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ヒトラーはデンマークやノルウェーには「侵攻」しましたが、スウェーデンには多くの本が触れていません。
スウェーデンとヒトラー・ドイツの関係はどんな様子だったのでしょうか。教えてください。

A 回答 (3件)

大戦中ドイツは、スウェーデンからの鉄鉱石をほぼ独占することが


できました。
大戦前のスウェーデン鉄鉱石産出量は、同時期の世界全体産出量の
10%以上あり、しかも良質なものでした。
1944年には、鉄鉱石のドイツへの輸出量は最大になっています。
ハンガリーやルーマニアの石油と並んで、スウェーデンの鉄鉱石は
ドイツが戦争を継続するうえで必要不可欠なものでした。

それほど重要な資源なら、ドイツはスウェーデンを占領して安定した
供給を図ればいいのでは?という考えは当時のドイツにもありましたが
スウェーデンは、それを避けるために
・鉄鉱石はドイツの要求する量をできるだけ供給する。
・木材や木材製品、ボールベアリング等の機械部品も供給する。
・国内のドイツ兵の移送を黙認する。
等をドイツに約束しています。
ドイツも1940年以降、拡大する戦線維持のためもあってスウェーデン
占領を具体化することはありませんでした。

そもそもドイツとスウェーデンは歴史的に見て関係の深い国です。
近世にはスウェーデンはドイツに激しく政治介入していた経緯もありま
したが第一次大戦後、ドイツの戦車開発能力を英仏からの追求から
逃れさせるために技術者ごとスウェーデンに移しています。
1928年には、ドイツとスウェーデン共同の戦車生産会社を設立して
ますし、同時期にドイツの高級軍人がスウェーデンに渡って戦車開発
や演習に参加しています。
ヒトラーが登場する以前からドイツとスウェーデンは陰の部分で
つながっていました。
工業を振興させたいスウェーデンと対ソという利害が一致していた
ことも要因です。

それに加え、ゲーリングの妻は(反共、タカ派の)スウェーデン貴族
の妹だったこともあり、スウェーデン内部にはナチスに共感する人間
も少なからず存在していたことも事実です。

しかし、開戦後はドイツに隷属化したため、スウェーデン内部にも
嫌ドイツ感情が高まり
英米とも関係悪化を恐れましたが、周囲をドイツに囲まれている以上
その要求をはねつけることは不可能でした。
ドイツの敗色が強まる1943年以降、ようやくスウェーデンもちらちらと
要求に拒絶するようになりますが、鉄鉱石の輸出量は伸びるなど
その関係は最後まで複雑なものだったと思われます。
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基本的にはスウェーデンは「中立、というかとにかく独立だけを守ることに必死だった」


対するドイツ側は「侵攻にそれほどの価値が見いだせなかった」「独ソ協定で、スウェーデンの独立は合意していた」
それに幾ばくかの幸運が重なり、結果としてスウェーデンの独立は保たれた。

 スウェーデンがやったことと言えば
・ノルウェー見殺し。侵攻の口実になりかねないということで、援助は言うに及ばず、王室関係者の亡命すらも拒絶した。
・ドイツ軍の領内移動を許可。最初は物資移動や「帰休兵」(これも充分に怪しい代物であったが)だけだったが、最終的にごり押しされて、武装兵の移動すら許さざるを得なくなる。これは本当は完全に中立違反。
・著しい対独偏重の貿易。鉄鉱石などの鉱物資源やベアリングと言った工業産品を輸出。輸入も70%は枢軸依存。特に石炭・石油の依存度は高かった。鉄鉱石は3500万トンが提供され、ベアリングは生産数の半分がドイツに売られた(連合国側にもドイツの半分ぐらいを密輸という形で輸出されている。特に対英密輸は漁船に扮した密輸船を海軍が護衛する程度には認証されていた)。
・東部戦線北部の航空機に対する軍飛行場の提供(もう完全にアウト)
・反ナチ言論の取り締まり
あたりが露骨な対独融和政策。

 ドイツ側は「鉄鋼を売らなくなったら(或いは通過を拒んだら)即占領じゃゴルァ」と恫喝。これに対しては「やってみやがれ、そうなったら焦土戦じゃフォルァ」と応じていた。
 一方で、占領はされなかったので、国防力強化などは可能であり、実際に戦闘機の制作などが行われた。

