
(α) 個人における良心・信教の自由と宗教としての結社の自由とは 両立しないのではないでしょうか?
(β) 信仰にもとづく生活態度としての倫理思想を――それがたとえ聖典のことばであろうと―― 宗教組織において教義規範とするのは 信仰の自殺行為ではないでしょうか?
(γ) 組織の権限関係にもとづき――ということは 権限ある地位についた人間がその判断にもとづき―― 他人の信仰の是非や度合いを規定するかのごとく言い渡すのは 人間の自由を侵す犯罪ではないでしょうか?
(δ=α) 宗教組織としての結社は 良心および信教の自由を必然的に侵す行為であるゆえ その自由は認められないのではないでしょうか?
(ε=β) 信仰の宗教化は その瞬間に 自殺行為が完成するのでは?
*(ζ) 聖典と呼ばれる文章等の研究組織のみが残るのではないでしょうか?
*(η) いわゆる宗教家は 個人としての表現の自由にもとづき個人として活動するのみとすべきでは?
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
ご回答いただきまして、どうもありがとうございました。
> ▲ (コリント前書4:1) こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。
☆ というようにまで踏み込んで《使途の使命》を明らかにしています。信仰のことをひとにおしえ さとすかのようです。
しかもこの使命としての役割が 組織やその権限関係からほど遠いということを見たいと思います。
確かに、仕えるのは、組織ではなく、キリストとなっております。
> ▲ (コリント前書4:6-14)
(10節)わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。
(13節)ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。
(14節)こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。
☆ ですから 社会の周縁と言いますか 今にもその外へ追いやられるかというべき境界上に身を置いて 自己表現し発言していると考えます。
文面では、神(キリスト)を信じるものと、わたしたちとの比較でございますが、
「諭す」 この目的は? となりますと、コリントびとへの愛 になると思われます。
また、
「パウロはあたかも人類のうちですべての人びとを教会に入れてそのあと最後に自分も教会に入ってくるひとであるかのように振る舞っているのではないかと考えます。」
意見を等しくいたします。
> イエスもキリストももうその名前を出さなくても済むようにして世の中のことは いとなまれていくのではないでしょうか。それでよいと考えます。どうでしょう?
愚生の職業上、情報源として論文なるものを読みます。その論文の構成でございますが、”Introduction”なる項目がございます。その中では、もちろん、紹介の部分にあたりますから、引用文献を数種類列挙しております。しかし、それが定説となり、誰もが知るところとなりますと、自然に“引用”はなくなってしまいます。これは、もうその必要性がなくなってしまったからだと察しております。
つきましては、“(当たり前になったため)必要性”が認められなくなれば、もう“名前”はあえて挙げる必要性はないかと思っております。ですが、現時点では未だお早いような…..
ですが、いつかその日が来ることを願っております。
なお、yy8yy8az様の件につきましては、yy8yy8az様への元気付けのためのものでございました。紛らわしい表現をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
この回答への補足
Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
明日は休みですね。最近は夜更かしをしなくなっていますが 少し今夜は遅くまでという感じでいます。
ご見解をありがたくうけたまわりました。わたしに都合のよいように解釈しますと あとは《犯罪》とするか《罪》として捉えておくかの違いになるようにも うれしく受け取りました。
★★ (No.11) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ただ、“犯罪”としました場合、単純に具体的な条文が浮かんでこなかったからでございます(“信教の自由”の阻害、“良心の自由”の弾圧ぐらいでした)。確かに、「共同体(社会)としての個人」として考えますと、「違法性の存在」を主張しても、決しておかしくはないとは考えております。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ おっしゃるとおりなんです。そうなんですが どうもわたしの感覚としては《犯罪》と言っておきたいですし また同時に 信仰の次元で眺めるかたちでの《罪》という言葉では規定したくない。こういう いじいじした気持ちがあります。どうしたもんでしょう?
