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無差別殺人などを犯した人が、つぎのようなことをテレビなどで聞いたことがあります。

■人間を殺すのと、蚊や虫を殺すのは同じこと。


このような発言を聞くと、わたしは「はっ!」とします。
というのは、もしかしたら殺人者たちはつぎのようなことに矛盾を感じているからではないかと思うのです。それは・・・


学校でも家庭でも「命は大事」だと教えられてきた。命は大事、命は大事というのに、蚊やアリなど小さな虫は平気で殺す。殺しても何の罪も感じていない。
他の生き物の命は大事ではなく、人間の命だけが大事だという考えに「大きな矛盾」を感じ、やりきれなくなっているというのが根底にあるように思えてならないのですが、どうでしょうか?

希望的には、そうでないことを願っていますが。


わたしが進学塾で講師をしていたとき、生徒(中学生)からつぎのようなことを聞かれたことがあります。

「どうして蚊を殺してもいいのか?」

わたしは、「殺してもいいということじゃないよ。」「かわいそうだよね。」「先生はできるだけ殺さないよ。」と答えました。
これは、表面的なことを言ったのではなく、わたしの本心です。蚊や小さな虫などは殺すのはかわいそうだからできるだけ逃がしています。


人間の命は大事だけど、蚊などの虫は平気で殺す常識をどう考えるべきでしょうか?

ここをしっかり教育できていないから、「虫を殺していいのなら人間も殺してもいいでしょ」と思う人が出てくるような気がして。
蚊などの虫の命と人間の命についてどう考えるべきでしょうか?

ご指導のほどよろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

人間から見た命の重さは、同じではありません。



人間 > 動物 > 植物(?)

また、動物でもすべて同じではなく、
ほ乳類は、知能が高いために命が重いとされています。
また、家畜などは人間に食べられる命であるために、同種(豚、牛とか)の野生のものよりは命は軽いようです。
さらに、同じほ乳類でも、やはり体の大きい方がより命が重いとされています。

これは、人間のエゴでもありますが、それは生きていく上で仕方のないことです。
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この回答へのお礼

>知能が高いために命が重い
>家畜などは人間に食べられる命

■そんなことは人間が決めてるだけですよね。人間のエゴでもあるのではなく、人間のエゴ以外の何ものでもないですよね。
ご助言ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/09 22:17

それを言うなら、なぜ殺人がダメで、戦争や死刑が許されるのか、そっちのほうが余程不思議ですね。

ま、それはさておき、蚊ですね。相手は中学生になるほど成長した子であると。

私は正直、人の命を奪うことがいけないとは言い切れないと思っているんです。ちなみに、私個人は、戦争にも死刑にも反対で、もちろん殺人だって自殺だって、もってのほかです。しかし、世の中には戦争や死刑をよしとする考えがあるし、自殺だって法律で規制はされていないし、もともと人は、狩りをしながら野獣に平気で食われたりしていました。そうやって人口のバランスが保たれていました。それを例えば「あそこの国じゃ、死刑制度を廃止してないから野蛮だ」とか「戦争に参加している国は悪魔だ」とか「菜食主義じゃない人は殺しを続けているのと同じ」などと言いきるべきではないと思っています。

ただ、ほとんどの人間は「死んだら終わり」だと思っています。実際、たとえ死後の世界があったとしても、多くのことが、死んだら終わってしまいます。例えば、死んだら、霊能者でない限り、その死んだ人とは、会話ができなくなるし、手を握り合うことも、何かを美味しそうに食べる様子を見ることもできなくなるし、10年間ケンカし続けた相手と仲直りする可能性もなくなります。この世での可能性が一切経たれるのです。

だから、たとえ私にとっては赤の他人でも、誰かにとっては大切な存在であるかもしれない人を、私は殺したくないし、どうか他の人も殺さないでほしいと思っています。

とはいえ、今、見知らぬ通り魔かストーカーが武器を持って私に突進してきたら、自己防衛のために殺さざるを得ないかもしれません。あるいは、私が監禁されていて、毎日毎日、暴力をふるわれていたら、このままではおかしくなると思って、つい、相手を殺してしまうかもしれません。

けれども幸い、人間は知恵を使って、警察や保健所やご近所というものを生み出しました。私は通り魔から隠れた隙に警察に通報することができますし、暴力に耐えかねて、役所やお隣に助けを求めることができます。人口のバランスだって、人は知恵を使って避妊ができますので、わざわざ生きている人を殺さなくても済むのです。

しかし、蚊が私を襲おうとしている時、その蚊を殺さずに済むよう、私を助けてくれる人や機関はありません。かといって、そのままにしておくと、蚊は無尽蔵に増え続け、増えた蚊が私の体に不快な刺しあとを残し、ひいては私は病気になるかもしれません。たかが蚊、されど蚊です。体は小さくても、意志の通じない暴漢に囲まれているのと似ています。だから殺します。しかし、蚊を殺すためだけに、わざわざ隣町にまで行ったりはしません。自分に被害を及ぼそうとしている蚊のみを殺します。

では、蚊を閉じ込めてくれる人や機関があれば解決するかというと、そうでもありません。蚊だけを閉じ込めると生態系が崩れるかです。それに、蚊が適度に人を刺すから藪は人から守られ、人が蚊を適度に殺すから、蚊は増えすぎずに済みます。ただ、残念なのは、蚊と人が同じ次元でコミュニケイションととれないという点です。だから平和条約を結べないのです。蚊のほうも「なんで人って、蚊の言葉やルールに従ってくれないんだろう」と思っているかもしれません。

で、それを言い始めると、異文化間の摩擦問題へと話が発展したりするわけでして。要するに、人生に関わることに明確な答えなどないということだと思います。ただ、こうした意見をヒントに、各自が考えてもらえればなと思っています。私も考え続けます。
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この回答へのお礼

明確な答えなどないのかもしれませんね。
わたしとしては、自分がされたくないことは他人にもしないという考えが根本にあるかなとは思います。

丁寧で真摯なご回答本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/07/09 22:23

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