日本人はお金を下品だと感じる国民性のようなものがあります。
レストランの伝票は裏返しておきますし、初対面の人と年収の話をするのはあまり好ましくありません。明治時代に金銭的に成功した人々は成金と呼ばれてあまりよい印象を人々に持たれなかったようです。投資家や証券業者などにも良い印象を持たない人は少なくないです。
必要以上にお金を露骨に話題に上げたり、お金に関して詮索することは避けられます。
ではなぜ日本人にとってお金は下品なものなのでしょう。
私は日本人の古来からの平等主義によって、格差を生み出す貨幣を必要悪と認識しているのかと考えました。歴史上には、市場・貨幣は平等の敵として現れます。成功者と失敗者を生むからです。
しかし今一つ説得力に欠けるような気もします。日頃貨幣自体が不平等を生んでいることを認識することはあまりないですから。(運、才能や努力量が不平等を生んでいると考えることが多い)
皆さんはどう考えますか?またそういうことを研究しておられる方の書物などありましたら、ご紹介願います。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
大きく言えば、貨幣というものが社会の紐帯を弱めてしまう、場合によっては社会そのものを崩壊させてしまいかねない、その危険性をなんとなく人びとが感じとって警戒している、ということなのではないでしょうか。
既にご存知のことかと思いますが、文化人類学などでは個人間のモノのやりとりを大きく「贈与」と「交換」に分類しています。
贈与というのは、ちょうどお中元などのやりとりに形骸化しつつ残っているように、モノのやりとりに託しながらいわばモノを超えた人格的な何かがやりとりされるものです。贈与は負い目や自負の感情をエネルギーにして動き続けて、それによってやりとりの双方を精神的に結びつける働きをしています。あるまとまりをもった共同体のメンバーの間では、基本的にこの贈与の関係が重層的にめぐらされて関係が緊密になっているのです。
一方の交換というのは、そのたびに関係が精算されていく単発的な営みです。私たちが一日のうちに何度も行っている「モノを買う」という行為がまさにその代表で、その行為は当然、貨幣によって媒介されているわけです。逆にいうと、人を結びつける贈与に用いられず、交換だけに用いられる貨幣という存在は、いわば人間関係を成立と同時に清算するツールである、といえるわけです。
ですから、洋の東西を問わず、共同体の中にはもともと贈与はあっても、交換は極めて稀でした。交換というのは、マルクスが言ったように共同体の果てるところ、他者たる存在と出会うところに生まれたものです。つまり、生活のなかで貨幣の出番が多い社会は、それだけ社会の成員がアトム化して分断された生活を送っている、ということになるわけです。
こんな風に書いてくると堅ぐるしいわけですが、この交換があまりのさばることは人間関係にとって好ましくない、という感覚は多くの人が無意識に持っています。例えば、買ってきたお中元の商品をできるだけ値段がわからないようにして先方に差し上げることが大事だとされたりすることに始まって、常連となった店でツケ払いを好む客が実は多いことに至るまで、貨幣経済に塗りつくされた日常生活の中にあって、私たちは、できるだけ交換の前線を押しとどめようと努力を払っているわけです。
貨幣は、単に共同体の紐帯を弱めるだけではありません。共同体の拠ってたつ価値観をくずしてしまいます。というのも、共同体というのは、家族だとか歴史だとか、個人存在に先行するものに価値を置くところに成立しています。共同体の価値の源は、いってみれば共同体を超越した彼岸にある(と観念されている)のです。しかし、貨幣は共同体の意味を変質させて、自由な経済活動の主体である個人の集まりにしてしまいます。そこでは共同幻想のようなものは一切用済みとなってしまうのです。
実際、過去を見れば、多くの社会の歴史というのは、贈与で紐帯を固めていた共同体が貨幣によって侵食されて、日々他者と向き合わざるを得ない交換経済にとって代わられてきたという歴史でもあります。岩井克人の『ヴェニスの商人の貨幣論』では、シェイクスピアの作品を、友愛のために何物をも惜しまない共同体的精神と、アトム的な個を生きる貨幣経済的精神との衝突と読解しています。
