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洋の東西を問わず、近代になるまで、宗教から離れた作品と言うのはほとんどありませんよね。
日本で言えば、例外は物語り絵巻くらいで、古代中世はほとんど仏教美術といってもいいのではないでしょうか。
近代になってはじめて多様なジャンルの作品が生まれます。
これはなぜなのでしょうか?

A 回答 (5件)

「洋の東西を問わず、近代になるまで、宗教から離れた作品と言うのはほとんどありませんよね。


日本で言えば、例外は物語り絵巻くらいで、古代中世はほとんど仏教美術といってもいいのではないでしょうか。」

そんなことはありません。
物語絵巻は膨大にあり例外ではありません。
他にも彫刻や絵画に宗教と無関係な物が
普通に膨大にあります。
西洋でも同じです。
あなたが知らないだけですよ。
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この回答へのお礼

そんなに膨大ですか。救いがありますね。

お礼日時:2009/05/05 09:12

ま、沢山あるから調べてね。



宗教関係
 お布施や貢物などで沢山のお金が集まります、そのお金を使って画家に描かせた、だから宗教に関する絵が多いんです(^_^;

とくにヨーロッパはそれが顕著です。

日本の水墨画とか浮世絵なんかは宗教関係無いです。
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この回答へのお礼

金の出所がやはり宗教関係からということなのでしょうかね。

お礼日時:2009/05/05 09:12

美術に金を出してくれるのが、宗教画と肖像画だけなんです。


そして肖像画も繁栄を示すための作品なので、不老長寿の宗教画になりやすい。

美術にお金を払う人は、他人に見せる為であり、成功している人は頭の良さをアピールする。
本棚に難しい立派な本を並べ、ハードカバーは新刊を買うのに、漫画はブックオフでも構わなくて、エロ本は隠すのと一緒です。

娯楽の絵は価値がなく画家が食べられないのです。そのうえ後生に残らない。
七人の侍や風と共に去りぬはいつでも買えて、昔のピンク映画を見るのが非常に難しいように、クラッシック音楽は後世まで名を残すのに、ポップ歌手は流行で廃れます。
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この回答へのお礼

金の出所がそこでしたか。中世って言うのは本当に宗教に牛耳られたのですね。おっしゃるとおり、普通の絵は描かれていても存在価値的に残らないのかもしれません。

お礼日時:2009/05/05 09:11

銅版(エッチング)は、布教のために使われた部分も


あるかなぁ?と思っています。

職人って感じで 誰がスポンサー?依頼主?で
テーマや作品が決まるんじゃないかなぁ?
昔「宮廷画家」とかもあったじゃない?

ダダのあたりかなぁ?(もう忘れちゃってる)
固定観念的なこと壊して自分の表現をはじめる。
これもやっぱり 誰がスポンサー?ってことで
需要と供給と思う。

その時代で受入れられない奇抜なアートでも
例えば成金さんが「面白い!」ってお金を出せば作れちゃう。
でも、それが美術史的に残るかどうかは、また別なんだけどね。

中途半端な回答で ごめんなさい。
美術史のどのあたり?とか時代背景など
気になるアーティストあたりから調べていくと わかりやすいかも。
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この回答へのお礼

やはり、社会的背景というのが重要なようですね。パトロンが誰であるのか。需要はどうなのか。そういう背景のところで方向性が決まる運命らしいですね。

お礼日時:2009/05/05 09:10

おそらく、ほかの回答者様から「仏教画以外もある」と言われてしまうのは、質問者様の概念に「古代、中世、近代」という流れがあるからではないでしょうか。


中世と近代の間には近世(日本で言うところの江戸時代に当たります)が入ります。
たしかに質問者様がおっしゃるように、中世まで、日本絵画、いえ、日本美術のメインは仏教美術でした。それもそのはず、芸術家とはパトロンなしにはあり得ず、(それは現代も変わりません。絵が売れない画家など、プロの画家ではありませんから)特に中世において、末法思想の流布した日本国内ではパトロンたり得る高貴な身分の方々はこぞって仏教に帰依し、往生を遂げるために豪奢な寺院を建造し、また寺院への寄進を献身的に行いましたから。
美術というものが庶民に開放されたのが、近世であり、仏教というものが幕府という組織に完全に組み込まれ、それこそ親鸞や一遍のような市井を練り歩く高僧が極めて希になった時代において、美術に対するパトロンの意識が変化しています。
近世における代表的な絵画はいわゆる屏風絵、奈良絵本、浮世絵、文人による掛け軸の数々…でしょうか。殆どが宗教とまったく無縁なものであり、宗教的であっても、その理解は極めて希であるのは、中世までと違い、「芸術家がすなわち僧侶ではない、寺院関係者ではない」ことに由来するかと思います。
それまでは多くの芸術家が寺院に囲われて、寺社のために仕事をしてきた人間だったのです。それが、町人となると話が違いますよね。
絵画の購入者も大きく変化します。まず、公家は力を殆ど失いますから、パトロンとしての力はとても弱い。かわって武家はと言うと、たしかに高僧への帰依に寺院への寄進は目立つものの、幕藩財政が緊迫して以降はそれもかなり勢いが弱まります。
近世のはじめから終わりまで一貫して強い経済力を維持できたのが町人層(町人とは、庶民とは異なるのでご注意ください)ですが、彼らが好んだものについては、当時流行った浮世草子や読本のたぐいをごらんになればおわかりになると思います。さらに、俳諧。狂歌。漢詩。
近世というのは町人層にまで文化が開放され(一番注目に値する、と学会で言われているのが「古典の開放」です)、一部の人のためにしかなかった芸術が俄然不特定多数の人間に流布した時期でした。
もちろん、この間にも仏教は盛んに取り上げられますが、ここで仏教関連者が金稼ぎのためにとった行動は美術品の製造ではなく、自らの持つ「秘仏」の出開帳でした。そちらの方が断然、手っ取り早く、そしてローリスクハイリターンでお金が手にはいるからです。

このような土台をふまえた上で、明治維新後にいわゆる「廃仏毀釈」という日本美術史の汚点とも言うべき大事件が起きます。この事件が日本美術を西洋美術に頼らねばやっていけないような、脆弱なものに変わってしまったのは言うまでもないでしょう。

私は日本のことしかよく存じませんが、海外でも、美術において「タペストリ」というものがあります。以前パリの中世美術館でたくさんの豪華なタペストリを見ましたが、宗教的だとはあまり感じませんでした。

いずれにせよ、人間は身近なモティーフを求めるものです。宗教画が多いと質問者様が素朴に感じられる理由には、第一に、それだけ中世までの世界が宗教によって覆われていたことをしめしているのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やはり、パトロン的な推移というのが大きいのですね。中世までは、それほど宗教に覆われた時代、芸術も牛耳られていたという歴史のせいなのでしょうね。

お礼日時:2009/05/05 09:09

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