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神や仏を信じていない人間は、なにを信じて生きているのでしょうか。

A 回答 (17件中11~17件)

ご質問者さんはなぜ神や仏を信じているのでしょうか?



一般的に宗教の役割には
・辛いことがあってもきっと救われる、罪を犯しても悔い改めれば許されるなど人々の心の支えになる
・神様、仏様が見ているから悪いことはしてはいけない、感謝の心を忘れず誠実に生きるなどの社会道徳の規範
が主だと思います
これらは別に神仏でなくとも自分を心配し理解してくれる親やあの人のように生きたいと思える尊敬できる人でもかまわないはずです

また天に召される、極楽へ行くなどの死後の保障?的なものもありますが死後の世界を信じていない人にとってこれはどうでもいいことです
神に対する畏怖というものもありますがこれも自然に対する畏怖に置き換えることは可能です

以上のようにほとんどのことは別のものに置き換え可能なため神仏にすがる必要を感じません
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>何も信じず生きているのは、本能だけで生きている動物と同じ感じがするのですが。

仏や、神を信じない、哲学者は動物と同じですか?
 
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私は自分の心に偽ってでも、ニコニコしていると良いことが起り、幸せになれると信じています。

また、苦虫をかみつぶしたような顔や仏頂面をしていると悪いことが起こり、不幸になると信じています。

私は、自分が幸せになるのではなく、これぞと思った人を幸せにすることができ、さらにその人から、貴方がいてくれて良かったと感謝されたときに幸せになれると信じています。

その反対に、自分を幸せにすために生きていたら、不幸になると信じています。同じ意味で、自分を大切に、そして今を大切に生きていたら、幸せにはなれないと信じています。

人間は、自分を大切に、そして今を大切に生きてるという、どんな動物にでもできるようなことから脱却したときに、幸せになれると信じています。

私の今までの人並みの経験から、失敗しても楽観的でいると、物事は好転して来ると信じています。

人間万事塞翁が馬であると信じています。

人間は幸せになれると信じています。

私は、神様や仏様が居られると考え、また言っておいた方が、私の個人的な生き様の中では、色々な人に対しても、また神様や仏様に対しても無駄な摩擦が起こらないと信じています。だから、どの神社でも頭を下げ、どのお寺でも掌を合せ、またどの教会でも一礼することにしております。まだモスクは訪れたことはありませんが、一礼すると思います。

もし神様や仏様がいるのなら、俺以外を拝むような奴は幸せにして挙げないなんて言う、肝っ玉の小さいヤクザのようなことは言わないと信じています。だから、もしそんなことを言った神様や仏様が居たと言う人がいたら、それは神様や仏様の言ったことではなく、そのことを書いた人達が言ったことだと信じています。

また、人間は自分の願い事が叶うかどうかによって幸せになれたりなれなかったりする者ではなりませんから、私の願い事を叶えてくれるような神様や仏様はいたとしたら、偽物であると信じています。

だから、いるかいないか分らない神様や仏様に頭を下げたり合掌をするときは、いつも頭を空っぽにする努力をしています。

また、孔子様の「鬼神を敬してこれを遠ざく」「子は怪力乱神を語らず」は漸近解としての名言であると信じております。
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私は無宗教です。


唯一絶対の神というのもはいないと思います。
ただ、神々しい大木とか美しい山とかをみると「何か」スピリチュアルなものを感じますので、完全にそういった「科学で証明できないもの」を信じないわけではありません。
死んだ人間が「無」になるとは思いませんので曾遊意味では仏は信じていると言うことにはなるのかもしれませんが、おじーちゃんを懐かしんだりするくらいで、別に熱心に寺を信仰しているわけではないですね。
一般的な「無宗教日本人」のひとりです。

なにも信じないで生きることは動物と同じではないか?とおっしゃっていますが
それでは
クリスマスをお祝いし、1週間後には神社に初詣に行き、死んだらお経を上げてもらい寺に埋葬される。
そういった「無宗教日本人」は動物並みで
独自の解釈で絶対的な信仰を持っている過激な一部のイスラム教徒などは褒め称えられるべきと言うことでしょうか???

いろんな宗教がありますので、信じるも信じないも個人の自由です。
私が思うには、宗教は人を強くさせる反面、非常に危うい部分もあると思うんです。
歴史を見れば、魔女狩りなどもありますし。
ああいった集団ヒステリーのような状況は宗教だからこそなせるものです。
それに、ギリシャ、ローマなどの紀元前の「神話の神様」の時代は日本人の宗教観に似ていると思うんですよ「八百万の神」といいますが、日本人はいろんなものに、それこそ「スピリチュアル」なものを感じて信仰していたのですから。
そういった状況では、自然をあがめ、大事にし、人間よりもすごい力があるのだという感覚ですが、「唯一絶対の神」の世の中になるとちょっと事情が変わってきますよね。
「神話の神」の時代から「唯一絶対の神」の時代になっていったヨーロッパでは、社会の後退がおきました。大昔は天文学などで当たり前にわかっていたことが、「宗教」という戒律で禁止されてしまったのですから「地球は丸い」と言った人が糾弾されたりするおかしなことになったのです。
この場合、「信じている」ひとのほうが間違っていますよね。

何を信じるかは個人の自由ですし、「信じている」物によっては非常に危険だと言うことです。

あと、神や仏を信じない=動物並みではなくて
信念がなく、生きる気力もなくただだらだらと生きている=動物並み
なのではないかと私は思います。

家族や自分の将来のために一生懸命がんばる
社会の役に立ちたい
仕事などの向上心でもなんでもいい
自分の中の「信念」があれば
それは「信ずるもの」があると言うことにはなりませんか?

先人たちや、他人の作ってきた、価値観に当てはめるだけがすべてではないような気はします。
宗教を批判するのではないです。
宗教があったから、芸術や建築などの分野ですばらしい功績もあったと思いますし、それぞれの宗教で、すばらしいとおもえる教えも確かにあります。
しかし、それを取捨選択するのもすべて個人の自由です。
信じる人が信じない人に勝っているとは、どんな観点から見ても思いません。
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神仏とは人がそう呼ぶから名が付いてますが宗派によっては目の前の自分に利益をもたらしたり目に見える物を神仏と言う場合があります。

目に見えるあらゆる物、人それぞれだとは思いますが何かを信じている人達もいるのではないでしょうか。
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疑いの余地がなく存在が証明されたもののみ信じます。


神仏など笑止千万。
神秘の力、人知を越えた存在・・・胡散臭いの一言に尽きます。

神でも仏でも、科学的あるいは論理的にその存在が証明された場合は
信じるようになるかもしれません。
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何も信じていません


そもそも生きるのに何かを信じないといけないのか疑問ですね

この回答への補足

何も信じず生きているのは、本能だけで生きている動物と同じ感じがするのですが。

補足日時:2010/05/23 00:41
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