dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

秋葉原で刃物を振り回した人がいました。死者が出ました。倍の数の負傷者が出ました。
アメリカでライフルを撃ちまくった学生がいました。死者が出ました。倍の数の負傷者が出ました。
イスラエル軍の戦車が大砲を撃ちました。弾丸が炸裂し死者が出ました。その倍の数の負傷者が出ました。
どのような武器を使っても死者だけで怪我人が出ないというのはありません。むしろ死者が出るのは究極の場合であって怪我人ばかりということが多い。南京では三十万人も死んだのに怪我人の話は一切聞きません。60万人程度いたであろう怪我人はどうして怪我を見せて「この傷は日本軍にこのようにされて怪我したんだ」と言わないのか。「この足は日本軍の大砲が炸裂して吹っ飛んだ」と片足のおじいさんが言えばなによりも説得力があります。片腕のおじいさんが「この腕は日本軍の隊長から日本刀で切り落とされた」と涙で訴えれば日本人に大きなインパクトを与えるでしょう。どうして負傷者は語らないのか。南京事件における推定60万人の負傷者のかたがた。名乗り出ては如何ですか。もし亡くなられているのなら写真くらい残っているでしょうから遺族がそれを見せて訴えればいいのです。どうして負傷者は名乗り出ないのでしょう?

A 回答 (29件中1~10件)

まず問題になるのは、南京大虐殺というものが実際行なわれたのかどうかが、歴史的に大きなポイントです。

この事件の犠牲者の数は、あくまでも中国発表で、当初発表の倍以上の数字になっています。歴史的に見て、あの戦時中中国においてはゲリラ戦法が取られていた以上、グレーは黒として、虐殺は間違いなく行なわれたと思われます。しかしながら、正確な事実は闇の中です。元日本兵の中でも、南京大虐殺が行なわれたと言う話は、私自身聞いた事がありません。ただ南京に限らず、怪しき者は殺害した。と話す元日本兵の話を中心に置くなら、南京で行なわれた怪しき者への一方的殺害行為が、他の地域より大規模な物であり、敗戦国である日本を「悪」と置くには、中国側として都合が良かったのではないかと推察出来ます。当時30万人の死亡者+60万人を超える負傷者が居ると言う、中国の発表ですが、果たして当時南京にそれだけの中国人が居たのか?負傷せずに居た中国人も居るはずですから、合わせれば、100万人以上が南京に居た計算になります。私の知る限り、それだけの人が当時南京に居た事実は確認出来ません。これはナチスドイツのユダヤ人虐殺と一緒です。当時ドイツが押さえていたヨーロッパ領土に居たユダヤ人(ユダヤ系を含む)を考えると、死傷者の数は、それを大きく上回るそうです。
負傷者が名乗り出ない理由には、そう言った歴史的背景があり、国の思惑の中で、国民が話し出せないのかも知れません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。勉強になりました。

