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零戦の計画において海軍の源田実は格闘性能第一主義を主張。
それに対して、飛行実験部の柴田少佐はスピードと航続性能を主張。
結果海軍部内で影響力をもつ源田の主張が取り入れられました。
二人とも少佐なのに、なぜ柴田は源田より影響力が弱かったのですか?

A 回答 (5件)

派閥の影響によるものだろう。

源田は山本五十六(海軍航空本部長経験者。)と大西瀧治郎(山本に非常に信頼されていた。ハワイ作戦もまず大西に打診した。)につながる航空戦の主流の派閥により近かったから。

しかし貴方の零戦の開発計画においては多少の誤解がある。
まず航続力については当初より絶対的なものだったし、これは中国戦線をも考慮した爆撃機の護衛、島嶼部への進攻、零戦に限らないが敵よりも遠距離から発進し、敵に叩かれるよりもいち早く敵を叩くというアウトレンジ戦法は、開発当初より非常に重要視されていた。事実開戦当初においては航続力は絶大な力を発揮した。

スピードも当然重要視されたが、当時の日本では大馬力の戦闘機用エンジンの開発、それに基づく機体設計や量産、整備は難しく小馬力(といっても当時としては普通)で機体の軽量化が図られた。
これは急降下過速における機体の脆弱性、ひいては戦法に問題を残すことになる。

それでも戦闘機であるからして、格闘性能は大事である。後年から見ればドッグファイトは無駄、効率が悪いなどの見解もあろうが、それは間違いである。最新鋭のジェット戦闘機でも格闘性は重要視されているのである。

ちなみに零戦の登場当初はベテランパイロットには不評であったらしい。ベテランは零戦に乗りたがらなかった。古い九六式艦上戦闘機の方が小回りが利き格闘戦に強かったからだ。零戦は新人パイロットに回されることも多かったと聞く。
しかし時代は短期間で、より速いスピード、上昇力、高高度性能も要求されてくるのは周知のとうり。

この回答への補足

ドイツでロッテ戦法を編み出した撃墜王は格闘戦を否定しましたが。
戦闘は相手に気づかれないように攻撃し、格闘戦になったら高速ダイブでにげるのが最良と
ほとんどの戦闘は相手が気づかれないように攻撃するか、相手が気づいたときにももはや逃げられないようにするのが最良と。

日本の坂井も格闘戦で落とした敵はほとんどいないとか。

補足日時:2009/07/25 17:49
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/07/25 16:21

ちょっと間違いがあったのでお詫びして責任をとって訂正しておきましょう。


柴田VS源田論争があったのは、昭和13年4月13日の横須賀海軍航空廠における「十二試艦戦計画説明審議会」の席上でしたね。論争については、前述した堀越二郎著「零戦」に記述してありました。
パイロットの出席者としては、航空廠の戦闘機主務部員、柴田武雄少佐、次席、榊原喜与二大尉。
横須賀航空隊からは、戦闘機隊長、源田実少佐、分隊長、板谷茂大尉、艦爆分隊長、奥宮正武大尉などとなっています。

堀越・・「計画説明書の中に示すようにエンジンの性能向上がなく、そのうえもしも定回転プロペラが使えないものとして、性能を平均的に要求値に近づけようとすると、計画要求より速度が約15キロ低く、格闘性能は九六式艦戦二号一型より劣らざるをえません。エンジンの性能が向上し定回転プロペラの信頼性が高まれば、話は別ですが・・・。」

更に続けて堀越・・「航続力、速度、格闘力の三つの性能の重要さの順をどのように考えておられるのでしょうか、それをお伺いしたいと思います。」

これに対し、終始鋭い目つきで私の発言を見守っていた源田少佐は机の上の茶を一気に飲み干して立ち上がり、「九六艦戦が戦果を挙げえたのは相手より格闘力がすぐれていたのが第一です。もちろん計画要求は確実に実現してもらわねばならないが、堀越技師の質問にあえて答えるとすれば、格闘力を第一にすべきだと思います。これを確保するために止むを得ないとするならば、航続力と速度をいくらか犠牲にしても致し方ないと思います。」と、はっきりとした語調で意見を述べた。

「異議あり!」といって立ち上がったのは、航空廠の柴田少佐だった。(中略)。「日華事変の戦訓が示すとおり、敵戦闘機によるわが攻撃機の被害は、予想以上に大きいので、どうしても航続力の大きい戦闘機でこれを援護する必要があります。また、逃げる敵機をとらえるには、少しでも速いことが必要です。格闘性能の不足は、操縦技量、つまり訓練で補うことが可能だと思います。いくら攻撃精神が旺盛で、技量がすぐれているパイロットでも、飛行機の最大速度以上を出すことは不可能だし、持ちまえの性能以上の長距離を飛ぶこともむずかしい。だから、速度、航続力を格闘性能よりも重く見るべきだと思います。」

