親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

「二本差し」と言えば、武士を意味する言葉ですよね。
でもなぜ、刀と脇差の2本も腰に差しているのでしょうか?

そこでご質問なのですが、

1.いつ頃から、二本差しするようになったのですか?
2.二本差す理由はなんですか?
3.信長や秀吉が活躍した戦国時代で、実際の合戦場でも二本差ししていたのでしょうか?
4.武士なら誰でも、みんな二本差ししていたのでしょうか?

教えてください。よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

参考URLにあるように2本差すのは武士の象徴だったからです。


そして場面場面で2本差すか1本だけ差すかを分けていました。
城内では刀は入り口で預けて脇差しだけにしていますし。

それともう一つ、刀というのは時代劇にあるようにばっさばっさと人を連続では切れません。
地の利や人間の体の脂肪分ですぐに切れなくなります。
洗浄などでそうして切れなくなったり刀が折れたりしたときのために脇差しはあります。

参考URL:http://www.idj.ne.jp/~tahara/japanese/JITEN/kata …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼がおくれまして申し訳ありません。
脇差は、予備の刀って感じだったんですね!
教えていただいた、HP興味深く拝見させていただきました。
刀以外の部分もすごく面白かったです!

お礼日時:2003/03/07 03:35

理由だけ。


戦国時代.首を持ち帰っていくらの時代ですから.どうしても最後に首を切り落とさなければなりません。
ところが.日本の刀は.骨なんて切ろうものなら場感嘆に歯が欠けてしまいます。
それで.
相手を殴り倒すための棒としての刀
首を切り落とすための脇差し
の2本を用意した他のです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼がおくれまして申し訳ありません。
おおっ。。。首を落とすためですか!
予備、自害、もしかすると、脇差は多目的なのかもしれませんね。

お礼日時:2003/03/07 03:39

2.そもそも脇差は長刀と違った目的で携帯されていたと聞きました。


  う~ん、確か自害とかだったような・・・
  うろ覚えですいません。他の方のご意見も聞きたいですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。お礼がおくれまして申し訳ありません。
自害用ですか!。。。たしかに自害するには、長い刀より
脇差のほうが便利?!よさそうですよね。

お礼日時:2003/03/07 03:37

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Q何故?お侍さんは刀を2本持ってるのでしょうか?

タイトル通りですが
お侍って腰の所に2本の刀(長刀と短刀)を、持っていていたのでしょうか?

Aベストアンサー

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・安土桃山の頃になると集団戦が
中心となったために、太刀が廃れ、
より扱いやすい打刀が主流となり
打刀(大きい方)が実用の武器となったわけです。

ちなみに腰に足緒(あしお)で吊る太刀に対して、
帯にさして用いる長い刀を打刀(うちがたな)といいます。

豊臣秀吉の刀狩以降、新スタイルの刀剣、新刀が生産されるようになり
大小拵、同じ鞘塗装、絵巻で統一された打刀と脇差の二本を腰にさす
武士の作法がしだいに完成されます。
江戸時代には幕府の規定で大刀・ニ尺三寸、脇差一尺五~七寸と
定格化されて、時代劇でみるような感じになったわけです。

この頃になると実用性はほとんど失われたので
拵も形式的なものになり、刃も薄く軽くされるようになっていて、
幕末の頃は、古刀(新刀以前に製造された刀)を用いる
示現流の薩摩藩士などとの戦いでは、刀ごと折られて頭を割られたという
事例がでたほどでした。ちなみにですが。

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・...続きを読む

Q江戸時代の侍はどうして二本差しでしたか?

江戸時代の侍は刀を二本差していたようですが、
どうしてでしょうか?
武家諸法度などで決められていたのでしょうか?
平和なので、一本で十分と思うのですが。
また二本は重過ぎると思います。
(骨盤や背骨がゆがんでしまったそうです)

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

下のWIKIPEDIAに、次のように出ていました。

「江戸時代武家諸法度の第一次改正により、武士の正式な差料が大小二つの刀を差すようきめられ、大刀(だいとう)を本差、小刀(しょうとう)を脇差として装備することになった。」