お礼日時:2008/11/18 19:54

1.まず、南京大虐殺が行われたのは間違いがありません。

多くの写真資料がそれを物語っています。また、戦後、その証言をしている外国特派員も居ます。
2.ただ、その規模、死者の数については、元々統計が取られていなかったのか、または、終戦時にそう言った記録を抹消してしまったのか、はっきりしたことが分からないままです。ただし、それでも、十万と言う単位で虐殺が行われたと言うのは、ほぼ正しいのだと思います。また、虐殺は、直接銃剣で首をはねる、ピストルで頭を撃ち抜く、生きたまま穴の中に埋めるなどの方法が取られていたと言いますから、普通の戦闘で起こるような死者と負傷者の割合とは違っていたはずです。つまり、確実に処刑であって、戦闘ではないのです。
3.南京大虐殺が行われたのは1937年です。終戦が1945年ですから、終戦までをとっても8年が経過しています。しかも、太平洋戦争終了後、中国は、国共内戦、つまり、毛沢東率いる共産軍と蒋介石率いる中国国民党軍との内戦状態になり、それが1949年まで続きます。その後の中国は同じ共産主義のソ連とも対立し、ベトナムとも戦争状態になります。つまり、対外的なアッピールが出来るような状況ではなかったのです。
4.太平洋戦争での日本軍の補給の仕方は、現地調達でした。フィリッピンのような比較的安定した、つまり、ゲリラとの戦闘があるぐらいで現地の住民とは直接戦闘をしていない状況では、軍票を使って物資を買っていました。しかし、南京大虐殺が行われた頃の中国など、実際に戦闘が各地で行われている状況では、ほぼ100%、現地人から略奪して物資を手に入れていました。自国と戦闘をしているのですから、軍票を出されて敵軍(日本軍)に物資を渡すはずがありません。当然、略奪は盗みであり非合法行為ですから、基本的に、証拠を残さないために相手を殺して物資を奪うわけです。また、大きな都市が陥落すると、日本兵は、勝利のご褒美として略奪・レイプなどがほぼ黙認されていたのです。このような形での死者の数もかなりのものになっていて、負傷者の数と比べると死者の数が多い結果になっているのだと思います。
5.nishikasaiさんが仰るように、
>「この腕は日本軍の隊長から日本刀で切り落とされた」と涙で訴えれば、
と言うことは、実際にされています。「自分の親や兄弟が日本軍に殺された」と言う訴えも数多くされています。ただ、それがほとんど中国国内から出てこないだけです。理由は二つあり、一つは、戦時中の損害についてはそれを放棄すると中国自身が宣言してしまったこと。そのため、中国政府が民衆の訴えを止めていました。もう一つは、中国と日本が国交を回復したのが1972年ですから南京大虐殺時代に大人だった方たちの多くは、すでに50歳とか60歳を過ぎ、亡くなられていた方が多数を占めていること。
6.日本に、広島原爆被害の展示場があるように、太平洋戦争時、日本が占領した国のどこにも、戦争博物館があり、毎年、小学生中学生が見学に行きます。そこでは、戦争被害がどんなものであったか、それを、まじかに感じることが出来る展示がされているわけです。同様に、学校でもそれらの被害について授業が行われます。
多分、日本は例外的に、戦争被害についてその記憶が子供たち、後の世代に伝えられていない国だと思います。一つには、日本が加害者側であったということ。次に、敗戦国であり、アメリカが行った戦時犯罪についてそれを指摘できなかったと言うことがあるのでしょう。
ともかく、戦争はむごいものです。決して、戦争を美化してはいけないし、戦争により誰かが得をするということはあってはならないのです。

この回答への補足

恐れ入りますが、学校の先生をなさっていると拝見したのですが卒業式の際の国歌斉唱にはどのようなご指導をなさっていますか? よろしければその点を教えていただけませんか。お礼はそれを拝見してから書き込みさせていただきます。

補足日時:2008/11/18 19:54
    • good
    • 0
この回答へのお礼

補足というのは回答者にメールで届かない。質問を開かないと補足に気がついてもらえない。従って、お礼ではありませんが、補足欄に書いた文章をここにコピペします。

恐れ入りますが、学校の先生をなさっていると拝見したのですが卒業式の際の国歌斉唱にはどのようなご指導をなさっていますか? よろしければその点を教えていただけませんか。お礼はそれを拝見してから書き込みさせていただきます。

お礼日時:2008/11/19 04:21

 参考までに:


 南京大虐殺と言われているものの実態を、日本軍のの一次資料に従って見直してみてください。

 最初の南京突入時以外は、戦闘ではありませんから、負傷者はほとんどいなくて当然と思われます。

 日本軍の現地指揮官の手記(陸軍士官学校では手記を取ることを大変重要視していました。軍司令部などへの報告書の基礎となるものだったからです。)を基にした推計によれば、実数は数万程度で、数ヶ月間に渡るものです。

 ある連隊では、南京占領後一日2~30人程度の挙動不審者を、便衣兵の可能性ありとして捕まえており、結局食糧不足により処置したとのことです。

 このような状況を「大虐殺」と呼ぶかどうかは主観的なものですが、釈放されるか(処置せずに解放した例もあります。)殺されるかどちらかで、負傷ということはほとんどないと思われます。

 ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件では、数百人殺されたのに対して生き残ったのは数人です。

 尚、「南京大虐殺」を奇跡的に負傷で生き残ったと称する少数の例は、実際にあります。たぶんネットで検索しても出てくるのではないかと思います。 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>最初の南京突入時以外は、戦闘ではありませんから、負傷者はほとんどいなくて当然と思われます。

つまり犠牲者のほとんどが処刑であったというわけですか。疑問が残ります。日本人の考え方はたった70年程度前と今とではそんなに変わるものではありません。いま残酷だと感じるものは70年前だって残酷だったでしょう。いくら戦争の興奮状態にあるからといって、無抵抗の中国人をそんなに沢山処刑できるでしょうか。わたしは一人の日本人として自分たちの親や祖父たちがそんなにむごいことをしたとは信じられません。

お礼日時:2008/11/20 07:19

戦闘区域に入り込んでいる人間を便衣兵として


国際法通り、現場で処刑していますが、
これは、犯罪行為を行なっている側が悪いのであって、虐殺扱いは不可能でしょうね。

中国軍は焦土戦として、自国民を虐殺し食料を略奪してから撤退します。
(進撃してくる日本人が、彼らを救っている間に逃げるためです)
その分まで、彼らは日本軍の責任にしており、
しかも、日本兵と戦って死んだ中国兵の数まで含めているので
実際には(流れ弾などで死んだのは)数千~万程度だと推測されています。



現場調査(遺骨などの数量確認)は、全ての国際/各国の調査を拒絶しているので
合成写真しか(公式に)出していない以上、無いと判断するのは、普通の事ですね。
本当なら、中国政府がワザワザ偽造写真を出す必要もありませんしね。
(と言うより、従軍記者以外は写真などは没収されるのが普通です。
それなのに何故か、高価な写真機で、日本軍の眼の前で写真を撮っていて、
その写真が本物だと信じる精神が・・・)

いつ/何処で/誰が撮ったか?などの基本情報(裏付けがとれるデータ)すら無い情報は証拠扱い出来ないぐらいの知識も無い方が多いので、
偽造がまかり通っているだけですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/20 07:21

戦後、ユダヤが仕組んだ日本への工作ですよ。



日本人に「中国侵略」という意識を植え付けて、
日本人に戦力や核を持たせないための工作です。

現に中国軍は何十万人といましたが、日本軍は5千だかその程度。

当時の日本軍は満州国を発展させるなど、侵略というよりは解放・発展を手伝っていました。
もちろん、領土拡大・資源確保目的で作戦は行われていましたが、
欧米と違い、無駄な殺傷はしていません。
抵抗者はさすがに対処しますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/20 07:22

虐殺とはどういうことなのか ということだろうね


戦争で敵を殺すことは 国際法を守っていれば合法です
虐殺と言われる理由は 国際法を守ってなかったからです

何の計画性もなく始まった進軍です 自軍の食料すらままならない
捕虜の食料など維持できない 捕虜は口減らしとして 惨殺
投降した敵兵は武装解除して その場で死刑
捕虜を捕虜として扱わないワケで 逃げるしかなく
逃げ隠れていると ゲリラとして捕まり その場で処刑
十万人は 戦闘とは違うことで処刑されてますね これが虐殺でなくて何でしょう

ただ 三十万人という数は かなりいいかげん
後から勝手に数字が増えてる 写真も捏造が多い 

訴える・訴えないの話ですが

http://list.room.ne.jp/~lawtext/1952T010.html
日華平和条約 第十一条
 この条約及びこれを補足する文書に別段の定めがある場合を除く外、日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は、サン・フランシスコ条約の相当規定に従つて解決するものとする。

の後に 日中平和友好条約の共同声明で
中華人民共和国政府は、日中両国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1972Japan-China. …

中国政府として戦争賠償を放棄してますので 個人が訴えることはできないです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/20 07:23

摩訶不思議としか言いようが無いですね。



負傷者どころか強姦も多数あったということなのに、日本兵と現地人のハーフがいないというのも、いったいどうしたことでしょう?

