見学に行くとしたら【天国】と【地獄】どっち?

大鏡より
この帥殿の御一つ腹の、十七にて中納言になりなどして、世の中のさがなものといはれ給ひし殿の、御童名は阿古君ぞかし。この兄殿の御ののしりにかかりて、出雲権守になりて、但馬にこそは御座せしか。さて、帥殿の帰り給ひし折、この殿も上り給ひて、もとの中納言になりや、また兵部卿などこそは聞えさせしか。それも、いみじうたましひ御座すとぞ、世の人に思はれ給へりし。あまたの人々の下臈になりて、かたがたすさまじう思されながら歩かせ給ふに、御賀茂詣につかうまつり給へるに、むげに下りて御座するがいとほしくて、殿の御車に乗せ奉らせ給ひて、御物語こまやかなるついでに、「ひととせのことは、おのれが申し行ふとぞ、世の中にいひ侍りける。そこにもしかぞ思しけむ。されど、さもなかりしことなり。宣旨ならぬこと、一言にてもくはへて侍らましかば、この御社にかくて参りなましや。天道も見給ふらむ。いとおそろしきこと」とも、まめやかに宣はせしなむ、「なかなかにおもておかむかたなく、術なくおぼえし」とこそ、後に宣ひけれ。それも、この殿に御座すれば、さやうにも仰せらるるぞ。帥殿にはさまでもや聞えさせ給ひける。

この文をざっくりと現代語訳していただけると助かります。話の内容がわかる程度で構いません。

A 回答 (2件)

主な登場人物は3人で文中では、帥殿(伊周)、同腹の弟(童名は阿古君、実は隆家、以後隆家として説明します)、殿(実は道長)です。



隆家は、兄の帥殿の騒動に連座して出雲権守に左遷され、但馬にいらっしゃった。帥殿が許されて帰京される際、この阿古君も上京して元の位の中納言になり、兵部卿と申し上げたりもした。その上思慮分別の在るお方と世間には思われなさっていた。それで多くの人が家来になって、あちこちで、想定外の行動もなさっていたが、あるとき道長が御賀茂詣に参上なさったときに、伊周が無闇にへりくだっているのが気の毒で、道長殿が御自身の車に乗せて差し上げなさり、世間話を打ち解けてなさったついでに、去年の左遷のことはわたしが天皇に申し上げた策略であるかように世間では言っているようですが、あなたもそう思っていらっしゃるかも知れないが、しかしそうでは無いことです。天皇の命令では無いこと、わたしが一言でも嘴を挟んだことならば、どうしてこのお社にこのように参上しましょうか。天の神様もご覧になっている。そんなことをするのはとても恐ろしいことです。と誠実に仰ったことは、恥ずかしくて顔向けできないし、どうして良いやら途方に暮れたことだ。と後で伊周は仰った。それというのも、この道長様でいらっしゃればこそのことで、そのように神妙に仰ったのであったろう。帥殿ではこんな上手く相手を懐柔する話術はお持ちではあるはずがない。

敬語は訳したり訳さなかったり、ほんとにざっくりです。内容は道長の剛胆な権謀術策家としての側面を浮き彫りにし、そうした才能を持たない帥殿に対置するエピソードです。
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古文は得意ではありませんので訳しません。


大鏡で「帥殿」と来れば、これはおそらく藤原伊周です。
道長と家内の主導権争いをして破れ去った人です。大宰府に流されて後に都に戻ってくる人です。
この人には弟がいて出雲に流されましたが後に京に戻って来ています。
それを踏まえて読めば古文がある程度得意なら何となく読めてしまうのではないでしょうか。
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