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私立学校・塾と教育格差の関係性がどうもピンときません。

私は田舎で育ったので、周りに私立の学校もなく、
お金持ちの子も貧しい子も、成績の良い子も悪い子も同じクラスにいるような状態でした。
塾になど通っていなくても不明な点は先生に聞きにいけば丁寧に教えてくれました。

高校は地元の進学校でしたが、授業と参考書のみでも難関大に進学できました。
大学では、親の援助一切受けず授業料まで自分でまかなっている子もいました。

中学時代の友人には中卒や高卒の子も多いですが、
勉強好きで成績良かった子は大体みんな大学まで通っています。

確かに、親の所得や価値観の都合で進学すら断念せざるを得ない状況では格差があるといえるでしょうが、
私立学校に通えなかったり、塾に通えない程度がそんなに重要な格差になるのでしょうか。

都会では塾に行くのがあたりまえで、公立学校の先生は何も教えてくれないのでしょうか?
私立学校や塾が重要視される理由を教えていただければ幸いです。

A 回答 (6件)

はじめまして。


専門家ではありませんが、自分の子を進学させた経験から話をさせていただきます。
実は、私も質問者さんと同じような境遇の田舎育ちですので疑問はわかります。
現役で東大に入った奴や医者になった奴がいるかと思えば、九九もあやしい奴やその後ホストになった奴、ヤクザになった奴らがみんな同じクラスで机を並べていた高校の出身です(w

さて御質問への回答ですが、大学進学を考えた時には塾に通い、私立小中に入っていた方が有利に働きます。
付属校がエスカレーターで受験が楽なのはもちろんですが、私立校の場合は授業の裁量幅が大きく、さらに生徒の選抜を行なえるのが大きく働きます。
つまり優秀な生徒を集めて受験に特化したカリキュラムを組めば合格率が高くなる理屈です。

まず、公立の小中に関しては基本的に選抜は行いませんから色々な子が入ってきます。
勉強のできる子できない子。素行の良い子悪い子。家庭環境に恵まれた子恵まれていない子。
対して有名私立の場合は勉強ができない素行の悪い子は最初から除外されます。

授業は生徒集団の中間層が理解できるように教えますから、集団の平均値が違えば授業の進度や難度が変ってきて当然です。
さらに公立では成績別のクラス分けはあまり行ないませんし、落ちこぼれ対策はしても、授業内容が簡単すぎて浮いてしまう「浮きこぼれ」対策はかなり後手にまわっているのが現状です。
私立は成績別の授業を取り入れ、中高一貫校では進度調整をして高校二年次には高校三年間の学習を終了し、残り一年を受験対策に充てているのが普通です。
受験はある程度まではテクニックの要素もありますから、受験対策の有無が合否を分ける場面も少なくありません。

さらに学習環境の問題があります。
公立校では素行の良くない子も受け入れざるを得ないのが現状です。
高校ですら、服装態度で選別したとして問題になったのは記憶に新しいことだと思います。
それらの子たちが授業妨害をする、授業妨害まではしなくとも、他の子の学習意欲を削ぐような言動をとる。
それらへの対応も含めて公立校の授業は進められています。

素行の問題に関しては、小学校時代にそのような子たちに嫌な思いをさせられた子たちが中学では私立に逃げ込む傾向もあります。
また、小学校の授業のレベルの低さに退屈して私立を受験する学習成績の良い子もいます。
私立に優秀な子が集まれば、必然的に公立校には学習意欲の低い子が集まる事になります。
もちろん公立校にも優秀な生徒は沢山いますが、それら学習意欲の低い子が授業全体のレベルを下げることになっています。

この書き方では誤解を招きそうですが、公立校が落ちこぼれの子や素行があまり良くない子に対して努力をしているのは大変に素晴らしい事だと思っています。
けれど私立は始めからそれらの問題に対応しなくとも良いところからスタートしているため受験には有利なのです。

>都会では塾に行くのがあたりまえで、公立学校の先生は何も教えてくれないのでしょうか?

