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 こんばんわ、私はエホバの証人の人と聖書研究をしているものです。
今日、私はイエス・キリストは杭に架けられて死んだと教わりました。
一方でカトリックやプロテスタントの方は十字架に架けられて死んだと教えているようですね。
 私は研究司会者にどうして杭に架けられて死んだと信じられるのか聞いてみました。
 その答えは、「聖書に書かれているギリシャ語のスタロウスは第一にまっすぐな杭もしくは梁材を意味し、第二に刑罰や処刑のための道具として使われた杭を意味する。」という説明でした。
 簡明で分かりやすい説明です。
 しかし、他のキリスト教の人はこの事をどう考えているのかも私としては知っておきたいところです。なぜスタロウスを十字架と訳しているのでしょうか?

 最後に一つ確認の意味で書かせていただきますが、私は宗教同士の教義の批判の仕合を意図している者ではありません。ただ真実を知りたいのです。その腹積もりで応えていただける方がいましたら、回答をよろしくお願いします。

A 回答 (9件)

追伸:


イエスの聖句「人もし我に従い来たらんと思わば、己(おのれ)を捨て、己(おの)が十字架を負いて我に従え」
この本来の意味について現在のイエスご自身のお答えは:
「この世で生きやすく生きたい」というような思い、そのような、とらわれている自己を捨てなさいということです。しかし、十字架というのは一人一人が負っているものです。肉体を持つことによって、肉体自身が十字架になっているのです。肉体をよく見なさい。十字架になっているはずです。:
ということでした。「罪を背負った」という信仰の単なるシンボルであってはいけないということでしょう。様々な解釈も是としなければいけないことはわかりますが、上記の聖句及びイエス様のお話からも「十字架」には意味があるとすべきと思います。むしろ十字架その裏にある深い意味を理解してもらいたいがための十字架なのではないでしょうか。
私は、hikaru0705さんの質問に「処刑の形」ということでお答えしましたが、「あなどった」感があります。ここであやまっておきます。
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http://kikitai.teacup.com/qa4528424.html​において、nacamさんが、十字架は象徴であると、お教えくださっております。言葉にとらわれた私は、何の象徴かをお書きくださらないと、ご回答になりません。という生意気なことを書きました。
 しかし象徴は象徴、それ以上ではない、という象徴というのもありうるのですね。
 だから一定の集団の中では、通る、何らかのを示す象徴なんですね。
 その限りの。十字架が単なる象徴である、という象徴にはたくさんのことがこれで象徴されるのでしょうね。教義も神学も。
 そして日常のことば表現でも、自分の運命とか宿命なども十字架を背負うといいますし。任務矢義務を果たす事についても。イエスの場合もそういうことの表現として、終わる、逝くということなどの、単なる象徴かも知れませんね。
 しかし刑執行者としては、腕が上がっているほうが余計な苦痛を与えないかもしれませんね。
 形状が十字になっていても、いわゆる十字架という観念がなくていいのかもしれませんね。それに実際の形でも十字架でなくてもいいのかも知れませんね。

 そういう意味で、nacamさんには少なからず短慮なる対応をしてしまいました。
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kigurumiです。



さらなる考察です。

杭とした場合、杖のことじゃないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9% …

『優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっている。』


杭を生命の木と捕らえることも可能。
ある一説では、生命の木が後にイエスが貼り付けになった木に使われたとかなんとか。
後から作った創作物語でしょうけど。


他には、、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7% …

ザメクが柱という意味があります。
ギリシャ語 ラテン語だと Xに転訛される。
で、X’MASになると、木に飾り付けをするが、 杖・杭に飾り付けをするって意味なのかも。

Xはchristの略かもしれませんが。
ただし、christって救世主って意味であって、イエスを指していたわけじゃない。


あ、、、

『またサメフ(samekh)という文字は魚を意味している。同じくフェニキア文字の中に魚の骨を見て取ることができる。』

難しいですね。
samekhは柱という意味なのに、魚を意味している。
魚はヌンなはずだが。

意味が変化したのか???

