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青空文庫が運営が発表している「本という財産とどう向き合うか」
http://www.aozora.gr.jp/KOSAKU/MESSAGE.html
という文章に以下のような記述がありまして、

引用始------------------------------
財産権としての著作権は、作者の死後50年間保護されます。
では、著作者人格権は、どうなのでしょう。ある期間を過ぎれば、作品を自由に書き換えたり削ったりできるようになるのでしょうか。
そうではありません。
著作者が死んで何年たとうが、内容に手を加えることはできません。
著作権は売り渡すことができますが、著作者人格権は作者だけに帰属します。たとえ著作権を買い取った人でも、内容に変更を加えることは許されません。
引用終------------------------------

と書かれてあるのですが、この文章を虚心に読めば著作者人格権は永久に消滅しないと考えておられるとしか理解できませんよね。

著作権のなかでも著作者人格権は一身専属性を有する権利で譲渡不可のため、
原則的には著作者の死とともに消滅する権利ではあるものの、
ベルヌ条約が著作者死後における著作者人格権の保護を要求してる経緯から、
遺族に一定の権利行使が認められてはいますが、
それとて著作権が保護の対象となる作者の死後50年までのことですよね。
著作権における保護の対象は財産権にのみ限られ、
死者である作者の人格権は永久に存続するというのはいかなることなのか・・・。

底本に忠実であれという青空文庫のポリシーや運営方針についてはまったく賛同できるのですが、
そのポリシーを正当化するために著作者人格権が永久不滅のものであると断言してしまうのはいかがなものかと思うのですけれど、
そう主張してよいだけの法的根拠というのは存在するのでしょうか?
あくまで道義的倫理的な問題、あるいは青空文庫運営に対する批判を免れるための方便なのでしょうか。

よろしければご意見くださいませ。

A 回答 (4件)

>そう主張してよいだけの法的根拠



http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html
http://bushclover.nime.ac.jp/c-edu/outline/4.4.h …
著作権法第60条には、
>著作者が存しなくなつた後においても、
>著作者が存しているとしたならば
>その著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。
とありますのでそれですね。


その他には、単純に憲法における「思想の自由」だと思いますが。どのように主張しようがそれは自由です。で、青空文庫としてはモトの文章を改変しませんよってことでしょう。厳密に法的に解釈するとたしかにacephaleさんのおっしゃる通りですが、「文化遺産を継承する」という道義からすると改変するのは本を扱う者としてできませんって話でしょ。


>著作権が保護の対象となる作者の死後50年までのことですよね
財産権の事です。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

「著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない」

というのは、著作者が死んでも著作者が生きていたとしたら人格権を侵害するような行為をしてはならない、ということになるのですね。

>道義からすると改変するのは本を扱う者としてできませんって話

それについては私の推測として挙げているもののひとつに同意していただけるということですね。
財産権としての著作権と、人格権としての著作者人格権は切り離して考えるべきということを気づかせていただき、ありがとうございました。

補足日時:2009/10/03 12:11
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公的なソース:


http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiro …
議事録中の中山副分科会長の発言
>現行法では、著作者人格権の権利の終期はありません。

http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2007/03/pos …
小倉秀夫弁護士のブログ
>著作権の保護期間延長問題は人格権とは関係ない
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
具体的な情報源を提示していただき、非常に助かりました。

現行法でいえば、たとえば『源氏物語』における紫式部の著作者人格権を侵害したとして、その侵害者を告訴することができてしまうわけですね。
著作者人格権侵害は親告罪ではないそうなので。
(それが勝訴できるかどうかはまた別の問題として・・・)

オリジナルが残存しない形での二次創作的な改変は別個の作品と見なされるので問題がないようですが、
どれほど過去の著者であっても著者の意に沿わぬ形での改竄は違法である、ということのようですね。

どこまでを著作者の意に沿わぬ改変と見なすかは
底本に忠実であることを原則としている青空文庫でも議論の過程があるようですが。
ひとまず、たとえ1000年前の古典であっても好き勝手にいじくりまわしてはいかんということが分かって勉強になりました。
お礼を申し上げます。

