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『真理は不変である。故に、異端を見分けるのは簡単である。
 新奇なものこそが異端なのだ。真理は不変だからだ。
 故に、カトリックは正しく、プロテスタントは間違っている』。

というような趣旨の言葉(うろおぼえ)をどこかで見かけたことがあるのですが
どこで見かけたのか忘れてしまいました。どこに書かれている言葉なのか
誰の言葉なのかを教えていただけないでしょうか?

宗教改革の時代のカトリック側の言葉か、伝統主義者の言葉のように思えますが・・・?

注:わたしは神学論争をしたい訳ではなく、
ただ、これが誰の、何処に書かれている言葉なのかを知りたいだけなので、
そこのところをよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

うーん 



いくつかに分ければヒットするんですけど・・・


>新奇なものこそが異端なのだ

預言者ムハマドの言葉だそうです。

http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/ronbunlife.h …

『全て新奇なものは異端(ビドア)である。全ての異端は迷誤である。全ての迷過は火獄の中にある。」(アル=ナサーイーの伝えるハディース。)』


>故に、カトリックは正しく、プロテスタントは間違っている。

そこだけピックアップすると、これが近いかな?

http://www.kirishin.com/2007/07/2007728.html

『特にプロテスタント共同体などの分かれたキリスト教共同体は、聖職と聖体をめぐって大きな違いが存在するため「真の意味で教会と呼べない」と言及した。』(2007年7月10日 教会についての教義をめぐる質問への回答)

質問の内容の文章は、いろんな宗教の代表者の言葉がごちゃまぜになっている気がします。

それらの文章をバラバラに記憶していた人に混乱が起り、一人の人がいったかのように記憶を編集してしまったのかも。


ほら 聖書ってたくさんの文章を元にして、「この一説はこっち」「この語はここに入れてと・・・」ってやって編集してしあげたものでしょ?

百人一首のもっとバラエティーに富んだような状態で、「上の句がこれだと、下の句はここらかたりかなー」ってやって編集したものが新約聖書なわけで、他のもっと昔からあった神話の内容とそっくりになってしまった原因は、編集者たちが、他の宗教の信者だったとか、他の神話を子供の頃から聞いていて、記憶の片隅にあったから、それゆえ記憶が塗り替えられる現象が起り、結果、バラバラな文章をつぎはぎして、イエスの人生を、他の神話の主人公と同じになるように編集してしまったんじゃないかと。

それと同じ現象が、質問に書いてあるようなことを言った人にも起ったのかも。
記憶の塗り変え。



で、記憶の塗り変え、迷誤にせよ、そのような内容を結局誰が言ったか? 
残念ながら、全部を含む言葉を述べた人は見つけられませんでした。


あ、そうそう 調べていて、意外なことに、ローマカトリック教会自体、普遍の意味を不変と混同していました。
ナッチンガーも間違えて理解したため、プロテスタントは間違えているって文章に同意したみたいです。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。
わざわざ、調べてくださってありがとうございます。
もしかしたらそうなのかもしれませんが、
ちゃんとした発言者がいるはずだと思うんですよね・・・。

お礼日時:2009/05/31 23:04

すいません まだ探せていないのですが、ちょっと気になったことを。



>真理は不変である

不変じゃなくて普遍だと思います。
カトリックという意味は普遍って意味です。

普遍とは、いかなり条件であろうと、結果が同じであるってことです。
条件によりけりなものには普遍性は無いことになります。

で、真理は条件に依存しているので、普遍性は無いです。

ってことで、またもぐってきます。
わかったら報告します。
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この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。

(カトリックによれば)カトリック教会は西暦1世紀からもので
その教えも使徒たちの教えを正確に受け継いでいるのに、
16世紀になってプロテスタントが出てきた。
キリストと使徒たちの教え、すなわち真理は変わらないはずなのに
それを「改革」してしまったプロテスタントは新奇なものであり、異端である。

という趣旨の言葉だったはずですから「真理は不変である」であっています。

お礼日時:2009/05/31 22:59

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