これはもう、ヘブライ語による物語の出土を待つしかないですね。


新約聖書作家は、旧約聖書にも精通していることから、聖職者かラビだったと思えるんですね。
もちろん仕事上使うのはヘブライ語で、12支族の人々に説教するときは彼らが使っているアラム語で解説していたと思える。


マタイを読むと、ヘブライ語もアラム語もわからないギリシャ生まれのギリシャ育ちのヘブライ人聖職者のために、ヘブライ語をコイネーに直訳したと思える。

でも、エルサレムでナザレグループが起こったのであれば、ヘブライ語による物語が書かれていてもおかしくない。
それとも聖職者から聖職者へ直接話をすることができたので、字に移す必要が無かったのか?


死海写本は主にヘブライ語で書かれている。
ギリシャ語やアラム語のあるそうだが、そっち方面から学びにきた聖職者向けの本だったのかもしれない。

でもその中に、新約聖書に相当する写本が一つも無いのは、いったいどういうことなのでしょうね。

一つ、「新約聖書に書かれることになった一節が、死海写本に書かれていた」と騒動が起こったそうですが、実際はそれは新約聖書とは関係なかった。

やはり、エルサレムでは、直接内容を聞き手に話すことができたので、わざわざ文字に変える必要が無かったのか?
謎です。


そう考えると、ナグ・ハマディー写本などのように、地中から新約聖書のヘブライ語写本が出てくるとは思えないですね。

ローマの神話が盛りだくさんの新約聖書が、エルサレムの聖職者の間で、盛んに語られていたとは思えない。

聖職者じゃなくて、ナザレ派は一般人に人気があった?
はい、ナザレ派のヤコブは熱狂的人気だったそうです。
それが原因か大祭司によって殺された。
でも、ナザレ派の考えは、他の派と基本的に同じ考えであり、新約聖書のような神を冒涜するような考えではなかった。
大きくわけると4つくらいの派閥があり、どれか一つが支配的というわけじゃなかったそうです。
で、ある時期ヤコブのナザレ派が市民の支持を獲得した。
そして大祭司は、ヤコブを神を冒涜したして殺した。

その前に、パウロは神殿の階段からヤコブを落として殺そうとした形跡がある。
ヤコブは両足を骨折したが、死ななかった。
この事件で、市民は自分たちのヤコブを殺そうとしたパウロに強い怒りを感じ、パウロは捉えられた。
捉えられたというより、このままじゃパウロは市民によって殺されると思い、牢獄に避難した。
でも、暗殺の噂を聞き、牢獄も危ないとなり、大人数の警備をつけ、パウロをエルサレムから脱出させたようです。

だから、パウロはエルサレム以外のローマ帝国の各地を、豪遊して自分の思想を布教したというわけです。
パウロはローマ帝国の保護のもと、活動したわけです。


ということで、イエスというのは架空の人物でしょうけど、そのモデルとなった人物は、ヤコブかもしれない。
ヤコブは十字架刑でも杭につるされたわけでもなく、罪状は神を冒涜した罪ですから、石打の刑でした。

ヤコブ=初代エルサレム教会(ユダヤ教ナザレ派)の指導者。
エルサレム教会は、ユダヤ戦争が勃発する直前にペラに集結したことが確認されているが、その後の行方がわからない。

殺されていなければ、イスラエルと改名され、大祭司になっていたかもしれない。
ヤコブを殺されたことで、エルサレム教会は失速したわけですね。

私は一つすごい疑問があった。
レビ人しか祭祀になれないはずなのに と。
ヤコブはユダ族。
歴史を読むと、ユダ族が勢力をつけ、大祭司にもなっていたんですね。
そしてヤコブの時代の大祭司も、どうやらレビ族じゃないようです。
神はレビ族限定だと言ったことになっているが、その教えにそむいていますね。
アフリカのシナゴークの祭祀のDNAを調べると、なんといまだに神の教えを守っていることがわかった。
レビ人のDNAを指導者は持っていたから。

