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秋葉原で刃物を振り回した人がいました。死者が出ました。倍の数の負傷者が出ました。
アメリカでライフルを撃ちまくった学生がいました。死者が出ました。倍の数の負傷者が出ました。
イスラエル軍の戦車が大砲を撃ちました。弾丸が炸裂し死者が出ました。その倍の数の負傷者が出ました。
どのような武器を使っても死者だけで怪我人が出ないというのはありません。むしろ死者が出るのは究極の場合であって怪我人ばかりということが多い。南京では三十万人も死んだのに怪我人の話は一切聞きません。60万人程度いたであろう怪我人はどうして怪我を見せて「この傷は日本軍にこのようにされて怪我したんだ」と言わないのか。「この足は日本軍の大砲が炸裂して吹っ飛んだ」と片足のおじいさんが言えばなによりも説得力があります。片腕のおじいさんが「この腕は日本軍の隊長から日本刀で切り落とされた」と涙で訴えれば日本人に大きなインパクトを与えるでしょう。どうして負傷者は語らないのか。南京事件における推定60万人の負傷者のかたがた。名乗り出ては如何ですか。もし亡くなられているのなら写真くらい残っているでしょうから遺族がそれを見せて訴えればいいのです。どうして負傷者は名乗り出ないのでしょう?

A 回答 (29件中11~20件)

連続になり申し訳ありません。



>>こういったバカな事を言い出すから、世界的な非難をあびるんです。

>世界? 中国だけです。あとせいぜい反日国家韓国ですかね。

これも、かなりの誤解です。アジアの国々は非常にシビアに日本のことを見ていますよ。反日感情がないと言われる国でも、実際にはかなりの被害をこうむっていて、そう言った被害のことは小学校中学校で教えられています。また、大学で戦争被害のことを研究する人たちもかなり居ます。アジアの他の国で、あまり日本に対しての戦争被害を言い出さないのは、日本からの経済援助がそれらの国の政権に対してされているからです。それらの国の政権自体がそうった被害の主張を押さえてしまっているのです。でも、それでも、各国には戦争博物館があり、そう言った場所では日本軍の残虐な行いが展示されています。

それから、もう少し言うと、太平洋戦争中の日本軍の残虐さは、世界中の国の教科書にある程度は取り上げられています。アメリカによる原爆投下やアウシュビッツが世界中の国の教科書に載っているのと同じで、どの程度詳しく実感をもって学ばれるかはいろいろあるのでしょうが、ほぼ確実に載っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/21 07:51

>なぜ日本に原爆が落とされたときその残虐性を国際世論にうったえなかったのでしょうか?



訴えましたよ。また、現在もその運動は続いています。

原水禁運動として、1960年代ぐらいまでは大変に盛んで、新聞などでもかなり大きく取り上げていました。ただ、戦後すぐは色々な意味で言論統制がされていて、広島長崎の被害を言い出すことが出来ない状態でした。アメリカによって占領されていたので、これは、ある意味当然でした。
1954年にビキニ環礁での核実験の結果、第5福竜丸が死の灰を浴び、それを当時の読売新聞がスクープして、世論が喚起されました。

http://www.gensuikin.org/data/rekisikyoukun.html
からの引用です。

日本の原水爆禁止運動は、1954年3月1日、南太平洋ビキニ環礁で行なわれたアメリカの水爆実験を直接の契機としてまきおこった。20メガトンの水爆の実験によって発生した「死の灰」は、100キロメートル離れた公海上で操業していた静岡県・焼津の漁船「第五福竜丸」にふりかかり、これを浴びた23名の乗組員は全員、火傷・下痢・目まい・吐き気などの急性放射線症にかかり、そのうちの一人、久保山愛吉さんは同年9月23日、ついに手当の甲斐なく亡くなった。「死の灰」の恐怖はそればかりでない。「第五福竜丸」の獲ってきたマグロから強い放射能が検出されたため、同海域で獲れた他の漁船の魚類も検査した結果、内蔵に放射能をもつものが発見された。

 焼津、三崎港、東京や大阪の漁市場ではマグロの廃棄処分がつづけられ、魚屋や寿司屋は客が減って“マグロ恐慌状態”が生じた。東京の中央卸売市場はコレラの流行以来はじめてセリを中止するに至った。

