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日本人は、集団主義ですか?個人主義ですか?それとも、どちらでもないと思いますか?
みなさんの考えを聞かせてください。また、なぜそう思うのか、理由も合わせて頂けるとありがたいです。

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A 回答 (10件)

みなさん、いろいろなコメントで興味深く拝見しました。



「日本人は…」と確信をもって答えられるような一次情報をもっておらず、マスコミ・書籍等の間接情報
からの想像と、ごく限られた日常の観察からですが次のように考えます。

(1)まず集団主義・個人主義の定義があいまいなのですが、いちおう下記のように整理します。

集団主義=協調性・価値の共有・連帯・ふれあい・右顧左眄・滅私奉公・感情・安心
個人主義=自分勝手・個性/自立・孤独・自己責任・理性・自由・原理主義・
こんなもんですかね。

(2)いかがですか?これで充分とは思えませんがどちらの語群に共感をおぼえる人が多いでしょう?
もちろん個々の語は対立語ではありませんから、“個性/自立の連帯”をいうこともできます。
しかし、“個人々々が“自己の原理に基づいて、連帯を選んでいる”のなら個人主義の部類ですが、
ひとりぼっちが怖ければ集団主義です。

(3)個人主義においては個々の自由が最大の価値です。
個々を守る社会の維持のために必要な分だけは制限しますが、その他は知ったことではありません。
そのため、社会の維持に必要な事柄については自覚的で法律がルールです。
また、社会が自分たちのためにあるという認識なので法律に関しても自分たちで改編可能、と
考えます。育児・躾においてもルール違反が重要視されます(とのことです)。

集団主義においては価値の共有が最大の目標です。
当然,、異質なものは排除されますから安心して暮らすことができます。
こまかい法律論議には無関心でも価値観が共有されている(とされる)ならば、社会の一員として
保護されます。法律自体も共有される価値観が基盤になりますのでおいそれとは変更できません。
また、育児・躾においてはルール違反に対する処罰より、導いて一緒に正解にたどり着く
(=思考方法を共有化させる)ことが重要視されます(とのことです)。

(4)以上のことをいっこうに減らない「いじめ」にあてはめると『集団主義』と結論することができそうです。
大人の社会では棲み分けができますが、子どもは一緒くたですから顕著にあらわれます。

(5)蛇足ですが、ここで気をつけたいのは個人主義と集団主義の優劣を考えるべきではなく、
よりよい個人主義・集団主義をえらぶには?という問いかけをしなくてはならない点です。
よりよい個人主義では個人が自らを鍛え、より精緻なルールを厳密に守ることが求められます。
よりよい集団主義ではみんなで歴史を学び、より高い水準の価値を共有するようにすることが
求められます。
経済的価値だけが共有されている、なんてサイテーですからね。
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どちらでもないと思います。



いえるとすれば「世間主義」(こんな言葉はありません)。世間の価値観に合わせて、そこからはみ出さないように生きていくことが多いために、客観的にみると「集団主義」に見えるのではないでしょうか。

「連帯」「協力」を装いつつ、皆の本心はバラバラのような気がします。
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完全な集団主義、個人主義という人は(どこの国の人でも)いないでしょう。



集団に紛れて個人のアイデンティティーを隠蔽する場合もあります(記名選挙よりも無記名選挙を歓迎する場合など)。
集団を代表する個人になりたい場合もあります(選挙に出馬する場合など)。
また、集団の中(=社会の中)で自分を主張して、他と差別化を図りたい場合もあります。

「個人の集合としての集団」を歓迎するか、「集団の中の個人という立場」を尊重するかの違いでしょう。

いわゆる「島国根性」は集団に重きを置く考え方ですね。
「国際化」は国/地域という集団から世界という集団に視点をシフトしてゆく事。

結局、集団の利便性から抜け出すことは出来ないのですからおおざっぱな意味では全ての人が集団主義でしょう。

先に書いた「集団の中の個人」を集団主義、「個人の集団」を個人主義と定義するなら、個人主義にシフトして行っている過程か?と思われます。
国家(=政治/経済)企業など、よりどころになっていた集団の信頼性が落ちてきていますので。
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個人主義に向かっている感じがします。