エホバの証人の方々は、エホバの教えに忠実だと聞いていますので、恐らく指導者はみなレビ人、しかも大祭司の血筋だと思えます。
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「苦しみの杭」というタイトルのWikipediaの記事が出来ています。

是非参照してください。エホバの証人の主張も他の宗派の学者からの批判も十分に書いてあります。ことは簡単ではありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6%E3%81%97% …
もし英語がお出来になるならばこの英語版の方がはるかに詳しいです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cross_or_stake_as_g …
要するに、ギリシア語stauros(スタウロス)という語は時代によって意味が違っているのです。本来の意味が「杭」であったことは誰も疑っていません。紀元前8世紀(最古の用例)頃から紀元前4世紀前半までこの語は単純に「杭」という意味でした。しかし、問題は新約聖書が書かれて時代のコイネーと呼ばれる俗化したギリシア語の意味です、コイネーではさまざまな十字架(T字型、X字型、普通の十字架)をも指すことがあったのです(ディオドーロス、ルキアーノス、プルタルコスの用例による)。また、ギリシア語stauros(スタルロス)に対応するラテン語(ローマ帝国の公用語でした)のcruxもまた同じような刑具を意味していました。したがって、エホバの証人の主張する「杭」という訳がぜったい間違っているとは言えないものの、「十字架」が絶対間違っているなどとは決して言えないのです。このような論争においてどちらかが絶対的に正しく、他方は絶対的に間違っているなどとは言えないのです。
Wikipedia「苦しみの杭」の記事はよく書けていますが、この中のエホバの証人の主張の次の点、
>新約聖書は繰り返し、ギリシア語スタウロスの同義語としてギリシャ語ξυλον xylon(クシュロン)を用いている。クシュロンの意味は「杭」なので、スタウロスも杭の形状であったと考えられる。
ここの箇所は英語版Wikiを見てもわかるように、xylon(クシュロン)とは木製のものを指すだけで、「杭の形状」を指すものではなかったことを指摘しておきたいと思います。
エホバの証人の主張は事情にうとい人が聞くと一見まともに聞こえますが、よくよく調べてみるといい加減な主張が多いような気がします。わたしは一応ギリシア語がわかります。
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初期、キリスト教徒は魚をシンボルとしていた。



プラトン年という概念がある。

http://homepage2.nifty.com/SON/uranai/Aquariusag …

新しい時代、つまり牡羊座から魚座の時代になった。
新年を迎えたみたいな感じでしょうか。
だから、古代の神話を継承したので、新しい時代の到来(魚座の時代)を喜んだが、同時に、この新しい時代に終わりがあることも知っていた。


で、弟子はイエスに時代の終わりどうすればいいか?と聞き、イエスは水瓶をかついだ男の家に入ればいいと答えている。
そう、牡牛座→魚座(現代)→みずがめ座の時代 だから。

この時代の終わりを、世紀末がやってくると誤訳した人もいて、エジプトの最後の審判とごっちゃになり、「早く贖罪しろ さもないと、神が地球をほろぼすぞ」など言って、信者から金を巻き上げる宗教ができた。


で、正月を迎えたからといって、急激な気象の変化はありませんよね?
旧正月でもいいですが、突然 その日を境に、北極の氷が解けて、日本列島沈没なんてなりませんよね。

ゆるやか以降しているから。


冬至。
太陽の日の出が一年で一番短く、その日を境に、日の出の時間が徐々に長くなるポイントが冬至の日。

実際は、ある特定の緯度限定。
日本という緯度では、冬至は一年で一番日の出が短くならない。


2千年ほど前くらいから、牡羊座の時代から魚座に時代になったわけですが、どういう意味か 何を基準に変わったとしているのかご存知でしょうか?

