを問題に出すことができる。

もしも、こうならば、能力の問題も大事かも知れませんが、能力の問題と言うよりも、普段の生活や生活の知恵、人付き合いの習慣と深く関わっているのではないでしょうか。
『現実的な解釈をする必要がないから、現実的な解釈にエネルギーの無駄遣いをしない』『会話として相づちを打ったりコミュニケーションをとることは大事なのでそうするが、会話の内容は忘れてしまってもいいようなことなので、適当に扱っている(賛成でも反対でもどちらでもいい)(Aさんが悪者でも、そうでなくても、事実があっても事実そのものが無根でも、どちらでもいい)』というのが、多くの人の生活の知恵になっているのではないでしょうか。

参考URLにストロークとディスカウントという言葉が出てきます。人とのコミュニケーションでは重要な面を指していると思います。人との会話では、あるいは論文や批評などでも、論証しようとしている事柄についての深い理解と並んで、賛否、認容、拒否などの姿勢の表明が重要なことがあります。

『問題解決能力が高い人』という場合には、そこに書かれた過去あるいは遠方で起きたことを述べている言葉や文章などの内容(事実の確定)だけでなく、今の場での利害関係者の存否や利害の方向、心理状態などを即座に斟酌して、この場でどうすれば今後のためにいいのかを速やかに判断して、都合のよい行動や発言ができるということを示していることが多いと思います。おそらく、harrywithersさんはこうしたことのできるのが、能力の高い人であり、言葉だけに執着しているような場合には『問題解決能力が高い人』にはならないと思われていると想像します。

{Aさんが事実無根の悪者扱いをされている状況を見た}と思った場合でも、『問題解決能力が高い人』は、Aさんが悪者扱いされていることに目をつぶったり、黙殺することも、状況によってはやるのではないかと思います。

参考URL:http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/soudan/kiso …
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 hatenasateさんのご回答を拝読させて頂きましたが、どうしても腑に落ちない部分があるので、そこに焦点を絞らせてください。

 問題の箇所は『(現実的な解釈をしないのは)生活の知恵』の辺りです。
 現実的な解釈にエネルギーが必要なのはわかるのですが、
だからと言ってなぜ、非現実的な解釈に走ってしまうのでしょうか?
「現実的な解釈はエネルギーの無駄遣い」「事実でも事実じゃなくても、どちらでもいい」等と思うなら、
「私には判断できません」「判断しません」等といった姿勢で良いと思うのですが。
 非現実的な解釈をしてしまうが故、(トラブル等)余計に時間とエネルギーを浪費する事態を招いてしまうことも多いと思いますし、
事実無根の悪者扱いをした結果、殺されてしまうことだってありますよね。
 現実的な解釈をする能力があるのに、なぜわざわざ事実無根の悪者扱い等非現実的な解釈をするのだろう? と思います。

 この辺りについて、補足を頂けたら幸いです。宜しくお願いします。

お礼日時:2008/08/13 21:59

自分を自己保身すれば、主観を用いて、情報操作をするでしょう。


だから、まったく関係ないところで、関係ない人を、祭り上げる。

情報操作すれば、客観視できない人はそう思い込む。

また、普通の人は、思い込み、主観を述べる。
だから、自己保身をする。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

悪循環になっているのでしょうね。

お礼日時:2008/08/13 14:13

「現実的な解釈できる人」の解釈もいくつかあると考えます。


(1)客観的な事実の把握する能力がある人、という意味のとり方、
(2)事実にかかわり無く物事を現実的に解決する能力、

(1)は情報処理能力が高い人と考えられます。
 情報処理能力の高さは、主に情報の取捨選択能力や、重要度の見極めなどによります。
 情報には、その場にいた人間からの一次的な情報とそれを伝え聞いた、
 二次以降の情報があります、どんなにまことしやかに語っても、一次情報以外はあてに成りません、
 もしも、二次情報ばかりの場合は、あやうい前提に立っての推理だとの自覚が必要でしょうし、
 二次的な情報源から客観的だと思われる情報を、常識や理屈に従って、注意深く拾い出し、
 “私情を交えずに判断できる能力(※1)”が必要になるでしょう。

