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神道勢力と比べ仏教勢力は

何故近世初頭まで仏教勢力の一部は国家の中枢(まつりごと)に係わる事が出来て
神道勢力は係わる事が出来なかったのでしょうか?

皇室は広義の意味では神道と捉えられるかもしれませんが
何故その他の神社神道勢力は(まつりごと)に係わる事が出来なかったのでしょうか?

僧侶は出家さえすれば誰でもなる事が出来、宮司は主に世襲制だったからというのが
理由の一つにもなるのでしょうか。

A 回答 (6件)

6世紀に仏教派である蘇我氏と反仏教派の物部氏の対立による内戦がありましたよね。

もう教科書から消えるといわれる聖徳太子が厩戸皇子と呼ばれていたときに蘇我氏に与して戦ったってのは有名です。
んで、あのときに仏教派である蘇我氏が勝利し、蘇我氏が実権を奪いました。

やっぱりそれによる影響が大きかったと思いますよ。

そしてもうひとつ。神道というのはですね、統一された宗教じゃないんですよ。分かりやすくいうと、土着の宗教なんです。明治維新でね、無理やり「神道」なる統一宗教ぽいことにしたんですが、それまでは各地土着の神様としてやっていたのです。
「神宮」「大社」「明神」など、神社には様々な呼び方がありますね。例えば「大社」は「大和政権と対立した大手土着の神様」を指すものです。出雲大社、諏訪大社、みんなそうですよね。だから、神道の中に入ってくる理由が無理くりです。「国譲りをした」ということになっていますが、「なぜ国を譲ったか」の理由は明らかではありません。地域住民の懐柔のために信仰の自由を認めたのでしょうね。
東京御茶ノ水の神田明神に至っては、主神は今はアマテラスになっていますけど、本当は平将門です。まさか天皇家に弓引いた大悪人を皇居の目と鼻の先で神様として認めるわけにいきませんから、明治になってアマテラスにしました。
ですから、神道勢力というのは「一つの党」ではなく「中小政党の集団」であったのです。そりゃ主流派にゃあなれんわけですね。社民党や共産党や公明党が集まっても、ね。

また、6世紀当時の僧侶(高僧)というのは外国人です。そして近代国家になるまでは、どこの国のどんな文明でも僧侶というのは「知識人」であったのです。文字が読めるのはエリートの証し、そしてどこでも宗教の聖典は文字で記録されていたからです。
当時の外国人僧侶というのは、当時最新の知識を持ったエリートだったのです。中国、朝鮮の優れた技術や知識を持っていたのですね。だから、仏教を信仰するというのは単なる信仰だけの問題ではなく、国語算数理科社会全ての教育と文明に関わる問題であったのですよ。
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この回答へのお礼

確かに昔の僧侶は教育・建築・建設土木・医学・芸術など全ての文化面において
活躍していたというイメージはあります。

教義の部分が優れていただけでなく、国家官僚含む全ての民衆の生活レベル・暮らし
の向上という実利面で、僧侶は非常に貢献し続けていたと考えれば
国家の中枢に係わり続けたり、後の戦国時代の世でも仏教勢力は大きな力を持っていた
のは別段不思議ではなく、寧ろ当然の事だったんだなとの考えに至りました。

大分掴めてきました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/21 04:24

戯言です。



いくさがあれば、神社もお金が集まったでしょうが(神頼み)、平安時代や江戸時代のように長期安定な時代には、武士や大名が神社に多額の寄進なんかしなかったのでは。

その間、仏教はとにかく民衆に不安感を与えてお金を巻き上げた(笑)

明治政府になり廃仏毀釈で勢力は衰えましたが、戦後天皇が象徴となると(国家神道の崩壊)仏教はまたやりたい放題(笑)

余談ですが、だいぶ前の飛行機墜落事故があった時、神父、ラビの人たちが多数駆けつけていたそうです。その神職者たちは「なせ僧侶が居ないのか」彼らには不思議だったそうです。

一生の間、神社と寺にかかるお金を比べべたら圧倒的に寺にお金を使うでしょう。

お金があるところに権力は集まる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>お金があるところに権力は集まる

それもまた真理

お礼日時:2010/05/21 04:22

 仏教伝来まで、つまり古代の政権にとって「神道」は、まつりごと=政=祭り事であって、政治の本質をなすものでした。



 大和政権は、それぞれの豪族の祖先や土地神をまとめて祭る=豪族の連合政権であったのですが、天皇家とそれに密着した一部の豪族が、天皇家中心に「中央集権国家」とするために、『仏教』を利用しようとしました。

