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17年間ずっとそばによりそってくれていた愛猫を
自分のせいで(病院選び、手術の依頼、栄養管理など)
死なせてしまって・・・
入院中だったので最後も看取れなくて・・・
信頼していてくれたのに
最後は心細かっただろうに
と思うと、胸が苦しくなります。
亡くなったけど、やれることはやりました。じゃなくて
後悔ばかりの愛猫の死、
私はいつか立ち直れますか?

A 回答 (5件)

私も先日もうすぐ17になるところだった愛猫をガンで亡くしました。



ご自分を責めてばかりいるそうですが、
私だって自分を責めようと思ったらキリがありません。

「亡くなったけど、やれることはやりました。」
それでいいと思います。

看取れなかったことを悔やんでおいでのようですが、
ある本によると
猫には「死」という概念がないそうです。
野良や外飼い猫など外で自由に暮らしている子らは
事故や病気で動けなくなる前に静かな場所に身を隠し、
体力の回復を図るそうです。
昔はよく死期が迫った猫は身を隠すと言いましたが、
猫たちは療養しているつもりなんだそうです。
弱った姿を見られることは屈辱的なことみたいです。

たぶん病院の中でも最期まで病気と闘って、
元気になったら優しいmei0311さんの笑顔を見に行くつもりだったんでしょうね。
それまで悪いけど、姿は見られたくないみたいな。

うちの子も死の当日、ちょっと体調が良くなって
自力でお気に入りの水のみ場へ行けるようになり
(そこ以外で水は決して飲もうとしなかったんです)、
安心したところちょっと目を離した隙にかくれんぼしちゃって・・・
散々探して、ボイラーの裏の狭い場所で眠っていました。
見つけたときはまだ温かくて、体も毛も柔らかくて
本当に眠っているようでした。

他に猫は飼っていませんか?
私も思い出すと泣いちゃうけど、同居猫たちにかなり慰められました。
泣いて沈んでいる場合じゃないですね。

この回答も実は昨日答えようとしていたのですが、
思い出して涙ボロボロこぼしていたら
猫がパソコンの上に上がって電源を落としてくれました。
そういうやり方で慰めてくれているつもりみたいです。
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この回答へのお礼

ien-さん、つらい事を思い出させてしまって、ごめんなさい。
でも、話してくださって、ありがとうございます。
誰かといるとなんとか我慢できるんですが
一人になるとすぐに泣けてしまって、
どうにもなりません。
ただ、家にも12歳の同居猫がいて、
泣いているといつの間にかそばによりそってくれます。
人間だったら、
「いつまで泣いているんだ!」といわれそうですが、
何日たってもじっとみてくれて・・・・。
心配してくれているんですね。
時々同居猫が天井に向かってキョロキョロしているので
亡くなった猫も見に来ているのかもしれませんね。
心配しているかな?

お礼日時:2009/12/08 22:22

私も先代猫を17歳で亡くしました。


あれから早10年…
月日の経つのは早いものです。
荼毘に伏し遺骨は側にあります。

一時も忘れたことはありません。
うちの場合、最期は看取れましたけど、辛かったです・・・

苦しくて空しくて、やりきれなくて・・・
あの時の気持ちは筆舌に尽くしがたいものがありました。
ですから、相談者様のお気持ちは痛いほど理解できます。

最期を看取れなかった事は残念でしたが
誰が悪いわけでもなく、そうなるようになっていたのです。
物事は偶然ではなく、大概は必然なのです。

きっと、猫ちゃんは・・・
最愛の貴女に、自分最期の姿を見せたくなかったのだとおもいます。

私の愛猫も、最期の最期は私の看護を拒みました。
近寄ることをためらうほどの崇高さを感じたことを覚えています。
ああ、これはもう人の立ち入る領域ではないんだなと感じました。

そういうこともありますので・・・
ご自分を責めないでください。
全ては必然なのですから。

無責任なようですが・・・
経験者の立場から申しますと・・・
辛さ、悲しみは『時』が解決してくれます。
時の流れというものは、時に厳しく残酷なものですが
時に、記憶をおぼろげに変え苦しみから解放してくれるというメリットも持ち合わせます。

時の流れに身を任せてください。
しばらくは猫ちゃん、お側にいますので声を掛けてあげていただいて
それから後は、ちゃんと虹の橋を渡って幸せになれますようにと
猫ちゃんの冥福を祈ってあげてください。

いつかきっと、また逢えますから。。。

だいじょうぶ…乗り越えられますよ。

愛猫さんの冥福を心からお祈り申します。
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この回答へのお礼

usamrさんもお辛かったのですね。
私だけではないですね、苦しんでいるのは。
私は、こんなに辛く悲しく寂しいのは
最期を一緒にいられなかったからなんだろう。
ずっと一緒だったのに、どうして最期だけ
一緒にいられなかったんだろう?
何があってもそばにおいて置けばよかった
なんて私は馬鹿だったんだろうと
そればかり考えていました。
けれど違いますね、
もう抱きしめてあげられないこと
何もしてあげられないことが
辛いんですね。
暖かいおことば、ありがとうございました。
うれしかったです。

お礼日時:2009/12/08 21:50

17年間家族として一緒にすごしたことは立派なことです。



その仔もあなたに感謝しています。
あまり落ち込んでるとその仔も成仏できませんよ?
きっと立ち直るのを待っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
思い出す→悲しむ
になってしまっています。
亡くなる前の2ヶ月間が
あまりにもかわいそうだったので。
でも、忘れるというのも出来ません。
いまだに、病気のことなどを調べてしまいます。
いいことではないですよね・・・。

お礼日時:2009/12/07 07:35

出会いがあれば別れがくるのは必定なのです。



特に生涯を終える瞬間というのは、最後の生への葛藤があり、周囲の人間としては、生命の理不尽さにとまどうものです。

なにもしてあげられない、楽にしてあげられない、完治させられない、という絶望感の中、天に召されていく姿を見ると、それはそれで自分の無力さを痛感させられるのです。

入院させて専門医に処置してもらっても無理であれば、人間は全能の存在ではない、ということを実感させるものです。

いずれにせよ、なんとか回復させようというよりは、良い最期を経験させて天に送り出そうという意欲こそが、最大の愛なのです。

それが自分の力だし、現代の人間の限界なんだ、と受け止め、今後であった子には更によりよい最期を送らせてあげよう、という努力を誓うのが最高の供養なのですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大変悪性度の高い病気だったので・・・
治らないことはわかっていたのですが、
もしかしたら奇跡がおこるかもしれないと
助けなくては助けなくてはとばかり考えて
なんだか平常心を失っていた気がします。
残された大切な時間をもっと穏やかな気持ちで
過ごせていたらよかったなって思います。

お礼日時:2009/12/07 07:26

こんばんは



まずはお悔やみ申し上げます
今は自分を責めるとおもいますが
みんなそうなんですよ何で助けて上げられなかったんだろう。って
自分を責めます

でも今は出口が見えないと思いますが
猫ちゃんはいつも質問者さんを見守っていますよ
ご参考までに
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とっても優しい女の子だったので
どんなことがあっても私を恨んだりとかは
していないとは思うのですけれど・・・。
猫ちゃんの治療は難しいですね。
担当の獣医さんによってもかなり違うことを
後になって知りました。

お礼日時:2009/12/07 07:16

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