プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

【A】と【B】が恋人か夫婦であるとして、あなた(回答者さん)と私は【A】と【B】の友人であるとします。

(“夫婦”が契約関係にあたるのかどうかさえ知らないくらいですので、このことに関して突き詰めて考えておりません)




【A】が異性とセックスをしました。

一般的に“浮気”や“不倫”と呼ばれているものです。

【B】はそれに対する否定的な感情を【A】に表し、あなたと私もその場に居合わせました。

【B】はおだやかな性格で、私はとても好意を持っています。

しかし、【A】が異性と関係を持つこと(これを【S】とします) に対する【B】の否定的な感情は、結局のところ過剰な自己愛と自分本位の独占欲からきており、強いて云えば“悪徳”によるものだと私は感じました。

よって私は【B】を支持する理由を何一つ見出せませんでした。




【A】はあなたと私に言いました。


「私は常に【B】の幸せを願っているし、【B】と幸せを共有できれば一番幸せだ。
しかし幸せの共有というのは聞こえは好いが、実際は独占欲と自己愛によって作られた幻想であることが多い。
実際、私と【B】との関係はまさにそうだ。
今回の【S】によって私が【B】を悲しませたことに矛盾を感じるか?
私は矛盾していないと思う。
私は【B】の幸せのためなら自己犠牲もいとわないことを私が一番知っている。
しかしその自己犠牲が【S】をしないことを指すのだとしたら、私と【B】との関係はたんに【B】の私を独占したいという欲求に私が手を貸している状態、ということになる。
私に【B】を独占したいという欲があるか無いかは問題ではないから言わない。
重要なのは、私が【B】の行動を制限したことがないことだ。
【B】の行動を強く制限したがる人間のほうが【B】を幸せにできるならば私は手を引くだろう。
私は【S】を積極的にしたいと思ったことは一度もない。
誘われて、断る理由がなかったに過ぎない。
それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。
私は、【B】が他の異性と【S】をすることを私が制限する権利は無いと思っている。
それを制限しないことが私の幸せにつながり、私が【S】をしないことが【B】の幸せにつながるのであれば【B】のみが【S】をする権利があるということになることは知っている。
しかし、それでは制限を加えていったものが勝ってしまう。
私が【B】に、“私に制限を加えるな”という制限を加えれば【B】はどうなる?
その制限を加えることが私には一番よい。
しかし、加えない。
私の“私に制限を加えるな”という制限の【B】による実現は、いわば世界平和が達成された状態だ。
私の考えに根本的な間違いの可能性があるとすれば、世界平和が永久に達成されないと考えているところ、そして、【B】は世界平和が必要だと考えているけれど私は必要ないと考えているところにあるだろう。
【B】とはよくこの話をするが、【B】は世界平和が達成可能だと考えている。
私は反戦主義者だ。けれどそれが利己主義によるものだと考えている。
世界平和に関しては、自分の考えよりも【B】の考えを尊重している。
自分と違う考えを尊重することが世界平和につながると思ってそうしているわけではない。私は世界平和を望んではいないから。
【B】の考えだから、というわけでもない。
なんとなく、だ。

君の恋人が【S】をすれば君は悲しむのか?
君は、それを悲しまなければならないことには悲しまないのか?
私は【B】の【S】を制限したいかもしれない。
どちらにせよ私は【B】の【S】を制限しなければ、同意に基づくものであればいかなる人の【S】も悪いとだと思わない。
むしろ、好意的な要素以外見出せない。
私は今、とても悲しい」




私は【A】の言い分に矛盾を感じませんでした。

【B】は、【S】を制限することが世界平和に逆行するという点において矛盾します。

世界平和はその一部としてこの二人の平和も意味します。





あなたの感想も聞かせてください。






【A】による【S】が悪とされているのはなぜなのでしょうか。
他に似たような事例はありますか?

なお、質問の仕方(お礼を含む)が悪い場合はご指摘いただけると嬉しいです。

A 回答 (40件中1~10件)

こんばんは、the_hoursさん。



【プロダクション規則と局所評価関数にもとづく
計算モデル CCM による問題解決法とその特徴】
http://www.kanadas.com/CCM/SWoPP93/swopp93.rev.p …


【目に見える議論: 会議ファシリテーションの教科書】
http://books.google.co.jp/books?id=c6InjHv6QBkC& …

【麻雀役一覧】
http://www2.rikkyo.jp/toshi/page054.html

【麻雀のルール】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E9%9B%80% …

【メンタンピン】
http://www2.odn.ne.jp/~cbm15900/html/k3.html
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ごめんなさい、添付URL、訂正です。


正しくは、こちら↓

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa22733.html
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御返事を ありがとうございました。



あくまで私個人的に見ての感想なんですけど、ここで設定された【A】さんなる人物が男性であるとして、正直、あまり魅力ないですね;(笑)
以下に添付しました過去スレのなかで題材として挙げられている ご夫婦にしても、実際、こういう ご夫婦の片割れの浮気相手になるのはツマラん、、、としか思えないですけどね…燃えませんわ(笑)
ということで(なにが?笑)
今回ご質問の、本来の要点としては、下記の過去スレを御参照いただくほうが早かったかも しれませんね。
では、長文連発で失礼いたしました。。。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5321962.html
                    
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長文連発ですよ(笑)


こちらへ投稿しながらも、ず~っと喉元まで出かかりながら、「ほら、あれ、なんだっけな、え~と」と思い続けていたのですが、やっと思い出しました!
>「求められたから」「なんとなく」「断る理由がなかったから」

これねぇ、「据え膳食わぬは男の恥」ってコトバに思い当たりました(笑)

もしか、これが【A】さんの本意であるのなら、なんのことはない、ガチガチの保守、典型的旧来派、守旧派に過ぎず、【B】さんに表現されているような世間一般なみの感覚や価値観を嗤う資格は なさそうです。


さて、浮気 なら 許せるのが なぜなのか、というのは、説明しやすいです。
文字通り、「浮気」だから。つまり単に「本気」じゃないからです。

「浮気 なら 許す」と、おうように構えている人が、では「本気」で あったら、どうするのか?と聞けば、たぶん、許すわけに いかないでしょう。それは、すでに、「浮気だ から」という言明に表されていることです。