また、気流にのった「死の灰」は雨にまじって日本全土に注がれ、イチゴ、野菜、茶、ミルクの中まで放射能が発見されはじめた。こうしていまやアメリカの水爆実験は遠い彼方の問題ではく、身近な日常生活に直結していることを明らかにし、日本国民全体に大きなショックをあたえた。

 そしてこのことが人びとにあらためて「ヒロシマ」「ナガサキ」の原爆被爆の惨禍を思いおこさせる契機となった。アメリカの占領下にあって秘められていた国民一人一人の「戦争はいやだ」「ピカドンはゴメンだ」という厭戦・反原爆感情を一挙に爆発させたのである。

 「原水爆禁止」の署名運動は、全国各地で一斉に開始され、運動は火のように全国津々浦々の町、村、職場に燃え広がり、あらゆる市町村会議で「核実験反対」「核兵器禁止」が決議された。

 そして各地域や職場で自然発生的に始められた署名を全国的に集約するセンターとして「原水爆禁止署名運動全国協議会」が結成され、12月には署名も2000万名を突破した。

以上引用終わり:

ただ、これらの運動も、共産党系と社会党、社民党系と分裂し、次第に力を失ってしまいました。背景には、結局、今でも日本は実質的にアメリカによる被占領国であると言う現実があるのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/21 07:49

うちの叔父の一人は軍医でした。


満州です。
もう亡くなってしまいましたが。
敗戦後帰国して「私は医者としてしてはならないことをやってしまった」と悔いていたそうです。(母談)

70年前と今の日本人の価値観は同じではないです。
軍事教育を受けていたわけですから。
世相にとらわれず信念を持っていた医者などのエリートですら戦争と言う状況下では不徳な殺人を請け負わされていました。

南京大虐殺の負傷者はいますよ。
知らないだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>70年前と今の日本人の価値観は同じではないです。軍事教育を受けていたわけですから。

理解できますが、ある程度です。人間は受けた教育により、とんでもないことをすることはありますが、それも程度があります。わたしには自分たちの父や祖父が30万人、いや10万人、5万人であってもそれほどの人数を戦闘においてではなく無抵抗の人々を「処刑した」など信じられません。たった70年前、われわれと同じ日本人がそんな残虐なことをするなど考えられない。織田信長が比叡山でむごいことをしましたが、それは450年も前のことだし、信長は残虐な独裁者だったし・・・

お礼日時:2008/11/21 07:47

>中国だけです。



どこが。
欧米での反応に関しては、無視するのでしょうか?
実際この件で大騒ぎしているのは、日本のバカと中国の過激論者ていどですが。
日中二国間の問題に他国が大騒ぎする事はありませんから、他国で話題になる事じたいが、他国へも影響を与えているという事です。

>「どうせ大量殺戮だろう。同じじゃないか」では済まされない問題なのです。

日本が中国に侵略し、そこで多数の人命が失われた事にちがいはありません。
100人殺した人は死刑、では、99人では、90人では、10人ではどうなりますか?

>家が火事になったとき誰かが家財道具を盗み出そうとしたら阻止せねばなりません。

このたとえが理解できません。何を言いたいのでしょうか?

>自分たちの親や祖父に向けられた不名誉は事実でないなら断固晴らさねばならぬと思います。

事実であれば、反省し謝罪する必要があります。
これは、南京事件だけではなく、中国への侵略行為、心身への危害行為全てにわたってであり、南京事件だけについてではありません。
南京事件は、日本が中国へ侵略した事によっておきたひとつの事件でしかないからです。

>結局それはソ連の仕業であることが判明しました。

アウシュビッツの件は、ドイツは認めています。

>ちゃんとカメラくらいありました。少なくとも南京在住の外国人はもっていました。

当時の日本ですら、ほとんどの人がカメラを持っていませんでした。
中国人で裕福な人たちは、南京陥落の前に脱出してしまっていますし、たとう持っていても、当時の写真は、現像しませんと意味をなしません。
虐殺が行われている疎意中に、カメラで写真を撮る人がいますか?
そんな事をしますと、被害は自分にまでかかってきます。
戦場での写真などが取られるのは、従軍カメラマンなどを除くと、湾岸戦争以後のインターネットの発達があってからです。
ベトナム戦争の写真も、従軍カメラマン以外では、ほとんど写真がありません。

>国際世論です。国際世論に訴えるのはなにが一番効果的ですか?