むつかしすぎる質問です。


それと

”銃剣で首をはねる”  はぁ?・・

そんな神わざみたいなこと出来るんですか??

銃剣は突き刺すだけで、刃は先端部しか付いてないのですが・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/20 07:24

それをやった日本人も証言してますけど。


無駄ですよ、こんなところで大嘘の妄想広告書いても。
    • good
    • 0

No.2です。



>”銃剣で首をはねる”  はぁ?・・

銃剣ではありませんでした。お詫びして訂正します。
日本刀です。幾つかの本に、実際にそのシーンを写したものが載っていますね。

>負傷者どころか強姦も多数あったということなのに、日本兵と現地人のハーフがいないというのも、いったいどうしたことでしょう?

レイプ後殺したからです。

>現に中国軍は何十万人といましたが、日本軍は5千だかその程度。

これも史実上間違え。中国軍全体、つまり、中国全土に展開している兵士全体では確かに何十万と言う数になったはずですが、南京防衛にあたっていたのは、確か1旅団ぐらいだったはず。日本軍も、5千ではなかったのでは無いかと記憶しています。確か、もう少し多かったようにおぼえています。

>戦闘区域に入り込んでいる人間を便衣兵として国際法通り、現場で処刑していますが、これは、犯罪行為を行なっている側が悪いのであって、虐殺扱いは不可能でしょうね。

これも間違え。国際法に則って処刑と言うなら、まず、兵士と言う確認が出来なければいけない。ほとんどの場合、それはしていかなったと言う記録や証言がされている。

>高価な写真機で、日本軍の眼の前で写真を撮っていて、
その写真が本物だと信じる精神が・・・

たしか、それらは日本側の資料として提出されているはずです。つまり、日本人、または、日本軍に居た側の人が撮った写真です。

なお、30万人と言う数字は、南京と言う都市内のみでの死者数ではなくて、南京攻略と言う作戦遂行全体、つまり、それまでの行軍の中での数字と言うことです。ほぼ4ヶ月ほどの期間を言うようですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/20 07:26

>学校の先生をなさっていると拝見したのですが卒業式の際の国歌斉唱にはどのようなご指導をなさっていますか?



これに気がつきませんでした。連続書き込みになりますが、お答えします。

2004年まで県立高校の教員でした。勧奨退職し、今は、英文法の本の原稿を書いている状態です。

国歌にも国旗にも、特に反対はしませんでした。理由は、あまりにも象徴的な、つまり、実質的な意味のない争点であり、その他に、実質的な問題が数多くあったからです。
多分、国旗・国歌の問題は、非常に戦略的に作られた争点であったように思います。史実的に言えば、国旗・国歌の問題は幾つかの問題を含み、一種のイデオロギー論争につながるものです。その意味で、確かに論争の価値のある問題です。しかし、国旗・国歌は、両者とも、シンボルであり、象徴的な意味しかないこともまた事実です。よって、国旗・国歌にこだわることで、自分たちは左派であり、体制側と敵対していて、体制側の悪事に対してチェックする機能をきちんと果たしていると言う見せかけになっていたように思います。「見せかけ」と言ってしまうと言いすぎかも知れませんが、国旗・国歌の問題に真摯に取り組み、それらに反対することで組合運動や歴史をきちんと見ようとする人たちの一種のガス抜き、または、一種のリトマス試験紙として、国旗・国歌の問題はわざわざ取り上げられたのだと思います。現実的な不正とかの問題点があるわけではないので、国旗・国歌を使って、それに反対する人をある意味自由に処分できるわけです。