ところが、今度は、じゃあ、ひとたび「本気」ならば、なぜ許せない、ということになるのか、という問題。
これは、「浮気容認派」にしても共通している、わかりやすい感覚かも しれませんが、結局、
自分の居場所、ポジションに かかわってくる問題だからなのでしょう。

すでに指摘が ありますように、浮気が いつ本気にならないとは限らないのも否定しきれませんから、その点で、浮気段階から、もう容赦しないゾという用心深い人の気持ちも、理解できないものでは ないです。
「浮気なんだから~」と安心して言ってるうちに、よもや、本気になってしまわれていた、というのでは、われと わが臍を噛まねばならぬ仕儀になりかねません。

夫婦も長く やってると、色気だの恋愛感情よりは、家族意識のほうが まさってくる。
前々回あたりの投稿で ご紹介した、元アイドルの女性と、愛人だった故人の奥さんの話。これは、奥さんのほうが、ダンナさんに対して、夫婦とか恋愛感情とかよりも、もう ほとんど母親的な家族意識の ほうが上まわっていて、トシくっても相変わらずキレイで可愛らしくて華やかで憎めない、そんなステキな女性に相手になってもらえた わがダンナが、むしろ得意に思えたのかも、と思います。言わば、一種の同一視ですかね。

同じ家族でも、夫婦間と親子間で全く同じというわけには いきませんが、
ただ、上の子が、あとから生まれてきた弟なり妹に、親の関心や愛情を奪われたような思いで、拗ねたりヤキモチ焼いたり、なかには「赤ちゃん返り」をする子も いるそうで、このへんの現象は、あなたも私も、誰もが最初は、自分自身も赤ちゃん・幼児から出発しておりますから、わかりやすい感情の はずです。
これは、たとえば、一夫多妻制などに おける妻どうしの間で起きる嫉妬心にも共通でしょう。(むかしの日本では、「源氏物語」とか大奥とか?笑)

とられる、つまり居場所を追われる、いまのポジションを捨てなければ ならないのでは、という危惧から起きる嫉妬心ですね。これは確かに自己愛、それも、自然で、まことに素朴なものです。
本来、責められるべきことで なかろうと、私は思う。

しかし、、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、度を越した嫉妬は、わが身を滅ぼす、とも よく聞かれるコトバです。そして、他者の嫉妬を買うことほど怖ろしいものは ない、とも言います。


あとは、まあ、こんにちの時代の変遷ということを 脇に置くとして、女性の場合、あくまで一般的に男性ほどには性欲の激しさに悩む人が顕著でないせいも あるからでしょうか、それと同時に、性欲の激しさは、前回の投稿でも述べましたように、生理学的にも女性にとってリスクの高さに結びつく、そういうことも あって、「下半身モンダイ」には冷ややかな視線を向け、生理的嫌悪感を もって排斥しやすい傾向が ある、とも考えられます。

それや これやで、基本的に産む性である女性特有の生理的嫌悪感や潔癖な性向から来る否定的感情、また、ポジションを奪われるのではという危惧感から来る不安など、こういったところを、いかに乗り越えられるのか。

さて、いよいよ、事態が「本気」というレベルに達してしまっている場合は、どうするか。
相手の楽しみ、喜び、意向を まるごと尊重し、諸手を挙げることも辞さないまでに応援すべし、それが成熟した「愛」ということならば、これは もう、明らかです。
「本気」の相手のほうへ行かせてやらねば ならない。

それでも、自分たち二人の いままでどおりの暮らしの かたちを継続することを望むならば、新たに「本気」の相手として登場した者の意向も考慮せねば ならないでしょう。これは、はずせませんよ。
その「本気」の相手が拒んだなら、どうしましょうか?どうなるでしょうか?

恋愛感情や往々それに伴う独占欲などは、本能レベルの深いところから発しているものであろうと思います。
【A】の立場としては、またまた失望するのでしょうか。
あるいは、このときこそ、「制度」「契約」の出番でしょうか。

「身を固める」とも譬えられる結婚という「契約」は、そもそもが社会通念に よるところ大なのですし、同じ ていどに「本気」だからって、重婚は禁じられてますよね。
貞躁の義務なんてのは、むかしの話かな?それでも、離婚となれば、いまでも、浮気した側が圧倒的に不利なのでは ないですか?


とにかく、【A】さんが しょせん浮気、もしかしてハッタリに過ぎなかったと同様、【C】さん側にとっても浮気に過ぎなかったのなら、【A】さんは、誰をこそ重視するべきだったか。
まさか、しょせん遊び、浮気の相手でしかない【C】さんに義理だてして、その誘いに律義に応えるのも、いかにも変な話です。

【C】なんか、浮気対象でしかないのだから、しょせん どうでもいい、と思うような人には、誰に対しても、深い精神「愛」なんて あるわけないだろう、と思えますし、
まして、浮気相手【C】さんが、もしも「本気」だったとしたなら。
それなら なおさらのこと、【C】さんに対し本気でない【A】さんは、慎重になるべきだったはずでは ないでしょうか?

いずれにせよ、私から見れば、【A】さん側に同情の余地を見出すのは困難です。
まして、【C】さんの「本気」度を、ワザワザ自分から試した、というようなことでも あったとしたら、愚の骨頂としか言えません。


ちょっとした気分転換を兼ねて。
心理的に ちょっとオモシロい?話として、これは、たしかフランス人夫婦の間に起きたことだそうですが、
ある日、ひょんなことから、自宅で、妻が、よその男とベッドにてコトを いたしている最中を目撃した夫は、その日以来、職場から帰宅する時間もグンと早まり、どうかすると、帰宅早々コートを脱ぐのも もどかしく、妻を 引っ掴んでベッドへ直行、という勢いで、それは もう、倦怠期夫婦の例に洩れずセックスレス状態であったのが嘘だったかのように、俄然、連夜の「営み」が激烈になった、というのです。
夫は、あのときの妻の あられもない姿が脳裏に浮かぶたび、あたまがカーッとなって、ほとんど凶暴な気分になったらしいですが、妻のほうも、最初のうちは怯えの表情を見せていたものの、じきに そのうち、とてもヨイ反応で こたえるようになったのだとか。めでたし めでたし(笑)?