私立の小中高で高いレベルの学習を受けさせたいと思う親は、その小中高の選抜試験を突破させるために、受験対策を行なっている塾に通わせる傾向にあります。
現在都市部ではかなりの率で進学塾に通わせているのではないでしょうか。
また、公立学校の先生は何も教えてくれないのではなく、さまざまな状況に手広く対応しなければならないために、全体的に広く浅くになりがちなのです。
つまり限られたリソースの分配方法が、公立と私立では違っているのです。

私も本音を言えば、自分が卒業したような雑多な人間が一緒に勉強しているような学校のほうが楽しいんじゃないかなと思っています。
けれど受験を考えるとそんな呑気な事は言っていられないのが現実のようです。ちょっと悲しいですね。
御参考までに。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
なるほど、普段の授業すらままならないのでは、そもそも勉強が難しいですね。
選択の余地のない公立小中がそのような状況であれば、
「私立に通える子と通えない子」の教育格差はあるといえるでしょうね。
先生の時間が取られてしまって十分な指導が受けられないというのも問題ですね。

私の学校にも素行の悪い子はいましたが、
授業中にまで回りに迷惑をかけるような子はいなかったので、
恵まれていたのかもしれません。

特に都会の場合、授業がまともに受けられない子の駆け込み寺になるような「私立」があるために、
私立に通わせることのできない所得の低い家は余計に「格差」を感じてしまうのでしょうね。
田舎の場合、そもそもそのような私立はありませんでしたので、
確かに素行の悪い子もいましたが、逆に学習意欲のあるや優秀な子も残っており、
学習環境はそれほど悪くなかったように思います。

ただ、有名私立学校レベルの授業や、塾での特別授業を受けられないからといって、
そこまで重要視すべき格差とはまだ思うことができません。
確かに、受験対策に特化した授業をうければ大学への合格率はあがるでしょうが、
そんなもの受けなくても合格する子はざらにいるし、
「受験対策に特化した授業を小さいうちから…」なんてお金持ちの特権程度にしか思えません。
「お金持ちの特権」がなくても、私は大学進学のチャンスを十分に与えられていたと思います。
受験費用すら捻出できないとか、親を養わなければならないほど困窮しているというならわかりますが、
「お金持ちの特権」がないと大学進学できないような子まで、何故わざわざ大学に通わせる必要があるのか…。
学歴重視社会に納得ができないだけなのかもしれません。

お礼日時:2009/08/09 14:08

いろいろな考え方があると思いますが・・・



周りに塾があって、みんな通っているとしたら焦る気持ちはあるのではないでしょうか。もちろん、行く必要がない人もいます。行っても成果のでない人もいます。保険みたいに考えている人もいます。

自分で出来るならそれでいいのです。

公立学校では、特に中学までは義務教育ですから、どんな児童・生徒でも受け入れ、授業をしなければなりません。中には一部の子どものおかげで授業が成り立たないところもあるようです。その場合は必要になると言うこともあるかもしれません。

私立学校は入る段階で選抜されるわけですから、環境が違います。塾もしかりですね。

地域によっても違うことだと思いますので、どんなところでも一概には言えないお話だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
授業が成り立たないというのは大問題ですね。
そのような場合には、確かに格差はあるといえそうですね。

私の学校は、公立ではあったけれど授業は成り立っていたし、
先生も優秀だったので私立や塾の必要性を感じずに済んだのかもしれません。

お礼日時:2009/08/09 14:16

おはようございます。


回答者一番のoshietercです。
お礼をありがとうございます。

まず、基本的な考え方については質問者様と自分は同じだと思っています。
また「学歴重視社会に納得ができない」部分については特に同感いたします。
その上で、幾つか補足をさせていただきたいと思います。

>確かに、受験対策に特化した授業をうければ大学への合格率はあがるでしょうが、
>そんなもの受けなくても合格する子はざらにいるし、

その通りです。
どこにいても優秀な子は優秀ですから、私立進学校に進まなくともそれなりの大学に進む事は可能です。

>「受験対策に特化した授業を小さいうちから…」なんてお金持ちの特権程度にしか思えません。

はいそうです。
そして、その特権が利用できるかどうかが現在問題になっているのです。

>「お金持ちの特権」がなくても、私は大学進学のチャンスを十分に与えられていたと思います。

それは質問者様がある程度優秀だったからだと思います。
また家庭の余裕度や、進学したい大学の難易度がどのくらいであったかにもよると思います。
今でも家庭の事情で大学進学を諦めている子は少なからずいます。
ですが、まずは大学進学が可能な程度の家の子の状況から考えてみたいと思います。

たとえば何もせずともA大学の合格可能性が60%の子が複数いたとします。
一方が進学校や予備校で受験テクニックを教わり可能性を80%まで増やし、他方は今まで通りの学習を続けて60%のままだとしたらどうでしょう。
個々の例だけを見ると、60%の子が受かって80%の子が落ちる例もあるでしょうが、集団全体としては当然80%の子のほうがより多く受かるはずです。