「しかし・・・」とまた源田少佐が立ち上がり、両者の白熱した議論がくりかえされた。両者はたがいにゆずらず、また、この論争の黒白を判定できる人もいなかった。

私は、この二人の息づまるような論戦を聞きながらこう考えた。(中略)。この交わることのない議論にピリオドを打つには、設計者が現実に要求どおりの物を作ってみせる以外にはない。私としてはいままできめた設計方針にそって、重量軽減と空力的洗練を、徹底的にやり通そう。そしてエンジンの馬力向上と定回転プロペラの実用化を促進してもらおう。
そうする以外に、残された道のないことを、深く心に刻んだのであった。
堀越二郎著「零戦」より抜粋。

結局、堀越さんらがなおいっそう頑張って、当時としては格闘性能、航続力、スピードにおいては世界一等の航空機を作ったという事であり、論争の結果には関係なく、また論争自体も無意味ではなかったという事。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/07/26 09:19

 まず、源田VS 柴田論争というのは、1938年(昭13)1月17日から海軍航空廠にて開催された官民合同の十二試艦戦計画要求研究会の席上で行なわれた議論を指すます。

この際の互いの趣旨をみると必ずしも真っ向から対立していたとはいえません。同年4月13日会議上堀越技師が「航続力、速度、運動性の三性能の重要順序につき如何に考えておられるか」との質問を発したのに対し、海軍航空廠飛行実験部のテストパイロットであった柴田は「速力、航続力を格闘性能よりも重く見たい」と発言したわけです。これに対して源田は九五艦戦や九六艦戦で戦って帰国した直後の生々しい体験から「もちろん速度も航続力も充分欲しい。しかしいずれを多少でもとるかということになれば戦闘機に欲しいのは絶大な格闘能力である」と主張したというのです。しかし、源田は「攻撃機を掩護する戦闘機たりうるには高い速度と航続力が必要だし逃げる敵機をつかまえるには少しでもスピードが速くなくてはならぬ」とも認識していました。つまり、三つの性能のどれ無視するかではなく優先順位をどうするかであり、柴田のほうに先見の明があったにせよ二人とも正論であったと思われます。また堀越技師は、双方の要求を受けて零戦という当時万能ともいえる戦闘機を生み出したのですから。ただ、問題は速力を出すために重馬力エンジンを開発生産するのではなく、小型発動機をベースとしたこと、そのため機体の軽量化で解決しようとしたこと、これはのちに防弾装備のなさと機体の脆弱性を米軍に突かれてしまうことになります。勿論これは技師個人の問題ではなく、当時の日本の国力や技術力の貧しさに起因します。たとえば堀越技師の回想には「急降下速度はほかの性能要素と両立しないので格闘性能には重要なプラスとは考えられていなかった。むしろ小型発動機を装備してよい格闘性能を得ようとすれば最優先に放棄すべき性能要素とされた」とあります。終戦に至るまでついに日本は予定性能を満たせる重馬力エンジンの生産が出来なかったのでした。

資料:源田実「零戦と私とロッキード」 『丸』60年2月号所収

   堀越二郎「堀越二郎 零戦回顧録」『丸エキストラ版』69年5月増刊号所収
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/07/26 09:21

>ドイツでロッテ戦法を編み出した撃墜王は格闘戦を否定しましたが。


ロッテ戦法は格闘戦の一種で、2機がチームを組んで敵1機に当たるもの。1機は見張り及び援護、1機が執拗に敵機を追う。格闘戦の格言に「敵機に狙いを付けたら必ず後方を確認せよ。」というのがあるが、この時、自分も敵機に後ろから狙われている場合が多いからだ。この憂いをなくさせた戦法がロッテ戦法。アメリカではサッチ戦法(サッチ・ウィーブ)とも言われた。

>戦闘は相手に気づかれないように攻撃し、格闘戦になったら高速ダイブでにげるのが最良。
これは一撃離脱戦法と呼ばれる。これは初期において、零戦との格闘戦にかなわないと見たアメリカがとった戦法。前述したように零戦は機体の脆弱性から降下速度に制限があり、追いつけずそのまま逃げられる場合も多かった。
戦う前に優位な位置を占めておくのも重要。
なお機体の軽量化には、防御力不足の人命軽視の問題もあったことも付け加えておく。

>ほとんどの戦闘は相手が気づかれないように攻撃するか、相手が気づいたときにももはや逃げられないようにするのが最良と。
これは正攻法で、敵をいち早く発見し優位な位置を占めるという事が最も重要だが、同時に指揮官機の味方機誘導、攻撃方法の技量も試される。

>日本の坂井も格闘戦で落とした敵はほとんどいないとか。
全然ないという事はないが、格闘戦で落とした敵機はほとんど7.7mm機銃によるものだ、とは本で読んだことはある。20mm機銃は初速も遅く、弾が放物線を描くので難しかったのではなかろうか。
なお戦いが終わって敵機が集合地点に向かう途中の油断を突いて襲いかかる坂井の「落ち穂拾い戦術」は有名。これも零戦の長い航続力を生かした戦術であろう。坂井自身も零戦の最大の武器はその長い航続力にあったと述べている。