★★ (No.11) 「反人間的行為」につきましては、全く意見を等しく致します。“傲慢”なる行為 これも7つの大罪の1つだったかと記憶しております。
☆ この考え方を基本としましょうか。
条理の違反という内容として 犯罪と言いたい気持ちはあるが ふつう言わない。こういう捉え方です。
○ キリストのキの字も出さなくてもいいようになると見とおされるという問題
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
つきましては、“(当たり前になったため)必要性”が認められなくなれば、もう“名前”はあえて挙げる必要性はないかと思っております。ですが、現時点では未だお早いような…..
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ごもっともだと思います。わたしは気が短くはなく長いと思っていたのですが 短くなったかも知れません。気が早いというのは どうしようもなく当たっています。《終わりから始める》をひとつの基本的な考えとして持っております。
★ 【Q:時空】
☆ の行方を見守っております。
この質問も一段落したように感じます。ありがとうございます。
余韻として もうしばらく開いていることにします。
Hidocchi さん 澄みません。課題がまだ残っていました。(17日朝 記します)。
★★ (No.11) 「反人間的行為」につきましては、全く意見を等しく致します。“傲慢”なる行為 これも7つの大罪の1つだったかと記憶しております。
☆ この条理違反は 構造的な問題だと考えますが いかがでしょう?
組織化という時点で 構造的にこの反人間的行為は起きうるという認識です。組織の権限や権力を握った者が 信仰という人間内面のことがらにまで手を出し口を出しその対象となった人間の一生を左右するまでに成りかねない。こういう《信仰の自殺行為》という要素です。
ですから これまでの歴史における間違いについては 自分たちで反省し表明してもらうこととして ただしそのローマ教会に対しては 自己解体をうながすひとことだけは こちらから明らかにする必要がある。こう考えます。
行き過ぎの点などありましたら おしえてください。
* 《罪のない〈魔女〉》の復活を見届ける必要があると考えます。そこまでワ゛チカンに迫ることは われわれのつとめだと捉えます。
No.33
- 回答日時:
>、(γ) 他人の信仰の是非や度合いを規定するかのごとく言い渡すのは 人間の自由を侵す犯罪ではないでしょうか?
何が言いたいのかわかりません。
言い渡された内容が気に入らなければ、無視してしまえば良いだけの話。
その宗教から脱退し、自分が新興宗教の教祖サマになればOK。
そもそも、信教の自由とは、
「どれを信じ、どれを信じないかが自由」かつ、「宗教をひろめることの自由(結社を含むが、強制は含まない)」ということであるので、
信じることを強制したり、強制入会や退会拒否があれば、それは信教の自由に対する違反ですが。
そういった事実はあるのですか?
※レアケースで「ある」ことは、わかっています。
でも、「信教の自由を必然的に侵す」という主張ですよね?
全ての宗教がそうでない限り「必然」とは言えませんよね?でもそこまでは要求しません。
「大部分の宗教で、信じることの強制(など)の現象が起きている」まで譲歩します。
※科学万能主義も宗教にかぞえると、科学における教義規範イコール法則化、類型化なので、科学においてめざすことそのもの。
これを例外扱いとするための譲歩と思ってください
なお、「政教分離以降の時代」という条件を付加します。
※政教が分離していなければ、宗教の強制は可能のため。
かつ、宗教組織の解体について法制化することを質問者自ら主張しているため。
※※いいかえれば、憲法20条の3(国はいかなる宗教活動も行わない)により、
信教の自由と宗教としての結社の自由とは 両立するということです。
※※※国を信用しないという議論を認めるつもりはありません。
質問者自身が、法改正を志望しているため。
http://www.uraken.net/houritsu/kenpo07.html
NO.36
> (あ) 質問者の犯罪は、やはり犯罪です。
> (い) 「犯罪」とは、他者が決めるものではありません。
> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
> ☆ (い)のように《他者が決めるものではない》ことを (あ)ではおこなっている。これを矛盾と言います。
