石棺の蓋に刻まれた仏像
先日、奈良県天理市から桜井市にかけて南北に伸びる山辺の道を歩いてきました。
長岳寺には古墳の石材を利用して作った弥勒大石棺佛がありました。
http://www.chogakuji.or.jp/bunkazai/butuzou/miro …
また金屋の石仏も古墳石棺を利用して作られたものだそうです。
http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/kanaya …
(1)このように古墳の石棺を利用して作った石仏はほかにも例はありますか。
(2)なぜ古墳の石棺を利用して石仏を作ったのでしょうか。
古墳があらされて石棺がむき出しになっていたのでしょうか。
推論でも結構です。
お考えをお聞かせください。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
播磨の石棺仏は、たいへん多いですね。
というのも、元々播磨には石棺自体が大変多いのです。(姫路城にも数個の石棺があります。築城時に古墳をいくつか取り壊したのでしょう。)
播磨には、「大王の棺」の石材を産出した「竜山石」(兵庫県高砂市)という古墳時代の石棺材料として大変メジャーな石の産地があり、ここから大和など他の地域に、数トンもあるよな巨大石棺も運ばれました。→播磨の国の風土記にも、いろいろ関連記述があります。
また、長(おさ)石(兵庫県加西市)と言う竜山石に大変よく似た石材を算出する場所もあり、加古川中流~下流にかけての山には、同じ岩脈に属する石材産出地が多数ありました。
この竜山石系の石材を産出する土地と石棺仏の多数存在する場所が、完全に重なっていて、播磨でも加古川中下流域にほぼ限定されます。(尚、竜山石を産出する高砂市は、古墳時代には河口の湿地帯で、平地には古墳が元々少ないです。)
1)国宝浄土寺(兵庫県小野市)境内には、3基の石棺仏がありますし、寺の古い手水は、家形石棺の蓋を再利用しています。加古川市では過去に石棺仏の見学会も行われたことがあります。(播磨の石棺仏の半分以上が加古川市の加古川西岸のごく狭い地域にあります。
http://f39.aaa.livedoor.jp/~saijiki/douso_isi/se …
http://www1.kcn.ne.jp/~yosikatu/harima.htm
2)理由としては・・・
鎌倉時代の新田開発によって水路が作られ、古い農耕地の周辺にあった平地だが水がない土地の開墾が進み、多数の古墳が破壊されることになった。
播磨のこのあたりの土地では、小規模な古墳であっても、木棺を使うことが少なく、かなり大きな石棺を使っていて、多数の石棺が古墳から掘り出された。
鎌倉時代の人も、副葬品・骨が出てくるので、古代の墓であることはよく知っており、先祖の墓を取り壊すことによる「たたり」を恐れた。
そこで、寺や神社に石棺を運び込んで、神仏に死者の鎮魂をしてもらった。
鎮魂の効果を高めるために、石棺に鎌倉時代にも多数いた地元の石工が、梵字や仏像を彫り込んだ。
という風に言われています。
<おまけ>
このあたりの古社にも、石棺があるところが結構ありますが、加工を施こしたものは少なく、手水に転用したものの場合、その便を図る加工をする程度のようです。
寺の境内以外の石棺仏は、加西の山伏峠のように、農業の邪魔にならない場所で供養されていたり(今でも地元の方が、時々花を供えておられます。)、古くからの村の共同墓地にあり、村の人が今も供養しています。
回答ありがとうございます。
なるほど、播磨には石棺が多いのですね。
それはすなわち古墳が多いということで、古くから栄えた地方だったということでしょう。
山辺の道の近辺ももう、古墳だらけです。
また石材の産地であったのですね。
姫路城にも石棺が使われているんですか!
