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共産主義とは、「貧富の差がなくすべての国民が平等な理想社会」と
されています。
では、共産主義国の現実とは?

「稼ぎの全額が税金として徴収され、国家から全国民に対して一律の給与を
受け取る」 …なんて事はないですよね。
よく分かりませんが、絶対にそうじゃないと思います。

共産主義国にも、おそらく大金持ちもいれば貧しい民もいるでしょう。
では、共産主義国という体制は、資本主義国とは一体どう違うんでしょうか?

A 回答 (7件)

資本主義というのは昔の社会改革家が現実社会を批判的にそう呼んだのであって、


学校の先生が全員共産主義者配下だったのでいつのまにか日本が資本主義社会ということになってしまった。
共産主義者でないのなら真似する必要はありません。

では共産主義国家、共産主義政権とは何か。
以下のコピペがなかなか面白い。


共産主義になった翌日、私は妻とともに散歩に出かけた。
もう冬だというのに木は青々としている。
人々の表情は希望と活気に満ち、額から流れる労働者の汗が太陽光を反射していた。

「人間が憎しみあう時代は終わったのだな」
昨日までとある一流企業に勤めていた斎藤さんが、ほっとしたように私たち夫婦に言った。
「ええ、これからは人が人を支え合う時代なんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、斎藤さんの肩に手を置いて優しく言った。
「人という字を御覧なさい。二本の線がお互いを支え合っているじゃないですか」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言って微笑んだ。

ロックンローラーは長年使ってきたギターを質に入れ、黒光りする鍬を購入した。
「ロックはもう不要だ。これからは日本中に鍬の音を響かせよう」
一仕事終えた農夫の表情で男は言った。

青空のなかををツバメが横切っていった。

参考URL:http://igax.homeip.net/cache/gline/1060993957.html
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理念


実際の存在した国の結果論
経済学的見地からの考察

これらによって意味や評価の観点が異なるので難しいところです。



そもそも理想とされた共産主義は、成熟した資本主義主義の次の段階として社会主義があり、その先に存在するものを表します。共産主義 vs 資本主義という横並びの世界ではありません。資本主義の究極形態のその先に社会主義があり、その先に存在する究極中の究極の世界なのです。

それは、【欲しいものが欲しいときに欲しいだけ生産できる社会】であり、今のアメリカなどの資本主義がさらに成熟した先に達成されるものです。
資本主義の段階で個人が富や財を蓄積するのは、富や財が常に入手できないからです。欲しいときに欲しいものが欲しいだけ作れるとなると富や財を蓄積する意義がなくなります。無限に富を創造できるのであれば、他人から奪う意味もありません。奪わずとも入手できます。また、奪われた相手も富を簡単に入手可能なのでいくら奪われても問題ありません。
これが本来は理想とされた共産主義です。共産主義国家が次々と成立した頃は、科学が目覚しく発展し、いずれは生産性が無限になると考えられていたからこその発想です。

ですから、当初の理想としての共産主義というのはいまだ達成されたことが無い世界です。まだ資本主義が発展段階ですので、将来にはひょっとしたら達成できるかもしれない次元のものです。
原油も無尽蔵に生産可能、食料も無尽蔵に生産可能、大気は簡単に浄化できる・・・というような時代がくればという話ですね。



上は理想とされる共産主義世界の話ですが、かつて一世を風靡した共産主義はこれと異なります。限られた富を国民で分配するというものでした。
その分配を実現するためにはどこかに制御機能が無くてはいけません。そのために国家に機能が集約されました。ここで国家が清く正しく国民のための分配機能を果たしてくれれば、まだ有限の富の分配でも幸せだったかも知れません。しかし、その権力を行使するのは人間であり、私利私欲に走りました。結局は共産主義ではなく、ただの独裁主義に落ちていきました。
これがかつての共産主義国家の失敗です。



このように「共産主義」と言っても表す対象が全く違うので、人によってはかつての東欧などの社会体制は、共産主義ではないという人も言います。
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もし、ご質問が、経済学の学問的な質問でしたら、以下、はずしてます。