別に矛盾はありません。読み方次第です。
・「犯罪」とは、他者が決めるものではありません。
法律上、当然です。刑法に、「○○罪」とあるのが犯罪。それ以外は犯罪ではないと定義されています。
(罪刑法定主義の基本ルール。)
・質問者の犯罪は、やはり犯罪です。
これ、「質問者の犯罪」の意味の解釈の問題ですね。
質問者さんのやっていることがまわりからどう見えるかというと、
・「自分の意見は全て正しい」と主張している
ということ。
言い換えれば、「質問者さんイコール神」ということ。
※これは、私の見方であり、他の人の違うかもしれません。ただし、質問者さんからの反論は受け付けません。
ですから、そういう人が犯罪を犯した場合でも、法で裁かれる、ということ。
※昔は、王や皇帝には法が適用されなかったことに注意。
つまり、ただ単に、「人間全てが法の元に平等に過ぎない」と言っているだけで、
意訳すれば、「そんなアホらしいこと考えるのはただ1人しかいないよ。」
といったところ。
更に言い換えると、
○○の自由、といった場合、自ずと優先順位があるということ。
優先順位があるため、複数の自由が矛盾なく成立。
基本的な優先順位は、
個人の尊厳≒公共の福祉>個人の思想の自由>信教の組織化の自由。
この回答への補足
★ 宗教組織の解体について法制化することを質問者自ら主張しているため。
☆ これは言っていません。次のように言っています。
☆☆ (No.13お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ですから これまでの歴史における間違いについては 自分たちで反省し表明してもらうこととして ただしそのローマ教会に対しては 自己解体をうながすひとことだけは こちらから明らかにする必要がある。こう考えます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
でも、「信教の自由を必然的に侵す」という主張ですよね?
全ての宗教がそうでない限り「必然」とは言えませんよね?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは
★ 言い渡された内容が気に入らなければ、無視してしまえば良いだけの話。
☆ では済まないという見方です。すなわち
☆☆ (No.8お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
けっきょくひとがその内面においてどういう信仰のあり方を持つか これは ほかの人間が測り知ることは出来ないと思われます。自分自身でも しばしば分からないことさえあるかも知れません。
ですから ひとの信仰の有無やその度合いについて 他人が測量することは あるべからざる行為である。こう考えます。ましてや権限関係のある組織において指導するというのは おそらく互いにひとりの人間として自由に対話する場合を別として――なぜならそこまでの表現の自由はみとめられると考えます―― 反人間的行為である。こう考えます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり指摘されたことは ここでの次の例外の場合のことでしょう。つまり
☆☆ おそらく互いにひとりの人間として自由に対話する場合を別として
☆ に当たります。すなわち 質問趣旨としては
○ 他人の信仰に関して安易に口を出すことじたいが 良心・信教の自由を侵す。
☆ という見方です。《安易に》というのは 《この宗教団体に入れ》とか《その信仰をやめよ》とかいうことではなく(なぜなら そんな発言であればおっしゃるように突っぱねればいいわけです) そうではなく 《あんたの信仰の度合いは まだまだである》とか《きみはなかなか信仰が深まったようだね》とその組織の中で言うことです。
言いかえると 組織というものが 信仰を基軸とすること自体が まちがいだという見方です。おのれの内面の外へ信仰は出かけることが出来ない。出かけるなら 信仰は死ぬ。なぜなら 表象しえない――象(かたち)に表わし得ない――ものを表わそうとしたからです。
表現の自由というときの表現行為というのは その信仰に関してならば 表象しえないことをつねに仮りに表象しことばに表わしてみるということです。ひとりの人間としての相手との対話であればかまいません。