これは最近の水着騒動と同じです。
あのような水着なしでも優勝できる選手はいるはずです。
けれどライバルと競っていて、それで少しでも優勝の可能性が高まるとしたら利用してみたいと思うのは人情ではないでしょうか。
しかも実際にコンマ何秒か自己記録が上がっている例が多いのですから、お金でスピードを買えるのなら、その差が些細なものであっても買いたいと思う気持ちは非常によく分かります。

また、試験の成績が上がったことで、志望校をより難度の高いところに変えることも可能です。
つまり受験指導を受けることによって、可能性の幅を広げることができるのです。

たとえば毎年発表される東大合格者の高校別ランキングが良い一例です。

今年のトップ10が、開成、筑駒、灘、麻布、学芸大附属、桜陰、栄光、ラ・サール、聖光、東大寺学院と、私立8校、国立2校です。
筑駒と学附はいわゆる公立とは一線を画す国立の中でもさらに特殊な位置にある高校ですから、ここでは私立と変らないと考えて良いでしょう。

これらの10校で東大合格者全体の4分の1ほど-正しくは24.7%-を占めています。
つまり残りの4分の3を、それ以外の高校5000校の生徒で奪い合っているような状況です。
これが医科大や医学部となるとさらに私立高校卒業者が多くなるはずです。

優秀な生徒を集めているのだから難関大学の合格者が多いのは当然だと思われるでしょうが、先の回答に書いたように、優秀な子が多ければ授業の難度も高いものが望めます。

たとえば公立で国立進学コースを設置している高校は多いですが、東大並の大学への進学を念頭において進路指導を行なっている高校は、県立浦和や愛知の岡崎など、その県下でトップと呼ばれている高校くらいではないでしょうか。
それ以外の高校では、仮に非常に優秀な生徒が入ってきたとして、指導してあげたくともノウハウが無くて指導できないのです-過去の経験が無いのですから-。

つまり難関大学に合格するためには難関高校、それも中高一貫校に入ることは絶対条件ではありませんが、非常に有利な条件を手に入れたことになります。
RPGで言えば、銅の剣でも戦えるけれど鉄の剣ならもっと楽にクリアできるようなものですね。
それ以外の高校の生徒はその差を進学予備校を利用して埋めるわけです。
予備校にはノウハウがありますから。

以上がアッパークラスの現状です。
もちろんそんな現状とは関係なく、地方の特別偏差値が高いわけでもない高校から、自学だけで難関大学に合格する子もいます。
質問者様もその一例でしょう。そのような子でも何らかの指導を受ければ、よりスムーズに受験を行なえたたかもしれませんが、今は社会全体の傾向の話をしていますから、特別に優秀な子は考えに入れないほうが話が錯綜せずに済むかなと思います。

さてボトムクラスの話です。
知人がリストラにあい、その子はなんとか高校は卒業しましたが、結局高卒で働くことになりました。
ところがめぼしい企業は大学卒業が前提になっていて受けられません。
また公務員も上級職は大学卒が条件です。

そこで『「お金持ちの特権」がないと大学進学できないような子まで、何故わざわざ大学に通わせる必要があるのか…。』という問題が生じます。

正直に書けば、底辺近くの大学を卒業しても国家公務員上級職や一部上場企業に受かる可能性はかなり低いと思っています。
けれど試験を受ければ可能性はゼロではありません。
買わない宝くじは当たらないのと同じです。
ところが高卒では宝くじを買うことすら許されない場合があるのです。
門前払いですね。

その子は非常に優秀でしたので地元企業に就職できましたが、同学年の子は大学に進学し、何か問題さえ起こさなければその地元企業の元請けクラスの企業に就職するはずです。
その子のほうが同級生より高校時代の成績ではずっと上であったのに、大学に進学できたかどうかで元請けと下請けの差が生じ、給与も福利厚生も段違いです。

これならば、大学進学がお金で買えるなら買ってしまいたいと思う親も出るでしょう。
裏口入学や試験内容の漏洩は違法ですが、予備校や家庭教師で成績をアップさせるのは適法ですから、お金があればするでしょう。

