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私は高校の教員をしている者です。

人間の哲学的な話になりますが、知識をお持ちの方御回答いただければと思います。

質問したい内容は、児童養護施設がなぜなくならないかということです。

子供は誰しも望まれて産まれてくると思っているのです。
なのに、児童虐待などの事件は後を絶たない・・・。
全てこれが要因でないにせよ、親元で生活できない等の事由で児童養護施設で思春期を過ごす子供はこの少子化の時代にあっても増えていくように思うのです。

こうした状況において、私は何とか出来ないものかと憂慮してならない・・。

どうしたらなくなるのでしょうか。
自分一人の力では何ともならなくても、何か出来ることをしたい・・。

皆さんは何かされていることがあるでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

知識も経験も何にもないんですが、考えていることを書かせてください。



残念ながら「望まれないで産まれて来る子供はいる」と思います。むしろ「子供は親の都合で産まれて来る」というのが事実に近いと思います。だから、たとえばアフリカでは子供の数が多いし、日本などでは少ない。間引きもあったし、子捨てもある。たとえばMother Natureのような本には、女性が、自分の生存条件の最適化のために、子産み、子育ての戦略をいかに柔軟に変化させているか、なんてことが書いてあると思います。それは「親失格」と怒るべきことではなくて、人間として自然なあり方なのだと思います。

私は最近親になりました。望んで授かった子供であり、親の都合で子供を好き勝手しないように、と自分に言い聞かせてはいますが、とりあえず今のところそう思える余裕がある、というのは恵まれた状況なのだ、と思います。どんな状況でもそれができる自信はありません。

すべての人が、経済的にも、精神的にも充足して暮らせるような社会ではないし、それを一挙に解決することができないとしたら、子供が育つのに適切な環境が整わないことはありうるし、これからもなくならない、と思います。

一方、子供は社会の共有財産だと思うので、そういう子を親から離して、みんなで面倒をみていこうというのは、正しいと思うし、私は賛成なのです。援助する機会があればしたいと思います。お考えの方向と違うのですが、参考になれば幸いです。

この回答への補足

>御回答頂きありがとうございます。

>一方、子供は社会の共有財産だと思うので、そういう子を親から離して、みんなで面倒をみていこうというのは、正しいと思うし、私は賛成なのです。援助する機会があればしたいと思います。お考えの方向と違うのですが、参考になれば幸いです。

私も同じ思いです。
正に社会の共有財産であり、私も現在可能なことは全てしているつもりです。しかし、親から引き離さなければならない子供は減らない・・。
現状を目の前にいる子供に接することが精一杯で・・・
なんとかこうした境遇の子供が減らないものか・・・

とにかく、目の前にいる子供達とはこの先も真剣に向き合って行きたいと思っております。
ありがとうございました。

補足日時:2009/01/04 17:42
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。
施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 10:27

圧倒的に少数派だからです。


乳児院から中学あるいは高校卒業までの全てを施設で育つ人になると、もう皆さんの周りにはいないのではないでしょうか。この忙しい世の中、わざわざ票にもならない(親との関係が薄い)子供のために動こうという政治家はいませんし、政治家以外の人も、自分の生活で忙しいのでしょう、自己満足のボランティアに行くことはあっても、子供を引き取って里親になる人はとても少ないのです。養護施設がどういうところなのかは、自分の子供を預けてみれば分かります。当たり前の話なのですが、小さい子供を公園に置き去りにしたらその子は泣きわめくと思います。あるいは保育所に預けて迎えにいかないということを繰り返す、というほうが分かりやすいでしょうか。そういうところから人生がスタートした人間がどういう風に育っていくのかは、少し想像力がある人には分かると思うのです。世間では年越し派遣村などが話題になっていますが、人生の最初から切られて、中卒あるいは高卒で放り出される(帰る家もない)施設出身者を何とかしようとする人は本当にまれです。
世の中にはもっと不幸な人がいる、という人は、ぜひ自分の知っている子供を施設に入れた上で言ってみてください。それも、できるだけ大きい施設に入れると、「名前はなく番号で呼ばれる」経験ができると思います。ちなみに、施設で育った子供が親になると、子供の育て方が分からず自分の子供を施設に入れてしまうというのは、「子育てを学んでいない」「家で育つ(育てる)経験がない」ということに由来する、動物的なものに原因があると聞いたことがあります。となると、施設を存続させるためには、養護施設に入ってくる児童は、できるだけ家庭的なものから遠ざけておけば、遠からずお客様を連れてくる、ということになります。本当に施設をなくしたいというのであれば、里親さんになるための勉強をされてみたらいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。
forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 09:43