これによれば、武家諸法度に定められていたということになります。

>一本で十分

おっしゃるとおりですが、武士以外の人間でも短い刀を持つことが許されていましたので、大小二本差しは武士の特権、象徴として必要だったかと思います。

>二本は重過ぎる

そういうことで、江戸も時代が下るにつれて、細くて軽い刀を持つ武士が増えたそうです。
それから、二本ざしはチャンとした身なりのときで、ちょっとした外出(散歩や川での釣りなど)では脇差だけだったようです(ここは時代小説の受け売り)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%87%E5%B7%AE

Q武士の

 江戸時代、貰っている禄高の大小により武士を区別する呼び名もしくは俗称(蔑称も含む)があったら教えて下さい。

Aベストアンサー

会津藩について詳しく解説したサイトがあります。
ここには、いろいろな階級制度がありますね。
100石を超えると「知行取り」と言って、上級武士のランクに入ってきます。
一般的には、上士・下士などとも言いますね。

参考URL:http://bakumatu.727.net/aidu/aidu-kiso-mibun-horoku.htm

Qなぜ「太刀」の帯刀方法を変えたのか

室町までの「太刀」の帯刀とそれ以降の帯刀で、刃の向きを逆にして、帯に差すようにしたのはなぜなんでしょうか。またもし、帯に差すほうが合理的であるなら、昔からそうしなかったのでしょうか。子供時代からの疑問です。

Aベストアンサー

打刀(刃を上にして腰にさす刀)は、「刺刀(さすが)又は腰刀」(いずれも短刀の一種)が進化して太刀と同様の長さになったものであり、いわゆる「太刀」とは出自が異なります。つまり、太刀と打刀とは別物なのです。

もともと、太刀は馬上合戦用に発展したものです。だから、馬上で抜き易いように太刀の柄は反りが深く、かつ片手で操作するために茎も短いのです。

しかし、室町以降、合戦は馬上戦から徒歩戦へ移行し、それに伴い、徒歩武者の乱戦用の武器であった刺刀や腰刀が刀身を伸ばし、応永年間(1394~1427)には太刀とほぼ同寸の打刀が造られたことが確認されています。

徒歩武者にとって、柄を握って腰をひねれば、太刀より速く前方に円運動で引き抜ける打刀は、乱戦に欠かせないものだったのです。

そして、室町末期から戦国時代にかけては、完全に打刀が徒歩武者の乱戦用の主要武器になりましたので、太刀の出番もなくなってしまいました。

こうして、太刀が、打刀にその地位を取って代わられたことにより、刀を差す「向き」が逆になってしまったのです。

なお、打刀が短刀でなくなったので、別にまた短刀が必要になりました。こうして作られたのが「脇差」です。

打刀(刃を上にして腰にさす刀)は、「刺刀(さすが)又は腰刀」(いずれも短刀の一種)が進化して太刀と同様の長さになったものであり、いわゆる「太刀」とは出自が異なります。つまり、太刀と打刀とは別物なのです。

もともと、太刀は馬上合戦用に発展したものです。だから、馬上で抜き易いように太刀の柄は反りが深く、かつ片手で操作するために茎も短いのです。

しかし、室町以降、合戦は馬上戦から徒歩戦へ移行し、それに伴い、徒歩武者の乱戦用の武器であった刺刀や腰刀が刀身を伸ばし、応永年間(139...続きを読む

Q江戸時代の侍は、普段何をしていたのでしょうか?

江戸時代は戦もほとんどなっかたと思うのですが、平和時に侍は日常何をしていたのでしょうか?行政や事務方の仕事を兼務していたのでしょうか?

Aベストアンサー

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれば遊べるかなくらいで、実際にはやる仕事が全然ないんですよね。
 一応、忙しい人がいないわけでもなく、御算用者という財務会計専門の役職は激務だったみたいです。
 理由は・・・そりゃあねぇ。お察しください。
 きっとストレスでバッタバッタ倒れたでしょうな。

 それに地方大名はやれることが限られてました。幕府がいろいろ禁止してますから。
 たとえばお城の石垣が傷んで直そうとしても、幕府の許可がないとやっちゃいけないんです。