小説では後者の勝利による大団円を迎えましたが、しかし現実には、日本に限らずどこであれ、共同体という存在は、増殖する不気味な貨幣の力に対して、倫理的な攻撃を加えたり、もっぱらそれを扱う商人を差別の目で貶めることで対抗してきたにも拘らず、残念ながら結果的に大幅な後退を余儀なくされてきたわけです。これは特に日本に限ったことではありません。たとえば、やがてマルクスにつながる初期社会主義の思想というのは、人間関係をよそよそしくしてしまったり労働を計量化して個人存在の価値を貶めてしまう貨幣への嫌悪感から生み出された、といっても過言ではないからです。
そんな貨幣について語ったり触れたりすることが「下品」に感じられるというのは、個人を超えた価値を認めないことへの、共同体精神による倫理的な反発です。貨幣はそれ自体が無価値であることによってモノの価値を表象するわけで、よく考えてみれば貨幣に品があるだのないだの、という尺度はそもそもあてはまりません。にも拘らず私たちがそれを「下品」に感じてしまうというのは、共同体をいとも簡単に骨抜きにしてしまう恐ろしい感染力をもったおカネに対して、なんら抵抗の術を持たない私たちが、せめて敵に倫理的な悪のレッテルを貼り、共同体メンバーのモラルに訴えることで、戦線の後退をくいとめようとしているのす。この価値観は、普段なら意識されないほどに私たちの心の中に内面化されてしまっていますから、その働きは論理的な反駁ではなくて情緒的な反発としてしか表に出てこないわけです。
似た例は、モードと社会の関係にあります。例えば流行のスカートの丈が短くなり、肌の露出が少しでも多くなると、そこには常に「下品だ」という社会の反発が生まれました。これには色々な理由があると思いますが、大きな背景は、露出の多寡よりもむしろ、身体という所与の存在、本来個人という意識に先行してもたらされたはずのものが、個人の恣意によって自由にされてしまうことへの抵抗感にほかなりません。つまり問題にされているのは、「身体はどこまで個人のものなのか」ということであり、その目に見える戦線としてのモードなのです。
長くなりましたので、途中ですが一旦投稿します。ご参考になるようでしたら、参考文献も含めてまた少し書かせて頂くかもしれません。
説得力がありますね。私も日頃の感覚レベルでそういうことを感じることがあるので、この説明は非常に共感します
>貨幣という存在は、いわば人間関係を成立と同時に清算するツールである
確かにそれを日常で感じることは多いです。関係を清算するということは、感謝の気持ちやお返ししたいという気持、悪いことをした負い目などを消す、という風に解釈して差し支えないでしょうか
過去に自分に迷惑をかけた相手が、「ごめんね、これで…」といって私にお金を差し出した時には閉口しました。自分の中には「これで済まそうと思うなよ…」っていう感情が確かにあったと思います。貨幣には人間関係を清算してしまう力があり、それを無意識的に感じ取っていて、そんな簡単に清算してほしくないな、という反発が生まれたと考えられます。今思うと心が狭いかもですが…
また、恋人にプレゼントをあげた時に、おもむろに相手が代金を払おうとするのを見て「そんな寂しいことするなよ…」と思った経験もあります。一々関係を清算することで、相手の感謝の気持ちが薄れてしまう。自分が喜ぶことをしてあげたという自己満足感が、消えてしまう。それを寂しいと感じた、と考えると納得がいきます。やはり私はケチかもですが
>貨幣は共同体の意味を変質させて、自由な経済活動の主体である個人の集まりにしてしまいます
これも言えてますね
一つ極端な例をあげてみます。父、母、息子、娘がいた。父と母は子供たちへの食事に料金を取る。息子、娘はアルバイトで食事代を稼ぎ支払いに充てる。足りない分はローンとして詳細に記録し、自立したのちに利子つきで返済する
こんなのは家族じゃないですよね。父母は純粋なシェフか債権者で、子供たちは消費者・債務者にすぎなくなってしまいます。殺伐としてます。家族間で何か起こっても金がない者は助けてもらえなそうです
…回答者様の説明はこんな感じですか?かなり自分なりの解釈を加えてしまって、おっしゃっていることを歪めているかも知れません
あと気がかりなのは、この説明では日本人の特異性が説明できないことです。こうした貨幣の特徴は世界共通でしょうから。しかし外国のチップのような、現金をその場で手渡しする習慣が日本では受け入れられないことなど、日本の貨幣忌避の傾向は比較的強いようにも思われるんです
…すいません、嬉しくなってつい長くなっちゃいました
No.9
- 回答日時:
No.8 です。
》露骨に初対面の相手の家賃や家の値段や年収を聞いたり聞かれたり、謝礼を裸で受け渡しするのに抵抗は感じないですか?
