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テレビのニュースでも実生活でも自分の権利が侵害、或いは権利に見合う便益を得ていないと憤慨している人をよく見ますが、これはつまるところ、自分が弱い人間であることのアピールであり、権利を与えてくれる物、例えば政府、法律、道徳観、神・・・に対する服従を意味するのでしょうか。もしそうなら権利を主張することは自由を失うことを意味しますか。

A 回答 (11件中11~11件)

「権利に見合う便益を得ていないと憤慨している人をよく見ます」


国家や地方政府は国民に平等な権利を担保しているだけのことで、便益を保証しているわけではない。ということを何か勘違いしているだけですね。
明治憲法発布は、憲法のはっぴという意味で「はっぴ」がもらえると勘違いした人がたくさんいたそうですが今日でもたくさんいますね。
権利というと何か勝ち取るものだというように捉える団体も存在しますから、むべもないことかと思います。
資本家と労働者、お上と下々などの固定的階層は日本においては言葉しか実際は存在しないものですね。
例えば、大手企業の社長が知り合いのお兄さんだったり、区長が隣の叔父さんだったりしますものね。
それでも、勘違いでなく「権利に見合う便益を得ていないと憤慨している。」のが事実であれば、自らが精神的に固定的階層世界にいるのでしょうから憲法に保証された自由の意味ではなく、いまだに「憲法はっぴ」の封建世界(服従者の世界)に住んでいるということは正しい見方なのでしょうね。
みんな同じ人間の姿をしているとはいえ、その心はいろいろありますからね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もっと長い首輪がほしいと言っているのかもしれませんね。

お礼日時:2009/05/19 18:39

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