今見てきたのは大学に家庭の事情で通えなかった子の問題ですが、同じような問題が大学進学が可能な子についても言えます。

もういちど質問者様の言葉をお借りすれば、『「お金持ちの特権」がないと大学進学できないような子』が合格したために、本来なら進学できたかもしれない子が「特権」を利用できなかったために不合格になる可能性があります。
あるいはランクを落とさざるを得なくなるかもしれません。
無名大学よりも名の通った大学のほうが、社会の多くの場面で有利なのは残念ながら事実です。
男性となるとさらに厳しいです。
就職だけではなく、合コンやお見合いの席でさえ大学名で選別されますから-これは余談かな-。

以上のような理由で、お金持ちの子は優れた環境で学習ができ、結果としてそうではない子より難易度の高い大学へ入り、比較的高給な職に就ける可能性が高く、結果、その子の子供もまた優れた環境で学習ができ、難度の高い学校に進みと、富裕層の固定化が進むのではないかと懸念されているわけです。

もちろん常に例外は存在します。
これはあくまでも社会全体としての傾向を述べただけですので。
御参考までに。
長文失礼いたしました。
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教育格差論議と主旨がずれてしまいそうで申し訳ないですが、別の観点から中高一貫の私立校について書き込んでみようと思います。



生徒一人一人の価値観が多様化し、それに輪をかけて携帯電話やPCが普及して、だれもがそういた機器を持てる時代となりました。

大阪や東京などの都会では、ネット上でよく有名公立進学高校出身の人達と私立高校出身の人達がばかばかしい不毛の議論を繰り返しています。

公立側は「お金があって私立に行けば、だれもが難関大学に行ける。あいつらは金で学歴を買っている。
俺らは貧しい中で文武両道でこなしてきた」という主張です(まあこれも本人はその事実を自慢しているとしか聞こえないのですが)。

それに反論する私立の何割かの人達は「自分は決して裕福ではない、中学の環境が荒れすぎているから、親が止むを得ず中学から私立にいかせた」という言い分です。

私はそういう理由なら中学から私学へいくことも構わないと思っている人間です。
より良い勉強環境を求めていくのは人間としては、ある意味自然なことだと思います。
それだからこそ、家庭内で親に迷惑をかけているぶん、将来は親孝行するんだとか、親に負けないくらい立派な人間になるんだという意識を植え付ける教育をしていけばいいと思います。

以前からいじめの問題はよく取りざたされていましたが、最近はよりエスカレートしてきているのに携帯、パソコン等が普及してきて、かえって表に出にくい状態になっています。
教育委員会でもいじめの件数は激減したなんてばかげた報告をしていますが、実際は件数は増加してきていると思います。それもより陰湿になって。

大阪の私学は、進学に力を入れている学校ほど、学内では携帯所持禁止を強く打ち出している学校が多いです。 私の知っている私学なんかでも、携帯を持っていない生徒の割合は公立に比べて結構高いです。 駄目なものは駄目(昔、どこかの政党の人も言っていたようですが)と学校側が徹底しているからです。

もちろん共働き家庭や深夜勤務をされている家庭には必要不可欠な媒体です。でもわざわざ学校(教室内)に持ち込むことはないと思います。昼間どうしても連絡したいならば職員室へすればすむはずです。そう言われると今度はプライバシーの問題だと食ってかかる親が出てきます。

携帯禁止でないところは授業中に携帯のベルがなったり、メールがはいったりという話はよく聞きます。 機器が発達してきたのに、社会での意識統一や家庭内教育が行き届いていないために、間違っていることでさえ正しいと主張する人が少なくありません。

まあ携帯が鳴るくらいはかわいいものですが、裏サイトでの一人の人間をいじめたりする、その内容は陰湿きまわりないものがあります。
「あいつウザイ、明日またノートを隠したろう」とか「キモい、死ね」とか・・・・・・。

「そんな生徒と一緒にすごすのも人生勉強だ」「悪い人間が少ない温室育ちの私学出が大人になってなにが出来る」・・・そういう主張も言いたいことはわかります。

でも別によい環境があるならば、そちらに進むことはかまわないのでは?人から批判されることではないと思います。 
そのためにお金が多少高くついても、よりベターの方向を求めるのって悪くないと思うのですが、こういう考え方はいかがでしょうか。

そういう前向きではない理由で私学に進む子も結構いるものです。
でも環境のいいところにいくことによって、結果的に難関大学へ進学する人間の数が多くなるという、棚からぼた餅的な結果があるわけです。

