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こんにちは、

以前ここで、質問した時に、イエスは、

『モーセの律法の下での信仰から脱皮し 元のアブラハムの信仰を回復し さらに 真理を指し示した』 質問番号4758947より

というご回答を頂いたのですが、

このご回答を裏付けする聖句等をご存知の方教えていただけますか?

よろしくお願い致します。

A 回答 (6件)

 こんにちは。



 ヘブル書を いま問い求められている 裏づけのための聖句にしうるかどうか 議論はあろうかと思いますが そこに引用されたエレミヤ書の聖句を 証拠としてください。
 
 ▲ (ヘブル書8:7-13)~~~~~~~~~~~~~~~~~
 もし、あの最初の契約(* むろん モーセの)が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

   「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
    新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。

   「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、
    エジプトの地から導き出した日に、
    彼らと結んだ契約のようなものではない。
    彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、
    わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。

   「それらの日の後、わたしが
    イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。

   「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
    彼らの心にそれを書きつけよう。
    わたしは彼らの神となり、
    彼らはわたしの民となる。
    彼らはそれぞれ自分の同胞に、
    それぞれ自分の兄弟に、
    『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。
    小さな者から大きな者に至るまで
    彼らはすべて、わたしを知るようになり、
    わたしは、彼らの不義を赦し、
    もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」
     (エレミア書 31:31-34)

 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 こうして いわば律法本位が あらたにされるとき むろん そこに現われる信仰は アブラハムのものです。たとえば こうです。
 ▲ (ローマ書4:9-12) ~~~~~~~~~~~~~~~~
 実は すでに述べたように 

   アブラハムは信仰によって正しい人と見なされた。
   (cf.創世記15:6)

 のです。では どのようにしてそう見なされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。それとも 割礼を受ける前でしょうか。割礼を受けてからではなく 割礼以前のことなのです。
 かれは 割礼を受ける前に信仰によって正しい者とされた証しとして 割礼のしるしを受けたのです。
 こうしてかれは 割礼のないままに信じるすべての人の父となって かれらも正しい者と見なされるのです。さらにまた 割礼を受けた者の父 すなわち 単に割礼を受けているだけでなく わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人びとの父ともなったのです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 新約聖書のすべてが 直接・間接に 証言していると思われますが どうでしょう?
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この回答へのお礼

こんにちは、HN変えたんですね!ご回答ありがとうございます。

う~ん、パウロさんの言葉だったのですか。イエスじゃないんですね。

変わった考え方だと思うのですが、、、そういえば、パウロは、他にもレビ人の制度に関しても「人間が決めたもの。」として、モーセが神から授かった律法として、捕らえていませんよね。

それでは、現在のキリスト教徒の間ではアブラハムの信仰を実行している事になるのでしょうか?

アブラハムといえば、有名なものに、イサクの生贄がありますが、そういえばあんなものに、本当に神様は満足したのでしょうかね?

本当は「息子を生贄にするような神様に従って天国に行くよりも、逆らって地獄に行ったほうがましだ!」って言って欲しかったのかも?

神様が人を試す話は、他の神話にもありますが、インドの神話では、似たような話で、「冗談じゃない!!! そんな事するくらいなら地獄に送ってくれ!」と叫んだ事により、神様から、

「お前は偉い、神の栄誉よりも、自分で考えて正しい道を選んだ。」と言われ天国に行った人の話があります。

閑話休題。

また、アブラハムは自分の妻をファラオに妻として召抱えさした事もありますよね? 自分が生きる為に。

また、多妻もしてますよね?

パウロは、『行いによってではなくて、信仰によって義とされる方法』を説いていますが、、、、。

そもそも、アブラハムは善人なのでしょうか?

ダビデ同様、単にイエスの先祖という以外になんの特徴もないような???


また、アブラハムの信仰を実行すると、なんとなく、某非正統派キリスト教原理主義者の様に、多妻制、十分の一献金(アブラハムがメルキゼデクに払ったように)、等をする様になるのでしょうか?

それとも、『行いは関係ない! 信仰のみ。』ということでしょうか?

改めてご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/07 15:53

こんにちは



創世記22章13節

アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに
一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行って
その雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす捧げ物としてささげた。


これがあとで、新約聖書において
イエスの処刑と復活になるのでないかと

それにしても、なぜあの人々は、
罵倒され死刑執行された罪人が復活した。
などといったのでしょう。


結局、マグダラのマリアだけだった。
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この回答へのお礼

こんにちは!

