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大好きな人を、なんでこうじゃないんだろう、とか憎む自分がいます。
どうしたらいいですか?

A 回答 (4件)

【情念】


深く心に刻みこまれ、理性では抑えることのできない悲・喜・愛・憎・欲などの強い感情。(『大辞林』/三省堂より)
感情が刺激されて生ずる想念。抑えがたい愛憎の感情。(『大辞泉』/小学館 より)


情が深すぎるのでしょう。
好きになり過ぎて、自分にも相手にも理想を求めすぎていのるだと思います。
愛が憎しみに変わってしまうのは、お互いを映し鏡のように、何もかも理解し合いたいと望んでしまった結果ではないかと。
その人を好きな自分が好きだという気持ちも何処かにありませんか。
相手をひたすら信じて、付いていこうとする自分が好きなんだと思っていませんか。
自分との境が分からなくなってしまうぐらい好きになってしまうと、愛が憎しみに変わることがあるのだと思います。
身近に感じて来た分、自分は相手に尽くして来たのだとか、辛い気持ちをひた隠しにして来たのだとか、向こうだってもっと自分を理解できるはずだという思いがあると、報われ無さを感じて愛が憎しみに変わると思います。
自分ばかりが耐えてきて割に合わないと感じていると、人が憎くなるのだと思います。

愛が相手に向けられてきたものではなくて、自分の心の平安にウエイトを占めていたのだとしたら、自分のために愛していたのだとしたら、憎しみに変わるのは容易だと思います。
相手を「自分の分身のように愛する」のではなくて、「相手の本当の姿をみつめる」ことから始めたら良いのではないでしょうか。
自分の都合や色眼鏡で見るないで、「そのままを見る」ことから始めると良いと思います。
そのためには、少し離れることも必要です。
側に居すぎると、理性が働かなくなって、自分のことも相手のことも分からなくなってしまうと思います。それでは、相手の心を繋ぎ止めておくことばかり考えるようになってしまい、相手の心の奥底のことなどおざなりになってしまいがちです。
相手のことを思っているようで、その実、自分のことや都合ばかり考えてしまうようになってしまうんです。

心のバランスを欠いているときこそ、普段の自分らしさを出せる交友関係も大切にしたほうが良いですよ。
自分の心が偏りすぎているときは、目を覚ますためにも必要なことだと思います。特定の人に執着をしてしまうことが、そもそも不自然だから心がおかしくなるのだと思いますので。
そして、好きになったときの気持ちを忘れないことだと思います。
最初は、相手に何かして欲しいから好きになったのではなかったのですよね?
一緒にいると心が穏やかになったり、ワクワクしたり、幸せな気持ちになったから好きになったのではありませんか?
相手を特別美化したり、歪めて見たり(憎む)などもなかったと思います。
先入観も特になく、ただ全体をそのまま見て好きになったのではないかと思います。

自分の感情を相手に投影しすぎて、言葉はあまり良くありませんが、多少、妄想気味になってしまうと愛が憎しみに変わってしまうのだと私は思います。
自分の中に相手を強く縛り付けたい思いがあると、愛が満たされないと感じてしまい、憎くなってしまうのだと思うのです。
愛しすぎると独占欲が強くなってしまうから、理性が働かなくなってしまうのでしょう。
大好きな人を憎むほど思い詰めてしまったのは、貴方の心が本当には自由ではないからだと思います。寂しさや不安を抱えているからだと思います。
大切な宝物を手放したくないように、大好きな人に沢山愛を詰め込んで、沢山愛を受け取りたいと望んでしまうから苦しいのだと思います。

苦しい愛を向けられたら、貴方は辛くはありませんか。
重過ぎる愛はお互い辛いものです。気遣われていると一々感じる方が、辛かったりします。善意からだとしても、重すぎると足枷のようで辛いものです。
不安が強すぎるから、愛が憎しみになってしまうのだと思います。
本当に相手が好きなら、もっと大きく、大気のように包み込むように愛せませんか。
大好きな人と一緒にいなくても、心穏やかでいられる自分の大切な場所や時間をつくりませんか。
貴方という土台がしっかりしていれば、嵐のような苦しさを自ら招くことは無くなると思います。
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この回答へのお礼

不安が強いことも、あっている。
なんということだろうか、あなたは私という人を見抜いているようだ。
ありがとう、としか言葉を知らないのだが、本当に参考になりました。

お礼日時:2009/11/09 19:51

昔ですが、新聞の人生相談の欄にこんな話が載っていました。



女の人の相談でしたが
夫でもあり好きな男の人の悪い癖を直すのにはどうしたらいいのか、といった内容でした。
その内容とは、ちょっぴり恥ずかしい事だったのです。
夫の悪い癖というのは、実はおねしょを時々してしまうといったものでした。
その事を可哀そうでならない、なんとかしてあげたい、といった相談でした。
回答者の返事は、まずお医者さんに相談してみるようにといった事でしたが
付け加えて、末長くお幸せに、とも書かれていました。

印象に残るものだったので覚えていたのですが
夫婦の愛情とは、このような深い思いやりにもなるものだと感じさせられました。
夫である人が、恥ずかしいおねしょをしてしまう事で苦しんでいる、何とかしてあげたい・・・・・
夫の苦しみを救ってあげたい、という思いやりに深い愛情があるような気がしました。

相手が、こうでなければ嫌だ、こうあって欲しい、と思うだけでは無く
少しでも相手の身になって、苦しみを和らげるとか、喜んでもらえるように心掛けられたらいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

深い愛情ですか。
気付けるように、字違えど、築けるように努力していきたいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/09 19:48

愛は憎しみを生み出し、憎しみは愛を求める。



表裏一体。

「求め過ぎては駄目」と分かっていても、愛がひたすら先を行くから、応じてくれないもどかしさに憎しみが生まれる。

お互いの気持ちのバランスが、どういう割合で構成されているかが、問題。

生活の中の時間においても、言えると思います。

お互いに対して作る時間です。
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この回答へのお礼

バランスが取れていないのは確かなことでした。
気づくのにやっとな私ですが、感謝を述べさせていただきたい。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/09 19:50

 一体化、同一化してしまっているんですね。

依存しているのだと思います。
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この回答へのお礼

認めざるえない。
意見ありがとうございます。

お礼日時:2009/11/09 19:49

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