人に、賃貸に住んでいるのかあるいは持ち家か尋ねること自体が無作法です。どこの学校を出たのか、子供は何人いるのか聞くのと同様にプライベートなことに立ち入った質問だからです。
謝礼ですが、(例えば講演の謝礼)、封に入れて渡すのはお互いの便宜のためであるとともに、講演を経済行為としてお金で買ったのではなく、そのお礼として渡すからではないかと思うのですがどうでしょうか。
一方、賞金というものがあります。ゴルフやテレビ番組で優勝者に「¥10,000,000」などと書かれた大きなボードを渡すこともありますが、こちらは「お金は下品」という考えからは無縁の世界です。
まあそうですか。そういう考え方もできますね。
自分の子供が他人の家の子供を怪我させてしまった時の、治療費とかだとどうですか。まず裸で渡すことはないですよね。知り合い同士なら直接会って渡すのだから、別に裸で渡しても便宜上の問題はないはず。治療費には少なからず経済行為としての意味合いもあるはずです。でも裸で渡すことはとても憚られます。
>「¥10,000,000」などと書かれた大きなボードを渡すこともありますが、こちらは「お金は下品」という考えからは無縁の世界です。
本当でしょうか?むしろ現金でやると品がないからボードを掲げるのでは…?インパクトとしてはボードよりも現金をバーンと掲げた方が大きい気がします。テレビ局としても決して不可能ではないでしょう。でもそんな番組は見たことありません。また実現できるできないとか、便宜上よろしくないとかいったことはともかく、もし現金だとボードを掲げるより多くのクレームがいきそうじゃないですか?(今はこちらの方が重要ですよね。日本人の精神性の話ですから。あと回答者様がクレームをつけるかは別としましょう)
そしてやはり村上ファンド事件での、村上氏の「お金儲け、悪いことですか?」といった発言に対する世論の過剰反応ですとか、ライブドアの堀江さんの「人の心はお金で買える」という主張に対して頑なに反発する人が多いのを見ていると、お金お金って前面に出すのは敬遠される傾向にあるのかと思いまして。まあ私が経験的に感じていることで、何も統計データが手元にあるとかじゃないので、同意していただけない方がいても仕方ありません。
ちなみに私自身としてははお金が下品だという考え方にはどちらかというと否定的なので、その点に関しては回答者様と意見が合うかもしれませんね(笑)
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/2009 …
http://markets.nikkei.co.jp/features/21.aspx?sit …
http://markets.nikkei.co.jp/features/21.aspx?id= …
No.8
- 回答日時:
「日本人にとってお金は下品」という前提に疑問があります。
私は田舎出身の日本人ですが、お金は下品とは思ったことがありません。ものごとは全て、お金についても、フェアになされるべきだと思いますが。
ご回答ありがとうございます。
そうですか。
露骨に初対面の相手の家賃や家の値段や年収を聞いたり聞かれたり、謝礼を裸で受け渡しするのに抵抗は感じないですか?
