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配慮する、という言い回しがありますね。
最近、雑誌等を読んでいると「~を配慮したつくりです」みたいな文章を見かけることがあります。
これが気になってしまいます。

「~に配慮した……」ではないのかな?
(「を」ではなくて、「に」じゃないのか、という話です)

ところが。
広辞苑第五版で「配慮」を引くと、用例の中に「当人の気持を ― する」というのがしっかり載っています。
じゃあ、やっぱり私の感覚がおかしいのかなあ。(でも、私は辞書すらも盲信することをおそれます)

試しに「青空文庫」内の文献で「~を配慮」を検索してみると……ざっと見渡す限り見あたらないのです。(そもそも「する」をつけて動詞で使う例自体が少ないです)
もちろん「~に配慮」で検索すれば、散見できるほどには見つかります。

それで先日、『「配慮」という熟語の構造について』』という質問も出してみました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5109203.html

これをふまえて。
「~「に対して」心をくばる」という言い回しは成り立つが、「~「を」心をくばる」というのは、やっぱりしっくりこないなあと思うわけです。

文法にとても詳しい方のアドバイスをいただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (3件)

「配慮」は和製漢語です。

だからといってニセモノというわけではありません。
漢語の構造は次のように分けられます。
1.形容詞+名詞  化石など
2.副詞+動詞  独占など
3.同義語+同義語 希望など
4.動詞+目的語 投資など
以上の例に挙げられている漢語は、みんな和製です。そして中国に逆上陸して立派に活躍しています。

ご質問の「~を配慮する」という言い方がおかしいかどうかですが、
A「~を配慮する」とB「~に配慮する」のどちらもアリだろうと思います(私個人としてはBの言い方の方が好きですが)。

「配慮」は、たしかに「~に心をくばる」ということです。
しかし、やっぱり「配慮」という漢語は「配慮」という名詞ですし、「配慮する」はサ行変格動詞です。
意味は「~に心をくばる」ですが、「~に心をくばる」=「配慮」ではありません。

「配慮」という名詞、「配慮する」というサ変動詞の使い方としてどうあるべきかを考えた方がいいと思います。
「配慮する」が「を格」の目的語を持つことができるかどうか。
イ。「環境に配慮した○○」
ロ。「環境を配慮した○○」
どちらの言い方もあると思います。
ロ。は英語の影響を受けているんでしょうか、直接目的語のようで、より積極的な印象を受けます。

Goo辞書の用例⇒「相手の立場を―する」
ヤフー辞書の用例⇒「当事者の気持ちを―する」
これらの辞書の用例がおかしいかどうか、広辞苑の間違った用例のパクリかどうかですが、パクリだとはとてもよう言いません。
辞書編纂の一番下っ端の研究者でも、当サイトの回答陣に比べれば、月とスッポンです。

質問者さんのお気持ちはよくわかりますが、現実に「~を配慮」という言い方が大手を振って通っているということだと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありません。

和製漢語という概念を知りませんでしたので、たいへん勉強になりました。
非常に筋道を立てて説明していただいて、頭では理解できましたが、やはりいまひとつしっくりこないというのが正直なところです。

しかし「なんとなく」ではなく、文法的にちゃんとまじめに考えて「~を配慮する」を正しいとする考え方があることを知ることができたのは大きな収穫でした。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/24 02:11

「>文法にとても詳しい」わけではなく、むしろ疎い者ですが、っしゃることに同感です。



「当人の気持を配慮する」
は間違った表現ではないでしょうか。

goo 辞書にも
「相手の立場を配慮する」
という用例が載っていますが、これも同様に間違いでしょう。

上記の2例においては、
「配慮」が「心をくばること」という意味になりますが、
「当人の気持ちを」
「相手の立場を」
では不整合が生じます。
おっしゃるように、
「当人の気持ちに」
「相手の立場に」
とする必要があるでしょう。

あくまで個人的な推測ですが、
いかに辞書とはいえ、学者が全てを検証するとは限らないように思われます。
基本線には関わるのでしょうが、用例などは他の人間が担当するのではないでしょうか。
「当人の気持ちを配慮する」
「相手の立場を配慮する」
などは案外日常的に使われていそうですし、そのためチェックが緩くなったのだという気がします。

これも推測で恐縮ですが、
「当人の気持ちを考慮する」
「相手の立場を考慮する」
などとの混同がおそらくあるのでしょう。
 
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。

賛同いただけて嬉しく思います。まさに、私が言いたいことを書いて下さいました。

ただ、No.3の回答者さんの「和製漢語」という考え方を考慮すると、あちらの解釈にも一理あるようにも思えてきます。
私自身はこれからも「~に配慮」派でいきますが、「~を配慮」にも理があることを知ることができて、質問して本当に良かったと思っています。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/24 02:15

http://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%AB%E9%85 …
に配慮 に一致する日本語のページ 約 55,400,000 件中 1 - 100 件目 (0.44 秒)

http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%92%E9%85 …
を配慮 に一致する日本語のページ 約 11,500,000 件中 1 - 100 件目 (0.45 秒)

googleで検索すると「5対1」と言う結果になりました。

言葉は生きていて、日々変化するので、誤用も誤用と言えない程に広まってしまうと、誤用ではなくなってしまいます。

「当然(とうぜん)」が「当前」と誤記(誤用)され、それが「当たり前」になってしまい、今では「当たり前が当たり前」になってしまいました。

でも「当たり前が当たり前じゃなかった時代」の人は「当たり前」と言う表現に違和感を感じていた筈です。今の質問者さんのように。
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この回答へのお礼

お礼がたいへん遅くなり、申し訳ありません。

>日々変化するので……御用ではなくなってしまいます。

まったくその通りで、明確に「誤用」と断じることができるものでさえも、それが広まれば誤用扱いされなくなってしまいます。
「を配慮する」に関しては、私自身も「誤用と言い切る自信はない」レベルでして、苦しいところです。

「当たり前」のエピソードはとても参考になりました。
おそらくあと20年もしたら、「~を配慮」にも抵抗がなくなるのかもしれませんが、今の私には、まだ難しそうです。

ポイントを差し上げられないのが心苦しいのですが、ご回答は本当に役に立ちました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/24 02:06

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