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私は、国家には福祉に力を入れてほしいと思っており、大きな政府を志望しています。また、同時に、今の行政の在り方だと、国民に分配されるはずの税金が、無駄に浪費されていると考え、行政改革にも意欲的です。
しかし、今の政治を見ていると、行政改革というのは、小さな政府を志向する人たちが、中心に行っているようです。
自分の意見は、やはり、おかしいのでしょうか。何分、知識不足なので、ご教授いただけたら幸いです。

A 回答 (11件中1~10件)

ルール違反かと思いますが、ちょっと横から失礼します。


「第三の道」理論はいいとこどりではなく、悪いとこどりの理論である
との批判を免れることはできません。



まず、スタグフレーションを打ち破ったサッチャリズムの成果が過小に評価
されています。ブレア政権下で「第三の道」と呼ばれる政策が可能であったのは
サッチャリズムの成果として経済に余裕が生じたためです。

近年日本の某政党がよく批判を受けているように、財政的な裏付けがなければ
福祉政策を実施することは不可能です。「第三の道」ではこの財政的な裏付けを
得る根拠が薄く、事実、サッチャー首相の政策の成果として好転した経済は
ブレア首相の後(つまり現在)急激に悪化しています。


また、雇用支援政策は元来「小さな政府」理論のもので、
日本でも話題の「ニート(就労訓練を受けていない非雇用者)」は
サッチャー首相の政権下で生まれた言葉です。
(ちなみに、このNEETには本来、民間のボランティアも含まれます。)


さらには、ブレア政権下で失業率が改善したのは
このサッチャー首相の政策により経済が好転したためである、
(ブレア首相のニューディール政策の影響が薄い)と
当の英国会計検査院が評しています。




つまり、「第三の道」は呼び方を変えただけの「大きな政府」理論なのです。
政府による市場への貨幣流入を制限することができないのですから、
「小さな政府」理論の効果を最大限に得ることは不可能です。

また、経済が好転しなければ、雇用の確保などは夢物語としか言えません。
仮に就労訓練をしたとしても、不景気ならば能力のある人間が就職できない。
それこそが不景気の問題の本質なのですから。



日本においてはサッチャリズムの体現者は中曽根総理であり、その後の日本は
空前の好景気を経験することとなります。
ブレア首相の時代、つまり小泉総理(というより日銀:速見総裁)の下で行われた
あの経済的混乱がいわゆる「第三の道」です。回復基調であった経済を
どっち付かずの政策の乱発で、再び悪化させる結果しか生みませんでした。



聞こえのいい理論(福祉政策や第三の道など)に世論が傾くのは
ある意味で仕方の無いことかもしれません。
しかしながら経済というより多くの人類の幸福に直結する
問題であるからこそ、我々は過去の失敗から冷静に判断すべきであると考えます。
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この回答へのお礼

一見いいとこどりの第三の道も、見方を変えれば悪いとこどりともいえるわけですか。政治というのはなかなか難しいようです。
違うご意見を頂き、参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/14 22:27

「大きな政府」か「小さな政府」かという、二項対立的ないし二者択一的な議論の仕方は既に古くさくなりつつあります。


今後は、「第三の道」を如何にバランス良く作り上げていくかに掛かっていると思います。
といのも、小泉改革が掲げた「小さな政府」志向は既に行き詰まりを見せていますし、かといって昔のように「高福祉」ありきでは「ばらまき」と批判されるように無策に等しいからです。
そこで出てきたのが、「第三の道」と言われる政策です。

これは、もともと英国病という長期の経済低迷に悩まされていたイギリスを立て直したサッチャー主義の限界を批判しつつ、かつての社会主義派のような高福祉政策ではない道を目指すとしたアンソニー・ギデンズの提言を取り上げたブレア首相の政策を主に指します。
サッチャー主義は、日本で言えば小泉改革を指します。
もともと、サッチャー主義やレーガン主義を日本に当てはめようとしたのが小泉改革と言えるかと思います。
高福祉政策は、いわゆる「ばらまき政策」と揶揄される政策ですね。
で、「第三の道」とは

