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いじめの原因は結局は「いじめる側の心の未熟さ」ではないでしょうか?
いじめられた側にあるのは(仮にあっても)あくまでも「他人を不快にさせた要素」 であり、これは「いじめられた原因」ではありません。いじめられた側にどれほど非や落ち度があっても、「いじめていい理由」になりません。「いじめる側がそうした要素に我慢出来ずにいじめたこと」が、「いじめられた原因」だからです
いじめるかいじめないかを決めているのは常にいじめる側。いじめる側がいじめという行為を選びさえしなければ、いじめは発生しません。つまりいじめの原因は常に100%「その選択をした(いじめ以外の選択をしなかった)いじめた側」にあるということです

我々大人は、まず子供たちに対して「幾ら気に入らない相手であっても、いじめという手段に頼らない」「自分たちの説得力や許容力の無さを、相手の理解力や適応力の無さのせいにしない」「相手の弱みに付け込むのは、理由がどうあれ幼稚で卑怯な行為」「相手の事情や立場や気持ちを思いやり、人権を尊重する」ということを、理屈できちんと教えるべきではないでしょうか
「いじめられる側にも原因がある」という見方の根本には、「いじめた側に上手く応対できない大人たちのお役所的な無責任体質や事勿れ主義的発想」があるのではないでしょうか

いじめにおいて真っ先に救うべきは「忍耐力とコミュニケーション能力と思いやりに欠けたいじめっ子」です。中には日頃から家や学校で何らかのストレスを受け、その為にいじめを止められない子供(いじめ依存症)もいます。そうしたいじめっ子(加害者、即ち一次被害者)を救えば、いじめられっ子(被害者、即ち二次被害者)は自動的に救われます。いじめられっ子のみを救おうとする姿勢は、よほど緊急時で無い限り、偽善的自己満足なのです
但し、いじめっ子を登校させないという対処法もまた「いじめる側へどう対応して良いか分からない大人たち」の怠慢と逃げ口上の顕れであると言えるでしょう

いじめは、子供たちが「馬の合わない人との人間関係をどう上手く作り上げるか」を学ぶ貴重な機会です。「嫌なことは嫌」と相手に伝え説得させる交渉力・意思疎通能力を「お互いに」磨き、協調性を育む、又とないチャンスです

いじめを苦にした自殺が後を絶ちません。子は親の鏡、子供社会の問題は大人社会の問題です
子供は誰でも、楽しく充実した学校生活を送る権利があります。子供たちの伸びやかで健やかな成長のために、何よりもまず我々大人が、いじめについてより正しい認識を持ち、対処法を学ぶ事が大切ではないでしょうか?

A 回答 (6件)

「いじめ」はどんな理由があっても決してしてはならないこと。

「いじめられるほうにも原因がある」という人はいじめを容認しているのと同じことだと私は思います。

あなたのおっしゃっていること、私も同意見です。
群衆心理というものは怖いもので、誰かがいじめられていると、自分もいじめられるのではという無意識の防御心がはたらくのでしょう。
いじめられている人を助ける、かばう、一緒に悩んでくれる、そんな大人が増えることを願います。「いじめられる方にも原因がある」そんな意見が言えるのは、弱者の気持ちがわからないひとのいうことです。
本当に「愛」をうけて育った人は他人の痛みもわかります。
現代にはそんな「愛」をしらない人が多いのではないでしょうか。
shinokitaさんご自分の意見自信を持って発信して下さい。
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「いじめられる側にも原因がある」は真理ですよ。

「弱い個体だ」という「いじめられる原因」があるのです。
動物は自分より強い個体をいじめません。

さて、質問者さんの言い分は「理想論」です。
そう出来たらいいです。でも、より深刻な問題が山積みの現代社会において、その実現はほとんど奇跡です。それでも実現に向けて出来ることから努力するべきですが。その努力は既にされています。
大人だって、いじめられない方法があるなら知りたいでしょう。
いじめは子供だけの問題ではなく、大人だって何人もいじめで自殺していますよ。
大人になると「誹謗中傷」だの「名誉毀損」だの「ストーカー」だの、仰々しい事件名がつきますが、大人が大人をいじめる場合の事件名です。その手口は巧妙化し、より卑劣であり、金銭が絡んできますが。