一たんその信仰を教義としてその教義のもとに規則(ないし権限関係)をつくって組織活動を始めるなら それは 表象しえないことが言葉に表わされ固定することを意味します。その固定して規範化したものによって縛られます。(この規範の内容の良し悪しを問わずそうです)。
それを独りで勝手にやるぶんにはまだ問題は そのあとの自己表現でどういうことが言い出されてくるかに先送りされます。組織をつくればこの先送りを待たずに 規則による規範がひとを縛ることになります。すき好んでやるのだからいいではないかとはならないでしょう。
あとは あなたが
★ ただし、質問者さんからの反論は受け付けません。
☆ この発言を省みることがあってからでしょう。
微妙な問題なのでおぎないましょう。
たとえばこういう場合を考えてください。
○ たとえば《愛の宗教》という名で会員をつのって 互いに研鑚し実践するという場合です。むろん組織をつくる場合です。
☆ この場合は 《宗教》を名乗っていますが 信仰は一人ひとりが自由におこなうという決まりを確かな大前提としていれば いいわけです。良心・信教の自由を侵すものではないわけです。
たとえ権限関係をきびしく敷いたとしても その権限の行使はあくまで《研鑚と〈愛〉の実践》というかたちある理念にもとづくものです。
《愛》はきわめて抽象的ですが この場合 それをめぐっての《信仰》を問題にしてはいないのです。つまり理念や観念とその応用は 初めから表象しうる思想形態を採っていますから 内面の良心や信仰に何ら影響を与えるものではない。こういうものです。
実質的な中身がとうぜん問題になりますが さしあたっては
○ 《信仰・信心・信徒・信者》といった内面のあり方に関することばを使わないこと
☆ この条件を満たせば だいじょうぶかも知れません。
要するに 道徳や倫理は 信仰とは別だということになります。むろん信仰のほうからきわめて濃いかたちで倫理道徳ないし生活態度の全般にわたってかかわっていますが それでも道徳などのほうからは かかわりを持たないことが出来るわけです。
信仰は 非思考としてのこころの伸びであり 倫理や道徳や思想は 思考にかかわるものであるわけです。両者は はっきり分かれています。

No.32
- 回答日時:
信仰ではなく宗教については少なくともこうは言えるのではないでしょうか。
宗教は、それの目標がそれの死滅である限り生きている。
逆に宗教が(自己目的)的になり「護教的」になったとき、外形はともかくとして、少なくとも内部生命においてそれは衰微すると。
maooyuda さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
★ 宗教は、それの目標がそれの死滅である限り生きている。
☆ おっしゃるとおりだと思います。
○ 信仰が 個人の内面をあとにして 集団において教義をつくり組織として立とうとするならば それは 宗教です。(そういう定義で語っています)。
つまりは
○ 組織としての宗教は 信仰の自殺行為である。
☆ と考えられます。したがって
○ 個人の内面信仰にとって言わば蝉の抜け殻である宗教は その空蝉が幽霊としてでも姿を現わしている限り つづいています。
☆ しかも maooyuda さんは そこへ
★ 宗教は、それの目標がそれの死滅である
☆ とまで《信仰の自殺行為》のことを捉えておられますね。
★ 内部生命
☆ は もともとないわけです。蜃気楼のみです。強いて言えば はじめの信仰に伴なうまじめな心づもりが余韻としてはただよっている。こういうことではないでしょうか?
ですから 研究機関としてであったり 生活協同組合としてであったりするのなら むろん結社の自由を享受することができます。信仰と組織とは 直接には結びつかない。これを言うのみです。
人間の中には どういうわけか 自分が警察官や裁判官になったつもりの者が現われます。信仰として明確なものであろうとなかろうと 自分の主義主張――もしくは主義主張の無という主義主張があるようです――にもとづき その〔けっきょくは〕非を言い渡されたと感じる文章や発言に対しては 怒り狂ってつっかかって来ます。
それが 宗教組織の中で起こってしまうことを想像してください。いえいえ それは 過去の歴史のどこを探しても出てくると言っていいくらいです。
ふつうの会社組織でも 権限関係によって悲劇が起こりがちです。ましてや 信仰を基軸とするということは 人格を直接にあつかっています。あつかうことになるのに いままでの歴史と社会においては 宗教法人についても結社の自由をみとめているという情況です。問題ではないですか?
