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ゆとり教育はいつ頃から作ろうといわれていたのですか?
また政府はこれを使うとどうなると思っているんですか?
そんでもって問題点は何ですか?

A 回答 (6件)

思いっきり斜めから見た意見です。



ゆとり教育は、戦後すごい勢いで力を付けてきた日本を警戒したアメリカが、その要因が、日本の教育にあるときがつき、日本の国力を弱体化させようとした陰謀です。

そのアメリカの思惑と日本の官吏のぼんくらで反抗心のない国民を作りたいという思惑が一致して、共謀して行っている政策です。

この説が、本当かそうでないかは、後10年したら分かります。多分10年後の日本は、一部の官吏だけがのうのうと暮らし、一般の国民は、ひーひーいって暮らしているはずです。

そしていろんな所でアメリカの食い物にされた日本の風景が見られることでしょう。

そうならないためにも、早くGを日本から駆逐しましょう。
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文部省には余り頭がいい人がいないですね


ゆとり教育だといって教科書を薄くすることは内思います
勉強でしんどいのは記憶しないと行けないからということが一番です
理解することは必要でこれは記憶ほど労力を必要としません
試験に携帯電話やノートパソコンを持ちこんでもいいということにならば
知的肉体労働である記憶に時間を割かずにするのでゆとりが出てきます
要は理解することが重要で記憶ごとはデータベース化して
いつでも取り出せるようにしておけばいいのです
馬鹿な歴史学者が1192に何があったか知らないとはあきれる
といっていましたが
そんなことは重要ではなく
歴史の流れや意味することが重要なのであって
年号はパソコンからいつでも取り出せるように
関係機関がデータベース化していればいいのです
司法試験もそうです
法文をデータベース化してロボット検索できるようにしていれば
記憶力でしか勝負できない頭の悪い弁護士を排除できます
記憶をしないですむのなら理解だけでいいのなら
多くのものを学んでもゆとりはできます
文明の利器を使うように教育改革をしてほしいものです
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この場をかりて ゆとり教育への不満をいっぱつ!


中学生と小学生の子がいます。

まず 中学生の子は 私立の学校を受けるのに ゆとり教育ではずされた
単元を塾で補わなければなりません。
希望する子が 全員 公立高校へいけるわけではないのです。
それから ふえた「総合の時間」ですが あまり有意義とは 思えません。
本人も総合の時間が一番うっとおしいようです。
また 授業時間が足りないので 運動会でも下準備の練習の必要な種目は
やめるとか簡素化される傾向にあり、中間や期末テストも一回だけにするとか廃止するという話も聞いています。

小学生では 土曜が休みになった分 平日に授業時間がふえて
帰宅が遅くなりました。うちは 学校からあまり近くないので
平日に家に帰ってから 友達と遊ぶ時間が減りました。
土曜が休みになったとはいえ、この地域では何の子供向けの
催しもなく 子どもはひまです。
かためて休めるのを喜ぶのは 先生だけかな

ほかに いろいろと有意義な点もあるかと思いますが
とりあえず うちの 生活の雑感でした。
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 少し混乱されているようですが、実は↓のNO.2の方が書かれているのと


ほぼ同様のことを、文部省の「学習指導要領」担当者も主張しています。
 いわく、学力とは知識ではない。このインターネットの時代に年号やら
日頃使わない公式を詰め込む必要はない(むしろコンピュータ教育を充実
していきましょう)。そして何よりも、こうした知識を競い合う偏差値支配
の受験体制もよろしくない。だからこそ、暗記すべき内容などは削減して
「ゆとり教育」に切り替えるのだと・・・。

(NO.2の方をだしにしてしまったようで申し訳ありませんが、)
教育の問題について議論すると、意外と多くの国民が気づかぬうちに
こうした考えを口にしています。だからこそ、文部省も「表向き」には
このような説明をするのだと思います。

 いわゆる「ゆとり教育」を基本方針とする新しい学習指導要領が告示
されたのは、99年のことです。(実施は今年から)
 おきまりの「文部省批判」ばかりしていると、見落とされがちですが、
しかし実際に、その内容について方向付けしたのは、中曽根首相時代の
私的諮問機関「臨時教育審議会」(84~87年)でした。
(だからある意味では、文部省は自分達の縄張りを荒らされたかたちで
もあり、最初のうちは抵抗もしたようです。でも当時の中曽根首相の
強力なリーダーシップにはかなわなかったのでしょう)
 そのメンバーには、もちろん名誉教授の立派な肩抱きを持つ学者なども
いましたが、それ以上に経済界のお偉いさんたちが沢山入っていました。
ですので、「ゆとり教育」には、それまで文部省の聖域だった教育現場に、
企業の論理がもちこまれたという側面がうかがえます。
 その最大の特徴は、(逆説的な感じもしますが)「エリート重視」の
思想です。駄目な社員はいつまでたっても駄目、結局は少数のエリートが
企業を牽引し、国の経済を繁栄させるという考え方です。