今度探しにいきたいです。
鎌倉時代の新田開発でたくさんの古墳が破壊されたのですね。
しかも木棺は少なくほとんど石棺であったと。
>先祖の墓を取り壊すことによる「たたり」を恐れた。
これはあると思います。
日本人の怨霊信仰というのは相当根深いと思いますので。
能とかほとんど怨霊の話なのだそうですね。
No.3
- 回答日時:
(2)なぜ古墳の石棺を利用して石仏を作ったのでしょうか。
古墳が今みたいに厳重管理されるようになったのは、江戸中期から明治になってから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87% …
基本的には荒れ放題です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%9F% …
この方なんかが、大事にせい!と言い出した。
戦国時代には、石仏を城壁だとか、道路普請に使っていますから、「石があったらつかう」くらいのかんかくじゃないでしょうか
2度目の回答をありがとうございます。
古墳がかつてはかなり荒れていたという話は聞いたことがあります。
天皇陵でもいまのように立ち入り禁止ではなく、一般の人が自由に出入りしていたところもあるようですね。
今、古墳が大事にされているのは蒲生君平という人のおかげなんですね。
勉強になりました。
>戦国時代には、石仏を城壁だとか、道路普請に使っていますから、「石があったらつかう」くらいのかんかくじゃないでしょうか
今の世の中のように物にあふれていたわけじゃなく、
どんなものでも資源として活用した、というわけなのかもしれませんね。
No.2
- 回答日時:
石棺仏は、播磨にはたくさんありますよ。
私の読書メモには
「石棺仏は播磨独特で、加古川市35、加西市28、姫路市14を含め県下約100」と、
書いています。
写真もかなり撮っていますが、石棺そのものに注目したことはありません。
ご質問を読んで、漠然と写真を撮っていてはダメだと、反省しきりです。
いったい、どのようにして石棺を入手したのでしょうか。
この地方は、良質の石材が出ますから、石材にはことかかなかったと思います。
石棺の一つや二つなら、何かの事情で見つかって、捨て置くよりは供養になるからと、仏を彫ったと考えられますが、なにしろ数が多いですね。
調べてみますと、専門家のサイトを見つけました。
#1の方のサイトと同じです。
川尻祐治氏「謎を秘めた仏たち」播州平野の石仏
http://www.bunkaken.net/index.files/nazo/nazo08. …
引用させていただきますと、
「多くの古墳は、一般的にはその築造からまもなく副葬品を目当ての盗掘が始まるほか、自然災害などもあって、長い年月の間には古墳を覆った土砂が崩れ、埋められていた石棺が露出したりすると、石棺自体が石垣などの材料として使われるようになる。そうした利用方法の一つに石棺仏がある。」
このような事情は、全国あちこちで起きたでしょうが、では、なぜこの一帯に集中して多いのか、
私には分かりませんが、このサイトにはその解答もあります。
「浄土寺の建立に当たって重源は、各種の技能集団を引き連れていたが、そうした中には当然、仏師や石工が合まれ、信仰と経済そして彫刻技術が噛み合い、災害や開墾によって露出した素材としての石棺が、この地方では比較的容易に求められ、これに阿弥陀如来や地蔵菩薩の像が制作されたのではないかと考えられる。」
とっておきの石仏をご紹介します。
加西市玉野町山伏峠(サイトでは山王峠となっていますが、ミスプリだと思います)の阿弥陀様と地蔵様です。
石の仏 「播磨の石棺仏」
http://www1.kcn.ne.jp/~yosikatu/top.html
加西市にはキリシタン地蔵が150体もあって、野の石仏の宝庫です。
加西市隠れキリシタン
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/kanji/media.htm
回答ありがとうございます。
播磨にたくさんあるのですね。
棲んでるところからそう遠くないので、ぜひ近々参拝に行きたいです。
まず、ひとつには石材の産地であるということですね。
仏を彫ったのは供養のためだろうと私も思います。
>自然災害などもあって、長い年月の間には古墳を覆った土砂が崩れ、埋められていた石棺が露出したりすると、石棺自体が石垣などの材料として使われるようになる。