 で、大部分のヒマな侍は何をしてるかと言えば「やることがない」のです。
 しょうがないから芝居見物、博打、酒盛り、釣り、生け花、俳句など、いかにヒマをつぶすかに一生懸命だったでしょうね。
 知行はあるけど、これだけ遊んでればお金も無くなります。
 だから武士の命のはずの刀を質に入れ、金を借りたりしてるのが普通なわけです。
 江戸に行けば生活費もかさみますので、ちょっとくらい手当をもらっても借金がふくれるばかりという人もいました。


 仕えていた藩を取りつぶされたりして、仕官先のない武士は「侍」とは言わず「浪人」と言います。
 今でも残っているこの言葉の通り「仕事も何もすることがない人」だったりします。つまりニートってこと。
 ホントに何もやらないと当然収入がないので、内職したりして日銭を稼いだりしてました。
 時代劇じゃ傘張りとか耳かきの製作とかやってますよね。

 そんなわけで士農工商とは言われてますが、武士も実際には商人に金を借りまくってたりして、あまり偉そうにはできなかったというのは有名な話。
 商人、職人、農民は何かヒット商品で成功すれば豪商や豪農のように成り上がれますが、武士にはそれがないのがつらいところ。
 経済的に豊かな武士というのはおらず、実質的に武士は江戸時代を通じて無職者集団に近かった、とさえ言われてます。

 参考になれば幸いです。

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれ...続きを読む

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q江戸時代の武士がもつ日本刀について。

うちには先祖が武士家系ということで 日本刀が何本か残されているのですが 時代劇に使われているような見事なものではなく とても質素なものです。 鞘にしろ鍔にしろ 簡素なもので 刀身も63,8センチ の無名刀です。 小柄とよばれる小刀もついていません。 そこでいくつか質問があります。

(1)やはり昔も 上級武士(位の高い)はそれなりにいいものを身に着けていて 持っている刀がその武士の 品格を表すようなものだったのでしょうか?

(2)また映画などではチンピラ風の町人も脇差しのようなものがありますが そういうチンピラ風のものでも高級な刀をもてたのでしょうか?とくに 「先生」と呼ばれた腕のたつ殺し屋みたいなのもでてきますが長いいい刀を持っているように見受けられます。。

(3)また武士に生まれた家系は 子供のときから刀を差していますが 体の成長により刀を自分の体格にあったものに常に変えていたのでしょうか? 

(4)時代劇のように あんなしょっちゅう刀を抜く機会って 武士でもチンピラでもあったんでしょうか?いまでいうピストルを相手に向けるようなものですよね お互いが刀を抜いた時点で 死を覚悟するようなものだと思いますが。 ドラマや時代劇では みね打ちとかいって どしどしやっつけていますけどあれでも実際やったら相当なダメージではないですか?  

以上わかることだけでも結構です。 お詳しい方どうかよろしくお願いいたします。

うちには先祖が武士家系ということで 日本刀が何本か残されているのですが 時代劇に使われているような見事なものではなく とても質素なものです。 鞘にしろ鍔にしろ 簡素なもので 刀身も63,8センチ の無名刀です。 小柄とよばれる小刀もついていません。 そこでいくつか質問があります。

(1)やはり昔も 上級武士(位の高い)はそれなりにいいものを身に着けていて 持っている刀がその武士の 品格を表すようなものだったのでしょうか?

(2)また映画などではチンピラ風の町人も脇差しのようなも...続きを読む

Aベストアンサー

(1) 江戸時代の中期頃から、幕府や各藩が厳しい贅沢禁止令が出していますから、特別な時以外には上級武士(大名も含む)でも目に見えて分かるような贅沢などしていません。

 まあ、裕福な武家の次男坊や三男坊(部屋住みとか言われる層)が、粋を気取ってやたらと凝った鞘を差していたようですが…。
 象嵌で絢爛豪華な鞘を作ったりとか…。

(3) 最初に子供に与えるのが、所謂「守り刀」と言われる30cm以下の刀で、藩の学問所とかに通う頃に脇差クラスの30cm以上の刀を差し、元服や出仕する様になると二本差しになると。

 なお、江戸時代の武士の骨格は刀を差していた関係で、左肩が極端に上がった形に成っていたとか…。
 (子供ではとても差せない…。)

