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私は日本の仏教史について調べていて疑問に思うことがありました。それは、著名な日本の仏教家の多くが法華経をどの経典よりも重要視してきたことです。
天台宗の教祖最澄、日蓮宗の教祖日蓮はもちろん、聖徳太子、道元、白隠なども法華経を最高の経典としています。
また、民間信仰でも法華経信仰が浸透していて、法華経の塔が各地にたてられていると聞きます。
近代の知識人にも影響を与え、有名なところでは、宮沢賢治、石原莞爾、北一輝、高山樗牛らがいます。
朝鮮では華厳経の影響が強いようですが、日本では華厳経の影響はあまり強くありません。
なぜ、日本ではこれほど法華経が愛され続けてきたのでしょうか。法華経には日本文化と共鳴する部分があるのでしょうか。
皆さんのご意見をお待ちしています。

A 回答 (8件)

ある先生が言っておられましたが、法華経は論理よりイメージの世界の広がりが大きく、左脳の「ロゴス脳」よりも右脳の「パトス脳」での理解に向いているお経だそうで・・・


中国人や韓国人などの大脳は、欧米人と同じように左脳の働きが強いそうですが、イメージや情念を司る右脳型の日本人には、法華経は打って付けだったそうです。
因みに、同じ法華経を読みながら、中国人である天台智顫は、左脳を駆使して精緻な論理を構築しましが、そうしたロジカルな天台の教義は日本ではあまり花咲かず、法華経のイメージ的な部分から様々な宗派が生まれました。
日本人は七面倒臭い論理よりも、直感や情感が好きなんですね。
宮沢賢治の世界は、まさに論理を越えた情感と直感そのものですよね。

法華経って、絵画的で文学的ですよね。
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この回答へのお礼

法華経は論理より直観に訴える、そういわれると、日本で流行した理由が非常に納得できます。
あの幻想世界が日本人の感性にぴったりだったのですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/01 07:25

仏教史を研鑽されているのであれば、仏教の大綱をある程度ご存知かと思われますが、釈迦は本来、その真意である法華経のみを説くつもりであったのが、説き始めたら、その当時の人々の機根、つまり、その仏説を受け入れるための理解能力が劣っていたため、すぐにその本意、真意を説くことを止め、あたかも幼子に物事を教えるように例えや方便等を種々に多用して、順々と仏法の何たるかを教えていって法華経を理解できるレベルまで人々を化導して行き、最後に法華経を説いたのです。

 
 
それでそれまでに説いたものが時系列的に華厳経や阿含経、大日経、阿弥陀経、般若経等々と様々な教経となって数多く残ったのですが、所詮、それらは法華経に導き、理解させるために説かれた一時的な仮りの教えでしかなく、それらを依り所としても何の実利実益もなく、それどころかかえって法華経をないがしろにする悪しき行為となり、実害実損を被ることとなるので、このことを知った仏教家たちは、当然、釈迦の本意であり、その極説である法華経を人生の依拠依託としたのは極めて自然な振る舞いかと思われます。つまり、本来なら仏教といえば、法華経のみを指して言うのであって、それ以外はすべて仏教に値しないということです。
 
ですから、知識人と呼ばれる賢明な人間であれば、いろいろ取捨選択して必然的に法華経へとたどり着いたかと思われます。

大体、日本では聖徳太子以来、仏教は日本に根付き貴族から大衆まで幅広く広まって、接する機会が多かったことから、探究心旺盛な人によっては釈迦の真意は一体どこにあるのか、という単純な思いから玉石混交の中から珠玉の法華経を拾い出し、その卓越性を公言して止まない知識人が多かったのも事実かと思われます。

結局、仏教の真意というか、それによって幸不幸が左右されるのであれば、一旦、その法華経のすばらしさが解れば、誰だって賛嘆して止まないはずです。ですから、日本文化というよりは、真実を見出す者にとっては内外を問わず、法華経は共鳴に値するものと位置づけられるかと思われます。
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#4のdulatourです。


mmkyさん、有難う御座います。
私の舌足らずの部分を補足していただきまして・・・・
私の論理的な部分の補足を補っていただきました。

法華経って、あの広大なイメージ世界に圧倒されてしますのですよね。
論理ではなく、なぜ良いかとも言えず、惹かれてします。
私は根っからの日本人なのかも知れません。

推理小説が好きな人とファンタジー小説が好きな人は、相容れません。
私は、その中間を行く畠中恵sんが好きです。ちょっと関係ないかな (^^ゞ
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>なぜ、日本ではこれほど法華経が愛され続けてきたのでしょうか。