競争社会が助け合う精神を失わせているのだと思います。

昔は集団主義でなければ生きていけなかったということもありますよね。
今は24時間営業の店も増え、携帯電話もしかり、インターネットもしかり、ひとりでも生きていける社会構造になり、西洋的な個人主義が根付きつつあるような気がします。

田舎にいけば集団主義といえるところもいっぱい残っていると思いますが、確実に個人主義にむかっているのでしょうね。
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「主義」という事から考えれば、どちらでもないでしょうね。

だって「主義」なんて無いし。

「集団主義」を一つの理念や思想を同じくする者の集まりとするなら、一部にはいるでしょうね。
「個人主義」を我を通す、自分の嫌な事はしないと訳すれば、それこそ掃いて捨てるほどいます。

でも、これは「主義」というには、あまりにお粗末です。日本人は敗戦以来「個人の主義」を持たない事で、類稀な急成長をしてきたのでしょう。
それが崩壊しつつある今、身近にある「寄りすがら」として「集団主義」や、どこにも相容れないから「個人主義」を唱えているだけに思います。

なすがままに翻弄されて来て、いまだにぬるま湯に浸かっている日本人に「主義」と言う言葉ほど似合わないものはないでしょう。

回答は、三択なら「どちらでもない」です。
本当は「そんなものはない」と言いたいけど・・・
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現在の日本はどちらでも無いと思います。



集団主義…
外国の紛争やテロは集団主義があるからこそ起きるのだと思います。
日本人は所属集団を守るために命をかける様な人は少ないです。
デモやストライキが少ない国になりました。
集団の為に犠牲になることは嫌い
誰もが同じ権利を主張します。

個人主義(自分も他人も尊重)は少なく
利己主義(自分のみを尊重)が多いと思います。

これらの状況は
「リストラ=人員削減」
という考え方の企業が多いので
拍車がかかったと思います。
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大半の学校が一斉授業方式です。


教室には黒板があり教卓があり、それに向かって児童生徒が整然と並んで、教員の板書を書き取ったり、説明を聞き入ったりしています。児童生徒の理解度には関係なく一斉に進められ、理解の遅い子を救うでもなく、理解の早い子を伸ばすわけでもありません。落ちこぼれ・浮きこぼれが出るわけです。均質を求めているわけです。

こういう環境で育った子は、とにかく「普通」を大切にします。だから、ちょっと「普通」でない子に牙が向けられます。世に云う「イジメ」です。

日本人は、以前以上に、集団主義です。
しかし#3さんのおっしゃるように、時々ご都合で個人主義になることがあります。
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自分の都合に合わせてこれらの「主義」を使い分けていると思います。



要は、個人の「信念」、企業で言うなら「企業設立の理念」が無いのです。

これをよく言えば「臨機応変」と言えますが、
私には単なる「現実からの逃避」にしか見えません。

客観的に説明できる理由はありません。私の直感です。
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 高度経済成長前までは集団主義ですが、成長期から個人主義に移行していったように思います。

理由は、高度経済成長によって、経済的自立が可能になったからです。
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男性は 個人主義の人が 多く、女性は 集団主義の人が多いような感じがします。

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Q《日本人は集団主義的》という通説は誤り!?

 次のような研究成果が明らかにされています。
 明証にもとづくご見解・ご議論をさらに広い視野から得られればさいわいに思います。

 ▲ 「日本人は集団主義的」という通説は誤り
  http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_200930_j.html
   
 ・高野陽太郎:『「集団主義」という錯覚 ― 日本人論の思い違いとその由来』 2008

 §1 心理学的研究

 「世界で最も個人主義的だ」と言われてきたアメリカ人と、「世界で最も集団主義的だ」と言われてきた日本人を比較した研究を集めた。

 ・集団主義・個人主義の程度を測定するための調査研究が11件。
 ・自分の意見を曲げて集団の意見に従うという「同調行動」に関する実験研究が(高野自身の研究も含めて)5件。
 ・自分の利益を犠牲にしてでも集団に献身するという「協力行動」に関する実験研究が6件。