おそらく、妻の浮気現場を目撃することもなく、発覚しないままに過ぎていたならば、典型的平和な倦怠夫婦で、そのまま終わっていたのかも しれません。どっちがイイのやら悪いやら(笑)
とにかく、この夫婦の例で みれば、この場合、浮気と それに伴う罪の意識が、とっても効果的なカンフル剤の役目を果たしたようです(笑)

それにしても、哀れカンフル役の男は、イイ面の皮?しかし彼のほうでも、しょせん本気では なかったのなら、やっぱり、めでたし めでたし、になるのかな??(笑)


最後に、今回の御質問を拝見していて思ったこと。。。
余計な人物設定が、前面に出過ぎたのでは ないでしょうか。
そのために、あくまで「浮気は裏切りという悪なのか?」なる問いの焦点が ぼやけてしまいがちになったかも しれませんね。
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この回答へのお礼

以前に「私には関係がない」とお伝えしたのは、私には結婚や交際といった関係自体が理解できないためで、回答者さんやBの言っていることや心情がまるで理解できません。
かといってBとこのような関係になったAも理解できないため、はじめはAを擁護しておりましたが、AもBも世間一般も「好きにやって下さい」としか思わなくなりました。


>余計な人物設定が、前面に出過ぎたのでは ないでしょうか。
>そのために、あくまで「浮気は裏切りという悪なのか?」なる問いの焦点が ぼやけてしまいがちになったかも しれませんね。

そうでした。
Aが普通でないことを私が不用意に色をつけて伝えすぎました。
私と似ている部分においては(余計な先入観をなるべく少なくするため)私の考えをAの考えとして書いたところもあります。
反省しております。


私は前から疑問に思っておりましたがこれを機に真剣に問うてみようと純粋に思ったため質問したのですが、「浮気は悪いことだ」と言われても自分には一生関係がないかもわからないのですし心情が理解できませんから私がこの質問に対する回答への質問をしても意味がない、不毛のように思いはじめました。
意見のみを回答してもらい、お礼をしなければよかったです。


AとBの2人の間での問題なので当人が話をつければよいですし、多数がとっている制度ですから一般には多数の意見を尊重すればよいです。
ただ、私には浮気や本気でも、何を怒るのか悲しむのか理解できません。
今回初めて関わった世界ですが、二度と関わりたくない世界です。笑


丁寧なご回答をいただきありがとうございました。

お礼日時:2009/10/09 19:47

 《ゲツセマネでの祈り》のあと 眠りに落ち入っていたペテロら弟子たちに言った言葉があります。



 ▲ (マタイによる福音書26:41) ~~~~~~~~~~~~~~
 こころみの誘惑に陥らないように目を覚まして祈っていなさい。霊は覚悟ができていても 肉体は弱いのである。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ここの後半は 《心は燃えても、肉体は弱い。》とも訳されるところですが 上のように捉えて考えます。

 単純に考えを及ぼすのですが その後半の一文からは 次のように言えるのではないでしょうか。
 ○ 肉(身体および精神)は弱いが 霊は知っている。あるいは
 ○ 人間の能力と努力とでは最終的な責任においてことを決めたり実現させたり出来ないが 霊においては分かっている。
 ○ つまり すべては なぞである。けれども なぞにおいてわたしたちは 何事でもけっこう分かっている。
 
 ☆ 霊とは 精神を超えたところの非思考であり無根拠だと考えます――そういう想定です。
 この原点もしくは出発点から捉えるようにしてください。この《なぞにおいて知っている》ことを見ないようにするなら 世界平和も何も始まらないという見方です。どうでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

すみません、難しくて理解できません。。
価値観が違い過ぎるためもし余計な先入観を持たれているのであれば、私には理解ができません。。

お礼日時:2009/10/09 19:06

すみません。

No.27のご回答をもう一度見て、やはり私自身、
保守が嫌いだったのだと今ひとたび気づきました。
つまり、大量生産労働の為の保守、弱者の立場においては考えるな従え的な保守が嫌いでした。ですが、すぐに答えが出なかったのです。すみません。

自分自身ずっとふらふらしていたからです。
子供の頃の経験上、日教組から管理教育へという両局を180度、転換
でずいぶん悩んだことをずっと忘れてはいなかったのです。

弱者たとえばいじめられっこを見過ごせない体質は自分自身、見直すべきと改めて考えさせられる。
多者対弱者一人は、日本人の特徴のような気がしてならないのです。
しかしそれは疑うべきだ。多者各々と弱者一人それぞれが独立して
いると見たらどうなのか。それを考慮した上での弱者への救いならば
いいのではと思うのだがどうだろう?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
すみません、いまいち理解できませんでした。。。

お礼日時:2009/10/09 19:00

私への お礼が投稿されたという知らせが入ったのを機に、しばらくぶりに閲覧し直させていただきました。


他のかたとの やりとりや お返事に関して申し上げるのは如何なものか、という ご意見もあるのは存じてますが、私は、それとは少し違う考えを持っていますので、あえて とりあげさせていただきますね。

>松本人志さんは、「弱き者を傷つけてはならないという論理を突き詰めれば最弱こそ最強になる。本来の最強には手も出せるが、最弱の最強には誰も何もできなくなる。」と言っていました。

私も以前から
「最も獰猛な者は最も弱き者であるゆえに、周囲は、この者に手を下せない」
ということを言ってきておりますが、では、たとえば、最も弱い者の代表格イメージを持つ、生後間もない赤ちゃんなどは、どうでしょうか。ほとんどの人は慈しみます。赤ちゃん自身は、自ら自分の身の始末すら できないことを分かっているからこそ、周囲の者は細やかに気を配ってあげますよね。ほとんど そうせずにいられない力を、赤ちゃんは感じさせずに おきません。
これをして、はたして「弱者」と呼べるのだろうか?とくに、いわゆる育児ノイローゼのような状態に陥っている若い母親などに とっては、赤ちゃんは「暴君」ですら あるでしょう。そういえば、漱石の『猫』に、「(幼い末っ子であるところの)坊ばは、暴君である」という くだりが ありましたっけ。
しかし、やはり、最も弱き者を、まさに「弱き者」にすることも可能です。
結局、あなたが、私が、自分が どのように遇するか、です。

>【S】が起こるのが不自然とはなぜでしょうか。
しかもその根拠が、儀式をしたから、というのはとても奇妙な感じがします。

その「儀式」とやらが、いかなるニュアンスを伴うものであるかが分かりませんとね。たとえば婚約とか結婚式のような儀式なのか、とか。
そうであれば、結婚式を挙げた間柄だからこそ、浮気は「浮気」となり、あるいは、本気になるとはケシカラン!というのは、無理なく理解できますよね?