保護者(親)になる立場の人間の教育や意識を変える事が必要だと思います。


予期せぬ妊娠なども、含まれると思います。
私が高校生の時の先生が「妊娠の重さとセックスの軽さ」について保健体育の時間に話されたのですが、私はその内容のおかげで避妊に対しての意識が変わりました。高校の先生をされているのでしたら、そういった事で十分だと思います。
話はそれますが、私は子供を持ってから「いつまで彼女らといられるか?」と思って育児をしています。それは、とても育児を任せられないであろう自己中な旦那のせいかも知れません。もし今自分が死んだら、父親にではなく児童養護施設で大きくなってほしいと思ってるんです。
女性だけでなく男性も育児に参加して、母親が孤独や不安を抱えないような世の中になれば、少しは減るのかな・・・?これは間接的なことですが、とても大きい問題だと思います。
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・

表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 09:47

ん~、たとえば、教師をやめて神父に転職されてみてはいかがでしょうか?



確かカトリックには、代親制度というものがあって、洗礼の際に日本では後見人ともいえる代親というものを置くのだと何かの本で読んだことがあります。

あまり詳しいことは知りませんが、不測の事態にも代親が力になってくれるらしいので、児童養護施設はなくならなくても、児童養護施設を必要としない子供の数は増えそうです。

また、カトリックは性に対するタブーも多いようですし敬虔なカトリックが増えるとあなたの理想の社会に少し近づくかもしれません。
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。
forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 09:52

30代♂です。



私もあなたと同じ思いです。
私は10年前から、児童養護施設へボランティア活動を
行っています。
子供達と遊んだり、掃除、修理など出来ることは何でもします。
小さな心で大きな傷を持ちながらも、懸命に生きています。
どんなに虐待されても、親を責めることなく悪いのは自分なんだ
と言い聞かせ、いつかまた一緒に暮らせることを夢見て、
毎日を生きているのです。
先日も、活動に行った時に、2歳と3歳の男の子の兄弟と6歳の
女の子が新たに入所していました。
何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供
を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが
心から出ます。
そして日本だけではなく、世界ではもっと悲惨な生活を強いられて
いる子供達がたくさんいるのです。
私は海外には行けないので、毎月小額のお金を支援して、援助活動
をしています。
これは一人に一人のチャイルドが付き、その子供と手紙のやり取り
をしたりと交流が出来ます。毎年成長記録が届き嬉しいものです。
世界では、多くの方が小額でも支援したり、ボランティア活動を
行っています。そうした小さな活動の一つ一つが積み重なり、
大きな力となってみんなで支えあっているのです。
実際問題、日本の子供達は普通にご飯が食べれて病院にも行けて
屋根のある家で生活して、着る服もちゃんとあります。
でも世界各地では、今日生きることも難しい子供達が命を
落としているのです。
ですから、こうした問題は世界レベルで考えなければいけません。
私の夢は、こうした活動を通じて一人でも多くの子供達が笑顔に
なれるように生涯を通して活動していくことです(^.^)
確かに人間一人では出来ることなど知れています。
でも世界中でそうした人達が一つになって力を合わせれば必ず解決
できるものだと信じています。
私の願いは、世界中の子供達が普通に生活できて、普通に勉強
できて、普通に医療にかかることのできる世界になることです。
そして、世界中の子供達が笑になれることです(^.^)
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この回答へのお礼

同じ思いを抱いて頂いている方の御回答頂きとても心強く思いました。

児童養護施設で生活をする子供達が決して不幸な子だとは思いません。
しかし、その現実は何の罪もない子供達にはあまりにも大きな荷物だと感じてならないのです。
「絶対的に愛してくれる、守ってくれる大人がいる」
こうした気持ちを子供達にあるかどうかは、どんなお金よりも財産になると思うのです。

