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文明が発生する以前の、黄河流域、ナイル川流域、メソポタミア川流域、ガンジス川流域というのは、どういう状態がどれくらい続いてから文明が発祥したのでしょうか。

A 回答 (2件)

何かのヒントになると思いますので、私の読書メモ(15年前)の一部を書いてみます。



5000年前と3000年前という年代は歴史学では注目。それは古代文明の始まりと終わりだ。
気候の変化と文明の発展には関係がある。
5000年前、ナイル、メソポタミア、インダス、黄河の周辺が乾燥し始め、人びとは土地を追われて逃げ出し、そして河のほとりに文明が発達した。この古代文明はそれから約1500年続き、今から3500年前にはほぼ一斉に滅んだ。

以上ですが、この中の「乾燥し始め、人びとは土地を追われて逃げ出し、そして河のほとりに文明が発達した」とあります。
この部分に注目して、新しい情報を得るために検索しました。

気候の変化と文明の発展
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf116-1/p062 …気候の変化と文明の発展'

71ページに興味深いグラフと解説があります。
紀元前11000年から10000年頃、それまで狩猟・採集をしていたパレスチナの人びとは、気候変動で森と草原の境界あたりに定住し、野生植物の栽培(オオムギやコムギ類、マメ類)を始めた。
他の地方、メソポタミアでは8500年前に農耕が始まった。
そして紀元前3500年頃の寒冷・乾燥化気候は、シュメールに「都市革命」をもたらした。
「乾燥化に伴い、人びとは大河のほとりで灌漑による大規模な農耕を発達させ…以下略」

想像で回答して申し訳ないですが、これらのことからメソポタミアの場合、文明発祥前の5000年間ほどは、人びとは小さな集団をくみ、大河の水を利用しなくても水のある森や草原に散在していたのでしょう。

このご質問を考えたことで、文明は人口が集中して興るということを私は理解できました。

この回答への補足

また余計なことですが、中世の温暖期、近世の寒冷期なども実に歴史に影響している気がします。文明はこの寒冷化が促進したのではないか?浅間山大噴火がフランス革命の引き金じゃなかったか?とか。

補足日時:2008/12/06 13:47
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この回答へのお礼

大変示唆に富むご回答ありがとうございます。
やはり、気候変動と歴史は密接な関係を持っていますね。人間学は生物学でもあります。もちろん歴史もその一部です。
氷河期の終了が縄文文化の開始だと勝手に思っていますし、今回の紀元前3500年云々という時代も「弥生の海退」とよばれる小氷期に対応するのではないでしょうか。面白いですね。

お礼日時:2008/12/06 13:47

『記録をつける(文字・絵画等)』という習慣が確立する前の時代の


ことは、残念ながら『記録』に残されていないため、ほとんど分かっていません。
生活用品、住居跡、食べ物のゴミ捨て場の様子等から大まかな生活
風景は見えるのですが・・・。
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この回答へのお礼

やはり「文字情報」というのは、革命的発明だったのでしょうね。

お礼日時:2008/12/06 13:37

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