 この間、スウェーデンはひたすら追従することでとにかく交戦国になることだけはさけることができた。ドイツは何一つ失わず(侵攻はもとより、占領地の維持にも結構兵力が吸い取られるが、脅すだけなら出血はない)に相当の便宜を受けていた。
 もっとも、永遠にこのままでは行くまい、と考えた参謀本部が侵攻作戦「北極狐作戦」を立案。これは総兵力20万を以て南部スウェーデンを占領、資源・交通を確保するねらいがあった。

 そんなこんなをしているウチに、43年に到達。このころからドイツは急激に負けが込み出し、スウェーデンをどうこうするなんてことはできなくなってしまった。20万も兵力があったら東に送れ!ということで、占領作戦は立ち消え。
 余裕が出てきた(軍の充実もある)スウェーデンは、こんどは急激に連合国側にすり寄る姿勢を見せることとなる。

 具体的には、フィンランドの転向を受けての兵力移動の禁止などで、44年末には対独通商を打ち切っている。これも中立原則からは逸脱気味。
 連合国側に対しては他にもそれ以前から
・ノルウェーパルチザンの育成。1万人規模で、警察部隊という事になっていたが。また“聖域”の提供も行っていた
・情報提供。殊にビスマルク出撃を婉曲に通報したり、着弾したV2の破片を英国に渡したり
・不時着飛行士の秘密送還(本当は抑留しなくてはならない)
などを行っているが、不信感は相当なモノで、米によるベアリング工場「誤爆」も発生した。

大戦を通じて、中立国らしいことは
・侵入航空機の抑留。これはスイスでもやっていたが、連合国・枢軸国双方に対して実施していた。機体はガメていた。
・難民の救護
などを行っている

一応最終盤に連合国からの参戦要請(領域内のドイツ軍掃討)をうけたが、これは断っている。

 この中立政策は「とにかく欧州に中立国があったので何かと便利だった」という評価がある一方で「国際法違反」「スジが通せないなら参戦した方がまし」という批判もある。
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 スウェーデンは、一次・二次大戦も中立を維持して独立を守り通しました。

その理由として考えられるのは、キルナやエリバレで産出する鉄鉱石は重要資源であるものの、冬季はボスニア湾が凍結して輸送できないこと。針葉樹林に覆われた広大な国土を平定することが困難なことなどが挙げられるかと思います。そこでドイツはむしろナルビク港をもつノルウェーの方が軍事価値があると判断し侵攻したのでした。さらにノルウェーにはクヴィスリング率いるファシスト勢力がおり占領後の傀儡政権にするあてがあったからでした。いっぽうフィンランドの場合はソ連の侵略に抵抗するために親ドイツの立場をとりました。デンマーク人もドイツ側に立っており多数の義勇兵がドイツ軍に加わりました。北欧に限らず各国にいたファシスト勢力をドイツはうまく侵略に利用したことは長谷川公昭『ファシスト群像』(中公新書)に詳しく書かれていますし、非常に読みやすくまとまった好著なので是非お勧めします。

 幸運なことにスウェーデンにはそういう勢力がなく、覇権主義を放棄して以来、むしろ福祉や中立思想が根付いていたことと、軍事的価値に乏しいことがヒトラーが介入するきっかけを与えなかったということがいえるでしょう。ただし、海上封鎖により国民生活が逼迫し、とくにコーヒーの欠乏に苦しんだといいます。しかし、戦後はいち早く国際連合に参加し、二代事務総長に、外交官だったハマーショルドが選出され、長きにわたって国際紛争の解決に努めたことは有名です。

この回答への補足

 早速のご回答ありがとうございます。ノルウェー、フィンランド、デンマークとの違いはよくわかりました。

 鉄についてです。日本の場合は、基本的にないから満州へと出て行くことを「生命線」などと称したので、なんとなくそうするものだと考えてしまっているのかもしれません。
 しかし、ヒトラーは、スウェーデンの鉄を「侵略」でなくても手にすることができた、もしくは、スウェーデンの鉄を必要としなかった、のでしょうか。

補足日時:2009/05/17 23:45
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