<創世記22章13節>

この事件は有名なので、知っています。

<これがあとで、新約聖書において
イエスの処刑と復活になるのでないかと>

その他、ヨナが魚の中にいた期間が3日(現代の数え方と違うけど)なのも、復活までの期間と関係しているようです。

<結局、マグダラのマリアだけだった。>

聖書内で、復活後のイエスを見たのは、その他にも数人の弟子がいる筈です。

ただ、、、結局の所、一番不思議なのは、、、、ある程度善人である人が聖書に登場するのはわかるのですが、、何故アブラハム、、、ユダ、、、ダビデ、、、ソロモン、、、等等の普通もしくはそれ以下の人達に、、、、長々とページを割かれているんでしょうね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/09 15:57

 No.4&1です。



 イエスの語ったことばを重要視されているようですね。
 《わたしは アブラハムより前から いた》と言うのですから たしかに わたしの用いた表現は 適切さに欠けるところがあるかも知れませんね。また モーセないしその律法が 問題になっているでしょうか?

 今回は 一点のみ 触れてみます。どうでしょう。ちょっと 謎解きのような見方です。
 キリストなる神としてのイエスは モーセに 次のように語っています。
 ▲ (出エジプト記33:20-23) ~~~~~~~~~~~~
   ――・・・
     あなたは私の顔を見て 生きることは出来ないであろう。
     なぜなら 人間は誰も私の顔を見て 生きることはないからで
    ある。

 また主は言われる。
   ――見よ 私の傍らにひとつの場所がある。
     私の威厳がそこを通り過ぎるやいなや 
     あなたは岩の上に立つであろう。

     私はあなたを岩の頂上に置こう。
     私が通り過ぎるまで 私の手であなたを蔽うであろう。
     私が手を除けるとき あなたは私の背面を見るであろう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうして 時は 飛んで 弟子たちに こう言いました。

 ▲ (マタイ16:18) お前はペテロ つまり《岩》である。この岩の上にわたしの教会を建てる。

 ☆ こじつけ――つまり 故事つけ――です。イエスは ふつうの人間ですから 神の子であり神であるというキリストが 《神の背面》であることになるようです。
 これはけっきょく 聖霊の時代であることを示唆しているでしょう。去れば――去って 背面として 確定したときには―― この聖霊を送ると言っているのですから。どうでしょう。
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この回答へのお礼

こんにちは、再再度のご回答ありがとうございます。

<イエスの語ったことばを重要視されているようですね。>

はい、イエスが「アブラハムの信仰を回復する」と言った表現を聞いた事が無かったので、、、もしかしたら一般信者の間で常識なのかも知れませんが、、、、、、何処でそんな事言ったのかな? と思ったのです。

<これはけっきょく 聖霊の時代であることを示唆しているでしょう。>

聖書には、色々な比喩があり、、、人それぞれ色々な解釈をしているので、なんとも言い切れませんが、、、、また、

『聖霊という用語自体は、聖書において曖昧な表現と説明しかなされいないため、』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%9C%8A

回答者様がどのような理解をしているのか存じませんが、

「アブラハムの信仰を回復する」の件に関しては、パウロの言葉からの推察だという事は了解しました。

改めて、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/09 15:45

 No.1です。

bragelonne と申すようになりました。

 細かいことがらは イエス以後の信仰にとって 要らないというのが 基本だと受け取っています。
 じつは 《細かいことがら》と言うよりは もうすでに キリストのキの字も言わないで済む信仰(=非経験思考としてのこころの明け もしくは 伸び)が 成り立っている。こういう立ち場です。いっさい 何にも 要らないという意味です。

 エレミヤ書 あるいは パウロの《文字は殺し 霊は生かす》あるいは 聖霊の時代といったところが わづかに 根拠でしょうか。
 ただし けっきょくは 霊というのは 無根拠ということですから 聖霊の時代というのは まさに 何も要らないということになると受け取っています。
 イエスよりもおおきな仕事をおこなうようになる。それも じっさいには キリスト・イエスが 土台になってはいますが もう 触れなくてもよいということになっているという捉え方です。
 〔聖書なり研究書が なくなるわけではなく じっさいには 参照されるということも 実際です〕。

 ○ イエスはアブラハムの信仰を回復した。
 ☆ というのは 律法本位ではなくなるという意味もあるでしょうし 実際に アブラハムが 信仰の歴史的に実質のはじめのひとだったという意味もあるはづです。
 《行けと言われたから 行った》 このような――ただし あくまで 一人の人間の主観内面での意志行為ですよ――信仰の形式は 《血筋によらず 肉の意志によらず 人間の意志にもよらず 神つまり無根拠によって生まれる》という形式につながるという意味です。
 集団として信仰を共有するという想定もしくは幻想 つまり 宗教は いっさい 関係ありません。旧約の時代に 民族を社会の単位体として 行動し生活していたときには この宗教が 伴なわれていたと言わなければなりませんが イエスからは いっさい 消えたという受け取りです。ですから 主観内面におさまったという意味も あります。