 これら計22件の研究の結果をみると

 ・通説に反して、「日本人とアメリカ人とのあいだには明確な差はない」という結果を報告していた研究が16件、
 ・通説とは正反対に、「アメリカ人の方が日本人より集団主義的」という結果を報告していた研究が5件もあった。 
 ・一方、通説どおり「日本人はアメリカ人より集団主義的」という結果を報告していた研究は、わずか1件(調査研究)しかなかった。

 § 2 言語学的研究

  日本人論は、日本語の特性に注目して、「日本人の自己は、個として確立しておらず、自分が属する内集団と一体化している」と主張してきた。

 これに対して、2人の言語学者(筑波大学の廣瀬幸生教授、カリフォルニア大学の長谷川葉子教授)による共同研究は、日本語の特性が「他者とは明確に切り離された自己」の存在を示していることを明らかにした。

 たとえば、「私は寒い」という文の中の心理述語「寒い」は、話し手の心理状態を表すために用いられるが、同じ内集団に属する他者の心理状態を表すために用いることはできない。たとえば、「母は寒い」とは言えない。

 日本語は、内集団の中でも自己と他者を明確に区別する特性を備えているのである。


 §3 教育学的研究

  学校での「いじめ」は、「異質なものを排除しようとする集団主義的な日本社会に特有の現象」と評されることが多かった。

 ところが、近年の実証的な研究を通覧したところ、アメリカでも「いじめ」は発生しており、発生率も日本より低いとは言えないことが明らかになった。学校での発砲事件も、「いじめ」への報復として起きたケースが多いのではないかと推定されている。

 「いじめ」が原因となる自殺も、欧米諸国の多くで報告されている。したがって、日本の学校での「いじめ」は、「日本人の集団主義」の証拠と見なすことはできないことになる。


 §4 経済学的研究

  経済の分野でも、「日本人は集団主義的だ」と言われてきた。個々の日本人は企業の中で団結し(「日本的経営」論)、企業は「系列」の中で団結し、すべての企業は政府のもとに団結している(「日本株式会社」論)、と言われてきた。

  しかし、そうした議論は専らエピソードやイメージに頼っており、実証的なデータが示されることはなかった。全体像をより正確に反映する経済統計や、経済統計にもとづく実証的な研究を調べた結果、経済の分野での「日本人の集団主義」説は事実とはそぐわないことがはっきりした。

 ・小池和男の研究は、「日本的経営」論で言われてきた「終身雇用」や「年功賃金」が事実ではない、あるいは、欧米諸国とのあいだに明確な差異がないことを明らかにした。

 ・三輪芳朗とマーク・ラムザイヤーの共同研究は、「系列」にはまったく実体がなかったことを明らかにした。

 ・「日本株式会社」論についても、三輪とラムザイヤーによる実証研究は、日本政府の「産業政策」が日本の高度経済成長にはほとんど実質的な貢献をしなかったことを示した。

 ・また、国内産業を保護するために政府が設定する関税率を比較したところ、歴史的にみると、日本よりアメリカの方がずっと高かったことも判明した。


  §5 エピソード

  日本人論は、個別のエピソードを主な論拠としてきた。

 そこで、エピソードは日本人論の通説を支持しているのかどうかを検討するために、新聞や雑誌に掲載された集団主義・個人主義に関連するエピソードを調べた。その結果、「集団主義的な日本人」という通説に一致するエピソードと同様に、「個人主義的な日本人」や「集団主義的なアメリカ人」を表すエピソードも多数見つかることがわかった。

 このことは、エピソードについても、公平に調べてみれば、日米間にはっきりとした違いは見られないことを物語っている。

 日本人論において通説に合致したエピソードばかりが取り上げられてきた理由は、自説に合致した事実ばかりに注意が向く「確証バイアス」という思考のバイアスではないかと推定される。


 §6 過去の日本人

  日本人は、「アメリカによる占領の結果、アメリカナイズされて個人主義的になった」というわけではないことも明らかになった。文献調査の結果、戦前も、開国前も、日本人が個人主義的に行動した事例は数多く見出すことができたのである。