No.31
- 回答日時:
憲法改正すれば良いじゃないですか、「宗教団体は解散を促します」という法律?ですか...(笑
どうぞ、ご自由に活動してください、成果が出るかどうかはやってみないとわからないでしょう、是非ともスピーカでも、ネットでも使って声高に叫んでください、しかし「賛同」してくれる人は、いないでしょう。
頑張ってください。
定義定義、とのたまう前に、犯罪、組織、結社、宗教団体などの定義を先ず自分からするべきでしょう、今からしてもこたえる気にはおそらくなりませんが。
>オレをさんざんコケにしやがって
ですか、逆恨みではないですか、辞書引いてください。また、質問者さんに神の御加護があるなら、艱難辛苦もないでしょう、神は人を試さないだろうから。
いつまでもひとを虚仮にするおこないをつづけさせるのは こちらにも責任の一端があるとまでなりかねない。その注意をおこたらないのみ。
★ 憲法改正すれば良いじゃないですか、「宗教団体は解散を促します」という法律?ですか...(笑
☆ 何がおかしいのか分からないが
★ 憲法改正すれば良い
☆ はその方向にあります。
★ 「宗教団体は解散を促します」という法律?ですか...
☆ こんな法律はないだろうから 問題は万機公論に決すべしであって 共同主観(常識)をかたちづくっていけばよいのです。
★ どうぞ、ご自由に活動してください、成果が出るかどうかはやってみないとわからないでしょう、是非ともスピーカでも、ネットでも使って声高に叫んでください、しかし「賛同」してくれる人は、いないでしょう。
☆ ただ声高に自分の欲求をさけぶことが主張だと思っている。思想とは 生活態度のことです。社会の三分の一までは じぶんの感性とあたまで考える人びとが現われてくればよいのです。
★ 定義定義、とのたまう前に、犯罪、組織、結社、宗教団体などの定義を先ず自分からするべきでしょう、今からしてもこたえる気にはおそらくなりませんが。
☆ もう少し質疑応答のすすみ具合いをしっかりと捉えてものを言いたまえ。説明もせずに ばか呼ばわりだの犯罪者の規定だのと よほどの精神錯乱でないかぎり発言しないだろうとしか思えない投稿があれば 定義をしその見解について理由をのべよと言うのはあたりまえだ。言わないほうがおかしい。
一つひとつ話が通じる範囲でやり取りをすすめていけば 定義の必要なときには しかるべく規定しあうのは とうぜんである。もう少し 民主主義ないし対話ということについて考えてみなさい。
ところで あんたはだれ?
No.30
- 回答日時:
こんばんは、bragelonneさん。
荘子外篇(7)
http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/17_18souji.html
殷墟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7%E5%A2%9F
世界史授業4
http://sky.geocities.jp/ikunatsu2007/sub4-sekais …
雑学の友
http://www.tp1.jp/trivia/083.html
ども、m( _ _ )m 間が空いてます。
●インタムライズムとして 世界中の市町村連合が いっそのこと同じ一つの貨幣をつくって経済的な交通を世界社会の基礎としておこなっていく。物価や報酬は それぞれの生活水準に合わせた値(あたい)で決まって行く。
↑
うーん、どうなんやろ?
それぞれの国が自国の貨幣を持ってる。自国の貨幣を持つことで育つものあるよね?
【新しい日本銀行券(一万円券)の偽造防止技術について】
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji/kako03/b …
●宗教組織 これは自己解体すべしという論点が まだ残されていた。
↑
ん?クラゲの話?
クニウムチン
【NMRで天然ムチンの複雑で独自な立体構造の解析に成功
-クラゲ由来の新物質クニウムチンを用い標準的な測定技術を確立-】
http://yakkei.jp/news/lfx-yakkei_news_detail-id- …
【「情報:農と環境と医療」】
http://www.kitasato-u.ac.jp/daigaku/noui/newslet …
【東アジアにおける日本型総合農業協同組合の普遍性に関する研究】
http://www.nougaku.jp/award/boku.pdf
【核分裂】
http://www.nr.titech.ac.jp/coe-public/Doc01/1-1. …
【物質のミクロ構造の理解と応用】
http://www.lns.tohoku.ac.jp/home/pamphlet/Japane …
ちょこっと、こんなんコラムをめっけた
【日本の物価水準】
http://www.dir.co.jp/publicity/column/080404.html
高水準だった物価が是正されるきっかけは1990年代前半である。この時期、景気失速の影響で需要が急減し高い物が売れなくなった。人々は1円でも安い物を求めて奔走し、商品生産者や販売業者は価格引下げを余儀なくされた。「価格破壊」という言葉が新聞や週刊誌を賑わせたのはこの時期である。
↑
あのさ、消費税が最初に導入された時期はいつだったっけ?
