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昔から考えているのですが、人生って、最終的に「楽しいことや嬉しいこと」と「悲しいことや辛いこと」との比率って、どのくらいになるものなんでしょうかね?

今までの人生では、私は「楽しいこと」1:3「辛いこと」というイメージなんですけど、皆さんはどうでしょうか。

まあ、何が楽しいか何が辛いかとか、その度合いとか、一概に言えないことは承知で、ご自身の感覚でザックリとお答えいただければ結構ですので、宜しくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

こんにちは。



「楽しいこと」9:「辛いこと」1
あるいは、
「楽しいこと」95%:「辛いこと」5%
くらいです。

どんなに辛いことでも、あとから振り返ると
いい思い出だったり、いい経験だと思えるし
楽しかった側面もその中に含まれるので
そうおもいます。
自分で、環境や状況を変える事ができるとおもうので
それを知った今は、楽しいことが多いです。
子供の頃は、先天的な環境や立場を変えることは
自分の力では難しかったのですが、大人になって
選ぶ力や学ぶ力がついてきて、自分の理想と現状が
伴うことが多くなった気がします。
・・・自分が楽天的すぎるのかもしれませんが。

どんなに辛いことでも、その状況を楽しめるというか
客観視して、自分がその条件のなかで最善をつくすと
それなりに、よい方向へいったり、結果を出せるので
今は、嫌な事やストレスもほぼ無く楽しく幸せにおもいます。

厭世観や悲観主義になっていると、それはその軸のなかでの
面白さや愚痴をいう陶酔感もあると思いますが
自分には、それをするだけの自己肯定も記憶力もないので
ただ、直感的に動物のように生きています。

愚痴をいう時間と相手があったら、その分昼寝したり
美味しいものをたべたりして、建設的な行動をしたいと
思ってしまうので、やや冷めているのかもしれません。
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この回答へのお礼

楽しいほうが圧倒的に多いというご回答が続いて、こちらも楽しさのおすそ分けをいただけそうです(嬉)。

中島みゆきさんの「時代」という歌が好きなんですど、
 そんな時代もあったねと いつか話せる日も来るわ
 あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
この意味をしみじみ感じる今日この頃です。

年は取ってみるものです。。。

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/19 20:27

「楽しいこと」 99%


「辛いこと」 1%以下

 自分が生きているだけで幸せです。

 個人的に『自分が不幸だ』という人は、本当に不幸な目にあったことがないんだと思います。
 幸せは、失って初めてその価値がわかるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

それは確かに、生きているだけで幸せであるとは言えますでしょうね~
実際にはそう思えない人も多いようですが、生を授かったからにはそう思うべきでしょうし・・・

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/19 20:22

No.7の


goo_QandAさんの

「桜の木」の話にとても感銘を受けました。


質問者さんのbe-quietさんと同じように、
私も
>最終的に「楽しいことや嬉しいこと」と「悲しいことや辛いこと」との比率って、どのくらいになるものなんでしょうか

これをよく考えます。
「正負の法則」とか…。
「光が強ければ強いほど闇が深まる
闇が深ければ深いほど光が強まる」とか…。
人間の喜びや悲しみもそれと同じ?
とか…。

みなさんの回答が、意外と
「悲しいことや辛いこと」の比率が大きいのに、びっくりしました。

以前他の方の
「あなたは幸せですか?」という質問に、
ほぼみなさん「幸せです」と答えられてたので…。
もっと「楽しいことや嬉しいこと」
の比率が大きいのかと思ってました。
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この回答へのお礼

山高ければ谷深し・・・ということかもしれませんね。
とても楽しいことがあった後に悲しいことがあると、その落差が堪えます。
とても悲しいことがあっても、その後でのちょっとした楽しいことも、大きな喜びに感じます。

みなさんのご回答は、思っていた以上にバラつきがあって、私も興味深いです。

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/19 20:18

5:5かな。



ただ、「楽しいこと」が自分に起こると、他人にその分「辛いこと」が起こり
自分に「辛いこと」が起こると、他人にその分「楽しいこと」が起きる気が
昔からするのよね。
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この回答へのお礼

5:5ならば、人生そこそことなりましょうか。

それでも、世界中が5:5だとすると、やはり自分が楽しい時には他人にその分の悲しいことが起こっている可能性は高いかもしれませんね。

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/19 20:14

こんにちは。



「楽しいことや嬉しいこと」: 3%
 「悲しいことや辛いこと」:97% ですね。

ちょうど桜の木と同じ位かな…。
一年が約52週間、桜が綺麗に咲いてるのは、せいぜい1週間~10日。
僕の人生は、たぶんこんな比率です。
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この回答へのお礼

「楽しいことや嬉しいこと」は、桜の木と同じくらいですか。
確かに華やかな桜の花も、一年で3%程度の期間なんですね~

まあ、桜のように、満開のときは短くても、人にも感動されるのであれば、その率も倍くらいには上がるかも・・・

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/19 20:01

無理。


 楽しいの意味が、私には“分かりません”
というか、できれば頭の中だけに収めたいものです。
(だって、人々が「助けてくれー」とオロオロしているのは、楽しいですし、それが自分を攻撃した人物であれば、“嬉しい”以外の何物でもありません。)