 たとえば、生徒が学校側と対決する「学校紛擾(ふんじょう)」と呼ばれる事件。明治初期に西洋式の学制が定まるのとほぼ時を同じくして発生し、ある教育雑誌には、明治期だけでも255件の学校紛擾が報告されている。こうした事件は、「和を尊重するタテ社会的な集団主義」という従来のイメージとは全く相容れないものである。


 §7 オリエンタリズムとしての「日本人 = 集団主義」説

  欧米人、とくにアメリカ人は、自らを形容するために、ポジティヴな意味で「個人主義」というレッテルを使うことが多い。異文化に属する日本人に出遭ったとき、その「個人主義」の対極にある「集団主義」というネガティヴなレッテルを天下り的に貼りつけたのではないかと推定される。すなわち、「日本人 = 集団主義」説は、オリエンタリズムの一種として成立したと考えることができる。

 §8 「日本人 = 集団主義」説が広まった理由

  この通説は、戦後間もない時期に出版された、アメリカの人類学者ルース・ベネディクトの著書『菊と刀』によって世間に広まったと言われている。この時期、「日本人は集団主義的だ」という主張に接したひとびとは、戦時中に日本人がとった、見まがいようのない集団主義的な行動を脳裡に甦らせ、この主張に頷いたのであろう。

  しかし、歴史的な状況をみると、昭和初期から第二次世界大戦終結までの時期、日本人は強大な外敵の脅威にさらされていた。外部からの脅威に対抗するために、団結を強めて集団主義的に行動しようとする傾向は、日本人にかぎらず、人間集団に見られる一般的な傾向である。「世界で最も個人主義的」と言われてきたアメリカ人もその例外ではない。第二次世界大戦中の言論統制や敵国からの移民の強制収容、冷戦下の赤狩りといった歴史的事実がそれを物語っている。


 §9 ステレオタイプ文化論

 しかし、ステレオタイプ的な文化論の危険性は、日米間だけにとどまるものではない。グローバル化が進展する現代の世界では、異なる文化が接触する機会は飛躍的に増大している。それとともに、異なる文化(たとえば、欧米文化にとっての「イスラム」)を異質化する文化ステレオタイプの危険性も増大していると考えなければならない。

 文化ステレオタイプについて認識を深めることは、現代の世界にとって重要な課題であると思われる。
 今回の研究は、集団主義・個人主義の日米比較という具体的な事例の分析を通じて、「文化差」の認識に潜在するさまざまな歪みとその危険性を明らかにする結果になった。
 ~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ (あ) 家族のように集団としてあることが自然本性そのままのすがたである場合や

 (い) 事業をおこなうとき人びとの知恵とチカラをあつめまとめてそのように《集団志向》――言いかえると 《分業かつ同時に協業》なる形態――において行動する場合や

 (う) あるいは単純に野球のようにチームプレイをふつうとするならやはり集団志向になる場合が考えられます。果たしてそのとき 個人はそこに埋没してしまうのでしょうか?

 (え) あるいは逆に戦時社会にあっては 集団主義をすでに超えて統一的かつ統制的な全体主義となりますが その事例も 別に日本人ひとりの特徴だとは考えられないということもあります。



 日本人とその社会が 《集団志向》を持ち得るのとは別に 《集団主義》であると見るのは まったくの偏見ではないだろうか? ご教示ください。

 次のような研究成果が明らかにされています。
 明証にもとづくご見解・ご議論をさらに広い視野から得られればさいわいに思います。

 ▲ 「日本人は集団主義的」という通説は誤り
  http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_200930_j.html
   