 排仏派は、物部氏を中心に結束し、旧来の神道中心の国家=豪族連合政権の維持を、蘇我氏は仏教を利用して中央集権を目指しました。
 その政争は、物部氏の滅亡と蘇我氏の全盛という結果となり、日本が仏教国として歩む歴史をもたらしました。

 つまり、「神道勢力」は、政争により排除され、仏教は国家権力の中枢に根を下ろし、神道は仏教に従属することとなりました。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど神道は仏教に従属する形になったという考えもありますね。

お礼日時:2010/05/21 03:57

よくは知らないんですが、


中世(鎌倉時代あたり)の新しい神道といえば、伊勢神道というのがあるそうですよ。
度会家行(わたらい・いえゆき)という人が有名だそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

伊勢神道ですか。
従来の祭祀的な行為を取り扱う伝統的な要素に加え、仏教のように体系化された
教義・思想を取り入れた新たな神道宗派だったという事ですね。

お礼日時:2010/05/21 03:56

No1の回答は、古代からの中央集権的な政治のあり方における、宗教勢力の政治権力との関係です。


つまり、仏教は中国の先進情報と結びつきやすい特性があるために、政治権力と関係が作りやすかった、

No1の補足での、中世以降となると、座の問題など、利権を求めての団体づくりと話が絡みます。
神人組織は、大山崎の油座など寺社の権威を背景に特権商人となります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BA%BA
これらの既得団体に対して、対抗したのが、法華宗や一向宗などの宗教組織。鎌倉新仏教の戦国期的な展開となります。仏教由来の組織があるのに神道由来の組織がないのは、神人組織が既存権力に寄生する形で存在したのに対して、鎌倉仏教が新規勢力で既存組織を否定する形でできたからです。
この既存組織を否定してあたらな組織づくりを目指したという意味では、法華宗や一向宗と戦国大名とは同じ組織論を持ちます。
つまり、国人層の連合組織です。

では、神道が法華宗や一向宗のように、鎌倉新神道(?)みたいな形でなぜでてこなかったか?
それは、神道にはテーゼが無いからではないでしょうか?つまり、教義や経典がないので、宗教としての凝集力が無い。
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この回答へのお礼

引き続き回答ありがとうございます。

中世には神人組織も諸々の仏教勢力と同じような経済活動は行ってはいた。
ただ既存勢力に反発するような勢力を作る事は無く、一向一揆のような大規模な
宗教的自治組織が発生しなかったのは、仏教のような民衆の心を掴みやすいような
明確な理論付けた教義の分野が弱くて、思想統一された集団が生まれる要素が
薄かったという事ですね。

お礼日時:2010/05/21 03:55

まつりごと


というときには、大きく分ければ内政と外交となります。
外交というのは、平たく言えば、東アジアの共通語である漢文が書けなければ藤原氏のように政治家の家系でなければ外交に参加出来ません。
国会議員になれば外交に参加できるが、官僚は英語なり外国ができなければ外交に参加出来ないと言うのと似たようなものです。

内政で言えば、奈良時代までで言うと、唐の律令制度を理解できなければ、あるいは、留学経験がなければ内政の(官僚としての)当時の主題である、国家制度の確立に参加出来ません。
僧侶にはそれができます。僧侶は唐に留学しましたが、神官は留学してませんから。

で、奈良時代初期から神仏習合が始まっていますので、神道勢力とか仏教勢力とか分ける意味がない状況になります。

この回答への補足

神仏習合が実施されていたという事は、従来の神道勢力の一族も律令制ほか
大陸の文化・技術を学ぶ機会があったという事ですよね。

中世以降(主に戦国時代)一部の仏教勢力が当時の戦国大名並みの力を
誇示していたり、個人単位でも大名に仕え軍師等の活躍をしていたのに比べ
そのような活躍をした神道出身の人物、勢力が見受けられないのは何故か
というのが今回の質問の趣旨です。

補足日時:2010/05/20 03:17
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど神仏習合ですか。
確かに現在でも神社と寺院が隣り合わせに隣接している場合がありますが
それも神仏習合の名残という訳ですね。

お礼日時:2010/05/20 03:17

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