 アブラハムの表に現われた物語は それとしての人生であり 問題提起を含むような物語です。
 要は 霊による(つまり 無根拠による 各自の内面における)バプテスマ という形式が なお 有効であるという意味で アブラハムの信仰が復活したと採ります。その他の生活上の事件などなどは いっさい この特定の人間の特定の生活なり人生なりの問題です。わたしたちに いまの主題においては いっさい かかわりません。
 ★ それとも、『行いは関係ない! 信仰のみ。』ということでしょうか?
 ☆ ですね。

 あとは 教会に関しましては 規則や行事などなどについて 一般のひとと同じ程度にしか知らないと言ったほうがよいと思います。水による洗礼は 受けていません。
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この回答へのお礼

こんにちは、再度ご回答ありがとうございます。

洗礼は受けていなかったんですか!

<細かいことがらは イエス以後の信仰にとって 要らないというのが 基本だと受け取っています。>

私もあんまり詳しくはないのですが、

聖書によっては、イエスの言葉だけ赤字にしたものもあり、(弟子パウロ等の言葉にイエスの言葉程価値がないとする見方)

アドバンテスト教会などに至っては、日曜日を安息日にしたのは弟子が勝手にしたことであって、イエスの支持によるのではない!と言って、ユダヤ教の伝統のままに、土曜日を安息日にしています。

モーセの律法も、部分的に廃止されたのか、それとも全て廃止されたのか分からないという見解を取っています。

事実アドバンテスト教会の知り合いは、豚肉も甲殻類等も食べない人もいます。

なので、私はアブラハムの信仰の回復という言葉は初耳だったのですが、、、、私自身、、、素人なので、、、、「え?そうだったの?」と思ったのですが、、、一般的にキリスト教的にどうアブラハムの信仰について受け止められているのかは、一般信者の方に聞かないと、、私たち信者じゃない人間には、やっぱり分からないですね。

結局イエス自身は一言も、「モーセの律法を廃す。」とは言っていない訳ですから。

改めて、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/08 12:50

kigurumiです。




>タイプミス発見!!! ワーイ、ワーイ、、、。(←子供か?)

ん?
「に」を「の」と打ったり、誤字、脱字多いあたしですが、今回指摘の箇所見ても、どこがタイプミスなのかわからない。

もしかして<イエス>って単語?

だとしたら、、、
日本語の聖書は紛らわしいんですよ。

日本語の聖書では旧約聖書の中で、大虐殺をした人の名前をヨシュアって表記している。


ヌンの子ホサナは、モーセによってヨシュアって名前になった。

ちなみに太陽の子ラーはヌン(いわゆる海ですね)から自らの意志で生まれたってなってる。


イエスは、イエシュアが元の発音に違いらしい。
だからヨシュアもイエシュアって発音ってことですね。


ホーーサーーーーナーー  ってイエスがエルサレムに入城するとき、人々が歌ったでしょ?
そしてヨシュア記のヨシュアのように、ローマ兵と戦って皆殺しにして欲しい(もしくは追い出して欲しい)って期待したでしょ?
だって、ヨシュアの神に救われる前の名前はホサナだから。


だから ヨシュアと同じことをやってくれるという期待が人々にあったから、イエスがエルサレムに入る時、ホサナって歌ったわけでしょ?


ホサナ、神よ救い給え。
ヨシュア=イエス 神は救いたもう。


>、、、、って、今回は話がずれておりませぬか?

ん?そうですか?
神の命令に従うって言った人の名前、列挙したのですが、ズレています?

神が殺せと命令したら、必ず殺す ってくらい神への忠実な信仰心について、サイトの文章を引用して示したのですが、、、

これがアブラハムの信仰でしょ?

>少なくとも、イエスは自由奔放に、そして沢山掟破りをして自分の信じる正義感に従って生きた感じがします。

律法破った?
私の記憶では一つも破って無いと思うのですが。

「こんなもん くそっくらえだ」とほとんどの律法を否定し、信者に律法を否定させたのは、キリスト教の創設者パウロ。
イエスじゃない。

律法を作ったものが、自ら「間違いでした 訂正しまーす」じゃ 信用度ガタ堕ちじゃないですか。
作者はそんな神を愚弄するようなことしてないですよ。

この回答への補足

こんにちは、

そんな誤解はしていないと思うのですが、

『kigurumiさんともあろう方が、タイプミスしたのかな~?』と思ったので、大げさに、騒いだんですよ、、、。 他意はないです。

失礼しました。

補足日時:2009/04/09 15:08
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この回答へのお礼

こんにちは、いつもご回答ありがとうございます。

>もしかして<イエス>って単語?