つまり、「Aさんが悪者扱いをされている状況を見て、」
(この時点で、事実無根かどうかは、判定不能)
何故、悪者扱いをされているのか、何をAさんはして、何をしなかったのか?
「一次情報的な事実は?」と考える、事実とそれ以外のことを分別することだけでも、
随分とこの能力が鍛えられると、思います、
しかし、他人の噂話を面白おかしいことだけの興味本位で、無自覚に楽しむとき、
この情報処理能力は、使われない筋肉のように衰えて行きます。

(2)は問題解決能力が高い人、と云うことになると思います。
つまり、「Aさんが悪者扱いをされている状況を見て、」
「事実のあるなし」とは、関係なく、Aさんが悪いと思い込んだ結果として、
今この現場で、何が起きていて、どのような背景からその問題(疑われるという)は起きて来たのか?
その問題の為に、何が上手く行かなく成っているのか?
これらの問題に、解決策を見い出し、行動できる人が、現実的な問題解決能力が高いということに成ります。

「Aさんが悪者扱いをされている状況を見て、」事実をて究明して、Aさんの無実を証明しても
また、違う場面で、Aさんが疑われる場合もあります、この場合Aさんの、行動パターンに
問題のある場合や、周りの人達のAさんに対する偏見、思い込みが背景にあると思われますし、
Aさん自身の問題点や、周りの根本的な偏見や嫌悪感に手をつける方法も考えられます。

Aさんが、疑われ信頼度を低下させることで、業務や団体行動の効率の低下を
どのように、判断し解決をつけるか?との切り口から、結果的にAさんの無実を晴らす方法も考えられます。

※面白がって暇つぶしに、他人を疑いあげつらう、タチの悪い連中もいますが・・・

※1“私情を交えずに判断できる能力”について
 これは、心理学的に重要なな問題にだと思います、

カウンセリングなどの場合、クライアントに感情移入する(共感性が高まる)と、
相手の悲しみや痛みが自分に流れ込み、実際に悲しみや痛みまで感じることがあります。
この時、クライアントに感情移入している自分を自覚している、
もう一人の客観的な自分自身を訓練して作り出していることが必要になります。
そして、カウンセラーは、事前に自分自身の心の傷を自覚しある程度、修復している
ことが必要に成ります。これは、自分の傷をクライアントに投影しない為に、
自分自身がマッサラな鏡のようになり、クライアントの姿を見つめてもらう為に
カウンセラーには、必要な訓練です・・・で何が言いたいかと、いうと、

心が傷ついた人々、自分の傷に無自覚な人達は、現実的な解釈ができず、
自分の心の中の傷ついた世界を、他人に投影する傾向があるということです。

そして、臨床心理の一派の「交流分析(TA)」では、人間を大きく3つの部分
(P=親的な部分、A=冷静な大人の部分、C=子どもの部分)に分けて考えています。
この、Aの部分が、他のPやCに侵略されている状態を、「汚染」と呼びます。
例えば、偏見などは、PがAを汚染している状態ですし、
CがAを侵すと、常識はずれのわがまま、とか、屁理屈、妄想などがひどく成ります。

  ※詳しくは、「交流分析の汚染」で検索されてご参照下さい。

長々と書いて来ましたが、結局
1)客観的な事実を探り出す力、
2)自分自身を知り、自分の心の傷や偏見などを、投影しないこと
3)常識と知識を使いこなし、様々な解決策を探る努力を怠らないこと
4)情報が間違いとわかった時に、すぐに修正できる柔軟な姿勢
まだまだ、あると思いますが、その選択肢を出来るだけ多くだせる
こんなことが、現実的な解釈と、その先の解決力につながるのではないでしょうか?

