No.3ベストアンサー
- 回答日時:
忠臣蔵のいろは ~ 尋常・刃傷・人情 ~
殿中における、尋常ならざる刃傷が、人情をそそる理由は何か?
主君の狂気にせよ、取調べも裁判もなく、問答無用で即日切腹を命じ、
被害者には一切の咎めもなかったのは、いかにも幕府方の落ち度です。
さらに、赤穂藩断絶と赤穂城の明渡しも、政治判断の横暴でしょう。
いまの法概念では、司法の独立が無視されたわけです。
政府系銀行を救済して、信用金庫を破綻させるような不公平ですね。
当時の庶民には理解できなかったのに、歌舞伎に仕立てられて、その
矛盾が浮びあがったのでしょう。ゆるやかな体制批判が、たくみに世論
を誘導して、逆賊が英雄に変化してしまったのです。
城代家老・大石内蔵助が、いったん屈したと見せかけ、血気にはやる
藩士を追放し、むしろ穏健派をあつめて叛乱テロを企てるストーリーは、
不朽の傑作ドラマとして、虚々実々の実録に豹変したと思われます。
赤穂事件始末
<PRE>
浅野 内匠頭長矩 16670928 播磨 江戸 17010421 35 /寛文 7.0811~元禄14.0314“発端”切腹
橋本 平左衛門 1684‥‥ 播磨 大坂 17011205 18 /貞享 1.‥‥~元禄14.1106“曽根崎心中”
萱野 三平重実 1675‥‥ 播磨 江戸 17020210 28 /延宝 3,2.‥~元禄15.0114“主君命日殉死”
吉良 上野介義央 16411006 江戸 17030131 62 /寛永18.0902~元禄15.1214“仇討”斬首
大石 良雄内蔵助 1659‥‥ 播磨 江戸 17030320 44 /万治 2.‥‥~元禄16.0204“終結”切腹
</PRE>
── 浅野内匠儀、勅使御馳走の御用仰附けられ、その上時節柄殿中を
憚らず、不届きの仕形につき御仕置仰附けられ、吉良上野儀御構なく差
置かれ候ところ、主人の仇を報じ候と申立て、内匠家来四十六人徒党致
し上野宅へ押込み、飛道具など持参上野を討ち候始末、公儀を恐れず候
段、重々不届に候、これに依って切腹申付くるもの也。未 二月四日。
── 大仏 次郎《赤穂浪士 1927~ 東京日々新聞&大阪毎日新聞》
No.6
- 回答日時:
吉良のお殿様は、地元で、今も人気がある、いいお殿様です。
マナーを教える、教えないくらいのことで、絶対やってはいけない、江戸城内で、刀を抜いた、浅野のお殿様に落ち度があります。
その時の将軍は、あまり出来のよくない人で、浅野のお殿様に切腹としたことで、庶民の反感を買います。
吉良のお殿様は、スケープゴートみたいな形で、たいへん、嫌われ者となってしまいます。
将軍も、ある程度、「喧嘩両成敗」みたいな形をとれば、よかったのかもしれません。
吉良のお殿様が、その後、ビクビク、周りから、嫌悪されて生きなければならないことで、ペナルティは、済んだと、許してもよかったんじゃないでしょうか。
浪士たちは、復讐を遂げたことで、大満足で、死んでいったと、思いますよ。
将軍というトップが、判断したことを不服として、済んだことを蒸し返し、大挙して、テロまがいな、殺戮を犯せば、切腹は、当然でしょう。
切腹は、名誉ある死ですので、今の死刑と違って、屈辱的じゃ、ないんですよ。
No.5
- 回答日時:
元の「松の廊下」事件に戻ると, 江戸城内において刀を抜くことが既に処罰の対象となります. 刃傷沙汰に及んじゃったら当然処罰されます. 結果的に, この時点で「浅野長矩の蟄居」はほぼ確定です.
問題は「浅野長矩に対する切腹の申しつけ&浅野家取りつぶし」ですが, 確かにこれは重い処罰になっています. 江戸城内における刃傷沙汰はほかにも数件起きていますが, 誰も死亡していない場合は基本的に「蟄居」のレベルでとどまっており, 「死亡者数 0 で切腹になった」のはこの 1件だけです. その点では「重い処罰である」ということができます.
ただし, これが「ある意味で最悪のタイミングであった」こともまた事実. ちょうど朝廷の使者が帰るところであり, その報告によっては「征夷大将軍の地位のはく奪」ということも想定されていました. そのため幕府としては「自分の管轄で起きた事件に対してきちんと対処できる」ことを示す必要があったわけです. その結果として他の同種の事件に比べても重い罰則が与えられたという解釈ができます.
なお, 江戸城内の刃傷沙汰において「被害者に罰が与えられた」例はなかったはず.
ちなみに吉良義央に対して「お前も (名前だけとはいえ) 武士なんだから, 切りかかられたら刀で返せ」ということを言う人もいました. が, 既に書いたように「刀を抜いた」時点で処罰の対象なのでねぇ....
で元の話に戻ると, つまるところ外形的には「幕府の重職に対して 47人もの人間が夜討をかけて殺した」だけです.
あとついでに言うと「仇討ち」というのは「自分 1人の力でやる」のが原則です. 親族はさておいて, その他のものが表立って支援することは禁じられています.
No.4
- 回答日時:
ちょうど 今 加藤廣著「謎手本忠臣蔵」上下
を読んでます。
大石内蔵助は、元々、主君浅野内匠頭源長矩にたいして冷ややかな態度であったようです。
が、「武士」という立場により、自分の思いとは裏腹に「討ち入り」をしなければならなくなった内蔵助の立場があったようです。
浅野内匠頭源長矩が吉良上野介に斬りかかった理由に、
五代将軍綱吉 の生母 桂昌院の「桂一計画」にあった、、という
処が面白いですね。
柳沢吉保の部下による意見書には、
「義は己を潔くするの道にして、法は天下の規矩(きく・のっとるべき法則)なり。礼を以て心を制し、義を以て事を制す」ということが
出されている。
「法治主義」を打ち出した画期的な考え方で、
「義は私事にすぎない」と、ばっさり切り捨ててある。
義は、たとえ如何に勇ましく、また美しく見えても、そもそもが、情の
世界のことであり、これをもって法の判断をゆがめてはならない、
という 今までにになかった 法絶対論の展開にもってゆかれたようです。
よって 切腹 故無し、、ということになったのでしょう。
No.2
- 回答日時:
これ, そもそも形として「仇討ち」じゃないです>#1.
「仇討ち」に際して届けが必要なのはその通りですが, 「仇討ち」と認定されるのは尊属または兄が殺された場合に限り, しかも殺した者を「仇討ちの相手」と指定して届ける必要があります.
この基準に従うと「浅野長矩は四十七士の誰にとっても尊属や兄ではない」し「浅野長矩は幕府からの命令によって切腹したのであって吉良義央が殺したわけではない」上に「届けもなされていない」ので明白にアウトです.
しかもこの討ち入りはある意味で「幕府を批判した」行為であるとも考えられます. だから幕府中枢では「打ち首にすべし」という意見もあったようですが, 民衆の支持などに押される形で「切腹」という判断になったようです.
て~か, そもそもの発端からして「浅野長矩が何らかの理由で吉良義央を切りつけた」というわけだから (実際には理由がなかったのかもしれないくらい), 切腹なんて「だだ甘」としか言いようがないです.
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