奈良には農家の人が鎌をとぐのに使ったという傷だらけの石棺がありました。
重源を中心した念仏結社の存在説は興味深いです。
加西市のキリシタン地蔵、というのもわくわくします。
マリア観音というものがあるのは聞いたことがありましたが
キリシタン地蔵というのもあるんですね。
お地蔵様を見つけたら、後ろ姿も要チェックですね。
No.1
- 回答日時:
回答ありがとうございます。
ご紹介いただいたサイト興味深く読ませていただきました。
播磨に多いのですね。
あのあたりはいったことがなく、歴史もほとんど知りません。
一度訪ねてみて、またいろいろ調べて見たいと思います。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 歴史学 装飾古墳は副葬品を模した鏡や靫の文様が石室内部に施されており、死者を護る役割があると言われていますが 1 2023/07/27 15:30
- 人類学・考古学 大発見?童謡『こいのぼり』と『背くらべ』は伴にエジプトのピラミッド建造の様子を謳っているいたんだね。 4 2022/05/21 11:41
- 歴史学 邪馬台国は九州だと思いますか? 見つかった石棺が卑弥呼のもの、って話しが出来すぎると思うのですが? 5 2023/06/11 12:37
- 人類学・考古学 天皇陵 3 2022/05/20 11:48
- 歴史学 古墳について。 先に信仰の対象として山を築き、その後墓(古墳)として利用した、ようなことはありますか 7 2022/09/19 15:57
- 人類学・考古学 水田稲作の始まりは、各地域、まちまちにもかかわらず、なぜ、同時期に古墳時代に入ったのでしょうか? 10 2022/06/14 12:42
- 建築学 日本における仏教建築と古墳について、建築史的ないし都市史的な関係性を具体的に教えてください! 1 2022/04/29 23:17
- 政治 ガーシー議員は、29万票を取って当選されましたが、これは江戸時代の大大名の石高に匹敵しますね? 44 2023/03/10 10:04
- 英語 Sidewalks がなぜ複数形なのでしょうか? 2 2022/12/23 05:57
- ガーデニング・家庭菜園 有機石灰と苦土石灰の違いを教えてください。 有機石灰の方が使い勝手が良いので僕は有機石灰を利用してい 2 2022/06/14 11:30
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
倭王武とは??
-
古墳時代について
-
伊豆諸島にある青ケ島の前方後...
-
邪馬台国の読み方は 「やまた...
-
邪馬台国の男子はみな顔や体に...
-
神武天皇の東征の理由は?
-
神武天皇即位前の日本はどんな...
-
遣隋使、遣唐使
-
三角縁神獣鏡と盤龍鏡の違い
-
群集墳と古墳群の違いってなん...
-
纒向遺跡と唐古鍵遺跡の年代的...
-
古代の出雲の国についてお教え...
-
倭国が大和に変化し、日本にほ...
-
「立合い」 と 「立会い」 違い...
-
古文で「ごめん」って・・・
-
日本語「今一」「今二」「今三」
-
自分の下の名前を呼ばれるのが...
-
50音の「わ」を数字にすると何...
-
近頃は、7日 8日 などを ななに...
-
ネガーって何?
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
肥国の肥前と肥後は離れていま...
-
倭と倭国の違いって何ですか? ...
-
邪馬台国の男子はみな顔や体に...
-
日本史 この問題何が違うんです...
-
日本史 古墳
-
群集墳と古墳群の違いってなん...
-
ヤマトタケルと神武天皇
-
古墳について。 先に信仰の対象...
-
古墳と墳丘の違い
-
卑弥呼と天皇の関係
-
倭王武とは??
-
古墳の被埋葬者の男女数。
-
纒向遺跡と唐古鍵遺跡の年代的...
-
古墳時代、難波の住之江あたり...
-
古墳時代と弥生時代はいまから...
-
高松塚古墳とキトラ古墳。被葬...
-
美女の産地と久留米
-
昔(戦国時代くらい)の女性の...
-
邪馬台国が畿内にあった場合、...
-
神武天皇の東征の理由は?
おすすめ情報