>福祉重視で、無駄のない、小さな政府ということでした

端的に言えば、これを目指すという事になります。
「市場主義=効率重視(小さな政府・官から民へ)」を右手で、「社会主義=社会的公正重視」を左手で掲げます。
右手・左手というのは、自由主義は右派、社会主義は左派と通常言われるのでその例えです。
つまり、右派と左派両方のいいとこ取り=中道です。(実際は、中道左派と言われますが)

市場主義で公正で積極的な競争社会を実現し経済拡大をしようというのがまずきます。
しかし、「市場は放置すれば不平等と格差をもたらす」という従来から言われていた批判を受け入れ過度な市場主義にはある程度の手綱をかけます。
ところが、手綱を引きすぎれば「政府は非効率で自由を脅かす」という社会主義に対する批判が現実になる可能性があります。
そこで、手綱の引き方を変えるのです。
従来は、高い税金をかけてその税収で高福祉の財源をまかなうのが社会主義の政策でした。
これは、「結果の平等=格差の無い社会」を目指す政策と言われます。
それに対して、「第三の道」では「機会の平等」を目指しました。
つまり、貧困層や恵まれない環境にいる「社会的弱者」を切り捨てず、かといって補助金などで「社会で養う」のでもなく、「社会参画」を促し、社会の一員として働いてもらうことによって市民としての役割を果たしてもらおうというものです。(当然ですが、働く意志がない人まで面倒は見ません。それでコスト削減します。)
具体的には、失業保険を払う変わりに就労技術を身につけるコストを国が払うということです。
これをブレア首相は有名な演説で次のように述べています。

「私にやりたいことは三つある。それは、教育、教育、教育だ」と。

ここで間違ってはならないのは、教育といっても子供に対する義務教育だけではありません。
社会人になった後でも仕事の技術を身につけてもらったり、資格を取ってもらって職業につなげてもらったりという「社会教育」が含まれている点です。
これこそが、「機会の平等」という「福祉」を支える根幹であるということです。

と、まぁ長々と書いてしまいましたが、つまりは「高福祉社会」といっても、内容が違うという事です。
そして、それによって「小さな政府」との両立というかバランスを保とうとする政策であるといえます。
欧州を始め、米国でも徐々に広がりつつある考えだろうと思います。
そして、素人考えではありますが、個人的にも今の日本に一番合ってる政策であろうと思います。

参考URL:http://www.ihope.jp/blair.htm
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この回答へのお礼

腸分によるご回答、ありがとうございます。現在は、右か左かの択一の経済政策ではなく、第三の道も模索されているのですね。大変参考になりました。

お礼日時:2008/09/13 09:52

大きな政府は、それだけ人も必要になり、行政改革とは矛盾します。


でも、大きな政府と、行政改革の両方を求めるのは当然です。

会社で例を挙げれば、売上増を目指せば、人も増やす必要がありますし、経費も多く必要になります。でも、経費はいくら使ってもいいから、とにかく売上を増やせ、という考えでは良い経営者とは言えません。常に売上増と経費削減を目指す必要があります。

それと同じで、福祉も充実することと行政改革は矛盾していますが、その矛盾を承知で実行する人でないと、政治をする資格はありません。(と思います)
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 国家による福祉の増大と行政改革の両立は理屈の上ではできない訳ではないのですが両立が非常に困難です。


 まず、国民への説明が困難になります。“支出は増えている、だが無駄は減っている”と言うような説明は説得力に欠けるものですが、細かく論理的な説明をすれば今度は理解できない国民が続出します。
 また予算の配分も困難になってきます。“全ての部署の予算を縮小する”とか“全ての部署の予算を増額”するといった主張よりも“あの部署の予算は縮小するが、この部署の予算は増額する”といった主張は不公平感を招き利益団体の纏まった支持を獲得しずらくなります。
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福祉重視というのは基本的には大きな政府の象徴です。

それほど負担が大きいものです。原則として小さな政府と福祉国家は両立できません。
もちろん行政改革で無駄を減らすことはできますが、それが、税負担を大きく減らすことは不可能でしょう。
四分の一が借金のため四分の一が地方に配るため四分の一が福祉のため、削れるのはどれだけかと言うことですね。どれもこれも削れるだけ削らないとだめだと思いますが。
また地方に福祉を押し付けたとしても、国民の税負担そのものが減るわけではないでしょうし、地域格差が大きくなる可能性もあります。
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そもそも国による福祉政策や公共投資というのは