 ・高野陽太郎:『「集団主義」という錯覚 ― 日本人論の思い違いとその由来』 2008

 §1 心理学的研究

 「世界で最も個人主義的だ」と言われてきたアメリカ人と、「世界で最も集団主義的だ」と言われてきた日本人を比較した研究を集めた。

 ・集団主...続きを読む

Aベストアンサー

 お礼を二つありがとうございました。それを二つ統合しつつ投稿したいと思います。舌足らずになるかもしれませんが、方向性は先に投稿した方が良いと思いました。

 まず話の方向性としては、「日本は集団主義ではない」というと質問の表題ではあるのですが、どうも次のようなことになってきているようです。
 ・日本=集団主義的=感受性、
 ・欧米=個人主義的=原則、
 しかしここで「集団主義」という言葉を使い続けるかが微妙です。
 「集団主義=個人主義に比べて劣っている」という見解は、トリアンディス、クラーク、東大の研究の三つに共通していますが、あまりにも使い勝手が悪すぎる。それよりは新しい概念を用意してしまった方が、分かりやすいでしょう。
 つまり、話の方向性としては次のようなことになります。
 (1)日本社会が原始的だというトリアンディスやクラークの指摘は認める。
 (2)しかし原始性を「集団主義=劣っている」とする議論は認められない。個人主義とは違う進化の系統なのだ。
 (3)原始性を「新しい切り口=概念」から再評価したい。
 どうでしょうか?

 で、その概念ですが、ご提案の起点はパスカルということになりそうです。
 中身の検討は、もう少し私に時間がないとできないので、お待ちください。しかし原始社会には、原始の良さがあるというのは、そうかもしれないと思います。ただし、これがパスカルによって明らかになるのかどうかは、まだよく考えてみないとわかりません。
 話を先に進めるにあたって、この名称は差し当たり、「情感の共同体」としてはどうでしょうか。そちらのお礼欄には「情感の共同性社会」とありましたが、「共同体」でもよいかなと思うのです。このように名称を取り決めておいて、その中身を今後、議論していくという風にしたいと私は思うのですが。

 その一方で、アマテラスの話は、よくわかりません。神道でしょうが、そこまで広げると、わけが分からないことになってきます。日本は古来からナントカだったという本質主義に話がいってしまうのではないかという心配があります。
 いや、わけが分からないというよりは、私には手に負えないと表現した方が、謙虚でしょうか。それでこの話はちょっと待ってもらいたい、というところです。パスカルの方をやった上で、さらにそこへ話をつなげられるか考えた方がいいでしょう。
 どうでしょうか。

 松下電器の話は、なるほどね、過酷なんですね。運動会までやるとなると、私は困るかもなあ。この事例は上の議論の中では、情感の共同体の良い点として捉えようと思っていたんですが、そうはいかないことになりそうでしょうか?

>これについても 《中間にある(?)真理》のほうへ振り子を戻せたらいいと思って言うのですが 国として・つまりわれらが生活社会として 国が政策を打てないのなら 福利厚生からさらには余剰人員をも会社でかかえるという言わば失業対策をもおこなっていくのだと――人びとが暗黙のうちに――取り決めあったのかも知れません。何せ 情感の共同性が発達しているぢゃないですか。

 それはそう思います。

>このように無難なかたちに結論づけると わたしのほうが穏健主義になったでしょうか?

  さて、私は自分が急進的なことを言っているという自覚がないみたいですよ(笑)。まずいことを言いましたか?
 次の箇所はちょっと反論があります。

>考えてみれば 不況でただちに従業員をレイオーフしたり解雇したりできるということは 失業保険などの社会保障でまさに《集団主義的》に社会をいとなんで行くといった考え方でもあると思われます。どっちもどっちなのかも知れません。EU の中でドイツ人だって とどのつまりは他国を援助するようになって集団主義的に振る舞うのではないかとも。

 ご見解の方向性はさておき、せっかく「集団主義」について、一般的な理解を超えて、トリアンディスとかクラークを踏まえて議論を積み重ねているのですから、反論させてください。先の投稿に書いたことですが、クラークの定義は大雑把に言って、
 ・集団主義ー即物的なつながり
 ・個人主義-思念的なつながり
ということであるようです。EUなど、この理屈に従えば、国も何もかも違う集団が結びついているのですから、何をやったとしても、まさに個人主義の成果なのでしょう。
 しかしご指摘のように、EUの事例のいくつかは、集団主義か個人主義かという区分そのものが機能不全に陥っている例とは言えるのかもしれません。もはや個人主義の名を借りつつ、実態は集団で動いているわけですから。
 
