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先日、親戚が亡くなったですが、その人が亡くなった事実より、人が死んでいく様が印象的で、非常に恐怖を感じました。
それから、夜になると、人は死ぬとどこへ行くんだろう、どうなってしまうんだろう、なぜこんなに怖いんだろう、と考えるようになりました。

哲学的に言うと、人は死ぬとどこへ行くのでしょうか。
以前、哲学の授業で、デカルトは人は精神と肉体が一緒になってる存在だとか学んだ記憶があるのですが、これで考えると、人が死ぬと肉体は滅びるけど精神だけは残る、という事でしょうか。
では、残った精神はどこに行くのでしょうか。

なんとか、死に対して恐怖を抱かずに済む考え方を探しています。

「死」は未知なるもので、それに対して確定的なことは何もわからないから、自分がどうなってしまうのか分からなくて怖いのでしょうか。

皆さんの意見をお聞かせ願えませんでしょうか。
宜しく御願い致します。

乱文・長文、失礼致しました。

A 回答 (25件中21~25件)

>なんとか、死に対して恐怖を抱かずに済む考え方を探しています。


>「死」は未知なるもので、それに対して確定的なことは何もわからないから、自分がどうなってしまうのか分からなくて怖いのでしょうか。

信頼できる死後の知識を得た後、あるお通夜で初めてお年寄りの死体を目の当たりにしました。
これがうわさに聞く死ぬという状態なのかと、さすがに知識を得ていても、少々うろたえる経験であるとは正直なところ感じます。
もっとも戦ばかりの時代には死体などいくらでも転がっていたのであり、珍しくも何ともなかったのでしょうけど。
要は慣れなのかな、と思います。

それで何にうろたえたかと申しますと、昨日まで精神を持って動いていたそれが、今はもぬけのからになり、動かない肉人形になっている、その奇妙さに対してではないかと思います。質問者様もそういう、普段考えられない奇妙さ、自分もそうなるという事に恐怖を感じるのではないかと思います。
親しき相手ならば別れに対する恐怖そして悲しみもあると思いますが、質問者様はそれよりも、自分が死んだらどうなるのか分からなくて怖いという事が問題なのではないかと思います。

死後どうなるかという説には2つあります。つまり死後精神は魂として存続するという考え方と、いいや脳死によって精神は存在が消えてしまう、つまり無になるんだという考えです。
今死後どうなるかという議論にはこの2つの選択肢のどちらかしかありません。
ところでこの2つとも冷静に考えれば恐ろしいことではないと思います。死後に精神が継続するならば、生前も死後も心に変わりはないのだから恐れる必要はありません。生前と同じく楽しんだり苦しんだりする自分という存在はそのままでしょう。性格が変わるとか、環境がどうなるかは保証しませんが。
死後無になるのなら、恐怖すら無になるのだから、死後を想定して恐れる必要もありません。

だから、死者の肉体から精神が抜けた、又は無になった、そして肉人形になったからといって、本人にとって恐ろしい結果にはなってないってことです。傍から見て、自分もなる分からない状態を奇妙でおどろおどろしいと感じるだけです。要は慣れです。

あと、考えられるのは現世の自分に対する自己愛があります。現世での肉体と環境を持った自分を愛して執着し過ぎると、現世での自分を失うことに恐怖を感じる可能性があります。
そういう場合は、現世での自分は永遠に存続するほど価値のある存在ではないという謙虚な認識によって、恐怖から解放されるのではないかと思います。
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人の思考の構造は、過去に体験したことや知っていること、イメージできることを使って、そのことを理解しようとしたり、新たに創造しようとします。


自分の知らない世界には、自然と自己防衛の意識が働いてしまうのは、本能ともいえるし、教養で身につけてきたともいえるでしょう。

死の世界を知る由もない世界であれば、生きている世界で知ること、体験できることで理解しようとしてもできません。それを、追求した結果、極的な世界を描いてしまったのが、神や地獄ではないかと考えます。

死の世界を知るには、生きるとは何かを知ることが必要でしょう。生きることは何かを知り、その世界を全て創造的否定ができることができれば、死の世界を知ることができるのかもしれません。

私も父方の祖母が亡くなった時に、゛一人の命の重さは地球よりも重いはずなのに、亡くなってもこの街は一瞬も止まることがないのはなぜだろう″と切ない想いにかられたことがありました。
不思議ですよね。生きること、死ぬことは。
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哲学的には死とは無いものです


なぜなら死ぬまで死を理解できないですし
死んだらまた理解できません
他者を他者と自分の空想の人物と分けることが出来ない以上
他者の死を観察しても意味はありません
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こんばんは。


死は怖いですね。
私もよく死について考えました。

死んだらどこへ行くんだろうと
考えても考えても
私はやっぱり死んだことがないので結論なんて出ませんでした。
ここを見てる人はみんな死んだことがないので
分かるはずないと思います^^;


主さんは
今持っているもの、
たとえば頑張って貯めたお金で買った何トカとか。
自分の周りに存在する人が消えたら嫌ですよね?
怖いですよね?

これが死に対する恐怖心ではないのでしょうか。
この世の人、ものとは離れてしまうわけですから。
大切な人とも会うことがなくなってしまうわけですからね。

うまく伝えれたかどうか分りませんが
私が「死」について考えた答えでした★
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デカルトは昔の偉人ですがいってることが正しいとは限りません


何しろ証拠がありません、ただ彼の考え方です。
どうすれば怖くなくなるかとかそういう風に考えすぎると逆に恐怖が
増えてていってしまうのではないのでしょうか
どうすれば恐怖を抱かないか?ではなくとりあえず怖いものは怖いで
目をそらしバカ騒ぎでもして忘れてしまえばいいのではないのでしょうか?
一般論ですいません。
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