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元南海ホークス等の指名打者門田博光は万象学で背番号を決めていたそうですが、もしそれで出た番号が1桁等の若い番号だったらそのままその番号を選んでいたのでしょうか?
一説にはエリート番号への反発の為に態と大きい番号を選んでいたとも言われていますが本当のところは分かりません。
御存知の方は御回答を宜しく御願い致します。

A 回答 (2件)

wikiでは、



”その頃のプロ野球の主力選手には珍しく大きな数字の背番号をつけており、しかも次第に大きくなっていった。1980年から使用した44番はメジャーリーグの強打者に多いことや、44歳で亡くなった母親の供養の意味で44本の本塁打を目標とする意図からつけられた。1982年に実際に44本塁打を放って本塁打王を獲得すると、次は60本に目標を切り替えて背番号を60とした。”

って記述してますね。また、

”来歴・人物欄にあるアキレス腱断裂の際、チームに担架が用意されておらず、門田は戸板に乗せられて搬送された。南海の貧乏ぶりを示す逸話である。”

ちょっとこれには笑いました。戸板って・・・さすが南海。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E7%94%B0% …
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南海時代の門田選手ですが背番号は60番でしたよね。


これはホームランを60本打つんだとそう決意して60番を
付けていると聞いたことがあります。
南海時代の門田選手の選手別応援歌には「目指せ60本」
という歌詞(フレーズ)があったと思います。
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