子供を「社会の共有財産」と意義つけてくださる方がいる一方、

「他人任せ」「社会情勢分析・論評」「理想論」をあたかも当然の様に並べておられる方がいる・・・。
人それぞれの考え方はあるのでしょうが、こうした所にわざわざ書かれる事が、私には信じられません。

forever116さんが述べられていた、「何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。」
「この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。」
私も全くこの思いです。
目の前にいる子供達をなんとか幸せにしたい・・・。でもここで満たしてあげられる本当の愛情に限界を感じたとき、私は悔しくてたまらないのです。

自分に父親に殴られたことも、叱られたこともあります。
でも、こうした父親がいることが、私にとってはかけがえのない財産になっているのです。

>そして、世界中の子供達が笑になれることです(^.^)

私も頑張りたいと思います。
こうした境遇に置かれてしまった子供の内、1万人のうち1人でもいいから・・・。


追伸
本当であればお礼のポイントを差し上げたいところだったのですが、同じ立場の方と言うことで、個人的な思いとして、こうした子供達と関わっていないながらも、真剣に考えて頂いている方の中から付与させて頂きました。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/08 13:55

>どうしたらなくなるのでしょうか。


>自分一人からでも何か出来ることをしたい。

であれば、他の回答者の方の回答にもあるように、

 ■まず、自分の生徒に、子供の命の尊さ、育児の大変さ、すばらしさ、責任感の重要性を
  訴えて一人でも多くの子供たちに学んでもらう。

に尽きるんじゃないですか?

そして、教え子が子供を産むときに、ぜひ自分の言葉を思い出してね、とお願いする。
もしくは避妊方法をちゃんと教える。

教師を目指す教え子がいたら、いのちの教育を受け継いで欲しい、とお願いする。

同僚の教師たちと語り合い、いのちを尊ぶ学校を作っていく。

何もかもいきなり自分で大きく変えようと思うから葛藤してしまうのであって、
まず隣の一人を救おう、からはじめれば良いんじゃないですか?
それが、一人、二人、10人、100人と広がっていく。

それと、あなたご自信が、「いのちって何だ?」という哲学をさらに追求していくことだと
思います。生涯精進で。
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 09:53

No.9です。



回答のお礼 ありがとうございました。

飯田史彦さんの「生き甲斐の創造」という本を質問者様が
読んで見られたら如何でしょうか?

「人は何故、何のため生まれてきたのか」ということが書かれており
主に医療機関に務めておられる医師、看護士関係のかたに広まってるそうです。
福島大学教授の方で、この本はすでに数百万部読まれてるそうです。
これだけの数、読まれるということは、なにかしら心に響くものがあるからだと思います。

質問者様の抱えておられる問題は、もう、国の施設等の問題を通り超して「人は何の為に生きるのか?」といった宗教の問題に入るような気がいたします。
そういう根本問題は、経営学者である飯田教授の本が良いように思います。
なお、この方は宗教者ではありません。
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。
施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 09:59

非情な中で暮らしてる子供達と向かい合い、この現実に対して


無情をお感じのこととお察しいたします。

私の周りや親戚、友人、知人の中で養護施設で過ごさなければならないような子供達は存じませんが、、、、。

現実と向き合っておられる質問者さんのやるせないお気持ち、、、
大変なことと思います。

ただ、人間がいるかぎり 養護施設を必要とする子供の存在は
なくならないと思います。

昔、昔の頃も、養護施設こそありませんでしたが、「子殺し、子捨て」はあったと思います。
「間引き」と言って、望まぬ妊娠をし(現在ほど避妊の知識、道具もなかった)、産んでそのまま 畑の畦や川に捨てられた子供は多かったと
聞いています。生活も貧しく、育てることが出来なかったためです。

現在は それに比べたら国の施設等の充実も整っており、畑に捨てられたり、そのまま捨て子として放ってしまわれた頃に比べれば子供達の環境としては良くなってると思います。

質問者さんに、今後やって頂きたいことは、そのような厳しい環境におかれた子供達にも「生きる希望」を与えて頂きたいのです。
養護施設ですごさなければならないような自分達であっても、「生きる資格はある」「生きる価値はある」「素晴らしい人生」が待っていると
教えて頂きたいのです。

一見、親元でぬくぬくと育った子供は幸せだと思いますが、厳しい環境を乗り越えて生き抜く力を持つ事の出来る養護施設のお子さんは
その環境を生き抜くことで力を得ます。

どのような環境に置かれようとも、その環境をバネとして頑張れる力があるのだ!!と教えていただけないでしょうか?