これは、現在の考え方です。
当時どうやって一般人が国際世論に訴えることができたのでしょうか?
まして戦場で。
これができたのであれば、なぜ日本に原爆が落とされたときその残虐性を国債世論にうったえなかったのでしょうか?
東京大空襲の惨状をどうやって国際世論に訴えればよいのでしょうか?
そもそも当時の人が国際世論に訴えるという事を考えていたのでしょうか?

>30万人は東京ドーム満杯の6倍ですよ。もうあたり一面死体の山です。

30万という数字が正しいかどうかはわかりません。
また南京事件は、南京城内だけのものではありません。
杭州上陸から、上海経由で南京周辺までを含めた地域での事件です。
これらの地域の広さは、日本の本州なみの広さになりますから、各地で分散されれば、あたり一面という状況にはならないでしょう。

>多くても三箇所ですからその場にカメラがなかったことは考えられます。

虐殺が行われている地区で、写真を撮る人がいるでしょうか?
高額技術が進んだ最近になってようやく遠距離からデジタル写真がとれるようになってきましたが、当時そんなことがあったのでしょうか?

ミャンマーでは、戦争ではなく暴動の写真をとろうとした長井さんが殺されたのです。
戦争中、それも虐殺が行われている状況で、写真が撮れるのでしょうか。
ましてその後カメラを無事持ち出して現像しなければならないのです。
デジカメで画像を送信するのとはわけが違うのです。

>陪審員はおりません。

イラクの大量破壊兵器の時、小泉首相は、イラクに大量破壊兵器が無い事を証明しない限り全て履きしたとは認めないとして、ブッシュのでっち上げを支持しました。
同様に多国籍軍へ参加した国は多数有ります。
イラクは、その疑惑をはらせなかったからこそ侵略の対象となったのです。

>あくまで日本対中国の論争です。

あれ、
「>世界? 中国だけです。あとせいぜい反日国家韓国ですかね。」
言っている事がちがいませんか?
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この回答へのお礼

納得しておりませんが、再度反論すると削除されますのでやめときます。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/21 07:29

元々、中国の党大会で「日本は悪党だから、南京で30万人殺したことにしよう」と決議されたものであり


「アメリカが行なった原爆(民間人の大量虐殺)被害者より多くなくてはならない」と政治的に決まった事なのだが?

何ら物証も、何も無いことに対して反論するのに
こちらが証拠を提出する義務も何も無い【国際常識】を知らない人が多いから、
反証が状況証拠(それだけ殺せる弾薬も無ければ、人手もいなかった)だけなのを、無視しているだけでしょ?


尚、下記のような【妄想】が多い事が、問題をメチャクチャにしていますねw

>国際法に則って処刑と言うなら、まず、兵士と言う確認が出来なければいけない
戦場での犯罪者(テロリストやスパイ)は現場判断で殺してよいので
それを防ぐため、軍服の着用などを義務つけているのだが?
>それらは日本側の資料として提出されているはずです
中国側の合成写真だが?

これら【偽装】がなくならない限り、この都市伝説は永遠に残るでしょうねw
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/21 07:27

こういったバカな事を言い出すから、世界的な非難をあびるんです。


30万という数字が大切なのではなく、そこで虐殺があったという事実が大切なのです。
他国に侵略し、そこで住民を虐殺する、その事を質問者は、否定しているのでしょうか?
犠牲者の数には、議論の余地があります。
最近では、かなりの重複が含まれている可能性が高いとして、中国側でも調査が始まっています。

これらの議論をするときに、犠牲者の数が、加害側と被害側とで異なることは、当然あります。
犠牲者をどこで線引きするかも決まっていない、まして全面否定する相手とは、被害者の数が合わなくても当然の事です。
一般に加害者側は、被害を小さくしようとしますし、被害者側は、大きくしようとします。
たとえば、日本軍が一人を殺害したとき、中国人群集がにげまどい、転倒し踏み潰され死亡した人が出た場合、日本側身は一人と数えるのに対し、中国側は、二人と数えます。
ましてその転んだ人が妊婦であれば、胎児も被害者に数えたりします。
また、最初に日本軍がしたのが殺害ではなく、重傷であって、後に死亡した場合、日本軍側の殺害は0になりますが、中国側では死者に加算されます。
逆に、日本側の殺害が一人であっても、それを複数の人が目撃すれば、犠牲者の数が増えてしまいます。