>和魂洋才で切り抜けられないか。

 うーん。このボールは私には、今の時点ではどう扱ったらいいのか分かりません。具体的なイメージができないところがあるからです。これをやると松下電器になるんじゃないでしょうか。どうでしょうか。
 むしろ和魂和才を考えようというところじゃないですか。和魂和才を主張するために新しい概念を考えてみようと、ボールを返したいところですね。

 お礼を二つありがとうございました。それを二つ統合しつつ投稿したいと思います。舌足らずになるかもしれませんが、方向性は先に投稿した方が良いと思いました。

 まず話の方向性としては、「日本は集団主義ではない」というと質問の表題ではあるのですが、どうも次のようなことになってきているようです。
 ・日本=集団主義的=感受性、
 ・欧米=個人主義的=原則、
 しかしここで「集団主義」という言葉を使い続けるかが微妙です。
 「集団主義=個人主義に比べて劣っている」という見解は、トリアン...続きを読む

Q個人主義と利己主義

個人主義と利己主義の違いについて、調べています。
夏目漱石の本などを読みましたが、よく解りません。
この違いについて説明できる方いらっしゃいましたらお願いします。

Aベストアンサー

個人主義は「自分は自分、他人は他人」で、自己を確立したうえで、自分も他人も客観的にとらえた考え方。

利己主義は「自分は自分のために、他人も自分のために」で、自分を利する(おおざっぱに言えば得する)ために、自分も他人も存在するのだ、という考え方。

・・・と思いますが。

Q外国人から見た日本人に対するステレオタイプは?

ステレオタイプについてレポートを作成しています。外国人から見た日本人に対するステレオタイプ(偏見というよりも固定観念)は一般的にどのようなものだと思いますか? 私が思い付くものとしてはメガネをかけてて、背が低くて、いつもカメラを持っていて、勤勉で…くらいしか浮かびません。良い面、悪い面も含めて、言われている(きた)ままを教えて下さい。

※検索してみて、参考になるもの(映画の中での日本への偏見など)もありましたが、もう少し詳しく知りたいです。

Aベストアンサー

戦前の対日感情がまあまあの頃の漫画などでも印象的なのは、[背が低い][お辞儀][ニヤニヤ笑][出っ歯][メガネ]などでしたが

戦後はそれに加えて[カメラ]をぶら下げるのが目立ち、キッシンジャーが羽田に着くと「サカナ臭い」と言う発言も印象的でした。


[出っ歯][メガネ]の話しの第一号は明治8年の事らしいのですが・・・  http://www.jamcon.co.jp/iroiro9706.html

  『ワーグマンという画家の描いた明治8年の樺太千島交換条約をテーマにした絵で、
   眼鏡と出っ歯の日本人代表が描かれています。』


外国映画のなかの日本イメージ・・・ http://www.nara-u.ac.jp/soc/staffs/mabuchi/lectures/japan_in_cinema.htm

参考URL:http://www.jamcon.co.jp/iroiro9706.html

Q日本は社会主義国家なのになぜ発展できたのでしょう?

かつてソ連のゴルバチョフ大統領が‘日本は世界で一番成功した社会主義国だ‘と発言したそうですが、確かに日本は表向きは資本主義国家ですが社会主義的要素が強いように思います。税金の累進性は欧米より強く高額所得者は税金をたくさんとられます。貧困層は福祉や公的補助、医療制度など優遇され高額所得者から巻き上げた税金が還元されます。サラリーマンは年功序列で能力で関係なく昇給しました。(以前は)
経済格差は‘悪‘と公言する政治家までいます。ソ連、旧東ドイツ、北朝鮮など社会主義国家はどこも貧困に喘ぎ崩壊しました。日本だけなぜこんなに発展できたのでしょう?またこれからも発展できますか?自分は経済学、政治学には疎いのでどなたかお教えください。

