「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

子供のころから、仏教やお経というものに触れる機会がありますが、常々不思議に思っている事があります。
それは、どうして翻訳して教えるという発想が無いのかという事です。
基督教など他の外来の宗教は翻訳して教えを広めていますが、経典を完全翻訳して日本語で教えを広める仏教は存在するのでしょうか?


インドで始まった時にはインドの言葉で経典が書かれたと思います。
見れば、あるいは聞けばインド人は内容を理解できたのでしょうか?
インド仏教はお経を唱えるのでしょうか?
意味の分かる教えとして口伝しているのでしょうか?
日本の仏教のように一般の人には意味不明な呪文のようなものとして唱えたのでしょうか?


中国に伝わった仏教は中国語に翻訳されたと理解しています。
その経典は見れば、あるいは聞けば中国人は内容を理解できるのでしょうか?
中国仏教はお経を唱えるのでしょうか?
意味の分かる教えとして口伝しているのでしょうか?
日本の仏教のように一般の人には意味不明な呪文のようなものとして唱えるのでしょうか?

A 回答 (11件中11~11件)

私は仏教従事者ではないので私的解釈ですが、


仏教には徳を積む、悟りを開くという言葉があります。
これは、古から伝わる仏教を勉強し、自分の頭と心で感じることを
目的としたものだと思います。
古い、他国の原文を読んでも語学能力がなければ意味はわかりません。
しかし日本語で書かれた仏教に関する書物は意外と販売されていて
般若心経などの意味などから、宗派の違い、成り立ちなど
さまざまなことも書かれています。

私が読んだものの中には心をニュートラルにして空にすれば、新しいものを吸収できる
余裕と言うか余白が生まれることは可能性を広げることに繋がる
という内容もありました。

お経は僧侶が読むお経は神様に対して読まれる一種の儀式ではないかと思います。
その内容を学び、砕いて檀家さん方にお伝えするのも
僧侶のすべきことだと私は思っています。
また一方では一般の信者が高僧や仏に対する信仰心や思いのたけを
唱える場合もあるようです。
彼らに取っては意味のない呪文ではなく、内容を把握し
信仰心に沿った形で読むものだと思います。

僧侶の説法や講演会などに足を運んでみると
わかりやすい言葉で丁寧に説明してもらえるところもあると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>僧侶の説法や講演会などに足を運んでみると
>わかりやすい言葉で丁寧に説明してもらえるところもあると思います。

そういう特別な集まりなどではそうなのかもしれませんが、
日常で関わる範囲では
『意味不明な言葉を唱えている僧』

『終わるまでじっと我慢している信者』という関係でしかありません。

理不尽な情操教育としては必要かも知れませんが、
一般の信者にシッダールタの教えは何一つ伝わらず、
葬儀のセレモニーとしてギリギリ我慢できるだけで、
それ以外の用の無い時に寄りつく事もありません。

それが普通の事のように思っていましたが、他の宗教と比較すると、何かが違うとふと疑問に思いました。

お礼日時:2008/11/08 00:37

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