そういった意味で、犠牲者の数をうんぬんするのは無意味です。
そういった事を言い出しますと、世界的に日本が不利な状況に追い込まれます。

>「この腕は日本軍の隊長から日本刀で切り落とされた」と涙で訴えれば日本人に大きなインパクトを与えるでしょう。

このような場合の常套句が、「それが日本軍の行ったという証拠にはならない」です。
当時一般の人は、カメラなど持っていませんでした。
特別な人たちだけです。
中国で、カメラが普及してくるのは、ここ10年か15年くらいです。
当時の人たちのほとんどが、死んでしまっています。
まして傷を負った人であれば、なおさらです。

国際的な常識として、疑惑を掛けられた者は、積極的に疑惑の解消をしない限り、疑惑が真実だとされます。
日本側が、「南京事件は無かった、あるとするなら証拠を出せ」という態度は、疑惑を解消する事ができないため、開き直っているとしか外部からは見えません。
状況証拠を突きつけられ、「だったら、俺が殺したという証拠を見せろ」と開き直っている容疑者を見て、直接の証拠が無いから無罪と考える人はいません。
まして国債世論は、陪審員制の裁判です。
法的証拠よりも、陪審員がどう考えるかが、裁判の判決になります。
こういった質問は、陪審員の心象を悪化させるだけです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

>こういったバカな事を言い出すから、世界的な非難をあびるんです。

世界? 中国だけです。あとせいぜい反日国家韓国ですかね。

>30万という数字が大切なのではなく、そこで虐殺があったという事実が大切なのです。

そう思いません。貴方は人権派だと思いますが、人権派であるならもう少し人の命を大切にしてください。いいですか。30万人とそれより遥かに少ないたとえば千人とでは月とスッポンの違いがあるのです。大量殺戮という点では同じです。300000ー1000=299000となります。299000の人間が生きているか死んでいるかは大問題です。「どうせ大量殺戮だろう。同じじゃないか」では済まされない問題なのです。

>他国に侵略し、そこで住民を虐殺する、その事を質問者は、否定しているのでしょうか?

わたしは他の同種の質問にも多数回答しておりますが、先の大戦で日本が中国でしたことは間違いと認識しています。満州国は建国すべきでなかった。朝鮮は併合すべきでなかった。日中戦争は回避すべきであったと思っています。もちろん南京も占領すべきではありませんでした。

>そういった事を言い出しますと、世界的に日本が不利な状況に追い込まれます。

そう思いません。家が火事になったとき誰かが家財道具を盗み出そうとしたら阻止せねばなりません。貴方はどうせ火事なんだから全部焼いちゃえというタイプなのでしょう。わたしはそうではありません。自分たちの親や祖父に向けられた不名誉は事実でないなら断固晴らさねばならぬと思います。真実なら謙虚に受けます。是々非々で行くべきです。ドイツは偉いです。600万のユダヤ人を殺したにもかかわらずカチンの森虐殺事件は徹頭徹尾否定した。結局それはソ連の仕業であることが判明しました。続く。

補足日時:2008/11/20 08:25
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この回答へのお礼

続きです。

>当時一般の人は、カメラなど持っていませんでした。特別な人たちだけです。中国で、カメラが普及してくるのは、ここ10年か15年くらいです。

とんでもありません。30万人殺されたと主張してるんですよ。当時の中国というのは貧富の差がありました。金持ちはいましたし、ちゃんとカメラくらいありました。少なくとも南京在住の外国人はもっていました。武器をもたない人の武器はなんですか? 国際世論です。国際世論に訴えるのはなにが一番効果的ですか? 虐殺された多数の死体の写真です。どんな頭の悪い人だって気が付きます。30万人は東京ドーム満杯の6倍ですよ。もうあたり一面死体の山です。
ところが・・・・・
一枚も本物の写真がないんです!
だから南京は嘘なんです。
火のないところに煙は立たないという諺を認めて、あったとしてもせいぜい千人まででしょう。千人程度なら写真がないことも理解できます。せいぜい殺戮現場は一箇所か二箇所。多くても三箇所ですからその場にカメラがなかったことは考えられます。