Aベストアンサー

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないので、市場に任せず、政府が責任をもって経済を運営すべきだ」との、社会主義と資本主義の折衷政策「混合経済」政策をとった。このため多くの企業が国有化された。フランス石炭公社、フランス電力会社、フランスガス会社、鉄道部門、エール・フランス、フランス銀行 と四大預金銀行 クレディ・リヨネ、ソシエテ・ジェネラル、全国割引銀行+全国商工銀行⇒パリ国立銀行、保険会社、ルノー公社、航空機エンジン開発製造公社が国有企業として活動し始めた。
 石炭・鉄鋼に関してはドイツとの国境周辺地域に「欧州石炭鉄鋼共同体」を設立し、ドイツなど欧州6ヶ国で、アメリカ政府の援助資金であるマーシャル資金によって運営された。これは一国社会主義ではなくインターナショナル社会主義であった。1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。
 政治を見れば、ドゴール派の保守政権と社会党とが政権交代を繰り返した。日本に置き換えてみれば、石炭・鉄鋼がアメリカ政府資金による韓国との合弁、トヨタ自動車が国有、自民党と社会党が政権交代を繰り返す、といった状況だ。フランスから見れば日本は「市場原理主義」「自由放任主義」であった。
 イギリス──労働党の「ベヴァリッジ報告」による「ゆりかごから墓場まで」の社会主義政策を戦後の経済方針としていた。鉄鋼は、国有⇒民営⇒国有⇒民営と政権交代毎に弄ばれた。石炭はアーサー・スカーギルが率いる全国鉱山労組が仕切っていた。つまりアナルコ・サンディカリズムをやっていた。戦前アメリカに次ぐ自動車産業国であったが、中小企業が多く、このため国有企業に集約したが成果が上がらずホンダの支援を受けたがダメだった。政権は保守党と労働党が競い合い、その勢力は均衡していた。イギリスから見れば日本は「自由奔放経済」で「保守党独裁の反社会主義国家」であった。
 西ドイツ──アメリカ政府のマーシャル・プランによる援助資金をもとに戦後復興政策を進めた。戦後復興の基幹産業である石炭・鉄鋼は「欧州石炭鉄鋼共同体」という多国家管理による非民間企業に頼った。エアハルトは社会主義と資本主義の良いところをとった「社会的市場経済」を目指した。フォルクスワーゲンは戦後再出発にあたり、その株式20%を連邦政府が、さらに20%を地方政府が保有した。こうした石炭・鉄鋼・自動車産業を日本に当てはめるとどうなるか?それに比べれば日本経済は民間主導の自由経済であった。
 仏・英・独とも戦後何度も左翼政党が政権を担当した。現在英・独が保守政党を破っている。それに比べいかに日本の左翼・社会主義が信頼されていないか、よくわかる。

 日本では行政指導という政府の関与が話題になる。しかしそれ以上に「官に逆らった経営者」がいた。
 (1)天皇とまで言われた日銀一万田総裁に「川崎製鉄が千葉工場建設を強行するならば、ペンペン草を生やしてみせる」とまで言われた、西山弥太郎の大胆な設備投資、それに刺激され他社も追従した。戦争で古い設備が使えなくなったのは仏・英・独も同じ。しかし欧州の官僚にはあれほど大胆な発想は出来なかった。
 (2)「井深さんはトランジスタを使って補聴器を作るのですか?」と皮肉られ、特許導入を1年間遅らされた東京通信工業(後のソニー)。その1年の間に世界初のトランジスタ・ラジオはアメリカにやられた。大宅壮一に「ソニー・モルモット論」と皮肉られたが、今日の電子産業、官に逆らってトランジスタ特許を導入したソニーに始まると言って良い。
 (3)政府が成長産業を育成しようとした特定産業振興法、それに逆らって通産省で大型政務次官と言われた佐橋滋と喧嘩した、本田宗一郎は1983年のテレビインタビューで、佐橋滋と会った時を振り返り、次のように語っている。 「どうにも納得できないということで、僕は暴れたわけで、特振法とは何事だ。おれはやる(自動車を作る)権利がある。既存のメーカーだけが自動車を作って、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を、永久に大きいとだれが断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるにに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え!と怒ったのです。うちは株式会社であり、政府の命令で、おれは動かない」(1995年2月5日、NHKテレビ「戦後経済を築いた男たち」から)
 (4)「官と闘った経営者」ヤマト運輸社長・小倉昌男が始めた「宅急便」、この普及は日本の流通業を大きく変えた。郵政民営化が問題になるのも宅急便の普及があったからだ。
 日本が「官民一体」ならば、仏・英・独は「民なしの、官のみ」だ。官に逆らった経営者たちのハイリスクな事業計画、前例を尊ぶ官僚にはとてもできない。戦後の荒廃はどの国も同じ、日本は度胸のある経営者が力を発揮できる自由な経済体制だった。進化論に例えれば、突然変異が出やすく、育ちやすい環境だったと言える。
 はしょって書きました。「官に逆らった経営者たち」「戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義」をキーワードに検索してください。詳しく書かれたサイトがあります。