私が申した
>>人間の根本的で自然な心情を一切 排除して考慮に入れないというのは、大いに間違っているかも しれません。

に対して
>これに反論できない

と仰いました。
なぜ、「浮気」は、しょせん浮気として許せる人と、そうでない人に分かれるのか?

>受け手の心証による、つまり【S】自体は悪ではない、ということで理解いたしました。
>【B】が自分勝手なことを棚にあげて道徳的アリバイ工作をする卑劣な人間であると感じてしまうことも私の心証であり

つまり、要は、受け手によって、「悪」と されているに過ぎない、ということになりましょうか。

>【S】に対する理屈抜きの悪感情を考慮するのは賛成ですが、すでに「考慮」のレベルにはなく、(私が一人でそう感じているだけかもわかりませんが)なにか絶対的な力さえ持っているように感じます。
悪感情を持つほうも、何を根拠にしてか「この感情は保護されて当然」という状態に見えます。

ところで、この場で設定しておられる【S】ですが、この【S】を【A】なる人物に働きかけた相手【C】というのは、【A】に対して、どのような意向、それが必ず、すなわち【S】と名づくべきものなのであって、【A】に対しては、【C】の その意向どおりに応えるべしという強制力が あったのか どうなのか。

そのへんは、なにしろ哲学のカテゴリーということで、いわゆる思考実験的に、絶対の大前提として据えておられるのかも しれませんけれど、もしも、実際の人間関係のことで、このような疑問を起こされたのでしたら、【B】なる人物も含めて、まずは、この大前提の設定から疑って かかるべきのようです。

質問者さまは
>>私は【S】を積極的にしたいと思ったことは一度もない。
誘われて、断る理由がなかったに過ぎない。
それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。

と されていて、
>この箇所が、どうにも分かりにくいです。
>その【S】たるや、【A】は本当は【S】などしておらず、はったりだったかもわからない、のでしょう?なんだか非常に奇妙な感じが します。

と、このように最初期の段階で私が「より噛み砕いた補足を いただけますなら」と求めましたに かかわらず、意図的にか否かは知らず、スルーなさっておられますので、私は、どういうわけか おこたえいただけない、その気が おありにも ならないようだ、と感じましたので、一旦は退散させていただきました。

>結局、残るのは、カノジョだか嫁だかの【B】さん側の受容度如何、ということが問題なのでしょうか?

とも申し上げましたが
まあ、「【A】が世界平和を望んでいない」こと、ハッタリだったというなら尚更のこと、【S】なるものを行ったと言うのが、もしや、【B】なる人物に嫉妬を させたいのが真相だったならば、

>当人同士が儀式をした
のであれば、ということも、これまたハッタリ臭いと言えなくもないですね(笑)

>恋愛相談へいくべきのような気もしてきました。

だと思われますよ。

>【A】は【S】をすることでなにひとつ得がないことを初めから知っていて、あえて【S】をしたかもわかりません。(【A】の【S】の相手が満足したならばその点においてはよいことですが)
あるいは、もっと確信を得ているのであれば、【S】を楽しんだかもわかりません。
世間一般には【A】が【S】を楽しんでいれば非難されるでしょうが、私は逆で、楽しんでいなければ【A】を非難します。

についても、私は
>不自然!
の一言です。
もっとも、「楽しんで」も いないのに、なんで そこまで?というのは わかります

と述べてきました。

>ここでは浮気や不倫そのものの如何を問うていますので

>根拠がすっぽり抜け落ちているものもあり
>【S】に関する項目のない契約をした夫婦か、恋人 でお願いいたします。

それこそ、「普通」と言いますなら、当然、恋人あるいは夫婦間なら尚更のことに、浮気や それに伴うセックスなどが不快感を呼ぶことは「普通」のことですよね?
それを敢えて、「契約」のなかに入ってないから!と主張するのであれば、あらためて契約に加えれば よいことです。
ただし、【B】なる人物が、そんなことをワザワザ契約に加えなければ わかんないのかコイツは…と呆れて立ち去ってしまわずに、関係継続してくれるならば、ですけど。
【A】さんは、今後、【B】さんの感覚とは、ひいては、世間一般で、恋愛関係や契約関係を結んだ者の感覚とは こうしたもの、ということを受容していく、それが受容できなければ、それこそ【A】のエゴとも なりかねない、というのは、すでに指摘に挙がっていますが、
【B】に対し、【A】が いかに【S】しまくろうとも、それは【A】にとっての【B】の存在価値を些かも揺るがすものでないから安心せよ、という説得が【B】に効くのか どうか、です。

【A】なる人物が述べていたという
>セックスの相手に恋人や配偶者だけを本気で求める人ほど奇妙な存在はない。

これも、セックスという行為が、もともとは、いかなる要請のもとにあったのか、こんにちのヒト族にとってのセックスを めぐる現象一般を考え、「人物への幼児並の執着であるか」云々などといった決めつけの前に、ことに女性にとって、その行為が、特定の相手や結婚と重い繋がりを持たずに来れなかったことの諸々の経緯を御考察なされては いかがかと思います。むかしの結婚というものは、身分が高い立場であるほど、個人よりも家どうしの結びつきである面が最大であったとは、よく聞かれることです。その反面で、フランスの貴族社会などで みられるごとく、タテマエの裏での奔放な恋愛が、公然の秘密のごとくに盛んであったとも聞きます。
経済力に恵まれない女性にとって、結婚が一種のビジネスのように処理されていることなど、こんにちでも大いに ありそうです。

まあ、「善悪」というものを考えるときにも、
>哲学と言えど、いや、哲学なればこそ、人間の根本的で自然な心情を一切 排除して考慮に入れないというのは、大いに間違っているかも しれません。
それは、「制度」一般というものが、いかなる要請のもとに起こってきたものであるかということとも通底することではないでしょうか。

と前回も申し上げてきました。

>【A】のセックスへの興味の無さは普通ではなく、

というのも、そもそも「普通」ということ自体を問題視される姿勢で いらっしゃるならば、たかだかセックスへの興味なんどに拘泥しないことです。私から見れば、かえってコドモじみて見えます。
【A】なる人物に、いわゆる「嫉妬」感情が皆無であるかどうかすらも、怪しいのでは ありませんか?