お礼日時:2009/10/03 12:37

著作者人格権の保護に関しては、学説上も見解が一致しているとはいい難いので(有力少数説がある)、「こうだ!」という決まりきった結論はありません。



まず、著作者人格権の保護期間論について、少なくとも著作権の保護期間とは無関係です。著作権法上、「著作権」と「著作者人格権」の語は明確に区別されており、著作権の保護期間については明文の規定がある一方、著作者人格権については何ら規定がないからです。

では、著作者人格権の保護期間についてどのように考えるべきかについて、いくつかの考え方が成り立ち得ますが、まず、現行法の規定を観察しましょう。「こう考えるべき」論ではなく、現行法の正しい理解が先決だからです。

著作権法60条は、著作者の死後においても、著作者が生存していれば著作者人格権の侵害となるべき行為を禁止し、その行為に対する救済として、一定範囲の遺族に差止請求権、名誉回復請求権を認めています(法116条)。

これについては、(1)著作者人格権を相続の対象とした特別規定であると解する立場と、(2)遺族に固有の法的地位を付与したものと解する立場があり得ます。しかし、人格権を相続するというのは通常の法意識になじまないので、(2)の方が素直な理解だといえます。

この点、罰則規定における取扱いの差異からも、現行法がそのように考えていると推認できます。すなわち、著作者人格権の侵害は、5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金又はこれらの併科であり(法119条1項)、かつ、親告罪です(法123条)。これに対し、60条違反は、500万円以下の罰金であり(懲役刑がない:120条)、非親告罪です(123条)。

そうすると、現行法の解釈としては、

(a) 著作者人格権それ自体は、人格権であるから、著作者の死亡とともに消滅する(法59条)。
(b) しかし、著作物は、著作者の人格を化体したものであり、文化財としての意味もあるから、無制限な改変等を認めるべきではない(法60条および非親告罪)。
(c) また、著作者の意思を受け継ぐと考えられる範囲の遺族には、その限りで、著作者人格権の保護のために必要な救済措置を用意した方が良い(法60条、116条)。

という価値判断がある、と理解できます。なお、No.2の回答者が挙げておられる議事録で、中山先生の発言は(a)に反する(著作者人格権は永続する)かに見えます。しかし、「権利が存続するか」という話と、「いかにして保護を図るか」という話は、理論的に区別し得るので、必ずしも上記の理解と矛盾するものではありません(中山先生の教科書[中山信弘「著作権法」有斐閣・2007年・414ページ以下]では、(a)(b)(c)の理解とともに、上記発言と同旨の説示があります)。

また、ベルヌ条約に関しては、「短くとも著作権の消滅までは、著作者人格権を保護せよ」と要求しているに留まり、それ以上に、保護期間や保護の方法について締約国を拘束するものではありません。
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この回答へのお礼

恐れ入ります。
非常にていねいで詳しい解説をありがとうございました。
現行法における著作者人格権の諸問題や解釈につきまして、
具体的な法文の所在を根拠として整理、説明してくださったおかげでとてもわかりやすかったです。

このようにして見ると、やはり青空文庫の主張は決まり切った結論の出ていない問題について
ばっさりと白黒つけてしまっているあたりはやや勇み足の感もぬぐえませんが、
しかし文化財保護の観点からは彼らがそのような信念を持って活動しているということには一定の理解を示すべきなのでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/03 18:42

これは法第60条の目的が不明確なことにより複数の解釈が出てくるためと思われます。


他の回答者の方々に異論は無いのですが、ここでは人類共通の資産という観点もあると考えます。
遺族が存するか否かに拘わらず、「源氏物語」がどんどん改変されて行くのを見たくはありません。そういう意味では、この権利は人類全体のものであるべきではないでしょうか?
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この回答へのお礼

著作者人格権に限らず、著作権がらみの法律には未整備の問題が多く、
さらにいろんな人々の利権にからんでくるので、
なかなか解釈あるいは改正が難しいところがあるようですね。
原文の改変という形でなければ『源氏物語』は二次創作的なものによって、
あらゆる改変を加えられてしまっていますけれど、
オリジナルについても改変されない権利もあれば、
それを改変する権利というのも後世の人類にはあるのかもしれません。
原文を改悪されることもあれば、
(著作者は望んでいないかもしれない)改善ができる場合もあるかもしれないわけで。
実際にはだれかが古典を改変したことによって裁判にでもならない限り、
前進しようもない問題なのかもしれません。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/03 18:49

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