すいません、ヘブライ語式に表記したとは思いませんでした。

それにしても、ホセア、ヨシュア、イエスがヘブライ語では同じとは、、不思議ですね!

<神が殺せと命令したら、必ず殺す ってくらい神への忠実な信仰心について、サイトの文章を引用して示したのですが、、、

これがアブラハムの信仰でしょ?>

それは仰る通りなのですが、イエスはそんなもの回復しようとしたのかな? それを裏付ける聖句をご存知でしたら、教えてくださいという質問だったので、、、。

<律法破った?
私の記憶では一つも破って無いと思うのですが。>

安息日に働いたり、手を洗わなかったり、弟子たちに断食させなかったり、、、、。

まあ、確かにパウロに比べたらですが、、、、。

<律法を作ったものが、自ら「間違いでした 訂正しまーす」じゃ 信用度ガタ堕ちじゃないですか。>

そんな事言われたって、本当に神様と人間が通信して決めたわけじゃないんだから、、、。

<作者はそんな神を愚弄するようなことしてないですよ。>

おそらく、作者(?)は、律法の解釈においてその当時の律法学者達とは、相当違った解釈をしていたと思います。

また、手洗いの儀式については、相当無意味と思っていた様に感じられます。

、、、また律法自体、、、たまに変わっていませんか?

アダムとイヴはエデンの園でベジタリアンでしたし、、、。

初めに肉食が許されたのは、ノアの時代だったと思います。

永遠不変の律法なんて、、、人間が創造した神様が作る事は不可能のようです。

、、、ところで、前回は失礼な表現があったようで失礼しました。

またよろしくお願い致します。

お礼日時:2009/04/08 09:38

うーーん。



イエス:主よ、わたしの霊を御手にゆだねます

ダビデ:主よ、わたしの霊を御手にゆだねます

http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/baiburu …
『「アブラハムの信仰」は、神を絶対的に信仰し、神にすべて身をまかせますという信仰なのです。
「主よ!煮るなり、食うなり、お好きにして下さい!」なんです。それからどんな命令でも従いますっていう誓約です。
どんな恐ろしいことでも神の命令ならやっちゃうわけです。
イスラム教の「イスラーム」はこの絶対帰依いう意味なんです。
絶対帰依しますと、人を殺せと言われれば、当然殺すのです。
麻原の弟子もテレビのインタビューで堂々と言ってましたね。尊師の命令ならやりますって。』


ってことでイエスも神の命令に忠実になり、エリコの住民 (女子供も含む)を残らず殺し、土地を奪ったって聖書に書いてあります。

パレスチナってペリシテ人の土地って意味。

あの土地をめぐって未だに争っていますね・・・。

エリコに住んでいたのはペリシテ人???
それともペリシテ人の前? 後?

ちなみにペリシテ人とユダヤ人は祖は同じ。
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この回答へのお礼

こんにちは、いつもお世話になります。

確かに、アブラハムは、宗教依存症という状態にあったように感じます。

しかし、イエスの行動を見る限りでは、アブラハムとは全く違いますよね。

少なくとも、イエスは自由奔放に、そして沢山掟破りをして自分の信じる正義感に従って生きた感じがします。(それらが全て正しかったかどうかは別問題として。)



<ってことでイエスも神の命令に忠実になり、エリコの住民 (女子供も含む)を残らず殺し、土地を奪ったって聖書に書いてあります。>

タイプミス発見!!! ワーイ、ワーイ、、、。(←子供か?)

皆殺しをしたのは、、、、、、、、(いわずもがななので省略します。)

<あの土地をめぐって未だに争っていますね・・・。>

困ったものですね。

<ちなみにペリシテ人とユダヤ人は祖は同じ。>

聖書の伝承が正しいとなると、そうなりますね。

、、、、って、今回は話がずれておりませぬか?

神話フェチの自分には、あんまりアブラハムの信仰の回復なんて、、、、「え? そうだったの? 」というくらい驚きなんですが、本当にイエスはしたんでしょうかね?

改めてご回答ありがとうございます。 またよろしくお願いします。

お礼日時:2009/04/07 16:11

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