繰り返しになるようですが
>「相手を尊重するのが世界平和」

の前に、相手の価値観を知る努力ということが、相手を尊重することでは ないのでしょうか。尊重、とは、はなっから分かった気になったり、放置することとは違いますよね。
それは、どうやっても完璧さを望めない、切りのない努力かも しれませんが、どうせ完璧は無理なんだろ、切りもないんだろ、だから、と言うほうが、私には よっぽど「傲慢」に思えるのです。そういう人を眼前に したとき、この人の「傲慢」さを どうにかしようとするほうも「傲慢」かもな、と思ってしまいます。
あるいは
>基本的想像力の欠如した独善主義者

と言い切る人自身は、他者のことを最低限の基本的レベルで想像し、理解できているのか、その人が、世間一般に暗黙事項とされること、あるいは良識や、明示的に常識と されることを軽んじるスタンスならば尚更、「基本的想像力」とは、どういうことか分かっていて、きちんと説明できるの?と不審に思います。

>世界平和の達成は全体主義を意味すると

仰ってますが、では「世界平和」は いいのでしょうか、いけないのでしょうか?
だいいち、そもそも、それは、誰にとっての「世界平和」なのでしょうか?
「全体主義」そのものは、いいのでしょうか、いけないのでしょうか?

【A】なる人物が、どちらとも一切判断していないというのが本当であれば、【B】さんの御意向に「なんとなく」従ってあげられるはずでは ありませんか?それなら、【B】さんとの関係を【清算】する必要も ないわけです。


それにしても、質問者さまが仰る
>>「求められたから」「なんとなく」「断る理由がなかったから」
これに関しては、質問文で「それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。」と書いており、初めのほうのお礼でも書きましたが「【A】は、(意志の力で)【A】としてあり続けるために【S】を選んだ」のだと思います。
全ての責任を負う、ということです。
>「なんとなく」
ということを一番嫌う人間です。
「本気か?」「青年にとってはあらゆる思想が単に己の行動の口実にすぎない」が口癖でした。
また、No.30、No.32さんの回答によると、「なんとなく」を否定することは困難です(私はそれでも否定しますが)。
そして、私はNo.30、No.32さんの意見は私の姿勢を的確に批判しているものであり、正論であると考えております。
「なんとなく」を否定してきたAは完全に浮いていました。
「なんとなく」で行動しない人間をA以外に見たことがありませんし、考えても見てください、A以外にもいたら、回答者さんの周りにもいたら窮屈ですよ。
私も窮屈でしたし。
>繰り返しますが、【S】はAさんの望んだ行為であり結果です。
Aのことですから、【S】をすれば死刑、というのがわかっていても【S】をした可能性はあります。

…このあたり、【A】なる人物と質問者さまの境界も曖昧な感じがするし、、、やはり、非常に奇妙な印象を拭えません。

私には、No.33回答者さまの仰ることが、よく理解、共感できると思います。
>Aさんは楽しんでいないのですから(質問者様も「世間一般には【A】が【S】を楽しんでいれば非難されるでしょうが、私は逆で、楽しんでいなければ【A】を非難します」と書いていらっしゃいましたよね) じゃあ何故Aさんは【S】なんかしたのでしょうね。まさかBさんの為に「世界平和」を実現しようとしたからではないでしょう。Aさんは「世界平和はムリ」と思っているのですから。
>「求められたから」「なんとなく」「断る理由がなかったから」というのがおそらくAさんの答えなのでしょうね。ここが私には卑怯に思えます。

これが、もしも、現実に起きた話であるならば、【A】なる人物が、実は、浮気相手に過ぎなかったという【C】に、意外にもフラれた負け惜しみ、に聞こえなくもないところですよ(笑)


【B】については比較的わかりやすいように一見思えますけれど、それでも、その【B】も含めて各人物の真意というものが、実に曖昧模糊、グラグラしてます。
ここでは一番ハッキリとした意向を 持たされている【B】にしても、また浮気相手【C】にしても そうですが、【A】なる人物の本意が明らかにならない限り、やはり「不毛」な やりとりに終始しそうです。


甘い物が大好きな者にとって、甘い物を与えてくれる者は喜ばしい存在です。しかし、甘い物を食べることで、生命に悪影響を及ぼすような病気などを抱えている者だったら、その者に甘い物を与える者は善なる存在であると言えるのか?
甘い物を与えることが、相手の生命に悪影響を及ぼすとは微塵も知らないでいる場合。
甘い物を食べることが、自分の生命に悪影響があるとも知らないでいる場合。
与えても、食べても よいのは、悪影響を及ぼさない場合のみですよね。
そして、その場合でも、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というコトバも ありますが、範囲について考慮は欠かせません。
結局「「価値観の押しつけ」になっているか否かということも、範囲の問題、ということが重要になってきそうです。
もちろん、甘い物や、あるいはセックスそのものに、良い悪いは もともと ないでしょう。


「軍艦アパート」のことを出しておられ、ずいぶん前に もう撤去されたのでしたっけ、一歩なかに入ると、居住者以外は出て来れなくなる迷路の「魔窟」とも称された、香港の九龍城や、はたまたガウディの『サグラダ ファミリア』を連想しました。
「軍艦アパート」とか廃墟の美は、私なんかにも大いに共感は あります。
ですが、実際に、そこに住むことを強制されるとなると、また別の次元の話になります。
小説や映画などでも そうですが、あるいは、たまには見てしまう睡眠中の悪夢なんかを考えますと、自分自身の現実の生活とは違う世界だからこそ、余裕を もって楽しめる、というのが本当のところでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

Aの主張のほとんどは高校生のときのもので、2年近く会っていなかったですし、お伝えするために私がAの像を適当に作ることで様々な矛盾をきたすことは当然なのですがそれでご迷惑をおかけしたことには申し訳なく思っており、質問すること自体が軽率であったと反省しております。
バーチャルの世界は一般を基準とした想像が働くためこういう質問には向いていないとも思いました。

今からほかの回答も読ませていただきます。

お礼日時:2009/10/09 18:53

>もちろんそれで結構です。



お言葉に甘えまして再度投稿させていただきます。

パートナーの【S】を認める女性について、大衆小説ですが「デザートはあなた」という作品で描写されていました。いわく、自分の好きなパートナーが【S】によって楽しみ、その【S】の相手も楽しむということで、それが自分の喜びでもあり、否定する要素は何もない、との論理です。

Aさんはこの考えに近いのですか? これが「世界平和」であると?