>法的証拠よりも、陪審員がどう考えるかが、裁判の判決になります。
こういった質問は、陪審員の心象を悪化させるだけです。

そう思いません。前述したように火事場泥棒を許してはなりません。是々非々の立場で臨むべきです。陪審員はおりません。あくまで日本対中国の論争です。

お礼日時:2008/11/20 09:04

>例えばこれまで最も多くのメディアで使われてきた「軍刀で捕虜(?)の首をはねる写真」は、厳冬の南京なのに将校が夏服を着ている、片手で軍刀を振り上げている(切れるわけがない)、踏み出す足が逆など、ほぼヤラセである可能性が高いと言われています。



すいません。具体的にその写真が載っている本などを紹介していただけませんか?

自分が持っている本、THE SUPER HOLOLCAUST(in China)とTHE RAPE OF NANKING には、それぞれ、その関係の写真がそれぞれ5枚と2枚載っていますが、「片手で軍刀を振り上げている(切れるわけがない)、踏み出す足が逆など」と言う状況のものは一枚もありません。夏服かどうかと言う点については、軍服姿のものと軍服を脱いだものとがありますが、夏服かどうかについては分からないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/20 07:38

 途中参加で恐縮ですが・・・。


>南京事件における推定60万人の負傷者のかたがた。
 実際にこの事件があったとすれば、これは限定された地域での殲滅戦であって、通常の戦闘行為における死傷率とは切り離して考える必要があります。例としては適切ではないかもしれませんが、硫黄島の戦闘での日本兵の死亡率は異常に効率ですし、(戦闘ではありませんが)カティンの森事件では一人も生存者はいないとされています。「推定60万人の負傷者」と考えるには相当の無理があると思います。

>日本刀です。幾つかの本に、実際にそのシーンを写したものが載っていますね。
 南京大虐殺と呼ばれる事件に関する写真で、証拠としての価値を持つ写真はほとんど確認されていないはずです。逆に明らかに誤用であったり、捏造の可能性が高い写真は数多く確認されています。例えばこれまで最も多くのメディアで使われてきた「軍刀で捕虜(?)の首をはねる写真」は、厳冬の南京なのに将校が夏服を着ている、片手で軍刀を振り上げている(切れるわけがない)、踏み出す足が逆など、ほぼヤラセである可能性が高いと言われています。

 私はこの事件が全く無かったとする派ではありませんが、これまでに出されている資料などを見ると「あった」とする側の資料には証拠価値の無いものがあまりに多く、立証責任はまるで果たせていないようにみえます。

 この事件については様々な議論がありますが、きちんとした証拠と論理的な検証がないかぎりただの不毛な言い合いになってしまいます。中国政府はかねてより「明確な証拠を出す用意がある」と明言していますので、それが提出されるのを待ちましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/20 07:37

すいません。

No.2/9/10です。

>学校の先生をなさっていると拝見した

と書かれていますが、自分のプロフィールには
「以前、中学と高校の教員をしていました。英語です。」
と書いてあるのですが、なぜ、現在形なのでしょうか?
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この回答へのお礼

そうでしたか。失礼いたしました。

お礼日時:2008/11/20 07:34

>学校の先生をなさっていると拝見したのですが卒業式の際の国歌斉唱にはどのようなご指導をなさっていますか?



これに気がつきませんでした。連続書き込みになりますが、お答えします。

2004年まで県立高校の教員でした。勧奨退職し、今は、英文法の本の原稿を書いている状態です。

国歌にも国旗にも、特に反対はしませんでした。理由は、あまりにも象徴的な、つまり、実質的な意味のない争点であり、その他に、実質的な問題が数多くあったからです。
多分、国旗・国歌の問題は、非常に戦略的に作られた争点であったように思います。史実的に言えば、国旗・国歌の問題は幾つかの問題を含み、一種のイデオロギー論争につながるものです。その意味で、確かに論争の価値のある問題です。しかし、国旗・国歌は、両者とも、シンボルであり、象徴的な意味しかないこともまた事実です。よって、国旗・国歌にこだわることで、自分たちは左派であり、体制側と敵対していて、体制側の悪事に対してチェックする機能をきちんと果たしていると言う見せかけになっていたように思います。「見せかけ」と言ってしまうと言いすぎかも知れませんが、国旗・国歌の問題に真摯に取り組み、それらに反対することで組合運動や歴史をきちんと見ようとする人たちの一種のガス抜き、または、一種のリトマス試験紙として、国旗・国歌の問題はわざわざ取り上げられたのだと思います。現実的な不正とかの問題点があるわけではないので、国旗・国歌を使って、それに反対する人をある意味自由に処分できるわけです。

