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デカルトを代表するものといえば・・・
何ですか?一番理解しやすいものを教えてください。

高校の卒論でデカルトについて書きたいのですが高校生でも書けるでしょうか?

参考文献も教えて頂けると幸いです。

よろしくお願いします。

ちなみに「省察」 という本はどうなのでしょうか?

A 回答 (3件)

 近ごろは高校でも卒論を書く時代になったんですね。


 僕も高校生のときに読みましたが、初めて手に取ったのは岩波文庫の『方法序説』でした(現在の版ではありませんが)。ツツジが咲いている頃に読んだからか、今でもその本を手にすると、どうもツツジがちらつきます。ただ、読後感として残ったのは、書かれていることの意味はわかったのですが、感動はあまり無かったという事でしょうか。
 僕にとってはツツジの思い出の方が強く、だからかどうか、何が災いしてデカルトはこんな事を考えるようになってしまったのだろうか――という印象を強く持ちました。そんな事を考えるゆとりが、当時の僕の生活のなかには無かったからですが、それでも毎年のようにツツジが咲く頃になるとデカルトを思い出すようになりました。

 ツツジがあまりにありふれた花で、季節を迎えるとどこを見回しても目に入ってきたからかもしれません。やがてデカルトの伝記を少し読む中で、イサーク・ベークマンという人物について知るようになりました。デカルトは学位論文を取るまで、彼と親しく手紙を交換していたからですが、覚えたての英語で辞書を引きつつ読んでみると、若かりし頃のデカルトについて少しだけわかったような気になりました。
 とても博学で、「何でも知っている」という形容がぴったりなベークマンは、言わばデカルトの先生のようなものでしたが、その博学さに対して、デカルトはその「博学さの素」のようなものに興味を持ち始めるんですね。

 今時のクイズ、あるいはトリビアで言うなら、種のようなものでしょうか。
 ひょっとしたら博学にも種があるんじゃないか? 若きデカルトはそんな事を思ったようです。僕はこのくだりがとても好きで、「種探し」ってすごく面白く感じました。すっかりベークマンの虜になった僕は、ゆっくりとですが、ベークマンの日記を読むようになりました。日記は未だに日本語の翻訳はありませんが、代わりにネットで見ることができるようになりました。本でしたら、英語のものがあります。

 ともかく、デカルトは種探しが好きだった。その気質が、後に炉部屋の思索へと繋がります。『省察』も良いですが、誰も彼もが炉部屋の話題ばかりを言うので、ヘソ曲がりな僕はそんなんじゃなく、もっと若い頃のデカルトに関心を持ったのかもしれません。
 どうでしょうねぇ、高校生だってできるんじゃないでしょうか。
 挑戦してみても、よろしいんじゃないでしょうか。少しくらい背伸びして、もしも僕が若かったら、きっとベークマンの日記を通じて、少年デカルトについて何か書いてみようと思ったかもしれません。あまりに知られ過ぎているがゆえに、存外見落とされているデカルトの一面をうまく切り取れるかもしれませんよ。
 先生に相談してみて、助けを借りれば、きっとうまくゆくんじゃないでしょうか。

 イサーク・ベークマンの日記
 ・http://www.xs4all.nl/~adcs/beeckman/index.html
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一般的情報を得るには、下に挙げたURLが役に立ちます。

ただし、卒論を書くのですから、丸写しせず、どこかにテーマを絞り、良く咀嚼して自分の言葉で表現できるようになって下さい。また、少なくともデカルトの『方法序説』は読んでおいて下さい。

高校生でも、独自な卒論を書くことができます。私はアメリカに住んでいますが、アメリカのある高校生が私の忠告に従ってデカルトに関して書き、高校の先生に提出した論文(もちろん英語で)が、こちらの大学の哲学科の博士課程のゼミで紹介された経験が在ります。