 逆に、悲しいとは、自分の肉親が、他人の手によって・・・ることでしょうか? しかし、これは、辛いとかの次元ではないでしょう。「おのれ、よくもよくも・・・」

 
 すると、「楽しいこと」0:無限大「悲しい(辛い)こと」

0にどれだけ掛けても0(無意味)


 しかし、ここは日本。
非常に治安の良い国であります。
 すると、辛いのは『死』(こればかりは、寿命。月日の流れ)


 「楽しいこと」0:1「辛いこと」

ん? やっぱり0(無意味?虚しい)=虚無↓
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/m/mar303/2 …

 
 ※『比率』を、人生なんかに用いて、どうするのって感じです。

「楽しい」と思っていたことが、実は「不幸の始まり」で、「悲しい(辛い」と思っていたことが、実は幸せの始まり、というのが人生ではないでしょうか?
 
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この回答へのお礼

まあ、「楽しい」を相対的に考えたり、「悲しい」を「恨み」と捉えたりするのは、あまり一般的な考え方ではないように思いますし、私の質問の意図とは離れてしまいます。

『比率』を人生なんかに用いてどうするの・・・ということですが、結構同じようなレベルで人生を論じていることって、たくさんありそうですけどね。例え哲学のような高尚な学問においてでさえも。

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/19 19:56

20歳の頃に右足を切断して身体障害者になって「辛いこと」だと思っていましたが、それから20年以上過ぎてみれば、私の人生経験は半分が身体障害者、半分が健常者というお得感たっぷりのものになっています。



事故の話、リハビリの話も正直言えば「辛いこと」は整理した事実のみが記憶に蓄積されているだけで、リアルな「辛いこと」は残っていません。
(人間の脳は「痛かったこと」は記憶できるが「痛さ」そのものは記憶できないと聞いたことがあります。故に女性は人生最大の「痛かったこと」を経験しても、また「痛いこと」に挑めるのだとも。)

「私は世界で一番不幸な男だ」に近い感情を持つような形で離婚も経験しましたが、その後、何回かの恋愛を楽しんだ後に今の配偶者と結ばれた時には「私は世界で一番幸せな男だ」になっていましたし。(笑)

これで予定通りに私が家族の中で一番先に逝くことができれば、私は既に用意している遺言書にも書いてあるとおり「○○○に出逢えたことも含めて、生まれてきたときから最期まで思う存分楽しんだ。だから、悲しまないでください。」の心境で逝けると思っています。

今も「辛いこと」と思っていることはあります。
しかし、それは永遠に継続するモノではないでしょう。

私の場合、最期に収支決算したら

「楽しいことや嬉しいこと」99:1「悲しいことや辛いこと」

になるように今は思っています。

あ、「1」は私が死ぬことです。
私は「死」を怖れる小心者なので、その時意識が有れば怯えて涙を流すくらいの醜態は晒すと思っています。
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この回答へのお礼

身体的にハンディを背負っているということを、どう捉えるかということでしょうか。
実は私を母親代わりに育ててくれた叔母が、生まれながらに脚に障害があったのですが、亡くなる数年前に辛かったことをいろいろと聞かされました。
結婚もしなかったのですが、甥っ子や姪っ子といつも楽しそうに過ごしていましたが、さて叔母はこの質問にどうこたえただろうかと考えてしまいます。

まあ、最も悲しいことや辛いことである「1」は、誰にも共通していることですから、その「1」だけで済めば人生最高と言えそうですけどね。

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/18 22:29

そういうのはゼロ・サムとして考えないとやってられないので、1:1デス。



人間関係の収支決算をするといつまでも大赤字なのでアリガタサはツラサを上回っていなければならない、という意味も込めて。
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この回答へのお礼

人生を通してみたら1:1だったとなるのが、一番納得かもしれませんね。
しかし、どうも人間関係で黒字になっている人は少ないような気がしますけど・・・

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/18 22:17

気の持ちようだと思います。


一般的につらそうなことでも楽しめる人が一番幸せなのかも。
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この回答へのお礼

他人から見たら辛そうなことでも、本人がそれを楽しんでいれば、それは幸せといえるでしょうね。

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/18 22:15

楽しい事1:辛い事2.5ぐらいかな、と。



辛い時があるから楽しい時もあるのだろうなって思ってます。

楽しい時ばかりだと、いま、楽しいと思える事が楽しくなくなるようで。

仕事でも、先週なんて「辛いなこの仕事、この立場」って思う時間が多かったけど、そんな中でも、「良かったです」って一言でちょっと楽しくなったりしてましたから。

季節も嫌いな冬が過ぎれば、間もなく大好きな春になって花も咲くしと思ってますから。
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この回答へのお礼

私の感覚に近いですね。
確かに、辛いことが2~3あるからこそ、1つの楽しみが2~3倍に感じるということもありそうです。

楽しいことばかりだと、その感激もかなり薄れるということでしょうね。

私は若い頃に長距離走が得意で好きだったんですけど、走っているときにはものすごく辛いだけに、ゴールしたときの嬉しさは大きかったですからね。

ありがとうございました!

お礼日時:2010/02/18 22:12

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