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あなたは何のためだったら、その命捧げられますか?

A 回答 (14件中1~10件)

普通に家族。


真剣に配偶者が手術をするパターンや息子がより深い学問の道を選んだら私が死んで退職金&保険金で何とかなりそうだと計算して昨晩、銃を持っていたら本当に逝っちゃってたかもしれません。

命の価値を軽く見るなという意見もあるでしょう、残されたものの気持ちを・・・という意見も理解できます。

しかし、家族の将来と私の命、秤にかけたら私は迷わず選択します。

怖いのも大いに事実ですが。
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この回答へのお礼

カッパさん、命と貴方の価値は同意ではありません。
貴方を必要とする人たちのためにも這いずっても生きるべきです。
愛するカッパさんへのメッセージです。

お礼日時:2009/03/27 03:09

こんばんは



命の炎を燃やす。言いかえれば【使命】であるのでしたら、使命を持てる喜びも含めて、今模索中です。人は自分の為に生きて、それだけで果たして幸せででしょうか? 身近な人を大切にする事、もし突然いなくなったらは如何しますか? 
【生きる為】に、命を捧げる事は出来ますよね。
僕は、独身ですので、実感がないですが、結婚して人の親になる事が出来れば、【家族は命】となるのでしょうね。
僕も【生きる】とは?を自問してみます。
有難うございました。 
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この回答へのお礼

こんばんは。
お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。

生まれて育って親を慕い。時として反抗する。
そして恋をし、やがて人の親になり、やっと親の心境が分かったりするものです。

自分のためにだけ生きる人生であったなら、空しいでしょうね。
私個人のお話をすれば、大まかな使命は掴んだつもりですが、
お恥ずかしながら、細部に渡っては構築できていないような有様です。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/04/02 22:40

お久しぶりです。


自分は「捧げる命」その瞬間にならないと解りません。

知り合いやお世話になった方々がこの世から去っていく時いつも思いました。
あっち側に行きたがっている自分が残って
こっち側に残りたい・残らければならない人が去っていくんだなァって
仕事のために命を捧げる気は毛頭有りません。
第二次世界大戦の時の様に「愛するもののため」って名目があれば
行ける様な気がします。(戦死された方に失礼ですね)
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この回答へのお礼

ご無沙汰しています。
そうですよね、その瞬間に心が変わる可能性もありますしね。

私も仕事に命を捧げる気など毛頭ありませんし、そもそもそんなタイプは日本から消えていったのかもしれません。
しかしながら、その仕事が世の中のためや人のために直結していたとすれば、捧げる人もいるでしょう。

私の父は戦中派なのですが、辛いことは話さなかったですね。
おならを燃やす奴がいたとか、面白かった話を時折口にするだけでした。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/03/29 22:22

捧げるも、何も、命など、さっさと終わって欲しい。


ただ、順番を抜かすのも失礼だけど。
どうせ、その内、無駄に終わるのだから、誰かに捧げるというような大義名分が立つのなら、誰の為でも構わない。
もちろん、犬死にでも構わないが、どうせなら、何かに捧げた方がマシかな?その程度のこと。
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この回答へのお礼

つい先日、私の一番近い兄が上三人をすっ飛ばして逝ってしましました。一ヶ月近くも発見されない孤独死でした。

仕事場で兄の名前の着信メッセージを聞くと、姉からのその知らせでした。
順序は守って欲しいですね。
母のために買ったお線香を、まだ五十代の兄のために使うとは思ってもみませんでした。
つまらぬ話になりました。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/03/29 22:09

まさか。


何のためにも、この命を捧げられません。
冗談じゃない。
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この回答へのお礼

その通りですね。
しかし、あなたも分かる時が来る。
そう思います。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 23:13

>その命捧げられますか・・・・・



自分にだけ授かったこの自分の命、一体誰に捧げられるのでしょうか。
自分の命が尽きるまで、しっかりと守っていきます。
前に似たような質問が立ちました。
孫を助けると答えました。
その孫の命が危ない、自分の命と交換出来るとなれば、躊躇なく交換してもらうでしょう。
しかし、此れは捧げるのではなく、孫のために自分の命を全うするだけです。
捧げたとなると、助かった孫は何と思うでしょう。
一生心に残るでしょう。
そんな負担はかけたくは無いですね。