マスコミで取り上げられる問題のほとんどは、現実にはあまり意味のない、いえ、こう言っては誤解を招くと思いますが、あまりに抽象的な問題であって、現実に色々なことを左右するような問題は、マスコミにさえ取り上げられていないと思います。
実際、自分は、長年、大規模な入試不正を告発し、その過程で非常に多くの普通なら新聞一面を飾っても良いような問題が起こりましたが、まったく新聞・テレビ・週刊誌は取り上げません。
入試不正は次のようなものです。
1.平成のかなり早い頃から、平成8年度入試まで、推薦入試に落ちた生徒に一般入試の再受験を勧めていて、勧めたからには落とせないと言う口実で入試で最下点を取った生徒も合格にしていた。当然、本来なら合格になる生徒が落とされて行き、その数は入学定員の3割以上になる。また、県から指示されている判定会議の資料の作り方に反した作り方をしていて、県提出書類はデータの書き換えをしていた。
2.実際に誰が推薦入試を受けたのか、どんな基準で推薦入試を落ちた生徒に再受験を勧めたのか、そう言ったことが一般の教員には一切公開されず、管理職と一部の教員により決められていた。
3.平成9年度以降はそう言った形はなくなったが、工業高校で、学科間の第二希望が認められていて、第2次選考ではそれを考慮しなければいけないのに、平成9年度から13年度まで第二希望を考慮していなかった。その背景には、入試の点数データを判定会議に出す前に組織的に書き換えをしていたはず。その証拠としては、ある年の電気科の学科試験トップの成績で入ってきた生徒が、入学直後から赤点だらけであり、実際、まったく家庭学習の習慣がついていない生徒であったことがある。普通、内申書や入試データは、新入生が入学した後も、教員が自由に見ることが出来るのだが、平成6年ごろから職員室の金庫から校長室の金庫へ資料が移され、実質的に見ることが出来なくなったことなどがある。

自分は、上記1を証明する録音テープ、つまり、判定会議のテープと管理職との会話を名誉毀損裁判で提出しましたが、県側は一切無視でした。録音テープは例えば既に亡くなった人の声としては証拠価値が限られてしまいますが、実際にそれに関わった方たちが証人として呼べる状況の時には、物証として扱うのが普通です。つまり、普通の証人よりももっと信頼性のある証拠として扱うのです。しかし、県側は一切無視であり、裁判所もその確認を県に求めませんでした。
そう言った過程で、次のような不祥事・不法行為が何度もなされたのです。
以下から最後までは、自分のホームページ
からの引用です。

平成8年4月提訴の裁判:浦和地方裁判所に提訴。次の4つの事件について名誉回復、損害賠償を求めたもの。被告は埼玉県、元校長小川浩、元教頭星野時二、教諭村田義昭の四者です。
(1)ラブレター事件:原告(武田のことです。)が女子生徒にラブレターを書いたというデマについての事件。
(2)現金盗難事件:部室棟から現金が約20万円盗まれ、警察を呼んだにもかかわらず、誰がいつ何を盗まれたかの記録も校内に残らず、もちろん県にも報告せず、関係者の証言が全く矛盾するという事件。
(3)職務命令事件:校長から理由や診療科を明らかにしないまま、県の健康相談を受けろと言う職務命令を出され、それを断ると、県の教育長の名前で分限処分の文言が入った医師の診断を受けろと言う職務命令が出たという事件。口頭で医師は精神科の医師だという説明がされた。大変に巧妙に仕組まれた事件です。
(4)女子更衣室精液事件:授業中に誰かが女子更衣室に入り込み、精液や小便のかかった衣類を残していったという事件。これも関係者の主張が食い違い、調査や記録がされなかった事件。