人生 上を見ればキリがありません。
擁護施設のお子さん達であっても、体は健康な子も多いと思います。
今、いるその環境の中であっても喜べるものはあると思います。
目が見える、親がいなくても仲間がいる、自分達のことを気に掛けてくれる養護施設の先生がいる、雨露しのげる屋根のある施設がある、自分のベットがある、身につける衣服もある、、、、など、幸せなことは
数えれば多いと思うのです。

「他の恵まれた子と比較しない」ということが大事です。
比較するということは、もう、すでにその時点で「自分は不幸である」というように認めることになります。

どのような環境であろうと力強く生きることを教えて頂きたいと願います。
子供達が置かれてる環境は不平等ですが、将来に夢を持つことは皆平等です。

この回答への補足

御回答いただきありがとうございます。

>「生きる希望」を与えて頂きたいのです。
>養護施設ですごさなければならないような自分達であっても、「生きる資格はある」「生きる価値はある」「素晴らしい人生」が待っていると教えて頂きたいのです。

私も同じ思いです。
しかし、生きる資格や生きる価値を子供達にとくことはものすごく困難なことです。
なぜなら、自分が見る大人や周囲の子供達をみて、それを実感できる要素は皆無であるからです。
我々が希望を持てる社会であればそれもわかりますが、どうしてもそれを感じる要因が見あたりません。

>一見、親元でぬくぬくと育った子供は幸せだと思いますが、厳しい環境を乗り越えて生き抜く力を持つ事の出来る養護施設のお子さんは
その環境を生き抜くことで力を得ます。

それでは、児童養護施設出身の方が人間として幸せという考え方になってしまいます。辛いと感じている子供達に「君たちは恵まれている」という趣旨は心に響くとは思えないのですが・・・。

>どのような環境に置かれようとも、その環境をバネとして頑張れる力があるのだ!!と教えていただけないでしょうか?

環境をバネにして子供達は頑張っています。
頑張っている子供達に頑張れというのはあまりにも酷です・・。


子供達に何かをという考え方も大切なのはわかりますが、周りの大人が努力して環境を変える努力が必要だと考えています。

補足日時:2009/01/04 20:32
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確かに、親元で育つ事が出来ない子供さんというのは


寂しいし辛い思いをするものだと思います。
そのようなお子さんの「事情」がどういう理由によるものなのか
私は知らないのですが..。
もしご存じでしたら、その事情を減らす事が「親と暮らせない子供」を減らす方法になるのではないかしら?

例えば..望まない妊娠をして、捨て子をする親が多いなら「避妊」や「堕胎」という方法を考えるとか
(勿論、簡単にセックスする風潮も問題ですが..)
それ以外にも、子供を生んだ後で亡くなる親御さんも見えるでしょうし
子供の虐待事件で、児童相談所などの判断で親子を離す場合もあるでしょう。
親子が一緒に暮らし易い社会を作るとか、精神的にストレスを与えない社会を作るのも1つでしょう

極端な意見になるかもしれませんが
養子とか、里子という「子供を引き取る」という考え方が
社会に広がっても良いと思いますけどね
実の親と一緒には暮らせないけど、施設ではなく「里親」のもとで
家庭で育つというのも、ある意味幸せかなと思います
何故か「自分が生んだ子供でないと..」という風潮が社会には多いように感じますが..どうなんでしょうね?


因みに..ですが..ご質問者のタイトルを拝見すると
「児童養護施設は無くなった方が良い」という印象を与えるのですが
ご主旨は「どうすれば子供が親と一緒に暮らせるか?」ってことですよね?
この2つはちょっと印象が違うので、他の方の回答も
その変を指摘していらっしゃる気がします(^^;)
子供が親と暮らせる社会..望ましいですよね

この回答への補足

御回答頂きありがとうございます。

「児童養護施設はなくなった方がよい」という件についてですが、私の趣意としてはそうではないと言うことしかできません・・・。

ただ、需要と供給の観点から、「施設がなくなる=必要とする子供がいなくなる」と考えると、結果として同じような気がしますがいかがなものでしょうか。

言葉足らずで申し訳ありません。

補足日時:2009/01/04 20:44
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。
施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 10:01