市場へのお金の流通量を増やし、福祉あるいは商業・軍備を増強することにより
新たな需要を喚起する一石二鳥の政策であったわけです。
第一次大戦後ボロボロだったドイツでこの手法が採用され
結果、かの国は一時的にですがヨーロッパ全域を支配するまでに成長しました。
その後、ほとんどの国でこの手法が採用されることとなります。



しかしながら、これは需要と供給のバランスが
正常に機能していることが前提です。
現在のように外的要因、つまり投機マネーによる原油高や、
悪いニュースで投資自体が冷え込むことなどにより
需要と供給の外で物価が決定される状況が起きている場合、
公共投資をしても需要は増えず市民の購買力も下がります。


結果として単純に市場に流通するお金が余ることになり
企業の負債が増大し、結果的に国の経済が圧迫されます。
不景気なのに物価が上がり続けるという最悪の事態が発生するわけで、
保護を受ける受けないに関わらず、すべての人間に不幸をもたらすことでしょう。


過去においてこの惨事(オイルショック・スタグフレーション)を経験
した人類は、公共投資偏重のスタイルを改めることとなりました。
ここに「小さな政府」の理論が誕生したわけです。
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>私は、国家には福祉に力を入れてほしいと思っており、大きな政府を志望しています。



これは大きな政府でなくとも可能です
 福祉国家であるスウェーデンも大きな政府」と言われるが、正確には「小さな中央政府と大きな地方自治体」と言えます。
 そのような政治体系が宜しいかと思います
http://www2.osk.3web.ne.jp/~mine2/sweeden.html

 尚、福祉だけに力を入れる国家はいずれ崩壊します
 今の日本は福祉の割には、少子化対策にあまり力をいれていません、福祉は同時に支える若年者層の拡大をしないといずれ破綻します
 
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この回答へのお礼

自分が言ったかったのは、本当のところ、福祉重視で、無駄のない、小さな政府ということでした。大きな政府という言葉が、自分自身を混乱させてしまいました。福祉重視というのは、大きな政府でなくてもできることですね。
まさしく、このスウェーデンの政治そのものです。回答、ありがとうございます。

お礼日時:2008/09/07 19:59

公共部門、要は役所ですが、役所に金を通すとこと自体が必ず非効率を生むということが小さな政府の根本にあります。


つまりこういうことです。
民間企業の効率性>>>>>超えられない壁>>役所の効率性
こうである以上、大きな政府と行政改革はまったく矛盾します。
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この話題は本来比較できないものを無理に比較しようとするので混乱が生まれるのですよね。



高福祉→大きな政府(高福祉→財源の確保が必要)
財源の確保→無駄の削除
大きな政府→コントロールが難しい(無駄が生まれやすい)

そんな条件を考えながら、ざっくりとこう考えると、
高福祉→大きな政府→財源の確保→無駄の削除→コントロールしやすい小さな政府
一連の流れに、大きな政府と小さな政府が出てきて矛盾ができますよね。

>私は、国家には福祉に力を入れてほしいと思っており、大きな政府を志望しています。また、同時に、今の行政の在り方だと、国民に分配されるはずの税金が、無駄に浪費されていると考え、行政改革にも意欲的です。
貴方の考えには矛盾があることになるので、何らかの改善を行い矛盾を取り除かないと話が進まないのですよ。
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現在言われている行政改革は、膨大な国の借金をいかに減らすのかが問題の根本にあります。



あなたの仰る「国民に分配される税金」というのは、経済活動の結果生み出されるものです。

現在の日本は、経済活動そのものが停滞若しくは縮小傾向にあり、「配分されるべき税金」そのものが減ってきています。

景気浮揚派は、公共事業等への財政投入によって経済を刺激し活性化させることで税収そのものを増やし、借金を減らそうというのが基本的な考え方ですが、問題としては、財政投入を行っても、昔のように景気浮揚にはなかなか繋がらず、単なる「バラマキ」になってしまい、国の借金が増えるだけの結果になっているということです。

一方は、行政府を極力小さなものにし、経済は基本的に市場原理にまかせ、税金に頼らずないようにしようというのが基本的な考え方ですが、問題点としては、自由な経済活動の結果、貧富の差が激しくるということです。
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