法華経には日本文化と共鳴する部分があるのでしょうか。

悪者は排除しないと社会が成り立たない。
日本は島国だから排除できないので、
「みんな一緒に上手くやっていこう。」
とする、法華一乗精神がウケた。

と、あるお坊さんが仰ってました。

>朝鮮では華厳経の影響が強いようですが、日本では華厳経の影響はあまり強くありません。

天台大師は華厳思想で法華思想の正当性を裏付けたそうです。
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追伸まで:


dulatourさんの回答は言いえて妙ですね。一回答者として感心しました。
確かに法華経は釈尊の言葉による説法ではなく、現代風にいえばビジョンを駆使したものなのですね。釈尊の眉間から白光が出て遥かなる過去(宇宙の創造)からはるかな未来までを写した映像の描写ですね。釈尊が映写機になって弟子に見せた真実ですね。これをお経にしたのですから理解しょうがないといえばないのですね。
釈尊の晩年に霊鷲山でおこなった奇跡的出来事ということで、理解はできないが「ありがたいお経」ということですね。
文殊はその場にいましたから、法華経は後年、文殊の徒が文殊から聞き伝えて記録したものでしょうね。
仏教で言う「不立文字」の教えということですが、そこで弟子が見た映像は「法華経」程度では到底あらわしがたいものですね。
釈尊自身がこの映像(法)を見たものは不信がるともいっていますから当時の普通の人には到底理解できないものですね。現代の日本人でも不信がるんじゃないかな。そのビジョンを見た私などは現状の法華経徒の有様を否定してしまいますがね。
まあ、不信がらずに良いように解釈して「法華経」が好かれるのもいいことかもしれませんね。
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追伸01:ちょっと詳しく


日本仏教には3つの流れがあります。一つは華厳経に代表される奈良仏教ですね。
それから般若心経に代表される真言高野山仏教と法華経に代表される京都天台仏教ですね。
仏教の奥義という意味では奈良仏教や高野山仏教のほうが優れていたのですが、地政学的に京都の天台仏教に良い弟子が集まったということですね。現代であればノーベル賞輩出の京大よりも首都にある東大に人材が集まったということと同じことですね。
法華経を持ち込んだ最澄は「修行もしないでみな仏になれる。」といって奈良仏教や空海上人にぼろかすにやられて不遇な状態でなくなったわけですが、京都に設立したということで多くの良い弟子に恵まれたということだけですね。当然、天台宗の仏教の悟りとしてはひどいものでしたので、優秀な弟子は皆、叡山を降り伝道に励んだのですね。それ故、法華経弟子が全国に広がったということですね。「死んだら仏になる。」という仏教に反する教えは最澄の教えですね。師がそんなですから、「阿弥陀仏を唱えれば救われる。」という浄土系も「お題目を唱えれば救われる。」という日蓮お題目系もみな天台宗系なんですね。
民衆は楽に天国に行ける。といわれたほうがいいですからね。これは天台仏教の堕落と多くの愚民のなせるわざですね。
ただ、中国の天台チギが理解し愛した法華経は最澄にはさっぱり理解できなかったかも知れないが、りっぱなお経であったことは確かですよといいたいのですね。
いいかえれば、もし最澄が本当に法華経を理解するほどの悟りを得てれば、仏教として異端といえる浄土宗も日蓮宗も今日の創価も無かっただろうということですね。悪貨は良貨を駆逐するの例えどうりですね。

この回答への補足

近代知識人がなぜ法華経に入れ込んだのかが、納得できません。特に、国家主義、日本主義との関係が気になるので、そのあたりに詳しい方がいらっしゃればぜひお願いします。

補足日時:2009/05/31 21:02
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この回答へのお礼

天台宗が日本仏教の主流を握ったため、その主な経典である法華経がもてはやされた。また、楽に天国に行けるということで民衆にも流行った。そういうことでしょうか。
ご補足ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/31 21:02

法華経は仏法といいます。



これをやっているのが創価学会です。
私は学会員ですが、説明は難しいです。毎日お経はがんばって読んでますが、毎日の読後の新鮮さは経を読んで体験するしかないでしょう。
りんごの味をしるには、りんごを食べてみないとわかりませんというのと同じです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私が伺いたいのは、なぜ日本人が法華経を愛しているかということです。お経のすばらしさとはまた別の話なのです。ご了承お願いします。

お礼日時:2009/05/31 20:56

「法華経」が大乗経典の一つだからですね。


大乗というのは字の通り大きな乗り物という意味です。
みんな仏の船に乗れば救われるという意味で、後代の僧たちが中身はわからないがありがたいお経といって簡便に広めたので多くの人に愛されたのでしょう。これが最澄や鎌倉期以降近年の流れですね。
一方、平安期以前の中国の高僧などが「法華経」を愛した理由は上記のものとは違うのですね。この理由は日本ではあまり語られませんが、仏教の本質が語られているからですね。仏教には神がいないといわれますが、その理由が法華経にあり仏弟子はそれを喜んだからですね。簡単に言えば釈尊が本当は久遠仏(西洋的には全知全能の神)の一部であるというお経なんですね。そういう意味で仏弟子でも高僧は「法華経」が好きだったんですね。

この回答への補足

私が疑問にに思っているのは、同じ大乗経典の中でも、日本人にこれほど、法華経の愛好者が多いということです。これは日本人特有の文化に関係しているのではないかということをお伺いしたいです。

補足日時:2009/05/30 13:34
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この回答へのお礼

>>単に言えば釈尊が本当は久遠仏の一部(西洋的には全知全能の神)であるというお経

なるほど、法華経は釈尊を神格化するというというお経という見方は、今までありませんでした。これが日本人が法華経を好む要因と関わっているかもしれません。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/30 13:39

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