1989年4月1日から
高いものが売れなく…???補償は保険料か税金か、それとも…
【犯罪被害者補償制度に基づく年金の財源は、保険料か税金か】
http://www8.cao.go.jp/hanzai/suisin/kentokai/ken …
★ ども、m( _ _ )m 間が空いてます。
☆ ども ごていねいにおそれいります。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
うーん、どうなんやろ?
それぞれの国が自国の貨幣を持ってる。自国の貨幣を持つことで育つものあるよね?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これからのことということで。ところで
○ 一物一価の法則
☆ って自由主義市場経済であれば どこでもあてはまるのですか? その例外と言いますか 地域ごとにこの法則をやぶってその地方にふさわしい物価や給与を決めるということは できませんか?
いっそのこと世界中で同じひとつの貨幣でありながら そのように生活水準は これまでの歴史的経過があるので 差異はある。というものですが? よかったら おせーてください。
★ 農業
☆ もどうしましょう? 稲穂は実っていたけれど。
★ ん?クラゲの話?
☆ なんでやねん。
第何幕か知らないけれど 一幕ごとにあなたが現われますね。

No.29
- 回答日時:
オコリザルです。
少し前に消費税を今すぐ25パーセントぐらいの税率にしてもいいから年金受給世代に安心を分けてあげてほしい、と言うような意見を表明しましたよね。実はこの意見は、消費税、年金、財政赤字、などの話題が沸騰していた2年ほど前からお茶の間でニュースを見ては家族に話していたことです。
ところが私は消費税値上げ歓迎とまで言うと家族からキチガイみたいにそしられました。とんでもないことだと言われました。
とんでもないと言われた根拠は自民党が悪さばかりしているからそれに加担する犬は人間ではないとでもいうような感じでした。
想定上の幻である「悪」がここでもからんでいます。
そんなキチガイ扱いに疲れていた私を励ましてくれたのはbragelonneさんが私の考え方を理解してくれたことでした。
感謝しております。
一連のbragelonneさんとのやり取りは信仰心を分けてもらうことでもなく対等なやり取りですが、信仰を専門に扱うなら、そのような志の集まる教会は愛の家である必要があるでしょう。
神が絡むとやはりキチガイ扱いの孤独があるでしょう。
それを癒す愛の家は必要でしょう。
その疲れた状態の内訳は、
>純粋な信仰に対してなぜ死の予感がよぎるか
これです。
困難ですが取り組んでみませんか?
この回答への補足
オコリザルさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
ふたつのことがありますね。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・
それを癒す愛の家は必要でしょう。
その疲れた状態の内訳は、
>純粋な信仰に対してなぜ死の予感がよぎるか
これです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《死の予感がよぎる》の問題につなげる段階とそれ以前の 信仰の集団倫理化の段階とです。
後者つまり 単なる組織じたいについての問題では たしかに――すでに触れていましたが―― ひとが互いに思想(生活態度)を認め合うというかたちにおける存在の確認といった側面がからんでいます。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・信仰を専門に扱うなら、そのような志の集まる教会は愛の家である必要があるでしょう。
神が絡むとやはりキチガイ扱いの孤独があるでしょう。
それを癒す愛の家は必要でしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ たとえばこういうふうに考えられないですか? つまりは その《愛の家》にひとりの――象徴的な意味での――《羊飼い》がいるというかたちです。二人でも何人でもいいのですが そういう《家》をもっぱら人びとの寄り集まる場とするというものです。
これに何ら組織は要りませんね。教義もことさら――つまり徒党を組んで何かをおこなうといったかたちで必要となるような教義をことさら――必要とするわけでもありません。その羊飼いは 交替で誰もが当番として役割分担してもいいわけです。
早い話が この質疑応答という場ででも すでにそういう内容のことが始まっています。
しかも そのような当番を交替でになうという課題のために 組織をつくってはおかしいのではないですか? 自主的な集団と言いますか あるいは 自由なスサノヲ市民の自由な自由なまったく自由な連帯においておこなわれていくのがよいのではないですか?