地域によっては本当に荒れていますよ。 橋下知事も荒れている中学に通ったのは知っていますし、どこの中学かもわかります。
でも皆が皆、橋下知事ではないんです。

私が私学の味方をするような言い方をするのも、中学のときに近所に学年が2つ上の女の先輩がいました。決して弱い人ではありませんでしたが、
ある日同級生の男の子たちに石を後ろから投げつけられ、運悪く頭に当たったために数日後にそれが原因でなくなりました。
お母さんは娘のうわごとで事実を知って、学校に抗議したそうですが証拠がなかったために、結局うやむやになったそうです。
しかし石を投げた同級生は今では立派な大人となって人生を送っています。
お母さんは「娘は小学校の卒業のときに私学へ行きたがっていたけれど、あのときに無理をしてでも行かせておけばよかった」と今でも後悔し続けています。 大事な娘を亡くしたのだから当然ですよね。

この中学の話が極端な事例なのはよくわかりますが、このお母さんと親しかったことが、この回答になっているわけです。
このように人間はその人その人の育った環境や歩んできた生き方で、考え方は大きく違ってきます。
誰もが私を含めて自分の歩んできた道を否定したくはないと思っています。

だからこういう問題は自分の生きてきた環境だけをみるのではなく、いろんな観点から判断されなければなりません。でも議論の割には答えが出ない場合がほとんどです。

文部科学省の誰がみてもばかげた「ゆとり教育」の問題も影響していますし。
質問者さんも知っていますか? 4、5年前まで小学校では数年間マジで円周率3.14についていけない生徒がいるからという理由で、円周率を3(整数の3だけで)で計算させていたんですよ。 「半径の2乗×3」「直径×3」ですよ。
そんな公立の小中教育に愛想をつかす親が出てくるのも当然です。
これなどは公立離れの原因は政府の完全に間違った政策によるものです。

「人間万事塞翁が馬」で人の運命はどう転ぶかはわかりません。
でもこの女の子の母親の考え方について、私たちがとやかくいう権利はありません。 
根に深い問題がたくさん横たわっているからです。
その人、その人の生きかたって、背景に第三者が知りえないたくさんの問題があります。
だからあまり軽々しく口に出して論じることはできないと思うのです。この母親の前で「私学に行く人間は金で学歴を買っている」という無責任な発言をする人はいないでしょう。

道徳に反せず、権利と義務さえはき違えなければ、いろんな生きかたがあってもいいと思います。 

でもそういう荒れた中学へでさえ、いかざるをえない人もたくさんいるのですよね。これもまた経済格差だと思います。

質問者の求められていることとは大きくずれていますが、私学に行くのが当たり前ではないので、行かさざるを得ない場合もあるということです。  
でもこういう議論は結論が出ずに終わってしまうのはわかっています。

しかしきれいごとを言っていても(そういう環境こそが人間修行の場だという意見)、中学生の自殺者が後を絶たない、それが厳然たる平成21年の事実なのです。














 
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教育社会学には、昔から、本人の出身階層と学歴との相関に注目する研究がありますが、最近の日本についての議論は、教育社会学者の苅谷剛彦氏が始めたのではないかと思います。



今、データはありませんが、例えば東京大学において、学生の家庭の所得の平均値が日本全体の平均値を上回る度合の増大と、入学者に占める国私立出身者の割合の増加が、並行して起こっていたことから、学歴(教育格差)と国私立や塾との因果関係が注目されるようになったのだと思います。正確に言うと、<家庭の所得が高い→国私立・塾に行く→学歴が良い>ということです。これは社会学的な問題、つまり、もし然るべきデータが存在すれば、この因果関係が高い確率で推定できる問題ですから、この問題を数量的に論じた本(できれば苅谷剛彦氏の本)をお読みになるのが良いだろうと思います。
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収入格差=教育格差が騒がれる昨今でありますが私もKurabelさんと同様の意見を持っています。



優秀な大学に行く学生の家庭が裕福である割合が高いというデータには、様々なバイアスがかかっている気がします。

学習能力は遺伝するとのデータもあるようですので、ご両親の学歴が高い(学歴が高いから収入も高い)→その能力を受け継いだ子供も優秀であるという考え方もできるのかもしれません。


大人世代は、経済学的理由が教育格差につながっているといいますが、実際の学生視点ではどうなんだろうかと疑問に思うことも。

優秀なやつは黙っていても、努力だけ進学したり、夢を実現したりで環境を言い訳にしません。何のために進学してるんだ、もっとしっかりしろよと言いたくなる、大学生も多数見受けられます。

かくいう私ものまわりにも、普通の一般家庭で、地元の地方公立校のみで進学し、塾にも通わず、現役で国立医学部、東京大学、旧帝大に進学した同級生が多数います。
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