そういう感覚はある程度共有されているのかとも思っていましたが、そうでない方もいるようですね。
そもそも
>ものごとは全て、お金についても、フェアになされるべきだと思いますが。
とおっしゃっているということは、そうあるべきなのに、そうじゃない場面が多い、つまりお金についての判断がフェアじゃない日本人が多いと感じているではないでしょうか(回答者様個人としてではなく)。
私の質問は、そういう判断をする日本人が多いのはなぜでしょうか、という疑問です。価値観がどうあるべきなのか、その価値観が正しいのかということはここでは置いておきたいのです。
ただ、確かにこの前提があらゆる場面で有効かどうかというのは、まだ言い切れないところもあります。自分とその身の回りの人の経験から得た仮定ではありますから。
No.6
- 回答日時:
伝票を裏返すのは、それを得るために働いている人が、自分のためだけにお金を得ようとしていることに対する、後ろめたさなんでしょうか。
それを認識できる日本人は、やはり繊細な感性を持っているということが出来るんですね。日本人の特異性については、風土の湿潤さ、四季の精妙さにおける情緒の発達によるもの でしょうか。
なるほど、お金はあくまで個人の欲、所有物の最もたるものだからなんですね。
No.4
- 回答日時:
お金という魔力を知っているからでしょうね。
お金に取り付かれた人間はお金しか考えられなくなり
お金によって身を滅ぼします。
その怖さを知っているからお金に魅入られた人間を下品
な者と蔑むのです
私はここに日本人の高度な文化性を見出します。
なるほど。確かに金融危機で世の中を騒がせた投資銀行なんかを見てるとそう思いますね。リスクを考えない無謀な投資を大量に行って、お金自体が目的化していたようにも感じます。お金を使ってどうしようとか、考えてなかったんじゃないか、とかいいたくもなりますね。
ただやはり、大金を稼ぐ人に対する嫌悪もさることながら、お金自体への忌避感(裸で現金を渡すのがはばかられるとか、露骨に相手の年収を聞くのは失礼だとか、あとまさにこのサイトを開くと出てくる「うわ、あたしの年収低すぎ…!」とかのポップ広告を、なんだかなあと思ってしまったりとか、まあ主観ですが…)っていうのはやはり不思議なものなんですよね・・・
No.3
- 回答日時:
合っているか自信ないのですが、かつて幕府が広めた朱子学ではないですか。
朱子学では商売を人を騙すものだと考えたそうです。
売るときに足される売人の利益。これが詐欺だって考えたそうです。
それが金銭的なことへの忌避になったのではと想像します。
確かに朱子学の教えって、先祖崇拝や男尊女卑を始めとしてまだまだ現代にも残っているところがありますね。
貨幣に関してもそういう影響があってもおかしくないと思います。
ただ、江戸時代の商人蔑視→貨幣自体への忌避感
というロジックは本当に成立するのか、興味深いところです。
積極的なご意見ありがとうございます。
No.2
- 回答日時:
日本だけのものかは良く分かりませんね。
例えば、「ベニスの商人」のお話にあるように、すべてお金に換算して考える物の見方は軽蔑される対象ですよね。ただこのお話は、ユダヤ商人への蔑視を含んでいたようにも思えますが。
日本の場合、士農工商制度が大きいと思います。日本の仏教もそれに力を貸していたように思います。
価値を何ら生み出さない武士階級が支配階級にとどまるためには、貨幣という普遍的な価値を自由に操る商人を制度的には末端に置き、使用価値としての生産物を生みだす農民を上位に置く支配制度が必要だったのです。
いまだにNHKでは、武士階級を英雄のように扱うドラマを垂れ流しているではありませんか。
これが日本ではいまだにお金を下品と考える実態です。
また、貨幣というものの性質上、どうしても交換価値の方へウエイトを置きます。そうすると生産物のもつ使用価値とそれを生み出す労働の厳しさが価値のないように評価される仕組みなのです。
これは貨幣のもつ性質であり、だからこそ普遍性を持ち流通することができるのだと思うのです。
マルクスの「経・哲草稿」にも貨幣の問題が書かれていましたね。
なるほど、お金に対する嫌悪感は江戸時代の商人に対する蔑視から来ているということですね。
お金を扱う人への蔑視から、お金そのものへの忌避感が生じるというわけですね。
個人的には、その論理には多少議論の余地があるようにも感じられますが、歴史的な説明になっていて説得力もあるのではないでしょうか。
仏教=諸行無常=世俗的価値の権化である貨幣の蔑視
これも言えそうですね。興味深い回答ありがとうございます
No.1
- 回答日時:
もう死んでいませんが、母方の祖母がお金をおもちゃにして
遊ぶのはよくないといっていました、マネーゲームですね
その手のはよくないと思いますが、額に汗して、稼いだお金
は下品では無いと思いますよ、日本だけでなく世界にも通ずる
ことだと思いますが
ご回答ありがとうございます。
回答者様のご指摘の通り、我々の中はマネーゲームで得た金は下品だと考える方が多いようです。自分もそう考える傾向にあると思います。
しかし理由となると、あまり決定的なものが思いつきません。下品だから下品なのだ、というぐらいにしか言えない自分がいます。
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