★ 純粋な信仰に対してなぜ死の予感がよぎるか
☆ これは ひとことで言えば 心配要りません。わたしも経験していますが あくまでこれは相手の心理が おのれに反映していると捉えてください。羊飼いであるならです。《アース》の問題です。
その前史にある場合は それでは どうか? まだ牧者にはなっていないなら どうか?
試練だと思います。出口のない試練は課されないと言ってしまうと この試練を軽んじてしまうおそれが出ますが そうですね。どう言えばいいでしょう?
その昔 スサノヲは アマテラスの国で破廉恥な行為をしたので 爪をはがされ国を追いやられました。人びとからもそして神からも見放されました。そうしてこの神にも見捨てられたそのことにおいて スサノヲは神に見捨てられていなかったのです。イヅモのくにに来て みづからの共同体をつくることになりました。愛の家を――《出雲八重垣》というように八重に連帯しています――築きました。
八雲立つ 出雲八重垣
妻籠みに 八重垣つくる
その八重垣を
だれもが訪れて来ていいムラです。
No.28
- 回答日時:
質問者の、この質問での「ごきぶり発言」は、運営者側によって「なかったこと」になりました。
従って、他の方々が「涙ぐましい努力」「もしくは執着」をしているという印象をもたれるのは避けたいと思いますので、改めて投稿させてもらいます。>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ このようにいつも予防線を張っているという涙ぐましい努力に対して
◇大仰な「予防線」を、いつものごとく張り、涙ぐましい努力をしているのは質問者さんだと思うのです。
>むくいが与えられることを祈りもしますが
◇報いが与えられる、与えられないというレベルで物事や人生は動いているのではありません、もちろんそういうレベルの人生もあるでしょう、虚構による勘違いでしょうけど...
>おまえを必要としているのはわたしではない。わたしには おまえは要らない。ほかを当たってくれたまえ。
◇しかし、「この社会に質問者さんがいらない」という意見も、聞くべきです。その意見に対して「いらない、聞きたくない」というのはいかがなものでしょうか。例えば、犯罪者が裁判官にむかって「おまえはいらない」と言ったところで、聞き入られるものではないことは、理解できるでしょう?もちろん、質問者さんがそうであると断言しているわけではありませんが、「犯罪者」と他者に向かって言っているという事は、限りなくそれに近いことは間違いないと思いますが...
※この文章は10分程度で書き上げました、入力もかなり速いので(そのぶん、誤字もありますが)。
この回答への補足
おぎないます。
あらためて《犯罪》を問うかたちでよいと考えます。
☆☆ (趣旨説明)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(α) 個人における良心・信教の自由と宗教としての結社の自由とは 両立しないのではないでしょうか?