今手元に堀越二郎著「零戦」の本があるから、海軍の「十二試艦上戦闘機(零戦の事)計画要求書」をかいつまんで記述してみよう。
用途・・・援護戦闘機として、敵の戦闘機よりもすぐれた空戦性能をそなえ、迎撃戦闘機として、敵の攻撃機をとらえ、撃滅できるもの。
大きさ・・・全幅、つまり主翼のはしからはしまでの長さが十二メートル以内。(注、これは空母のエレベーターの幅が基準となっている。)
最大速度・・・高度四千メートルで、時速五百キロ以上。
上昇力・・・高度三千メートルまで三分三十秒以内で上昇できること。
航続力・・・機体内にそなえつけられたタンクの燃料だけで、高度三千メートルを全馬力で飛んだ場合、1.2時間ないし1.5時間。
増設燃料タンクをつけた過荷重状態で、同じく1.5時間ないし2.0時間。
ふつうの巡航速度で飛んだ場合、六時間ないし八時間。
空戦性能・・・九六式艦上戦闘機二号一型に劣らないこと。
その他にもあるが、もう省く。

はっきりと援護戦闘機と明記されている。
事実、零戦の初陣は昭和15年8月19日の重慶爆撃であった。横山保大尉率いる12機の零戦11型は陸上攻撃機(爆撃機)と共に漢口基地を飛び立っていった。
目的は爆撃機の援護と敵機の殲滅である。この日は敵戦闘機は姿を見せず爆撃だけに終わる。
翌20日は進藤三郎大尉の率いる零戦12機が陸上攻撃機と共に再び重慶へと向かうが、敵戦闘機は姿を見せない。どうも新鋭機投入を察知して敵戦闘機は事前に避退するらしい。
9月13日は進藤大尉、白根中尉の指揮する13機の零戦は陸上攻撃機と共に漢口を飛び立つが、98式陸上偵察機を引き連れていた。
やはり敵機は姿を見せず爆撃を終えて帰路につくも、残した偵察機から敵機現れるの情報が入る。要するに敵は戦闘を避けただけの、我が軍健在なりのデモンストレーションだ。
すぐさま零戦13機は重慶に舞い戻る、敵機はイ15・イ16の計30数機で零戦の2倍以上の数であったが、敵機27機を撃墜した。零戦の被害はゼロであった。
これで往復1850キロ(1000海里)の作戦行動が確認され可能となった。
これは世界的にも非常に画期的で、これからの戦闘機のありかたを示したと言えよう。

柴田VS源田論争は零戦開発計画とはもう少し前のことだろう。
その前に戦闘機無用論もあったが、さすがの山本や大西もミスを犯した。源田は逆らえず調子を合わせたといったところか?。源田も戦闘機乗りだったが、源田は少しずる賢いところがある。
そういった意味では柴田武雄の方が先見性もあったし、戦闘機の運用に関してはよりエキスパートではあったろう。
また多くのエースパイロットもいち早く敵を発見し、優位な位置を占めて先に一撃をかけるのが圧倒的有利とは言っている、いわば一撃離脱戦法に近い考え方だ。
坂井もドッグファイトでは「なかなか当たるものではない。」とは述べている。
しかし格闘性能が悪い戦闘機では、よほど逃げ足が速くない限り、乗る気にはなれないのが人情というものではある。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/07/26 09:20

多分、零戦について誤解があります。


http://www.warbirds.jp/truth/seinou.html
ここを見てればわかるかと思いますが、零戦の特性として「速力、上昇力優秀にして敵高速爆撃機の撃攘に適し、且つ戦闘機との空戦に優越すること」となっています。

というか、旧海軍の戦闘機の速度は初の国産機である一〇式艦上戦闘機以来増加していますし、零戦は九六式艦上戦闘機より100キロも早い事だけ見ても速度が重視されてないとはいえないでしょう。
またそれ以外でも、昭和12年頃に旧日本海軍の外国の飛行機の調査についての文書を見れば速度と上昇力を非常に気にしていることがわかります。

また蛇足ながら付け加えると、元々は爆撃機の護衛は零戦ではなく十三試陸上戦闘機の役割であり零戦の役割ではありません。
零戦の航続力は長時間艦隊上空を飛び続け、艦隊防空を果たすためにあるのです。

この回答への補足

二人が零戦計画でお互いに一歩も引かなかったため、海軍ではすべてを要求し、結果、堀越次郎が実現させただけではないのでしょうか?

それでもやはり空戦能力にこだわり、烈風においても「速力を最初の要求よりさげて、空戦能力を優先させたと丸で読みました。

補足日時:2009/07/25 17:44
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2009/07/25 17:49

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