いえいえ、Aさんは世界平和を望んでいらっしゃらないようです。望んでいるのはむしろBさんの方です。AさんはBさん自身の「平和主義」に反する言動に失望したと?(まあ、この件は先の回答の「価値観の押し付けでお互い様」ということで私の中では答えが出ています)

しかし、上記の小説の例とは少し事情が異なりますね。Aさんは他の異性との【S】を楽しんでいないのです。なので「BがAを好きなら、Aの喜びにつながる事はなんであれ肯定すべき」という理屈でBさんを責めることはできません。だってAさんは楽しんでいないのですから(質問者様も「世間一般には【A】が【S】を楽しんでいれば非難されるでしょうが、私は逆で、楽しんでいなければ【A】を非難します」と書いていらっしゃいましたよね) じゃあ何故Aさんは【S】なんかしたのでしょうね。まさかBさんの為に「世界平和」を実現しようとしたからではないでしょう。Aさんは「世界平和はムリ」と思っているのですから。

「求められたから」「なんとなく」「断る理由がなかったから」というのがおそらくAさんの答えなのでしょうね。ここが私には卑怯に思えます。

人が「大した理由もなく」「なんとなく」行っていることでも「すべて」自分の「意志」によるものです。自殺も、トイレに行くことも、コンビニに買い物に行くのも「すべて」です。それを「地震にあったのは私のせいではない」とばかりに【S】は天災同様不可避であり、完全に自分の意志外のものである、とでも言いたいようなAさんの主張は私には少し不快に思います。

繰り返しますが、【S】はAさんの望んだ行為であり結果です。Aさんに性欲がなかろうが、アプローチをかけてきたのは相手だとかは関係ありません(それともその行為は強姦か何かだったのでしょうか? それなら「天災」同様「不可避」なので話は別ですが)

正義なんてない、悪なんてない、平和なんてない、人権の尊重なんて不可能、正しい判断なんて存在しない、だから私は判断しない、その意味において私は正しい。-う~ん、間違ってはいないと思うのですが、なんか逃げというか卑怯というか…気がしますよね。すべてを否定してしまえば、それは楽ですけど、否定すら否定するという「矛盾」に陥りますし…。

殺人は何故いけないとされるのでしょうか? それとも前衛的な質問者様は殺人も悪でないとされるのでしょうか? まあ、例えそうだとしても「一般的に」殺人は悪とされることは否定できないと思うので同じことですが、「浮気」も似たようなものだと思います。

「自分は殺されたくない」「自分の大切な人も殺されたくない」という考えの人物が大多数であり、だから、正直に言えばそれ以外の人はとりあえず関係ないのだけど「すべての場合に殺人を禁ずる」というルールを作っておく方が合理的である。と、それだけの話なんです。何故「大多数」であるか、もうしわけないですがそれは判りません。そしてこのルールには、少数派の「殺されたい人」「殺されても構わないと考える人」の意見は反映されません。

浮気も同様で、別に「日本の価値観だから」って訳じゃなく、「浮気をされたくない、だからしない」という価値観の人が「多数」だからということだと思いますよ。少数派のAさんのことは、この点では誠に気の毒だと思います。

と、Aさんを「卑怯」扱いしてしまいましたが、訳がわからなくなると「多数決」に逃げたり「価値観の相違」「すべては等価値」で片付けてしまう自分も充分「卑怯」であり「矛盾」しています。

この回答への補足

>正義なんてない、悪なんてない、平和なんてない、人権の尊重なんて不可能、正しい判断なんて存在しない、だから私は判断しない、

正義や悪、について私は考えておらず、「それでは話にならない」という回答も一人の方から頂き、私はそれを最もだと思いました。

>質問者様は殺人も悪でないとされるのでしょうか? 

殺人者のほとんどを死刑にすべき(もしくは、報復殺人権を与え、裁判所が代わって執行するべき)、と考えている点では、殺人も悪ではないと考えているほうに入ります。
とはいえ冤罪の可能性がある限り死刑執行はすべきでないですから、ほとんど、というのは実現不可能なのですが。

ひとつに殺人といっても事情を汲むべきケースはあると思います。
老老介護で長年連れ添ってきた方を殺さなければならなくなった方の胸のうちなど私には想像もつきません。
まあ、それが立証されない限りは相当の刑を科すのは法治国家(私が冤罪でつかまる可能性もあります)として当然ですし、私が裁判員であれば実刑を提案せざるを得ないかもわかりません。
千葉でしたか、医者の息子か誰かが「助けてくれー!」と叫びながら商店街を歩いていましたが、事情によれば同情せざるを得ないでしょう。


>「浮気」も似たようなものだと思います。

浮気への悪感情は、嫉妬心、ではないか、と他の回答者さんが言っておられました。
私はその時すでに、【A】がよくない、と考えておりましたので、「嫉妬心を否定的に捉える根拠はどこにあるのか」を探すことになりました。
「嫉妬心を肯定的に捉える根拠はどこにあるのか」も同時に探さなくてはなりません。

補足日時:2009/10/04 13:19
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この回答へのお礼

私は「No~の回答にありましたように」というのは明記したほうがもしものためによいと考えているだけで、回答者さんは過去の回答を読む必要は全くありません。
私の応答のレベルが低いせいで読む価値がありませんし、都合のよいこととか悪いこととか関係なく(私はどちらが正しいか、ではなく、浮気はどうなのか、にしか興味がありませんので)覚えている範囲で、または時々読み返しながら私が引用していきます。
本当に、過去の回答を読ませるのは気が引けますので。


>「BがAを好きなら、Aの喜びにつながる事はなんであれ肯定すべき」

このような横暴な主張をするような人間であればBが関係を持たないですし、持ったとしてもとっくに関係が清算されています。
なにゆえの悪感情なのか、なんとなく風潮に流されているだけではないか、ということでしょう。