マスコミで取り上げられる問題のほとんどは、現実にはあまり意味のない、いえ、こう言っては誤解を招くと思いますが、あまりに抽象的な問題であって、現実に色々なことを左右するような問題は、マスコミにさえ取り上げられていないと思います。
実際、自分は、長年、大規模な入試不正を告発し、その過程で非常に多くの普通なら新聞一面を飾っても良いような問題が起こりましたが、まったく新聞・テレビ・週刊誌は取り上げません。
入試不正は次のようなものです。
1.平成のかなり早い頃から、平成8年度入試まで、推薦入試に落ちた生徒に一般入試の再受験を勧めていて、勧めたからには落とせないと言う口実で入試で最下点を取った生徒も合格にしていた。当然、本来なら合格になる生徒が落とされて行き、その数は入学定員の3割以上になる。また、県から指示されている判定会議の資料の作り方に反した作り方をしていて、県提出書類はデータの書き換えをしていた。
2.実際に誰が推薦入試を受けたのか、どんな基準で推薦入試を落ちた生徒に再受験を勧めたのか、そう言ったことが一般の教員には一切公開されず、管理職と一部の教員により決められていた。
3.平成9年度以降はそう言った形はなくなったが、工業高校で、学科間の第二希望が認められていて、第2次選考ではそれを考慮しなければいけないのに、平成9年度から13年度まで第二希望を考慮していなかった。その背景には、入試の点数データを判定会議に出す前に組織的に書き換えをしていたはず。その証拠としては、ある年の電気科の学科試験トップの成績で入ってきた生徒が、入学直後から赤点だらけであり、実際、まったく家庭学習の習慣がついていない生徒であったことがある。普通、内申書や入試データは、新入生が入学した後も、教員が自由に見ることが出来るのだが、平成6年ごろから職員室の金庫から校長室の金庫へ資料が移され、実質的に見ることが出来なくなったことなどがある。

自分は、上記1を証明する録音テープ、つまり、判定会議のテープと管理職との会話を名誉毀損裁判で提出しましたが、県側は一切無視でした。録音テープは例えば既に亡くなった人の声としては証拠価値が限られてしまいますが、実際にそれに関わった方たちが証人として呼べる状況の時には、物証として扱うのが普通です。つまり、普通の証人よりももっと信頼性のある証拠として扱うのです。しかし、県側は一切無視であり、裁判所もその確認を県に求めませんでした。
そう言った過程で、次のような不祥事・不法行為が何度もなされたのです。
以下から最後までは、自分のホームページ
からの引用です。

平成8年4月提訴の裁判:浦和地方裁判所に提訴。次の4つの事件について名誉回復、損害賠償を求めたもの。被告は埼玉県、元校長小川浩、元教頭星野時二、教諭村田義昭の四者です。
(1)ラブレター事件:原告(武田のことです。)が女子生徒にラブレターを書いたというデマについての事件。
(2)現金盗難事件:部室棟から現金が約20万円盗まれ、警察を呼んだにもかかわらず、誰がいつ何を盗まれたかの記録も校内に残らず、もちろん県にも報告せず、関係者の証言が全く矛盾するという事件。
(3)職務命令事件:校長から理由や診療科を明らかにしないまま、県の健康相談を受けろと言う職務命令を出され、それを断ると、県の教育長の名前で分限処分の文言が入った医師の診断を受けろと言う職務命令が出たという事件。口頭で医師は精神科の医師だという説明がされた。大変に巧妙に仕組まれた事件です。
(4)女子更衣室精液事件:授業中に誰かが女子更衣室に入り込み、精液や小便のかかった衣類を残していったという事件。これも関係者の主張が食い違い、調査や記録がされなかった事件。