 いずれの事件についても被告側からきちんとした認否,反論がありません。それどころか、訴状の現金盗難事件についての記載事項については結局最後まで被告側から認否反論が全く無い状況です。サッカー部の部室から現金が約20万円盗まれ、警察を呼んだという事件であるのに、全く記録が学校に残っていず、反対に、小川校長や星野教頭は「テニス部やバスケ部のシューズなどが盗まれたのだ。その品物を新品価格にすると20万円ぐらいになるのだ。」と全くのうその説明をしていた事件なのです。しかも、サッカー部顧問の村田義昭教諭もテニス部・バスケ部の顧問も、この現金盗難事件について覚えていないと言っているのです。おまけに、平成7年に吉川警察に事件の記録を見に行った時には、吉川警察は、事件記録が見当たらないと答え、翌日見つかったと言い、しかし、単に、被害者一人の名前とその被害金額が数千円であったことしか明らかにしていないのです。
 また,裁判所の訴訟指揮にも問題があります。原告が提出した会話を録音したテープについては裁判官が被告に渡すことを止めていますし,被告側はテープの内容の検証を未だに求めていません。このテープは、原告と原告の母、原告の姉、県教職員組合の当時の書記長の四人の会話の録音です。原告の姉と県教職員組合の書記長に、原告が職務命令が県から出された経緯について説明を求めているテープです。このテープは大変に重要なテープで、姉と組合書記長の説明が、どんどん変化していき、結局矛盾していることを立証したものなのです。つまり、僕が信頼していた姉と組合書記長が、実際には県側について動いていたことを証拠付けるものであり、同時に、彼らの説明していた県側の職務命令の正当性が全く信頼できないものであることを立証しているものでもあったのです。このテープについて、被告側の主張は全くありませんし、浦和地裁の判決でも、全く触れていません。つまり無視したわけです。更に、東京高裁では、このテープを評価して、単に原告の姉らが原告のことを心配していたことを表している、としているのです。この理屈では、例えば大切にしていたものを被告によって壊されたと証拠申請しても、裁判所から、形あるものが壊れたことを表しているに過ぎない、と評価されるようなものです。これが裁判かと言いたくなります。ただ、このテープについては、僕の姉が大きくかかわってい、姉がどういう過程で県側に巻き込まれて行ったかがある程度分かるので、申し訳ないのですが、インターネットでの公開はしません。裁判所に提出してあるので、どうしても見たい方は、平成八年(ワ)第五九五号事件甲8号証として、現在浦和地方裁判所越谷支部にあるはずですので、そちらで閲覧申請して見てください。録音テープもついています。(裁判資料は、最高裁で判決が下りた後は、基本的に、第一審裁判所に保存されるのですが、平成十二年三月提訴の裁判が浦和地方裁判所越谷支部に係争中なので、越谷支部に一時的に保管されているのです。)
 ラブレター事件については、上のテープの中で姉と組合書記長が原告に対して、「県から聞いた話しだが、(原告が)ある女子生徒へラブレターを出し、それをその両親が見て学校へ怒ってきたのを村田教諭が抑えた。それ以来、(原告が)村田教諭にたてつくようになった。」と言ったことによって、事件が明らかになったものです。これは県側が最初に主張したことなので県側にこういうことがあったと立証責任があるのですが、裁判所は、原告本人尋問で、原告が「ある教員がラブレターを見たと言っている。」と発言したことを取り上げて、ラブレター事件は被告主張のとおりであると判断してしまっているのです。僕の方では、ラブレターを受け取ったと言う女子生徒、またはその保護者の発言を求めるべきだとしているのにもかかわらず、全く無視でしたし、その他の重要な経緯についても、全く事実調べをしないままでした。
  これらの他にも、上にあげた4つの事件のどれについても、ほとんど何も争点整理ができていない段階で(つまり,被告側からの認否がきちんとされていないので,何処が争点だか煮詰まっていないのにもかかわらず,)裁判所の職権で被告本人尋問に入ってしまってい、判決してしまっているのです。どちらも通常の訴訟では考えられない事例です。もっとも、行政側を被告にしている裁判ではまま見られるやり方のようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
仰ることはわかりましたが、質問とは少し違ってきましたのでその件についてはノーコメントにさせてください。国歌斉唱については了解しました。わたしはテレビで公立学校の卒業式に君が代を拒否して座っている先生を見て不思議で仕方がなく思っておりましたのでお尋ねした次第です。

お礼日時:2008/11/20 07:32

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