素人の素朴な感想に過ぎません。

私が、旧共産主義国の話を聞いて感じるのは、決して「貧乏」というわけではないのです。
お金はあるのです。ただ、それを使うところがないのです。

ですから、旧共産主義国の実情を象徴する話として、「商品の無い商店」というものがあります。でも行列はできるのです。
あるいは、ある国の共産主義時代のコメディ映画で、主人公が"他に買うものが無いので"、店にたまたまそれだけ置いてあった、業務用の巨大コーヒーメーカーを買う場面があったのを見たことがあります(もちろんそういう世相を皮肉っているのです)。

素人の浅はかな考えかもしれませんが、この豊かな日本においてさえ「格差社会」を嘆く風潮を考えれば、明らかな不正義がまかり通っていた時代にマルクスが考えたことは、まっとうなことだったように思います(すみません、資本論よんでいません)。

多分、問題は、経済活動を(端的に言えば需要に対する供給を)人の手でコントロールできる、と考えたところにあるのではないでしょうか。
私はそれが、共産主義と資本主義の根本的な違いで、それが共産主義がうまくいかない原因だと感じています。
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いくら一生懸命働いても、怠けても、収入などの得られるものが、みんな平等に同じならば、


誰も働かなくなって、社会が崩壊します。
それを防止する為に、怠け者を取り締まる為に、警察が強化され、
そしてついには、不平・不満分子を取り締まるために、密告の奨励や、秘密警察の創設に至り、
国家そのものが、監獄化、収容所化します。
そんな強大化・肥大化した警察機構を動かせる人々が独裁者になりやすくなるのです。
当然ながら、民主主義なんか実現出来ませんよね。
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共産主義は剽窃と曲解と幼稚な願望で構成されており、


その効果は一文で言い表すことが可能です。つまり
『国家が搾取を行い、貧富の差を拡大させ、差別を助長する社会』
と表現するのが正しい理解です。
経済理論としても酷いものなのですが、質問の題意の通り
国家としての姿を考えると、一際その酷さが際立ちます。






そもそも共産国とはなにか。
金銭的に平等な社会を実現するために
政府に利潤を集中させ、その後に分配を行います。
このときに何が起こるか?これは歴史を見れば明らかです。
つまり国家が『弱者を決めることが出来る』のです。
例えば、公務員は安定した職と民間に比べ高い水準の給与が
約束され、一般的に見れば『弱者』ではありませんよね?


ここで国家が『増税と弱者保護』を行った場合
本来弱者ではない公務員を『弱者である』とすることができるのです。
結果として、強者である公務員の立場はさらに強化され
本来保護を受けるべきである弱者は、まったくお金を
受け取れないことすらありえるのです。




共産主義者は『利潤』を認めず『搾取』という言い換えを行いますが
金銭的に平等な社会を形成するための実行力は国家しか持ちえず
結果として『利潤』を集める国家が『搾取』を行っているという
まったく馬鹿らしい現実が待っています。

結果として共産国には必ず二極化が生じます。
つまり、『公務員とそれ以外』の階層社会です。
そして最終的には公務員の中で力を得たものによる独裁が開始されます。
これは王政となんら変わるところがありません。

民衆に出来ることは、王に懇願して自分を『弱者』と認めてもらうこと
だけです。そうすれば国家から絶大な保護を受け、その後支配する側に回る
こともできるのです。




真に平等な社会を実現するには
『公平な国家による平等な社会の形成』という欺瞞を否定し
民衆・民間の人間による一人一人が自立すべきなのです。

そして国家のような絶対的な強制力の存在を
不正を取り締まる存在という、本来の姿に抑える必要があるのです。
同時にこれは国家を強大にすることを目的としている
『共産国』ではどうしても実現不可能です。
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共産主義と資本主義の違いって、マルクスの資本論読んで下さい。


または日本共産党の書物で勉強して下さい。

こういうところで一言で説明できる性質の質問ではありません。

なぜかと簡単にいえば、共産主義に反対する勢力が考える共産主義と、ロシアの共産党が考える共産主義、(もちろん他に中国やベトナム、アメリカの党もその他も)日本共産党が主張する共産主義、それらは大きく違います。
こればかりは自分で勉強して自分で納得しないと理解出来ないと思います。
仮に、僕が共産主義とは云々と説明すれば、それに対する批判が山のように来ます。
自分で勉強して下さい。
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共産主義は
・計画
・分配
・忠誠
資本主義は
・競争
・契約
・信頼

どちらにも貧富の差は同じようにあります、大きな違いは自浄能力

 
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