地球の地軸です。

12星座を地球の地軸がゆっくりと首振り運動をする。
一周するのに25、800年かかるらしいです。
これをプラトン年という。


で、今地球の地軸は、魚座からみずがめ座の方角に移動しています。
イエスの魚座の時代が終わりかけているわけです。


牡羊座の時代はモーセに代表される。
牡羊座の前は、牡牛座です。(地球の地軸がそっちを向いていたから)

モーセは、牛の偶像を破壊したとされますが、牡牛座の時代が終わり、牡羊座の時代になった象徴物語。


で、牡羊座の羊が殺され、魚座の時代になった。
これが身代わりの羊としてイエスが処刑された物語になった理由。

2000年ほど前、地球の地軸が魚座寄りにかなりなったから、そういう物語ができたのではないかと。


古代の人はそんなこと知っていたのか?
はい、バビロンがあった時代から、既に天体の運行のことは知っていたようです。


バビロンといえば、羊飼い王タンムズが毎年生贄の羊として、殺される神話がありますが、これが、キリスト教になったとき、身代わりに生贄にされるのは、タンムズじゃなくてイエスってなったわけですよね。


で、イエスの誕生は12月25日に祝われますよね。
12月25日は冬至で、ある地域では、1年で太陽が出ている時間が一番短くて、地平線すれすれに上っているから。
太陽は南半球側寄りだから、そういった現象が起こるわけです。

で、冬至が一番日の出が短くて、その日を境に徐々に太陽が出ている時間が長くなる。

で、ある北半球の地点では、その頃、サザンクロスが夜空に出ている。
その星をポイントを線でつなぐと十になる。 
横線が上方向にあるので、縦長い十の形。


12月25日になると、地平線すれすれの太陽が一度上に上昇し、サザンクロスの位置する場所と重なる。→太陽が十字刑に処される。

その後、太陽は上昇し日の出が長くなりだす。→太陽の復活。


しかし、復活祭は、12月26日には祝われない。
昼と夜の時間が同じ春分点に復活祭は祝われる。
その頃 北半球は春で、草花が地球を覆い、視覚でも大地の復活がわかるから。


初期のキリスト教は魚をシンボルとしていた理由、初期のキリスト教が十字架を「異教のシンボルじゃないか」と批判していた理由。
これでわかったでしょう。

そう、十字架は異教の太陽信仰のシンボルだったから。
コンスタンティヌス1世は、この多神教のシンボルを軍旗に使用し、「これをもって勝て」と軍隊の士気を高めた。


やがて、太陽信仰神話を保持していたローマ帝国は12月25日をイエスの誕生日として、太陽信仰をキリスト教もするようになった。
古代よりある太陽信仰では、救世主はどれも12月25日なのは、冬至と関係があるようです。


ユダヤ教の安息日は金曜日の日没から土曜日の明け方だったものを、キリスト教は休日を日曜日にしたのも、ローマ帝国各地で太陽信仰が盛んだったから。


杭・・・・
柱のことじゃないでしょうか。

イエスの父親のヨセフは大工だとされたのは、ある文字が大工関係の語彙だったからだとされます。
しかし、古代ではその語彙は大工を意味しておらず、測量の単位として使われていたそうです。

測量といえば石工職人。
ピラミッド建築。
建物を支える柱・・・・

なんか関係ありそうですね。
とんでも話かもしれませんが、モーセはエジプト人で、ピラミッド建築の棟梁だったとか。
彼が石工職人を連れて、エジプトからパレスチナに移住してしまったため、ピラミッド建築は衰退したという説があります。


テクニックを持った人 つまり 柱がいなくなると、建物は崩れるしかなく、エジプト文明は衰退をしていったとか なんとか。


それかペニスの比喩。
イスラエルとなったヤコブ?は、天使に足を折られたという話になっている。
これは去勢の比喩。
傲慢だったヤコブを天使は去勢したので、ヤコブは「私を祝福するまで離しません」とすがった。
祝福とは子沢山のことなので、去勢されたヤコブは必死になったわけです。

で、天使はヤコブを祝福したことで、ヤコブはイスラエル人の祖となったという主張ですね。



>ただ真実を知りたいのです

真実ですか・・・ 十字架なのか杭なのか という小さなものじゃなくて、、、、もっと大きなもので、星です。
地球の外にある星が、ある地球上の地点から想像力を働かせ見ると、十字の形に見えるんです。