>「求められたから」「なんとなく」「断る理由がなかったから」

これに関しては、質問文で「それに私は、断る理由の無いことを何年も前から知っていた。」と書いており、初めのほうのお礼でも書きましたが「【A】は、(意志の力で)【A】としてあり続けるために【S】を選んだ」のだと思います。
全ての責任を負う、ということです。

>「なんとなく」

ということを一番嫌う人間です。
「本気か?」「青年にとってはあらゆる思想が単に己の行動の口実にすぎない」が口癖でした。

また、No.30、No.32さんの回答によると、「なんとなく」を否定することは困難です(私はそれでも否定しますが)。
そして、私はNo.30、No.32さんの意見は私の姿勢を的確に批判しているものであり、正論であると考えております。


「なんとなく」を否定してきたAは完全に浮いていました。
「なんとなく」で行動しない人間をA以外に見たことがありませんし、考えても見てください、A以外にもいたら、回答者さんの周りにもいたら窮屈ですよ。
私も窮屈でしたし。

>繰り返しますが、【S】はAさんの望んだ行為であり結果です。

Aのことですから、【S】をすれば死刑、というのがわかっていても【S】をした可能性はあります。

お礼日時:2009/10/04 13:19

>繰り返しになりますが、前回答は正論でした。



^^ ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しい限りです。
ただ、私の中では、すでに浮気云々は(大変失礼な事ですが)興味を失っておりまして、the_hours さんの考え方の方に興味が湧いたための返答でした。お付き合いくださって感謝しております。

と、言いつつ・・・。もう少し話しませんか?
押し付けがましいように受け取られてしまったかも知れませんが、討論でもありませんし、例え不毛に終わっても反芻する事で何か得られるかも知れません。(私的な事を言えば、私自身はいつもそうです。質問者であっても回答者であっても・・・)
もし、何でしたら断って(無視して)頂いて構いませんので、続けますね。

---

>>人にとっての悲劇はその経験知、主観、価値観を絶対視する事に始まると思います。
>   ゆえに ↓
>>それを否定するのは憚れる(はばかられる。差し障りをおぼえてためらう。気がねする。遠慮する。)

>のであれば、その逆も言えます。
>自らは、自らの誤り(の可能性)のあることを知っている、だから、他人の誤りの可能性に言及すべきことも知っており、自らの誤りについて言及され改善の可能性を探ることを歓迎す。憚れることは何もない。

例えば「誤り(の可能性)」と言う事ですが・・・、私自身も「悲劇」と言う言葉を使っていますし。
the_hours さんが「誤り(の可能性)」と判定した「モノ」や私の中の「悲劇」と判定した「モノ」が一体何か?
という事と。
なぜその「悲劇」があるのか?
を考えると面白いかも知れません。

---

「経験知、主観、価値観を絶対視する」事は「悲劇」ではあるけども、この他にも私は「調和」も見ています。ある意味、正しいサガです。個々の人間(特にその思考・行動)だけを見てしまうと不合理極まりないのですが、集団の関わり合い、社会の関わり合い、自然との関わり合いを見るとそうとも言えなくなります。社会に目を移すとつい「ゆがみ」ばかりが目につきますが、逆に「新に合理的な(客観視できる)人間」ばかりの状態ではどうでしょう。理想郷でしょうか?

ある意味、必要だから今の状態があると考えられます。

>美意識なる言葉を使うくらいであれば本人たちはそれを突き詰めなくてはならない。

これもおっしゃる通りですが、「なぜ、このように思うのか?」を考えると面白いと思います。
the_hours さん自身が従っている「美意識」が見えてくるかも知れません。

>>「かくあるべき」という命題がまず先に在り、それに理性的な解釈を加えて正当化する
>そういう見方はしたことがありませんでした。
>しかし、だからといって「主観」を否定できない理由にはならないように思います。

これは「否定できない」ではなくて「否定がはばかれる」ですね。ためらいです。
そして、最も重要なのは・・・。

>酔っ払いが嫌いだから、バカみたいだ、といって酒を飲まず酒の味もわからない人間が「酒飲みはどうだ」と口にするのは卑怯でもあります。

という事と「同義」であると言う事かな。
あ、いや、それだけではなく私自身はそこに「調和」を見ている以上、それを壊すような行為としての、ためらいもありますね。
ただ、個人個人に限って言えば「どんどんやればいい」と思っています。ただ、それを「絶対視」してそれが出来ない者を無くそうと努力するのは賛成できないって立場かな。

蛇足ながら・・・。私からすると「論理を重んじる事」も「追及する欲求」も価値観(美意識)が起点なのです。
例えば、ある人は「論理を重んじる理由」を「論理で"説明"」しようとします。そこに誤謬があったりします。今までそれを考えた事がなければ、(割と必死に)考え、答えを出そうとするのです。
つまり「考えて答えを出した」のは「論理を重んじた」後なのです。どちらが先か、よくよく考えると・・・面白いですよね。

この回答への補足

ちなみに、「論理を重んじる事」、とはどういう意味なのでしょうか。
また、できれば前回答の「デフォルメして端的に」以下の二文は何が言いたかったのかお教えいただけませんでしょうか。
実は全く理解できておりませんでした。

このように、とても低次元な質問をしてしまいますのでキリのよいところで退散していただいて結構です。
こちらとしましては色々気づかされすでに十分にありがたく感じております。


>ただ、それを「絶対視」してそれが出来ない者を無くそうと努力するのは賛成できないって立場かな。

これに関して、私なりの考えをうまく述べられれば回答者さんにとってもしかするとよい刺激を与えられる(期待されていないとは思いますが、私だけ色々な発見をさせていただくのも悪いですので)かもわからないのですが、それができず申し訳なく思います。

個人的には全体主義的な傾向が嫌いではありません。というのも、個人で「どんどんやった人」が個人の枠を突き抜けてしまう場合に、感心してしまいます。
それがいわゆる悪徳であっても感心する場合がありますので(巧妙な詐欺にあった場合、詐欺師に感心してしまいます)、いわゆる美徳ならば、なおさらです。(自分の好みでなくとも)

また、個人でどんどんやった人を冷めた目で見ることは私にはできません。

しかし、確かに何かとはばかられます。

ただ、調和、もわかるのですが、例えば「景観」など、あまりの低レベル(倫理で云うところの殺人のレベル、とまではいきませんが)ゆえ「美的センス」を問うのがはばかれないような分野もあります。
「調和」のレベルを問うことは可能に思います(極論を云いますと、無差別殺人をしている人を見ながら「これも調和だ」というのは気が引けます)。

ちなみに、私の「高いレベルの調和」の例は「軍艦アパート」です。
http://image-search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8& …

素人が勝手に建て増しを繰り返した結果こうなりました。
美的素人が大半であったと思われますが、玄人がいたことをうかがい知ることもできます。ですので私なりの「調和」を感じました。

補足日時:2009/10/04 02:40
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この回答へのお礼

>すでに浮気云々は(大変失礼な事ですが)興味を失っておりまして

私も、私自身の問題に対する姿勢の甘さや、価値観の相違ということに納得してしまったこともありましてかなり興味が薄れてしまいました。


>逆に「新に合理的な(客観視できる)人間」ばかりの状態ではどうでしょう。理想郷でしょうか?