(δ=α) 宗教組織としての結社は 良心および信教の自由を必然的に侵す行為であるゆえ その自由は認められないのではないでしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これなら 《犯罪》の問題になると考えます。
ただし もしそうであったとしても これまでの過去の犯罪については咎められないことになります。規定がなかったわけですから。
要するに
(αδ‐1) 宗教法人という組織体は 犯罪行為に属する。
☆ という命題についてご見解を寄せてくださいという質問になります。憲法改正ですね。どうぞよろしく。

No.27
- 回答日時:
オコリザルさんとの会話はbragelonneさんの考えが良く伝わってきます。
でも、それでも教団は存続しています。
その理由は、悪い面ばかりではないから。
もっとも、教団によっては、世間を騒がすような悪質なのもあるようですが。
やはり教団、教祖は信仰の対象ではなく、あくまでも乗り物であると、利用する側は受け止めなければなりません。
乗り物はいろいろ、乗り方もいろいろ。
乗り心地のいいのも在れば、悪いのも在ります。
程度の低い教団はbragelonneさんの意見に耳を貸すはずはありません。
利用者側にbragelonneさんの意見をぶつけたいと思います。
そもそも信仰が、現代においては「ご利益」レベルであってはならないのです。
また教団に「強要」されるような事柄があったら、その時点で疑うべき(おっと、ごめん)でしょう。
日ごろの気持ちを述べてみました。
この回答への補足
おぎないます。
No.31つまりこのご回答の直後の投稿が 規約違反で削除されました。その内容を読んだことも合わせて この yy8yy8az さんのご見解に対してわたしはお応えしましたので 〔削除されたあとでは〕少々事割り書きが必要になったかも知れません。
つまり その規約違反の投稿とのかかわりをこの回答は直接にと言っていいほど触れていますので それが削除されたあとでは なぜわたしがお礼欄でのご返答に これほどまでにきびしく怒った表現をしたかが分からなくなってしまったからです。
と述べておけば足りると思います。
★ その理由は、悪い面ばかりではないから。
☆ 良い面はないと述べています。もしくは良い意図をもって始めたかも知れないけれど その良い面は発揮され得ないか 悪い面によってつねにかき消されてしまうかたちになる。こう考えます。
いくら《程度のよい教団》であっても 信仰を その集まった人々のあいだでの観念(教義)の共同としているに過ぎない。必然的にそうなる。と述べています。信仰(非思考・非観念)ではなくなるという意味です。
★ べき
☆ これを使わないというのであれば この質問に回答する意味がありません。あしからずご了承くださって ほかへ行ってください。

No.26
- 回答日時:
オコリザルです。
連続投稿です。
だからこそ「信仰の組織教義化は 犯罪ではないのか」と言う質問趣旨に立ち返ればなるほどです。
ううーん。微妙ですね。
でもこころを鬼にして言わなければならないでしょうね。
つまり こうです。
○ 組織をつくり信仰内容を言葉で規定しそれを教義として持つときには よほど注意して その教義や組織の規則(特には権限の行使にかんすること)を扱わねばならない。
☆ というのでは 追いつかない構造的な問題があるのではないか。
○ 二人以上が集まって信仰を文章化しその内容を基軸として組織立って行動すると決まった時にすでに 信仰はその自由も対等性も棄て去ってしまったのだ。
☆ となると考えるのです。どうでしょう?

No.25
- 回答日時:
オコリザルです。
一つ言い忘れ。
平等な信仰をもつ者同士が語り合う事は聖典や教義の類よりも実りがあるのではないでしょうか?
つづいてです。
そもそも
○ 信仰は 非思考という性格において 誰れ彼れを区別するものではありません。つまり差別のしようがありません。少なくとも理論的にはそうですね。
☆ つまり
★ 平等な信仰を持つ
☆ という言い方が 違ってきています。個人が信仰を持ったなら 少なくとも理論的には ひとは平等でありそのように――行動において示し得るかどうかを 悲しいかな 別とせざるを得ないのが人間の実態だと思いますが―― 受けとめていることに間違いありません。
つまりは 組織は要らないわけです。組織がなくとも 信仰に立つときには 自由であり平等です。組織がそうさせるのではなく 組織がそれを保証するのでもありません。
そもそも個人として自由でありひとと平等であると宣言するひとたちが仲間をつくって 語り合うことは ふつうの出来事だと思います。それは教義化以前の聖典の内容を互いに咀嚼して語りそこから実り多い実践に接しみづからの実践ともすることでしょう。
この自由で対等な実践に対して 組織と教義化とは いわば蔽いをかぶせ枠組みをはめることになるのではないでしょうか?
たしかにその組織の中にいても 個人として自由な考えに立ち良心的な振る舞いをする人もいることでしょう。でもおそらくは すでに枠組みが嵌められたその中においての出来事であることをまぬかれていない。こう見ざるを得ないのではないでしょうか?
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