自分の命を全うできるのは家族であり、その中でも孫が一番でしょう。
其れはごく自然な行為と思っています。
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この回答へのお礼

捧げるを、職務のごとく全うすると仰るのもまた凄みがあります。

戦時中、まさに死地に向かう万歳突撃の時、天皇陛下万歳と口にしたというのはよく語られることですが、
実のところは、お母さんだったりしたようです。

人は生まれてきて生きる。
そこにはやはり、自分が一番大事という気持ちがある。
しかしながら、長く生きるとそうでもなくなる。
そんな時、人は何のために命を使うのか、これは興味の対象です。

命を捧げるのではなく、全うする。
大変参考になる、刮目すべきご意見でした。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 23:12

 何で それも一つしか持たない 命を誰にささげるのか?


と言えば、生贄、生死をかけた戦い、奴隷、やくざのでいり。正当防衛。

 現実は 生きる為にに仕方なく選択する最終手段としか思えない。又誰かに強制されている状態でなければ「命を捧げる」と言う事はうつ状態でもなければありえない。自殺しか想像できない。

 その上で、危険を冒してでも戦うときと言うのなら、自らの尊厳を奪われ、犠牲を強要される危険に遭遇したとき?  かな。
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この回答へのお礼

捧げるというより、微妙に奪われるイメージの言葉が並びましたね。
終身雇用の昔だったら会社に命を捧げる猛烈社員も多かったでしょう。

人は何かを守るために、戦うという最終判断を下す時が来るのかもしれませんね。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/03/27 23:09

チャールトンヘストンの映画「大地震」の「ラストシーン」が、ものすごく印象に残っています。



自分も危険で、死ぬかもしれないが、助けに行かないと「妻」が死んでしまうという設定。
すぐそばには、彼の愛人がいた。

「危険を承知で、妻を助けに行くか」「愛人と逃げてしまうか」・・・「究極の選択」を迫られた彼は、結局・・・
妻を助けに行き、妻と共に絶命した・・・。

【私の命を捧げられる人は、この世でただ一人】・・・妻しかいない。
彼女の代わりにならなれる。
私が死ぬことで、彼女が生きて、喜びを得られるのなら・・・
喜んで、死を選ぼうと思います。
もう、50年も「この世を楽しんだ」のだから、悔いはありません。

そして、自分が万一、脳死状態になったら、臓器提供をする意思があることを、登録しておきました。
妻の負担を減らすために、このことは「お互いに確認しあっています」
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この回答へのお礼

残念ながら映画は見ていませんが、まさに究極の選択ですね。
これからよりも、これまでを大事にしたということなのでしょう。
二人で築いた歴史というものは何物にも代え難いものですしね。
奥様と断言なさるところは凄みすら感じます。

臓器提供は他のご回答者様からも頂きました。
それを納得し、確認し合うというのも凄いと思います。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/03/27 21:52

脳死や植物状態、事故で助からなくなったら必要としている人に臓器移植などをしてほしい。


そのようになったら少しでも役に立ちたいです。
そうすれば心の中や、臓器移植された人の中で僕は生き続ける気がするから…
上記のような条件がなければ「愛する人のため」ですかね?
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この回答へのお礼

命を捧げる方法としては、臓器移植もありますね。
ご家族が納得されれば、一番いい最期なのかもしれません。
あなたのような方が増えれば、この世ももっと棲みやすくなるでしょう。

やはり、愛する人のためですよね。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/03/27 21:46

お早うございます



私のひとつしかない大切な大切な命、とても気に入っている私という命、別段美人薄命にも縁がなさそうで、だからまだ半分ぐらいは残っているはずの命のローソクの長さ、誰にだって、何にだって、捧げる気はありません、もったいないから・・・・。
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この回答へのお礼

もったいない。
それはもっともなご意見ですよね。

私のろうそくも大分ちびって来ました。
風に気をつけなければなりません。

ご回答を頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/03/27 21:41

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