看護師です。


0にすることは難しいと思いますが、減らすことはできると思います。

望まれて産まれた子でも親の病気、死亡等でやもなく施設へという子もいますが、望まない妊娠によって生まれた子のほうがより育児放棄につながりやすいのではと思うので、望まない妊娠を少しでも減らすことではないかと思います。

私は避妊の適切な指導、教育、堕胎についての知識の普及でかなりのぞまない妊娠を減らせると思います。


看護学校時代に授業で堕胎の実際の方法を知りとても恐ろしく思いました。堕胎する人はほとんどの人が知らないから選択できるんだと思いました。
逆に知っていれば、避妊への意識も高くなると思います。

また望まない子を妊娠したとき、堕胎できる期間というのがあります。
妊娠事体に気がつかず、それをすぎやもえず出産してしまう、そういうケースも多々あると思います。

高校の先生とのこと、是非男子、女子の両方の生徒に正しい避妊の方法の指導、&堕胎の実際を教えてあげてほしいです。


また医療がいくらすすんでも脳性小児麻痺、発達障害、先天性の重い疾患をもって生まれてくる子を0にはできません。
最初は親も頑張りますが、長年にわたると本当に心身ともに疲れます。
しかし今年から、出産事故で脳性まひ、補償3千万円 の無過失補償制度がスタートしました。
そういったハンデをかかえる子どもをもつ親への福祉、サポートの充実とうけられる福祉制度があることを多くの人に知らせることも大切だと思っています。
(どこの自治体も自分で聞きにいかないと受けられる福祉がわからないので、知らずに損?苦労している人もいるので。)

この回答への補足

御回答いただきありがとうございます。

適切な知識を身につけさせることは、周囲の大人の使命であるとも思います。それは自分の立場でも可能なことです。
肝に銘じておきます。

児童養護施設にお世話になる子供が0にならないことは理解できます。

しかし、本来周囲がサポートしなければならない経済的な事由による者などは、国は上手に利用できるように、周知されるよう配慮して欲しいと思います。

ありがとうございました。

補足日時:2009/01/04 19:13
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この回答へのお礼

自分なりに得た思いをお礼に代えさせていただきたく思います。

今回『夫婦・家族』のカテゴリで質問させて頂きました。家族の在り方という観点で、児童養護施設が不可欠であるという社会情勢について、必要とされなく時代はこないのか、それが質問に至った経緯です。
親により本来育まれるべき純朴な子供が、親の身勝手によって犠牲となっている社会。やむを得ない理由で児童養護施設を頼る事情もありますが、この問題は、garrrrrrrfさんが「子供は社会の共有財産」とおっしゃっているように、社会の大人が真剣に向き合っていかなければならない問題だと考えておりました。

しかし、予想はしていましたが、社会全体で解決していかなければならない問題と考えておられる方があまりにも少ないことに愕然と致しました。
こうした問題の解決には、「学校で子供達に」という言わば「他人任せ」の思想。社会情勢分析・論評に終始するもの、教師としての在り方を教授される方や、根本的に教師の資質に疑問を投げられる方、「理想論」であると一蹴される方。はたまた、転職を促される方。大変申し訳ない言い方ですが、こうした社会問題が一向に可決しない理由でないかとさえ思いました。

forever116さんが述べられていました。
>何も事情も理解できないまま、私の腕の中でスヤスヤと眠る子供を見るたび、激しい怒りと悲しみが襲います。
>この子には何の罪もないのに、どうして?こんな言葉ばかりが心から出ます。
施設の方の御尽力で健康に成長していますが、なんとしても満たされない思いを持つ施設の子供達は、突如それを満たすために人を困らせたり、暴れたり・・・
表現の仕方は人それぞれでも、周囲の大人ではどうしても満たしてあげることの出来ない問題が存在します。幼児や小学生に「生きる意味」や「宿命」を説いても理解できないからです。
その度に胸が締め付けられる思いです。

哲学的な話になると最初にもお断りしていたとおり、人の思想や信念が関わる問題で、他人がどうにか出来る問題では無いのはわかった上で、今自分の立場で考えていきたかった問題です。
立場や経験ではなく、真剣にこの点について考えていただいた方もいらっしゃいました。何をするか、何が出来るかではなく、真剣に考えを頂いたことは、涙の出るほど嬉しかったです。

多くの皆様に御回答頂き感謝いたします。

お礼日時:2009/01/08 11:11

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