 いずれの事件についても被告側からきちんとした認否,反論がありません。それどころか、訴状の現金盗難事件についての記載事項については結局最後まで被告側から認否反論が全く無い状況です。サッカー部の部室から現金が約20万円盗まれ、警察を呼んだという事件であるのに、全く記録が学校に残っていず、反対に、小川校長や星野教頭は「テニス部やバスケ部のシューズなどが盗まれたのだ。その品物を新品価格にすると20万円ぐらいになるのだ。」と全くのうその説明をしていた事件なのです。しかも、サッカー部顧問の村田義昭教諭もテニス部・バスケ部の顧問も、この現金盗難事件について覚えていないと言っているのです。おまけに、平成7年に吉川警察に事件の記録を見に行った時には、吉川警察は、事件記録が見当たらないと答え、翌日見つかったと言い、しかし、単に、被害者一人の名前とその被害金額が数千円であったことしか明らかにしていないのです。
 また,裁判所の訴訟指揮にも問題があります。原告が提出した会話を録音したテープについては裁判官が被告に渡すことを止めていますし,被告側はテープの内容の検証を未だに求めていません。このテープは、原告と原告の母、原告の姉、県教職員組合の当時の書記長の四人の会話の録音です。原告の姉と県教職員組合の書記長に、原告が職務命令が県から出された経緯について説明を求めているテープです。このテープは大変に重要なテープで、姉と組合書記長の説明が、どんどん変化していき、結局矛盾していることを立証したものなのです。つまり、僕が信頼していた姉と組合書記長が、実際には県側について動いていたことを証拠付けるものであり、同時に、彼らの説明していた県側の職務命令の正当性が全く信頼できないものであることを立証しているものでもあったのです。このテープについて、被告側の主張は全くありませんし、浦和地裁の判決でも、全く触れていません。つまり無視したわけです。更に、東京高裁では、このテープを評価して、単に原告の姉らが原告のことを心配していたことを表している、としているのです。この理屈では、例えば大切にしていたものを被告によって壊されたと証拠申請しても、裁判所から、形あるものが壊れたことを表しているに過ぎない、と評価されるようなものです。これが裁判かと言いたくなります。ただ、このテープについては、僕の姉が大きくかかわってい、姉がどういう過程で県側に巻き込まれて行ったかがある程度分かるので、申し訳ないのですが、インターネットでの公開はしません。裁判所に提出してあるので、どうしても見たい方は、平成八年(ワ)第五九五号事件甲8号証として、現在浦和地方裁判所越谷支部にあるはずですので、そちらで閲覧申請して見てください。録音テープもついています。(裁判資料は、最高裁で判決が下りた後は、基本的に、第一審裁判所に保存されるのですが、平成十二年三月提訴の裁判が浦和地方裁判所越谷支部に係争中なので、越谷支部に一時的に保管されているのです。)
 ラブレター事件については、上のテープの中で姉と組合書記長が原告に対して、「県から聞いた話しだが、(原告が)ある女子生徒へラブレターを出し、それをその両親が見て学校へ怒ってきたのを村田教諭が抑えた。それ以来、(原告が)村田教諭にたてつくようになった。」と言ったことによって、事件が明らかになったものです。これは県側が最初に主張したことなので県側にこういうことがあったと立証責任があるのですが、裁判所は、原告本人尋問で、原告が「ある教員がラブレターを見たと言っている。」と発言したことを取り上げて、ラブレター事件は被告主張のとおりであると判断してしまっているのです。僕の方では、ラブレターを受け取ったと言う女子生徒、またはその保護者の発言を求めるべきだとしているのにもかかわらず、全く無視でしたし、その他の重要な経緯についても、全く事実調べをしないままでした。
  これらの他にも、上にあげた4つの事件のどれについても、ほとんど何も争点整理ができていない段階で(つまり,被告側からの認否がきちんとされていないので,何処が争点だか煮詰まっていないのにもかかわらず,)裁判所の職権で被告本人尋問に入ってしまってい、判決してしまっているのです。どちらも通常の訴訟では考えられない事例です。もっとも、行政側を被告にしている裁判ではまま見られるやり方のようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
仰ることはわかりましたが、質問とは少し違ってきましたのでその件についてはノーコメントにさせてください。国歌斉唱については了解しました。わたしはテレビで公立学校の卒業式に君が代を拒否して座っている先生を見て不思議で仕方がなく思っておりましたのでお尋ねした次第です。

お礼日時:2008/11/20 07:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!