この反対が、現実的な解釈ができない傾向を持つ人で、
無自覚な偏見がひどい人、考える材料(知識)がない。比較して検証する習慣が無い、
心に傷を持つ為に考えが歪んだ人、自分の考えが無い、色々と考えられます。
交流分析でいうなら、Aの自我が機能不全に至っている人になります。

> 現実的な解釈ができる人と、できない人の割合は・・・

そういったことを、専門的に研究して統計をとっている方以外には、
この答えを出せる可能性があるように、思えませんが・・・

ただ、人のコミュニケーションの研究では、
言葉の内容は僅かに7%しか伝わらないとの研究結果もあります。
http://www.frepa.livedoor.com/blog/show?id=18649 …
そこから、ご自身で割合などをご推察ください。
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この回答へのお礼

 的確な回答、ありがとうございました。
 たいへん参考になりました。

 さて、「もう一人の客観的な自分自身を訓練して作り出していることが必要になります。」
とのことですが、この部分について、もう少し詳細に教えて頂けたら幸いに思います。
 それはどのような状態なのか、もう少し詳しく教えて頂けないでしょうか?
また、そのような精神を作り上げるためには、どのような訓練が必要なのでしょうか?
また、そのような精神のあり方には、人格を分裂させてしまう等、何らかの弊害は無いのでしょうか?
(レインの内的自己、外的自己などといった概念が頭を過ぎりました)
弊害が考えられるならば、それをどのようにして回避するのでしょうか?

 よろしくお願い致します。


>そういったことを、専門的に研究して統計をとっている方以外には、
>この答えを出せる可能性があるように、思えませんが・・・

 こちらの質問は個人的な見解でも結構ですので、よろしくお願い致します。

お礼日時:2008/08/13 14:12

ANo.3の回答をしたものです。



[現実的な解釈]の反対(否定)は、[現実的な解釈ではない][抽象的で具体性をもたない解釈]と思います。
そうした理解で回答したのでは、求められている回答ではないのでしょうか。

『Aさんが事実無根の悪者扱いをされている状況を見て』という場合に、その言葉の範囲で考えることが、現実的でない、具体性を持たないということだと思います。
事実無根ということを確認する方法も容易ではなく、色々な状況を想定しないと事実無根にも具体性がでてきません。悪者扱いというのも、その具体的な状況を想定しないといけません。[………されている状況を見て]という[見て]も、どのように具体的な状況設定をするのかが大事だと思います。

『Aさんが事実無根の悪者扱いをされている状況を見て短絡的に「Aさんが悪い」等と思い込む』ということを論じるのが、非常に抽象的なように思います。あるいは、具体性に欠けるような気がします。

こうしたことを現実的な解釈をしないと呼ぶならば、意見を出す人の多くは現実的な解釈を飛ばして現実的でない解釈のままで意見を出すような傾向があると思います。

なお、現実に起きていることをしっかり把握しないで、表面的理解で短絡した意見を出すかどうかということを質問されているのであれば、多くの人は実際に発生した現実がどうのような経過、事情があったのかには関心を持っていないので、表面的理解で済ませているはずだと、私は思います。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 当サイトの傾向や質問の内容等を考慮して、適切と思える質問文を投稿したつもりですが、
hatenasate様のご指摘は参考にさせて頂きます。
(当質問においては『現実的な解釈ができる』の反対は『現実的な解釈ができない』で構いませんが、
『抽象的で具体性を持たない解釈』ということは考えておりません)

 表面的理解で済ませている、という部分につきましても参考にさせて頂きます。
 参考にするにあたり、少し確認させて下さい。「現実的な解釈をしない人たちは、
関心を持っていないから表面的な理解で済ませているのであって、けっして能力が劣っているわけではない」
ということで宜しいですよね?