(^・ェ・^) ← これ 顔に見えません?
外国人が見てみわからないでしょうが、日本人だと顔に見えてしまう。
雲を見て パンだとか キリンだとか言うように、人間は空のただの星を、意味あるものとして、物語を作った。

天空の動きを知ることで、未来を予測可能になると思ったようです。


冬至になると、ある地点では、十字に見える星座に太陽が重なるんです。
もちろん 地球外から見れば、そのような現象は起こらないし、南半球でも起こりません。

ある特定の地域でそのように見え、その見える地域では、救世主が死んで3日日後に復活するという神話が語り継がれるわけです。

現代の人は、神話がどうしてできたのかに関心が無い。
語られた結果を盲信するだけ。


現代の哲学は、今まで語られてきたものを盲信せず、吟味し・分析し、取り消し あるいは修正をしていく。
ここが盲信信者と、哲学好きな人の出発点の違い。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

興味深い考察、参考になりました。

補足日時:2008/12/05 19:44
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 回答申し上げる資格も知識もありませんが、誠実なご信仰とご勉強に触発され、この70過ぎの老人も関連質問をしていることを、ご報告申し上げます。


 どうかともに、参照しあいながら勉強していけたら、欣快に存じます。http://kikitai.teacup.com/qa4528424.html
 エホバも現今はやっている他のキリスト教も私は傾倒するつもりはありません。でもやはり偉大な聖者としてのイエスの日々のお導きは常に感じております。ともに聖者のお導きのありますことを祈ります。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

同じようなことを考えている人がいることを知って、ホッとしました。
URLも見て参考にさせて頂きました。

補足日時:2008/12/05 19:34
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磔刑にされたというだけで、どのような状況だったのかの記載はありません。


クイに縛られて正面から槍で殺されたのかもしれませんし、十字架かもしれません。
十字架にしても、ローマ軍団の使うラテン式の十字架だったのか、ギリシャなどで行われていたX型の磔刑だったのかもしれません。

実際には、当初のキリスト教では、十字架信仰が無かった事が知られています。
そもそも十字架が信仰の対象とされるようになるのは、コンスタンティヌス大帝が、ローマ帝国統一のための戦いにおいて、十字架にかけられたキリストが現れ勝利を約束したからとされています。
そのため、キリストがされた磔刑が、どのような状況であったのかは、全く分かっていないのが実情です。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

実情は磔の形態が分かっていないのですか。
しかし当初のキリスト教では十字架ではなかったというのは驚きです。

補足日時:2008/12/05 19:06
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なぜスタウロスを十字架と訳しているのでしょうか?



言葉に囚われてますね。昔の日本でもはりつけという刑がありました、左右から槍で脇を突くのですね。脇から心臓を突くことで長い苦痛を与えないということですね。この方法では必ず腕を左右に上げる必要があるので、はりつけの杭は十字の形になるわけですね。一方、銃殺の場合は正面からですから杭は1本でよいわけです。イエスさまの処刑はローマ軍が実行しています。槍による刑の執行ですね。だから十字形で間違いないのですね。見せしめのために高くしたようですから、足の台用の小さな横棒もついていたようで、イスラエルにあるギリシャ教会のクロスは武士の「士」のような形してますね。「士」が一番実際に近い形ですね。
つまり、「杭の形」から十字に架けられたで「十字架」という表現であってるんですね。
いろんなことを学びなさい。文字だけに頼る狭い範囲の教学では本当のことはわからないのですよ。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

よく調べたいと思います。

補足日時:2008/12/05 19:18
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 「スタウロス」では?



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6%E3%81%97% …

この回答への補足

回答ありがとうございます。

ご指摘の通り「スタウロス」でした。

また参考HPの方も大変興味深く読ませていただきました。
ありがとうございます。

補足日時:2008/12/04 00:42
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