私は長く、いじめられている子を庇う側の人間でした。
ですが、ある時、いじめられていた子が、より弱い子をいじめ殺した現実を知り、大変に、肝が冷えました。
私はその子を庇うべきではなく、その子が強くなるよう助けるべきだった。後悔しか、ありません。

理想論や大義名分を掲げても何にもなりません。
まずは、自分の身を守れるよう強くなり、そうしたら、家族を守り、友人を守り、地域を守り、日本を守り、地球を守り――
強くなった分だけ、守る対象を広げるのです。それしか、出来ることはありません。
そうやって本当の意味で大きくなった人間だけが、いじめのない社会の作り方も理解するのです。
いくら、あなたが疑問を投げかけても、『ただの大人』には理解できません。
あなたも、自分で自分の身や、家族の身を守ることを考えるようになれば、違う世界が見えると思います。
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これは回答ではなく感想なんだけど、貴方の言ってる事はすごいと思った。


最初はいじめられる方の責任(?)放棄かとも思って「それは違う」と言おうとしたけど、そうじゃない事が分かったよ。

僕は貴方の意見に同意する。色々話したい事もあるけど、結局貴方が言った事を繰り返すだけだから、省略するね。

以前から変わらず、イジメ問題って大人の怠慢が引き起こす事なんだよな。
そりゃ、動かないわけじゃない。チャカチャカ動きはするけど、一番肝心で大変な「子供を理解する」「子供を尊重する」事を怠けちゃってるからそういう事が起きてるわけで。
例えば、理屈で説明する事もそう。問題を一つ一つ潰していけばいいのに、面倒になると「理屈じゃない!!口答えするな!!」で逃げちゃう。感情論に逃げちゃう。大人と子供のパワーゲームにしちゃうんだよね、面倒だから。それって大人気ないよね。(子供に理屈で勝てない大人)

大人がもっと勉強して頭良くなって。そうじゃないとこういう問題はなくならない気がする。
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 士農工商のシステムと同じ、いじめは「己の不幸の憂さ晴らし」であると生徒には教えています。

誰でもいいのです。故に「いじめられるほうが悪い」ってのは、そういう人も自己中ですから、自分に回らないための自衛手段でしかありません。「幸せな人は、いじめを思いつかない」のです。かわいそうな人と思ってあげてください。
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私は中学生の時、父親の転勤で学校が変わり、人見知りの性格も手伝っていじめを体験しました。

いじめっ子側はいわゆる不良生徒、入学前から教師の間で話題になっていたようです。あいつには手を焼くな・・気をつけろと。つまり教育しよう、更生させようという気がさらさらないわけです。子供に対して良き手本や模範となるべき大人たち、親や学校、社会が未熟なればいじめはなくなりません。いじめられたとか、非行に走るとかは、経験者でしか胸の内が解らないと思います。ただ、いじめる側も社会の犠牲者に思えます。大事なのは子供の目線になって親身になって考え、子供の心を理解してあげることなのではないかと思います。思春期なりの悩み、ストレスなどあるわけですから。いじめを苦に命を絶つ・・でも、いまに見てろ!・・いつか見返してやる!と一念発起して頑張れる子もいるのも確かです。
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実際にあった話ですが、AさんがB君に恋してラブレターを書いたそうです


Aさんはそのラブレターを自分でB君に渡すことが恥ずかしく、Cさんに渡して欲しいと頼みました
Cさんは恥ずかしいので「ごめん、出来ない」と断り、DさんやEさんにも断られて、そのことを母親に相談したのです
すると、その母親は、CDEさん3人を自宅にくるように言い、のこのこあらわれた一人に、うちの子をいじめるな、うちの子はおとなしくて、消極的なんだから、あなたが相談にのって助けてあげればいいじゃないとしかったのです
その後、母親は学校にも乗り込み、担任の先生にうちの子がいじめられていると訴えました
現場では積極的ないじめは少なく、このケースのように、消極的に、関わりたくない気持ちを持った人からの疎外感が多いのです
shinokitaさんの文章はタマムシ色の一見もっとも論ですが、いじめる人、いじめられる人・・・とレッテルを貼ること自体が問題で、実はそれこそが解決の混乱になっているのではないでしょうか?
いじめる人、いじめられる人と枠組みしないで、もっと一人一人を見つめるべきだと思います
いじめの問題が先にあるのではなく、子供達ひとりひとりがまずあるのだと思ってください
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