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会話が関西弁(方言)である小説は幾つもありますが、地の文まで関西弁(方言)である小説を今まで見たことがありません。もっとも私が見たことないだけかもしれませんが、少なくとも、多くはありません。あれば教えてほしいのと、何故、地の文までが関西弁(方言)である小説が少ないのか・・・その理由を思いつけばそれも合わせて書いてみてほしいと思います。

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A 回答 (9件)

地の文というか語り手が関西弁の小説は


筒井康隆・小松左京・野坂昭如・谷崎潤一郎あたりで
読んだような記憶があります。

地の文に方言を使うのはフォークロアとか神話とかの
効果をねらった技法なのではないでしょうか
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 地の文まで方言を用いて書くと、「その土地の出身者以外には意味が通じない可能性が高い」からではないでしょうか。


( 「」内は以下のページからの引用 )
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20090309bk0 …

 科学の研究成果を世界的に認めてもらうには、日本語で論文を書いても外国人研究者にはほとんど読んでもらえなくて、英語で書いてしかるべき雑誌等に発表しないといけない、といった話を聞いたことがありますが、それと同じような問題があるように思います。
 できるだけ多くの人に読み味わってでもらおうとすれば、共通語という選択にならざるとえないでしょう。
 以下のような文章(「わだす」が語り手なので、地の文というより会話文に近いのでしょうが)の小説だと、私はまず、読み始める気にならないと思いますし、読み進めたとしても主人公の心情を正確に読み取る自信はまったくありません。(普段は、小説の読解は得意な方だと自負しております。)
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 えだいの知れねぇ不吉な塊がわだすの心ば始終圧えつけったった。焦躁っつうが、嫌悪っつうが――酒ば飲んだあどぬ宿酔があるみでぐ、酒ば毎日飲んでっと宿酔さ相当すた時期がやって来る。ほいづが来だった。こいづはちょぺっとわがんねがった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がわがないのではね。まだ背ば焼ぐみでな借金なんどがわがないのではね。わがないのはその不吉な塊だ。

http://blogs.yahoo.co.jp/moran6122/archive/2009/ …
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 まあ、でも、けっこう楽しめそうなので、以下のようなソフトをダウンロードして遊んでみようかという気になりました。
http://www.vector.co.jp/soft/dl/win95/writing/se …

 BEATLES の「Yesterday」の訳をいろんな方言で、というサイトも「お気に入り」に入れてあったはずなんだけど、どこ行っちゃんたんだろう。.
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No3です


雨月物語は、擬古文ですね。
擬古文という意味では「古代関西弁」

言文一致運動
これは、庶民に分かり易い言葉にするという運動ではなく、人間のありのままの感情を表現する上で、それまでの文語・雅文ではダメだという考えです。
このありのままの感情を表現するというのが内容的に突き詰めていくと、「私小説」となります。

明治になってそれまでの修辞法を否定して小説における文体というか修辞学的なものはすべて東京で育ちました。
坪内逍遙や二葉亭四迷、山田美妙、あるいは明治の文豪夏目漱石や森鴎外、出身はいろいろあれど活躍の場は東京。そしてそれぞれの方言で書いていては、相手に分からないという状況です。
東京語で文体が確立せざるを得ず、一度確立した文体は変動はしにくい。それが印刷され広められてので。
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素人ですが。



方言というのは、基本的に話しことばでこそ魅力を発揮するものだと思うのです。
つまり地の文までも方言にするとなると、物語を語っているようになり、地の文にも人格が宿るのではないでしょうか。
すると「この語り手はだれ?」ということになり、語り手が物語にどう関わってくるのか、などという問題が発生しませんか?

「語り手がいて、作品全体を方言で語っている」方式の作品ならおっしゃるようなものもあるのでは、と思います。具体例があげられなくて申し訳ないのですが。

ちなみになにかお手元の作品の地の文を方言になおせるかどうか、やってみられましたか? ものごとの淡々とした描写なら、方言にしようとしてもあまり変化はないし、感情などの入る部分ならやはり「これは誰?」って感じになりませんか? もちろん、地の文が「僕」や「私」などの一人称で書かれていて、主人公や登場人物のひとりといったものは多くあるので、そういう作品ならできるでしょうけどね。その場合、やはり「語り手」になります。

いかがでしょう? お求めの回答に、あんまり外れていなければいいのですが。 私なりに考えてみました。
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地の文が関西弁の 小説。



パンクロック歌手、詩人、俳優兼小説家の、町田康(2000年芥川賞受賞)が書いた「告白」がある。2005年に出版された。
厳密には、会話文のほとんどが河内弁で、地の文は標準語である。
しかし、地の文は、彼の他の作品と同じく、関西弁のリズムで刻まれており、たまに地の文にも出てくる河内弁や関西弁が鮮やかで、非常に面白い仕上がりとなっている。