(4) 江戸時代の武士は、たとえ町人相手でも刀を抜くような真似は滅多に有りません。

 もし、刀を抜いて相手を仕留められなければ、国家鎮護守・外敵制征圧を担う兵として不心得者であるとされ処罰されます。

 仮にちゃんと成敗しても、それが無礼打ちであった事をちゃんと証明(切った本人は必ず一定期間謹慎に成るので、家中の者が死に物狂いで、証人を探す)できなければ、やっぱり処罰されます。
 (証人が見つからなかった為に、処罰が下る前に切腹する者も多い。)

 そして、侮辱を受けても刀を抜かないでいる所を同輩などに見られると、臆病者であるとされやっぱり処罰されました…。

 なお、上記の事を知っていた町民の中には、粋を衒ったり、度胸試しのために故意に武士を挑発する物もいたとか…。

 と言う訳で、当時の武士は町へ行く時などは、共の者を連れて行き主人が屈辱を受ける様な場面に遭遇しないよう、体を張って庇う必要が有ったようです。

 また、他領の領民に対する危害行為は、たとえ正当防衛である切捨御免の結果であったとしても、その領民が属する封建領主への敵対的行為とされる恐れがあり、各藩は藩士に対して江戸領民に触れ合うような場所に行く事を可能な限り避けるよう厳命していました。

(1) 江戸時代の中期頃から、幕府や各藩が厳しい贅沢禁止令が出していますから、特別な時以外には上級武士(大名も含む)でも目に見えて分かるような贅沢などしていません。

 まあ、裕福な武家の次男坊や三男坊(部屋住みとか言われる層)が、粋を気取ってやたらと凝った鞘を差していたようですが…。
 象嵌で絢爛豪華な鞘を作ったりとか…。

(3) 最初に子供に与えるのが、所謂「守り刀」と言われる30cm以下の刀で、藩の学問所とかに通う頃に脇差クラスの30cm以上の刀を差し、元服や出仕する様になると二本差...続きを読む

Q実際の殺陣はどうだったんでしょうか?

よくテレビや映画などで侍や武士同士が刀を使って切りあってやる殺陣シーンがありますが、チャンバラといわれるようなあんな格好いい戦い方だったんでしょうか?僕だったら怖くて隙を見つけて突くと思います。実際、剣道の有段者と剣道をして籠手をして突きました。戦国時代から江戸時代まで侍同士の戦い方は実際はどんな刀さばきだったんでしょうか?また一人で何人も相手して勝てるものなんでしょうか?また、鎧を着た武士は切られずにいられたのでしょうか?あまりにも映像が想像できないのでよろしくお願いします。また、実際の侍の殺陣の映像ってありますか?

Aベストアンサー

実際の剣術とTVや映画での剣の動きはまったく違います。殺陣(西洋ではステージコンバットといいます)は常に観客の目(あるいはカメラ)を意識し動きを大きく、派手にします。たとえばシュワルツネッガーの「コナン」ですが大きな剣を大きく振りかぶり派手にうごかします。しかし、剣術ではそのような動きをすると相手に攻撃のタイミングが読まれてしまいます。私の師は「コナンは下手なケンジュツ、スグコロサレマース」といつもいいます。特に突きの場合、剣先は小さく動かすのが大切で、相手の体の幅から出てしまったら危険な状態です。
西洋では日本より接近戦が多かったようです。ばら戦争当時の戦死者をまとめて埋めた墓地が発掘されたとき、戦死者のほとんどがスパイクや斧状武器によるもので、平均4~5個の骨に達する傷がありました。
(内臓に達する傷は残っていないので確認できません)この時代は鎧が発達し多くの兵士も鎧を着ていました。これを見ると一撃で人はなかなか死なないようですね。ちなみに日本の場合、もっとも致命傷として多かったのは石であり、次に矢、そして槍でした。

鎧を着た相手には甲冑剣術というのがあり、西洋では剣を棒術のように使い足や腕に絡めたり、脇の下や股間を狙いました。特に後期のプレートアーマーは強靭でしたから、ターゲットはそこしかないので非常に特殊でユニークな剣術になりました。

実際の剣術とTVや映画での剣の動きはまったく違います。殺陣(西洋ではステージコンバットといいます)は常に観客の目(あるいはカメラ)を意識し動きを大きく、派手にします。たとえばシュワルツネッガーの「コナン」ですが大きな剣を大きく振りかぶり派手にうごかします。しかし、剣術ではそのような動きをすると相手に攻撃のタイミングが読まれてしまいます。私の師は「コナンは下手なケンジュツ、スグコロサレマース」といつもいいます。特に突きの場合、剣先は小さく動かすのが大切で、相手の体の幅から出て...続きを読む

