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先祖調査をしております。先祖に郡蔵という方がいましてまったく子供がいなかったようで慶応元年に養子縁組をしています。養子縁組された方も郡蔵と名前だったのですが同名なのか襲名したのか定かではありません。現地の図書館で調べたら郷土資料に文政二年宗門人別帳に郡蔵(42歳)その息子亀蔵と名前がありました亀蔵(13歳)さんが郡蔵を名乗ることはあったでしょうかまたこの集落でで同名(郡蔵)の方はおられるのでしょうか?この郡蔵さんでしたら慶応元年ですと80歳を越えている事となり当時の年齢としては考えられないのですが?また、宗門人別帳に載っているお寺に行きましたがすでに過去張が無く(火事で燃えてしまったとの事)これ以上調査が出来ません。養子で入られた方はお寺の住職さんは襲名されたのではと言っておりました)どなたかご教授ください。

A 回答 (2件)

こんにちは。


bungetsuです。

>>なにとぞお力添えよろしくお願いします。

先にものべましたが、先祖を調べる場合は、
(1)過去帳を調べる。
(2)地元の人たちの口伝を調べる。
(3)人別帳を調べる。
(4)地元の豪氏であれば、町史を調べる。

以上の方法くらいだと思います。

まあ、このOKWabで「郡蔵」さんを知っておられる方がいれば幸いですが・・・。
まず、地方の一人物を知っている方は???でしょうね。
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こんにちは。


bungetsuです。

古文書の解読を・・・という方ですね。

前回の「補足」もありましたので、お答えしようと思っていましたら、締め切りになっていました。

まず、郡蔵さんと亀蔵さんと解っているのであれば、これは、当然、襲名したものと考えます。
豪農やある程度の商家などでは、良く行われることです。
従って、2代目郡蔵・・・3代目郡蔵なども当然あります。

私の実家でも、3代目が太郎左衛門と言いましたが、その子どもも初め太郎平と名乗っていました。太郎左衛門が死亡してからは、太良左衛門と、一字は違いますが、同じ呼び方に改名しています。地主でした。

>>またこの集落でで同名(郡蔵)の方はおられるのでしょうか?

何とも言えません。
それは、その集落の一軒一軒の系図を調べなければ解りません。

過去帳が焼失してしまっている以上、よほど、その村なりに貢献をして、村史や町史に名前を残す人でない限り遡ることは難しいでしょうね。


それから、前回の古文書の件ですが、
(1)現:足利市から北の現:桐生市に「裏町」という地名があったことが解りました。
(2)どうやら桐生川、あるいはその支流の渡良瀬川を利用して書状を届けたようですね。舟で引き継いだとありましたから・・・。
(3)ご先祖様は、舟を利用しての商売などをされていたのかもしれませんね。

この回答への補足

度々ご回答ありがとうございます。古文書の場所は茨城県の結城市になります。結城市に浦町という地名がありまして、除籍謄本の一番古い物にやはり結城郡浦町と記載がありました。先祖が住んでいたことを確認しました。ただ結城の地で長男が明治32年になくなっておりこの方は本家の菩提寺の過去帳には載っておりませんでした(養子で入られた二代目郡蔵さんは載っておりました)。今回の調査ではじめてわかり、現地の図書館で調べたら郷土資料に文政二年宗門人別帳に郡蔵と先祖の名前と同名(初代と養子の二代目)が載ってありましたので記載してあったお寺に確認をしにいきましたところ明治32年の過去帳にはこの長男は載っていませんでした。菩提寺を変えたのではと思い結城市にあるお寺を調査したのですがみつかりませんでした。また、先ほど述べたとおり明治30年以前の過去帳は燃えてしまったとの事で現存しておりませんでした。ですので宗門人別帳に載っていた郡蔵さんが先祖なのか?という調査が出来ませんでした。何かヒントがあればと思い投稿いたしました。また言い伝えですと元々は武士であったと言い伝えがありました。嘉永二年の結城藩の分限帳には記載はありませんでした。なにとぞお力添えよろしくお願いします。

補足日時:2010/05/22 01:32
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