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塚本邦雄さんが書かれた
『ずぶ濡れのラガー奔るを見おろせり未来にむけるものみな走る』
という短歌の
語句の意味と短歌の意味が知りたいです。
知っている方は教えてください!!
お願いします。

A 回答 (3件)

『ずぶぬれの らがーはしるを みらいにむける ものみなはしる』



「奔る」は「はしる」と読みますが、意味は「勢いよく走る」ということです。雨の中、ラグビーの試合をラグビー場のスタンドから見ている状況だと思います。一生懸命に全力で試合に臨んでいる姿を見て、ラグビーに限らず、何かを成し遂げようという気概をもって未来に向けて頑張っている人はみな同じように全力で走っているようなものだ(し、またそうであらねばならない)ということを言いたいのだと思いますし、そのように解釈できました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!!
すごく詳しいお返事でとても分かりやすいです。
やはりラグビー選手と未来に向けて頑張ってる人を
重ねてるようですね!!
またそれが塚本邦雄さんの願いだということも
新しく分かりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/13 20:09

jo-zenです。

先の回答に脱字がありましたので訂正します。

『ずぶぬれの らがーはしるを みおろせり みらいにむける ものみなはしる』

が正しいですね。失礼しました。

「奔る」⇒「走る」という使い方なども含めて、大変すばらしい作品だと思います。
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この回答へのお礼

わざわざありがとうございます!!
奔ると走るは同じと受け取っても良いのですかね?
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/13 20:11

 ラガーはラグビー選手ですね。

雨の中をゴールを目指してひた走るラガーを、作者はスタンドか何か、少し高くなったところから見下ろしているのです。それを作者は感覚的にとらえて、未来に希望や目標を持ち、それを目指して生きている者にスライドして考えたのだと思えばどうですか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!!
ラグビー選手と未来に目標を持って生きてる人たちを
重ねてるのですね!?
少し内容が分かってきました!!
ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/13 20:05

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 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか?
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 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか?
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けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

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Aベストアンサー

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
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4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
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5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 草稿では平仮名だったそうですね。
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~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
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Q井伏鱒二の「山椒魚」で質問です。

小5の子供から質問されました。
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駄目な母です・・・。山椒魚の気持ちも、蛙の気持ちも、全然分かりません(T.T)
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Aベストアンサー

 誠に失礼かとは存じますが、国語の設問には「正解」という存在はありません。正解のある問題が国語にあるとすれば、それは漢字書き取りであり、「文脈」をどう読み取るかとの点で「傍線部に関して著者が違う表現をしている部分がある。その言葉を書け」という出題はなされます。
 井伏鱒二の『山椒魚』に関して言えば、終わりが2種類あって恐らくは改訂版のテクストだろうと思われます。これは私の理解ですが、前日まで罵りあっていた両者が翌日には沈黙を続けていた、という意味は互いに存在を認め合っていたことが次の段階で言葉を交わすことでの認め合いから「言葉はなくとも認め合っている」ことへの深化、じゃないのかということです。
 文学作品は読者によっても理解の仕方は異なります。夏目漱石が好きな人でも『夢十夜』が好きな人もいれば『心』が好きな人もいます。或いは漱石よりも太宰が好きだという人もいます。どれが「一番イイか」などと決めることは不可能で無意味な問い掛けということはこれだけでもお分かりいただけるでしょう。この意味でこんな設問をする公文はロクな教室ではないことだけは確かです。


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