地の文が、ほとんど標準語で、関西弁などの方言がほとんどない理由。

明治期以降の日本語は、欧米文化とどのように対決し、どのように受け入れるかを、主要な仕事としてきたので、標準語が方言と本格的に対決し、細分化されることは、社会情勢に合致しなかったから。
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筒井康隆の短編にありました。


タクシーの運転手の一人称の小説です。「スバルなんかに乗りやがって」というせりふが、時代を感じさせますが、タイトル失念。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>スバルなんかに乗りやがって
えっと…これって方言なのでしょうか(??)(というかそれ1文だけ引用されても…)。こういう文体の小説であれば、悪漢小説でよく目にしますが…。

関西弁の会話はある、しかし、その会話で使われた関西弁をそのまま使った地の文はない。全てが方言で書かれた小説はあるのか、何故全てを方言で書いた小説は少ないのか。私が知りたいのはそこです。会話は標準語、地の文も標準語の小説は山ほどある。しかし、会話は方言、地の文も方言の日本文学はない。それは何故なのか。

お礼日時:2009/09/16 08:28

雨月物語なんてのは関西弁です。

上田秋成は関西人ですので。

で、明治以降の近代小説においては、東京弁が表記の基準になった。
言文一致運動というやつですが、コレのお手本となったのが、江戸落語の三遊亭円朝の速記本。
http://ja.wikipedia.org/wiki/言文一致
なので小説は江戸落語の孫であります。

ほんでもって、小説というものが日本人に広まったのは、新聞連載小説であります。これがお手本で、夏目漱石とかが東京朝日新聞に掲載したわけです。むろん、夏目先生も江戸っ子。関西弁で書けるわけがない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
雨月物語…江戸時代の作品ですよね。作品名しか知りませんが、今度見てみようと思います。

>明治以降の近代小説においては、東京弁が表記の基準になった。
>言文一致運動というやつですが、
えっと…私が聞きたいのはこういう歴史的な事実ではなくて、何故そういう運動が起こったのか…でもなくて、”何故、今現在において誰も地の文で小説を書こうとしないのか”です。

因みに言文一致運動については、「知識階級でない庶民が理解できるように、一般的な書き言葉(標準語)として標準語で書かれるようになった」と理解しています。しかし今であれば方言で書かれた小説であっても誰でもちゃんと読めますよね(現に方言で書かれた会話は沢山あります)。方言で書かれた会話はあるのに、方言で書かれた地の文はない・・・おかしな話だと思いませんか?

お礼日時:2009/09/16 08:15

地の文を関西弁で書かれた小説がなく、


他の方言で地の文を書かれたものはあるかのような
書き方ですが、本当にそうなら具体例をあげてください。
関西弁だろうが他の方言だろうが、地の文を方言で
書いたりはしないはずです。
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この回答へのお礼

いえ、関西弁に限らず日本の方言で地の文が書かれた小説は今まで見たことがありません。書き方が悪かったですね…。

>関西弁だろうが他の方言だろうが、地の文を方言で書いたりはしないはずです。
「しないはずです」と言いますが、私が聞きたいのはそうじゃなくて、何故しないはずなのか、です。例えば、人間以外を主人公とした小説もないですよね(寓話とかなら沢山あるけれど)。それも何故なのか、僕にはわからないし、もしあればかなり新鮮な小説になるんじゃないか、などと思ったりするのです。文学の可能性も閉ざされた、なんてよく言われますが、まだまだ色々と新しい試みがあるように思えます。

お礼日時:2009/09/15 20:27

関西弁と他の方言を区別している時点で間違いです。


日本国内の各方言はヨーロッパ各言語と同じ、
対等の外国語なのです。統一する必要がある場合に
標準語という「共通の外国語」を使っています。
地の文は共通語を使うことになっているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
外国の方言については全く考えませんでしたが、今回は日本の小説において、関西弁と日本のほかの方言とは区別せずに”何故地の文まで方言で書かれた小説はないの?”と質問しました。最初にそこまで書いてませんでしたね・・・失礼しました。

しかし、
>地の文は共通語を使うことになっているのです。
これには全く納得できません。
使うことになっているのです。と言いますが、誰が決めたのでしょうか。あなたの思い込みではないでしょうか(失礼)。
地の文までが日本語の方言で書かれた小説は見たことはありませんが、地の文が方言で書かれた外国小説は幾つも原文で読んだことがあります(例えば、シリトーの「土曜の夜と日曜の朝」)。

お礼日時:2009/09/15 20:20

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