お礼日時:2008/08/13 14:11

 正直な話人間の情報処理を自分勝手に解釈する人というのは欲求不満を抱えていると思いますね。

欲求不満といってもあれが欲しいとかこれが欲しいとかいう欲ではなく、自分にとって不利な立場に立つことを嫌がるという意味で欲求不満という意味です。なので相手が悪くないと思っていてもその場の不利有利を優先してしまい相手を悪者扱いするという行動に出てしまうということだと思います。その時の外界情報が自分の精神状態を破壊に追い込む危険性を孕んでいるため現実的な判断がおろそかになるということはあると思います。

この回答への補足

補足します。

私がイメージしている状況は、利害関係に由来する悪者扱い等ではありません。
偶然その場に居合わせた利害関係の無い第三者が、Aさんが悪者扱いされている状況を見て、
直ちに「Aさんが悪い」と思い込んでしまうような状況を想定しています。

宜しくお願い致します。

補足日時:2008/08/11 17:35
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

おっしゃるように防衛的な機制が、事実無根の悪者扱いに繋がることも考えられますよね。

お礼日時:2008/08/11 17:51

「一人の人が、あることに関しては現実的な解釈ができたが、別のあることに関しては現実的な解釈ができなかった」というのが普通の状態だと思います。

そうすると、人間を「現実的な解釈ができる人とできない人に色分けする」ことができないと思います。 対象の出来事を限定せずに【現実的な解釈ができる人とできない人の割合】を出すことはできないと思います。

「現実的な解釈」というのはどのような意味でお使いかわかりませんが、「多少ともリアリスティックに解釈する」ことを意味しているとします。
当然、同じ事柄(Aさんを事実無根の悪者扱いとしていること)に関しても、Aさんを疎外排斥しようと言う気持ちが勝って事実を確認することよりもAさんが悪いという発言で意見をまとめている(=現実的な解釈1)、自分悪かったのだがそれを隠蔽するためAさんを悪者に仕立てている(=現実的な解釈2)、Aさんと対立するBさんの仲間であるという仲間意識がAさんを悪者扱いにしている(=現実的な解釈3)、過去にAさんは悪行を繰り返したたため周囲には刷り込みができていて今回は事実の確認をせずに本当は事実無根なのだがAさんを悪者扱いにしている(現実的な解釈4)等、色々な現実的解釈ができます。
こうした解釈ができるのは、そうした状況を想像できるからです。
一方、自分の知らないことばかりの関係で、入手した情報が(Aさんが悪いことをした)というだけの場合に、事実関係を確認するのは無理ですから本当はその情報の正否妥当性の判断は困難なのですが、(Aさんが悪い)という解釈をしてしまう人も多数発生します。
元の情報は(Aさんが悪いことをした)というもので、(Aさんが悪い)という情報ではありません。例えば、AさんがBさんを殴りBさんは重症という情報でも、BさんがAさんを2ヶ月間に亘りつけ回しておどしていたのかも知れないし、Bさんら5人のグループがホームレスCさん集団で殴っているところに通りかかったAさんが注意したら棒でBさんがAさんに向かってきた経過であり、かつBさんグループの証言を警察が聞き取っただけの報道かも知れません。

自分の縁が薄いところで発生していることに関する情報については、現実味のある解釈は想像の産物でしかあり得ません。
自分の縁が薄いところで発生していることに関する情報について、そういう情報があるというだけで抑えて理解する人よりは、情報発信者の姿勢に沿って解釈してしまう人の方が多いように思います。

参考URLに次のような言葉があります。[政府や中央銀行にしてみれば、政府にお金がないから中央銀行がお金を刷るより仕方がなかった。銀行がつぶれたら大混乱が起きるから、銀行に資金を供給するしかなかった。数少ない働き場所である企業がつぶれたら、やはり大混乱になるから、お金を貸すよりなかった。だから、お金を刷っていたというのだろう。]このようなことは、解釈といえば解釈なのですが、これを読んでそれを事実として理解して、また他人にもっともらしく説明する人もいることはいるのです。
人の説や、人からの聞きづてをどう受け止めるかは難しいところですが、他に情報が乏しい場合、自分に関係がない場合、類似の情報解釈で誤った記憶をすぐに思い出して自制できない場合には、現実的な解釈は難しくなると思います。

参考URL:http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/harada.cfm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

参考URL、さっそく拝見させて頂きますね。

お礼日時:2008/08/11 17:50

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