真に、の間違いでしょうか。
私も私になりに(しかも恥ずかしながら、自分が合理的な人間の立場で)考えたことがあるのですが、その時は、自分のような人間ばかりだと窮屈、退屈の極み(サッカーで云うところのチェルシーFC)、と思いました。


>という事と「同義」であると言う事かな。

あら、本当です。私の言っていることは完全に矛盾しています。
しかもその本質を回答者さんが予言していたかのような感じです。
チェルシーFCのスタイルが気に入らない、と声を上げるのも矛盾していることになります。


そして、自分の頭の悪さが嘆かれます。
最後の部分のことなのですが、理解できたような気もしますができていないと思います。
理解することが私自身を理解することになるということはわかっているのですが。

全体的に、真意を理解できているものと思います。
(全体的に、と書いている時点で理解できていないと思いますが)

お礼日時:2009/10/04 02:39

先にお詫びしておきますが、他の回答とお礼&補足文は全部読んでおりません。

重複しておりましたら誠に申し訳ありません。

私がAさんの主張に疑問をもったのは
>それでは制限を加えていったものが勝ってしまう。
まず、これです。勝ち負けなんですか?

Aさんは
>私は、【B】が他の異性と【S】をすることを私が制限する権利は無いと思っている。
それを制限しないことが私の幸せにつながり、私が【S】をしないことが【B】の幸せにつながるのであれば【B】のみが【S】をする権利があるということになることは知っている。

と、こう言っているのに、そうしない(私の【S】を制限し、Bの【S】を許容する)のは「負けだから」では、論理的なAさんにしては、あまりに感情的で根拠に乏しいですね。
 
世間一般で「浮気は良くない」とされているのは、「自分がされて嫌なことは、他人にもすべきでない」という、(おそらく質問者さまが納得できない)非常に単純な理由です。しかしAさんはそうではない。Bさんが【S】したってぜんぜん気にしない。むしろ嬉しい。だから世間的には認められているこの価値観は通用しない、ここまでは頭の悪い私でも判ります。

しかし、Aさんが「BさんがAさんの【S】を否定すること」を悲しむというのは、やはり上記と同じ単純な理論「私はBの【S】を認める、だからBは私の【S】を認めるべき」にすぎないように思います。

AさんはBさんのことが好きで「自己犠牲も厭わない」のですから、おまけにBさんがAさんの【S】を悲しむことが判っていたようですので、「Bの【S】を認め、自分の【S】は封印する」姿勢が正解では? もし、BさんがAさんの【S】を悲しむことを知らなかった、というのであれば「もっと心が広い人だと思ったのに~。【S】ぐらいで私(僕)のこと嫌いになっちゃうなんてガッカリ~」ってことですよね? で、あれば「自分の理想像を相手に押し付けている」点で、AさんもBさんも「お互い様」だと思います。

BさんがAさんの【S】を否定することは「過剰な自己愛と自分本位の独占欲」で、AさんがBさんの「【S】を否定」を否定することは「過剰な自己愛と自分本位の独占欲」ではないという根拠が判りません。同レベルなんじゃないですか?

この回答への補足

自分で「価値観の相違以上のものを感じる」と書きながら、「価値観の違いに過ぎない、ことを体現するためにはです。」と書いていました。

どうやら私には本当に質問内容を問う資格がないようです。

補足日時:2009/10/04 00:36
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この回答へのお礼

>他の回答とお礼&補足文は全部読んでおりません。

もちろんそれで結構です。



>勝ち負けなんですか
>「負けだから」

勝ち負けの意識はなく、いわゆる「性善説」で、制限するときりがないから制限するならばそれなりの根拠のあるものだけを、ということです。


>「自分がされて嫌なことは、他人にもすべきでない」

実はこれに関しては、「納得できない」か否かはまだ持ち越しとなりました。
【A】は嫉妬などが全くないのですが、No29さんの回答により、嫉妬を肯定的に捉えるべきではないか、嫉妬を否定の要素として考える根拠はどこにあるのか、という疑問が生まれたためです。


>やはり上記と同じ単純な理論「私はBの【S】を認める、だからBは私の【S】を認めるべき」にすぎない

これは結果として同じになっているだけであり、主張の根拠は以下です。


>「Bの【S】を認め、自分の【S】は封印する」姿勢が正解では?

【A】にとっては【B】がいれば何でも良いわけですからそれでも良いのですが、「人として、本当にそれでよいのか」を突き詰めると、関係を清算するのがよいことになります。
価値観の違いに過ぎない、ことを体現するためにはです。


>「自分の理想像を相手に押し付けている」点で、AさんもBさんも「お互い様」

これは仰るように、「お互い様」とみなしたほうがよいと思います。

しかし、考えていることに個人差があるのは事実です。
【A】の言い分は、「なぜ?」「本気か?」「風潮に流されていないか?」「常に固定観念を疑ってきたか?」「意図的にいろんな意見を聞いてきたか?」「その上でならば全て受け入れる」ということではないでしょうか。
No9さんへのお礼で書いたようなことを考えてきたのか、と。

しかしNo30さんのご意見ではそれを問うことはできない、と仰っております。
また、上記の【A】の主張は、回答者さんの言われるように

>「自分の理想像を相手に押し付けている」点で、AさんもBさんも「お互い様」

に当たります。
ですのではじめに問題を作った【A】が悪いことになります。


しかしここで、「ほんとにそうか」「【A】の言っていることがはったりであればどうか」、などと思わざるをえません。

お礼日時:2009/10/02 21:01
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