Q日本刀は、人をたくさん斬ると、脂や刃こぼれで切れ味が落ちると聞きました

日本刀は、人をたくさん斬ると、脂や刃こぼれで切れ味が落ちると聞きました。
戦国の合戦場では、主武器が槍だったためそれで良かったとも聞いたのですが、では幕末の斬り合いなどはどうだったのでしょうか?
もし本当に大人数を斬って逃げたりしたら、その後はもうその日本刀は使えなくなったりしたのでしょうか?
時代劇などでは、数十人にかこまれてバッサバッサと斬り捨てて逃げたりしますが・・・
あれはテレビの中だけのことだったのでしょうか。
テレビ見てると、気になって仕方ありません・・(^^;)
どなたかご存知のかた、教えていただけますと幸いです。

Aベストアンサー

これはですね、良くある質問なんですが幾つかの状況が重なっていますので、切れる 切ると言うことをきちんと分けて考えないと難しい。
まず、戦場で戦っているときなのか?この場合は戦っている当人達の技術が絡んできます。極論を言えば一人で何人勝ち残れるかということになります。
また、この場合切る=殺傷なのか、骨まで断ち切るような一撃をいうのか、手首の血管を切り裂いただけでも切ると定義するのか判断に難しい。
あるいは生身の生き物(ヒトでも犬でもブタでも)を切った場合、日本刀の耐久力をいっているのか?で変わってきます。
前者であればこれは戦いの技術と日本刀の使い方は様々であり何人とは言えません。
後者で有ればテストカットなどである程度わかります。日本刀をつかったテストカットはわかりませんがこれらは西洋の剣です。西洋剣は日本刀よりも切れ味が悪いですがこれを見る限り2~3人で刃こぼれしたり脂肪で切れなくなると言うことはなさそうです。少なくとも充分に殺傷できる威力で切れています。ただし注意しなくてはならないのは、これらの肉は死肉であり生きている者よりも温度が低く脂肪は固まっています。血は抜いてあるので血のぬめり等の影響は受けていません
死んだ肉なので弛緩しています。ヒット時に体が緊張し筋肉が硬くなることはないです。私は脂肪より血のりが切れなくなる一番の原因と思います。切るという事は対象に摩擦によって食い込んで行くことですが血が付くことで血が潤滑油のような役割を果たし刃物が滑っていくためと考えています。とくに、動脈から吹き出る血は大量ですから切れ味は低下するでしょう。と、いうものの殺傷能力に達さないということはないと思います。
普通に考えて、戦場で刃こぼれしたり血糊ですぐに使えなくなるような「信頼の無い武器」など使えません。また、銃でも同じですよね。数発うてばジャムるような銃など使う気にもならないはずです。逆に言うと少々錆が出た程度で神経質なまでに手入れをしなくてはならないというのは太平の江戸時代に戦場剣術から刀がどれほど離れたか物語る良い証拠です。

それから日本刀は世界的に見ても非常に軽い刀剣で、間違えても「重い」と言うことは無いです。片手剣以下の重さを両手で持つのですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=BzDU1edRawc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=5_mCNoqqK0k&mode=related&search=sword%20bastard%20hand-and-a-half%20cutting%20testcutting%20test%20tameshigiri

http://www.youtube.com/watch?v=spA8DYqHF_4&mode=related&search=

電話帳一撃両断。
http://www.youtube.com/watch?v=Vfes9jAmNNI&feature=related

これはですね、良くある質問なんですが幾つかの状況が重なっていますので、切れる 切ると言うことをきちんと分けて考えないと難しい。
まず、戦場で戦っているときなのか?この場合は戦っている当人達の技術が絡んできます。極論を言えば一人で何人勝ち残れるかということになります。
また、この場合切る=殺傷なのか、骨まで断ち切るような一撃をいうのか、手首の血管を切り裂いただけでも切ると定義するのか判断に難しい。
あるいは生身の生き物(ヒトでも犬でもブタでも)を切った場合、日本刀の耐久力を...続きを読む


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