デカルトを理解するのに重要であるにもかかわらず、以外に論じられていないのが、デカルトの『方法序説』で述べられた「我思う、故に我あり」という命題が、モンテーニュの『随想録(エセー)』の懐疑論に対する一つの解答として提出されたと言う側面です。懐疑とは疑うことです。モンテーニュは懐疑論を徹底的に押し進め、人間の行為や論理を徹底的に疑い、どんなに説得力のある主張でも、常にその反対の主張も同じ様に説得力のある形で提示できることを、これでもかこれでもかと例示してみせました。その結果、彼は,懐疑論の極限では「思考の停止」にならざるを得ないと結論しました。それを彼は「我、何をか知る」という言葉に凝縮しました。「私は何も知らない」と言ってしまうと、モンテーニュはそれが間違っていることを論証してみせますし、「私は何かを知っている」と言っても、それが間違っていることも論証してしまうからです。

このモンテーニュの哲学界における挑戦に対して、デカルトが「我思う、故に我あり」と言う解答を提出して、懐疑論は必ずしも思考停止に導かないことを示したわけです。そこでデカルトの懐疑論を「建設的懐疑論」と言うことも出来ます。ですから、デカルトに関する卒論を書く時にモンテーニュの『エセー』(岩波文庫)を読んでおき、それに付いて触れてみることをお勧めします。この本は、滅茶苦茶に面白い本なので、読んでいても飽きないと思います。結局全部を読み切れると思いますが、その中でも岩波文庫版の(第三巻)第12章、特に123頁以降からこの章の終わりまでは読む必要があります。

もう一つ、デカルトの通常の解説書にはまず書いていない側面を紹介しましょう。デカルトは人間を理解するのに「理性」と「合理性」をその中心に据えました。何故、そのように世界を捉えようとしたのでしょうか。デカルトはカソリックとプロテスタントが互いに血を血で洗う戦いをしていた時代に生きた人です。それまでは、バチカンの下に、西洋人は、何が正しく何が間違っているかを分かっているつもりでした。しかし、この宗教戦争で何が何だか分からなくなってしまったのです。そこで、デカルトはキリスト教の権威に頼るのではなくて、何か全く別の根拠でこの世界の認識を組み立て直す必要を感じたのです。そして、彼の場合、その根拠として「理性」による「合理性」に基づいて世界の再構築を試みたのです。その結果、彼は、全てのものが判然と与えられている決定論的な世界、明晰で判明可能な世界、永遠不変な世界、すなわち「在る世界」という認識に到達しました。

同じような思考の表出は、第一次世界大戦と第二次世界大戦という悲劇の中をユダヤ人として生きたアインシュタインにもあります。彼も、この世界の認識を、ドロドロとした下界ではなく、あたかも汚れの無い高山に逃避するかのような、崇高で決定論的な世界(あるいは宇宙)という概念の構築に全精力を注ぎました。

面白いことに、西洋の宗教改革が起こる数百年も前に、日本で源平の血で血を洗う悲劇の後に起こった鎌倉時代の仏教の大改革時代には、決定論的世界観とは正反対の、諸行無常の世界、非決定論的な世界、変化する世界、すなわち「成る世界」という認識に到達しました。

このように、全く同じ原因でありながら、互いに正反対の結果を導く現象は、現代物理学でいう非線形現象に特徴的な現象です。現在ではこの現象を「分岐の理論」という数学的な論理で理解出来るようになっております。

デカルトの明晰判明性の概念の出現と、源平後の日本人の無常の概念の出現というこの二つの世界観の分岐は、現代物理学が到達した分岐の理論の一つの典型的な具体例であると考えられます。

このことに関しては、
『複雑さへの関心』、複雑系叢書7の中の、「複雑系と時間の矢-決定論的世界観を対岸に見てー」山越富夫ペトロスキー著、共立出版
の序に紹介してあるのを私は読みました。

そこで、デカルトを語るとき、モンテーニュ、決定論的世界観、その反対の諸行無常に凝縮された非決定論的世界観などに触れて論じると、上で紹介したアメリカの高校生のように、ユニークな卒論が書けると思いますよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/ルネ・デカルト
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なんでデカルトなんですか?



哲学の題材なら池田晶子さんあたりが読みやすいですよ。

この回答への補足

興味を持ったからです。

補足日時:2009/05/06 20:16
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