プロが教えるわが家の防犯対策術!

学生です。この春から、県内の公立高校に通うことになる予定です。
自慢をするつもりはありませんが、私は中学校(公立中学)時代、学内の成績が学年一位、私立最難関校に合格など良い結果を多く残してきていたので、周囲の友達などからは「天才」などと言われることがよくありました。
でも、私の中学1・2年の頃の成績は、今と比べるともっと低いレベルでした。さすがに落ちこぼれというほどではありませんが、学内定期テストの点数は、科目によっては20点台ということもありましたし、苦手な教科も複数ありました。
私の学力が上がったのは今年(中3)の一学期で、今までこんなに勉強したことはないというほどの勉強量を毎日した結果、偏差値で15~20程上がりました。(ちなみに、私の両親は両方とも学生時代の成績は普通だったそうです)
でも私は中3の4月に今の学校に転校してきたので、友達はそのことを知りません。
それで私は皆から「天才」と言われるわけですが、私の考えだと、スポーツや音楽などの能力の方が、才能に左右される部分が大きいように思います。

私は中学校の部活では水泳をやってきて、これも自慢ではありませんが、顧問の先生なども私が部員の中で一番練習をがんばっていると言ってくださりました。努力したことがいい経験にもなりましたが、私のタイムはサボっている他の人にさえ全く追い付けないままで、差は開くばかりでした。
音楽教師(有名ではありませんが、そこそこすごい音楽家です)にも「君は頑張ってるけど下手だ」というようなことを何度も言われ、才能の存在というものを身にしみて感じました。

私の今までの経験から言えば、勉強よりも運動能力のほうが「才能の差」は大きいと思うのですが、実際はどうなのでしょうか。
長文失礼しました。回答よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

その質問に正確に答えられる人は勉強・運動共に才能がある人なのでしょうね。


私が思いつくそんな人は中田英寿くらいです。

話がそれましたが、勉強にも運動にも才能はあると思いますよ。

比較する部分を変えて考えてみてはどうでしょう?

水泳が早い→筋力がある
計算が速い→頭の回転が早い

計算の速さは才能による気がしません?

水泳が早いのと数学の点数が高いというのはちょっと違う気がします。

ところで僕も中高は神童ともてはやされ、現在旧帝大、サッカーではまぁだいたいエースだったわけですが、自慢じゃないですがそれは周りが大したことなかったからです。
嫌味っぽいですね。笑
でも自分も小中高と自分は普通なのにと思い続けてきました。
都会に来て自分くらい頭良い人、サッカーうまい人いっぱい見ました。

天才と言われる中でも自分は努力型だと思えるあなたはとても謙虚な人だと思います。
その謙虚な気持ちを忘れず努力してくださいね。
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この回答へのお礼

計算の驚くほど速い人を見ると、私も「才能の差」を感じます…。
やはり才能の差はどんな分野にも少なからず存在するのですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/02 13:19

ま、学生の勉強というものは、すでに解答のあるものばかりですから、やればできるものですけれど。

やってもできない人もいるので、勉強も才能に関わりがあるとはいえると思います。学校で一番であるのなら、勉強の才能があなたにはあると言ってもいいのでは。運動が得意で勉強ができない人は、あなたとは逆の質問をするかもしれませんけども、運動能力は、解答があるものでないので、素質が多分に影響するかも知れません。スケートの真央ちゃんも、かなり運動神経がいいのだとは思いますが、見てて、何か、動きの鈍さみたいな独特なものを感じません?そんな所が金メダルが取れない理由だと思うのですが、いくら努力しても、運動能力の高台への到達点には、限度があるものなのかもしれませんね。アジア人がどうあがいても黒人には勝てなかったりしますしね。
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この回答へのお礼

勉強と運動の一番の差はやはり「解答があるかないか」にあるのかもしれませんね。
そこが、運動に関する才能の差をより顕著なものにしているのかもしれません。
参考になります。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/02 13:24

学問でもスポーツでも天才はいますよ。


10歳そこそこや、それより年下で大学に入学するような天才はいます。
スポーツの場合は、才能プラス体格が要りますが。
さらにプロになるには資質が必要です。
ま、どんな天才や大変な資質の持ち主も努力しなければ只の人ですが。
結局は、努力の質の差が大きいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
テレビなどで、驚くほど低い年齢で大学に入学するような子供を見ると、それはさすがに追い付けないなと感じてしまいます。
「才能の差は小さく努力の差は大きい」でしょうか。

お礼日時:2010/04/02 14:14

高度になるに連れて才能が大きくものをいいます。


中学では秀才でも、高校の進学校では各中学から秀才が集まるので普通になってしまいます。大学では更にこの傾向が強まります。

スポーツも中学、高校、大学社会人ではレベルがまったく違います。
中学で全国レベルでも高校になると通じないと言う事は普通に起きます。

何事も努力で有る程度は何とかなるものですが、一流といわれるレベルには努力だけでは到達出来ません。何事もです。
君が言うとおり勉強よりスポーツの方が才能に左右されます。
スポーツにおける才能には適した体格も含まれます。
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この回答へのお礼

私も進学校に入学して、そのことを身にしみて感じるようになりました。
スポーツの分野でも、そのような話を聞いたことがあります。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/21 18:47

個人的にはどちらも遺伝的要素がかなりあると思います。


努力すれば必ず博士になり、オリンピックに出られる、
そんなことにはなっていません。
ただ、ほとんどの人が普通の人で努力の結果が現れていると思います。
それに、幼少期の環境は子供の成育の興味に多大の影響を示しつつも、

しかし親から子にうつる遺伝の状態は確率的に100%ではなく、
それだけDNAの混じっている状態が複雑であるという。
だから「とんびが鷹を生んだ」などと表現されます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。お礼が遅れ申し訳ないです。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/15 22:45

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