 当時文化庁長官で、新学習指導要領の下敷きになる答申をまとめた最高
責任者だった作家の三浦朱門氏は、
「落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を
限りなく伸ばすことに振り向ける」
「非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい」
「エリート教育とは言いにくい時代だから、(ゆとり教育と)回りくどく
言っただけ」などと、インタビューで語ってもいます。
(『機会不平等』斉藤貴男・文芸春秋社)

要するに、全ての子供に手厚い教育は必要ない、これからは「ゆとり教育」
でコストダウンをはかって、その分を国にとって有益な、本当に才能のある
子供への高等教育にまわそう、というのが狙いのようです。
 最近では「愛国心」教育が話題になっていますが、これなどはまさに
「非才、無才には、せめて実直な精神だけを」ということなのでしょう。
その一方で、この10年間にノーベル賞受賞者を何人輩出しようというような
国家プロジェクトも出てきてますよね。
 ご承知のように、小泉内閣は経済最優先、徹底した競争原理による社会の
構造改革を方針に掲げていますから、こうした「エリート重視」の方向性が、
今後ますます加速されていくことは間違いないとと思います。
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ほぼ同様のことを、文部省の「学習指導要領」担当者も主張しています:



もしそうだとしたらいっていることとやっていることが違ってますね
記憶しないで理解すればいいのならもっと高度なことをいっぱい勉強するゆとりが増えるのだから
教科書は厚くなるはずです
勿論教科書がcdromになればいいのですがまだ早いかもしれません
さらにサイバー化が進めばオンライン教科書になりますね

とにかく
テスト、試験の方法を記憶しないでもいいものに変えるべきです
例えば何があったのが何年か?というような馬鹿な問題は必要なし
勿論あってもいいのですが試験中データベースにアクセスできるようにして
そのような問題は誰でもできるのです
大学入試をデータベースアクセス許可のもとすればいいのです

数学の問題で・・・を証明せよ
等の問題ならば・・・がデータベースにのっているような既存の命題でない限り
理解していなければいくらデータベースにアクセスしてもできませんが
一度理解していれば証明するのに必要な定理など多少忘れても定理などのデータベースにアクセスするなどして
すぐに解けるはずです

学習で時間を取るのは記憶労力が95%以上を占めると思われるので
記憶をしないですむのなら20倍のゆとりができますから
10倍のものを学んでもまだ2倍のゆとりができます

学ぶことが多いのにゆとりが大いにあるというのはいいものですね
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大学で、教職の授業をとっています。


「ゆとり教育」という言葉が登場したのは実は意外に古くて、70年代の教科書改訂時にはすでにこの言葉が出てきています。
英語の単語数などもこの頃から減りはじめているんですよね。
さかんに言われるようになったのは下の方々の回答にあるように、もう少しあとのようですね。
ちなみに70年代は、不登校、落ちこぼれ、非行等の問題がクローズアップされ、いわゆる詰め込み教育が盛んに攻撃されました。そういったものの反省からゆとり教育というのが注目されるようになったのです。
すなわち、日本の子供たちは勉強しすぎ、とか受験戦争で子供たちの心は荒廃している、なんてのは70年代の教育現場の話。
非常に不思議なことに、ゆとり教育が実施され始めた80年代に学校の荒れはピークに達しました。その後は落ち着いたものの、いじめというさらに深刻な問題が。
何故か、こういった問題にスポットがあたる時、かならず受験教育の批判が行なわれました。それで世論はゆとり教育を支持してきたのです。
不思議なもので、ゆとりを増やせば増やすほど子供たちは、学校は荒れていくんですね。
「ゆとり教育」が一つの実験だとしたら、もうすでに結果は出ているんです。
ちなみにアメリカやイギリスではゆとり教育が大失敗に終わり、公教育は手におえない状況になっています。
この期に及んでゆとり教育を実施するのはなぜなんでしょうね。
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