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第一次大戦と第二次大戦の大きな違いと二次大戦が一次大戦より市民の犠牲者が増えた原因を教えてください。

A 回答 (3件)

産業革命を終えて近代化した列強はこぞって植民地の獲得に乗り出しました。

この獲得競争に乗り遅れれば、みすみす他の近代国家がさらに国力を増強させるのを見逃してしまうことになるからです。それよりも早いうちに未開の地(国)を植民地にして、自国の利益にしておいた方が得だからということもあります。

一刻苦も早く植民地を獲得しないと、国力差が開いてしまいます。しかし、実際に海外に植民地を求めて進出するには国内の近代化が終えていなくてはなりません。したがって、近代化が遅れた国家は植民地獲得に乗り遅れ、それによって、すでに植民地を得ている国よりどうしても劣ってしまいます。

第1次世界大戦はすでに「植民地を持っている」国と、「今は持っていないけどこれから持ちたい」国との衝突が直接の原因です。ドイツも、イタリアも、そして日本も、近代化に遅れをとってしまいました。これらの国々が国内の近代化をようやくまとめあげて海外へ植民地獲得に乗り出さねばならない時、すでに世界の植民地はイギリス、フランス、などの大国にほとんどすべて取られてしまった後だったのです。この状況では、(1)このまま国力差がつくのを待つか、(2)それとも危険を承知の上で力に任せて英、仏などの大国から植民地を強奪するか、の選択しかできません。(1)の場合、最終的に中国のように、なんだかんだ理由をつけてアヘン戦争のような一方的な戦争になってしまいます。もちろん、この場合、戦争を仕掛けられる方は植民地が取れていないわけですから戦争して大国に勝てる経済的、軍事的余裕はありません。(2)の場合、やはり大国の軍事力にはかなわないかもしれませんが、植民地をとれる可能性があります。ドイツは(2)を選択しました。ドイツのウィルヘルム2世(だったと思いますが)に宰相ビスマルクが、このまま植民地を求め続ければ、これを容認しない他の列強と軍事衝突になると警告したという話もあります。


こういった背景もあって、どうしてもこれらの大国に対等な条件で植民地を獲得することを容認させるために戦争に勝たねばならなかったドイツだったのです。負ければどうなるのかといえば、それらの国々の植民地に成り下がります。植民地にされた国々は家畜か奴隷並の扱いしか受けられず、彼らの民族の主張など聞いてもくれないような状況にあるのをドイツは知っていました。戦っても、戦わなくても死ぬような状況なら、戦って活路を見出す方にかけたのです。ですから、国家全体が死ぬ気で働き、兵器を作り、最新の武器を開発しました。大国側もそれに対抗する生産量と科学力で対抗しようとするのでおびただしい犠牲が出てしまったのだと思います。
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第一次世界大戦と第二次世界大戦の大きな違いについて、


僕の知っている範囲で、主に背景を中心に簡単にまとめてみます。
簡単と入っても、結構な量ですが・・・。

ⅰ、背景
 背景についてですが、第一次世界大戦はどちらかというと、帝国主義の争い  の帰結だといえると思います。それに対し、第二次世界大戦は、
ヴェルサイユ体制の不完全さが露呈した結果、発生したものだと思います。

ⅱ、第一次世界大戦の「帝国主義」について
 植民地のないドイツ、イタリア、日本などの「持てない国」が植民地を求めて国外に進出しました。すると、イギリスやフランスなど、広大な植民地を持つ「もてる国」と対立するようになります。
植民地争いを始めると、世界のどこかで小競り合いが発生しますよね??
また、ドイツ帝国のヴィルヘルム二世が「植民地を取らなければ自国がやられてしまう!」
という意識の下、他国との摩擦なんか関係なく国外に植民地を求めていったのが特徴的です。
ヴィルヘルム二世は、当時の最新兵器である海軍を増強しましたね?
これは、帝国主義の現れです。
そして、三国協商と三国同盟の対立があらわになってきます。
 これにロシアのバルカン半島における権益も加わり、ボスニアでフェルディナンド二世がセルビアの青年に暗殺され、
第一次世界大戦が発生したわけです。

ⅲ、第二次世界大戦の背景
 第二次世界大戦は、第一次世界大戦後の国際体制の失敗から発生しています。
ヴェルサイユ体制は「勝者の平和」とも呼ばれます。ヴェルサイユ体制で「民族自決」を叫びつつ、
敗戦国には適用されなかったのです。
また、ドイツには世界中の金を集めても払いきれないほどの損害賠償の支払いも命令されました。
そして、国際連盟が設置されましたが、これは軍隊を持たず、国際的に行動をするにも全会一致が必要でしたので、即効性に欠きます。
つまり、怪しげな行動をとる国があっても、すぐにはどうすることも出来ないのです。
一言で言うと、ヴェルサイユ体制は新たな国際協調体制であっても、
「ウィーン体制」を引きずる形で伝統的に大国だった国に有利な国際体制であったのです。
 そして、世界恐慌が発生します。すると、もともと植民地を持っていた国(イギリスやフランスなど)は、
ブロック体制で植民地との間の輸出入品については関税をかけず、
それ以外の国との通商には高関税をかけるという形で、これを乗り切ろうとします。
一方、イタリアやドイツはヴェルサイユ条約の結果、すべての植民地を放棄させられていますので、
ブロックを組むことも何も出来ず、世界恐慌には太刀打ちできません。
そこで登場したのが、ヒトラーやムッソリーニです。
ファシズム体制は伝統的な大国と対立したので、
第二次世界大戦が発生したのです。
 余談ですが、戦後にGATTが自由貿易を徹底的に主張したのは、こういった背景があるのです。
現在では、FTA合意によって、一部にのみブロックを組むことが可能になっていますが、それが認められる要件は非常に厳しいものがあります。
これも、第二次世界大戦の反省に基づくものです。

ⅱ市民の犠牲者が増えた理由
 まず考えられるのが無差別殺人兵器が登場したからです。
 例えば、爆撃機。これは、ドイツが始めて、スペインのゲルニカを爆撃機で無差別爆撃したといわれています。
このように、第二次世界大戦中には、様々な兵器が登場しました。飛行機一つをとっても、性能は飛躍的によくなっています。
 そして、市民も巻きこまれたというのも特徴的です。この時に同時進行で行われた太平洋戦争の例では、沖縄戦が有名だと思います。
 「総力戦」と呼ばれますから、国民全員が戦争に動員されます。兵隊でない者は、工場でネジを作ったり、鉄砲を作ったりさせられます。
こうなっては、市民も戦争に巻き込まれていきますよね??
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大きな違いは、戦場が全世界に広がったことでしょうね。



第一次大戦は主戦場はヨーロッパのみ(他の地域での戦いは小さなものに過ぎなかった)でしたが、
第二次大戦ではヨーロッパ、ロシア、北アフリカ、アジア、
太平洋、大西洋と、地球上の多くの地域で激しい戦闘が行われています。
比較的平穏だったのは、南北両アメリカ大陸の陸上ぐらいのものでしょう。

市民の犠牲者が増えたのは、先にあげたように戦闘地域が広域化したことに加え、
大量殺戮兵器が進歩したことも大きいでしょう。
戦車、航空機、潜水艦、原子爆弾など、第一次大戦では存在しなかったか、
わずかにその萌芽が見られた程度の兵器が、第二次大戦では主要兵器と
なっています。それらが相手国の軍事力のみならず、工業力や経済力と
いった戦略拠点への攻撃にも向けられましたから、必然的に民間人が
巻き込まれていくこととなったのです。
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