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないの...続きを読む

Q日本人と外国人の違いについて。

私は今、大学のレポートで外国人と日本人の違いに着目して調べています。
日本人はなぜ上下関係が厳しいのか?
またはそれが生まれた社会的背景はなにか?
日本人はどうして仲間意識が強いのか?
そして、なぜ外国人は誰に対してでもフレンドリーに接せるのか?
公の場で、日本人と違って外国人はしっかりと自分の意見を主張できるのか?
外国人は先輩や目上の人にも友達と同じ言葉遣いで話せるのか?
それから、これを調べていて疑問に思ったのですが外国には敬語など、目上に対する言語がないのでしょうか?どんな年齢(身分)の人にも同じような言葉遣いで話すのでしょうか?
レポートに書く意見の参考にしたいので、少ない情報でもいいので、なにかわかることがあったら是非回答お願いします。

Aベストアンサー

住む環境が全く違うから。
日本は人間が住めるのは国土の2割がせいぜいです。
外国は探せばいくらでもある。

それ故、密集して暮らしていました。
外国は平原ゆえに人との距離が離れていた。

敬語の本来の目的はお互いの距離を確かめるツールです。
敬語を上下関係の為のツールだけと思われますが、人同士の「間」を取るための言葉使いです。

フレンドリーに話さないのは、お互いの「間」を確認するからです。
外国人にはこんな考えは無い。
間を取らないからフレンドリーやずうずうしさが目立つ。

日本の「間」の文化は至る所に存在します。
例えば、外国のアニメや映画は動きまくる。が常識なのに、
日本のアニメや映画は無言や止ったシーンが多い。
いや、好んで使われる。

「間」の意識が強いから上下関係にこだわったりするんでしょう。
仲間意識が強いのは、その「間」が無くなる時です。
外国では日本の「間」が無い。
それ故に海外で結束しやすい。

天災になると「間」は消える。そんな事を言ってられないから。
欧米ではこんなところが妥当でしょうか。

「間」の存在する文化はあまり聞きませんね。
絵でも見てください。
細部までいっぱいいっぱい描かれた芸術品の数々!
日本の絵は白い作品が多いです。

建築でも西洋はびっちりと固められているのに、
日本の古代建築は隙間が多い。

言葉使いも一緒じゃないですか?
きっちりした英語と、隙間だらけの日本語。

悪く言えば、余裕の無い言葉と余裕のある言葉。
場合によっては逆転するでしょうが。

日本文化と外国の文化を比べたら回答は出てくると思いますよ。

住む環境が全く違うから。
日本は人間が住めるのは国土の2割がせいぜいです。
外国は探せばいくらでもある。

それ故、密集して暮らしていました。
外国は平原ゆえに人との距離が離れていた。

敬語の本来の目的はお互いの距離を確かめるツールです。
敬語を上下関係の為のツールだけと思われますが、人同士の「間」を取るための言葉使いです。

フレンドリーに話さないのは、お互いの「間」を確認するからです。
外国人にはこんな考えは無い。
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Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q個人主義より全体主義が好きです。日本は個人主義ですが、みなさん本当に個

個人主義より全体主義が好きです。日本は個人主義ですが、みなさん本当に個人主義が理想と思っているのですか? 全体主義は嫌いになったんですか?

Aベストアンサー

#5です。

>ありがとうございます。戦争と全体主義は一緒にしないとだめですか。。

戦争だって?君は一体何の話をしているのだ?
「愛する家族の健康を守るために私の町には廃棄物処理場を作らないでください。」
なんてことをみんなが言い出したら、我が国のごみ問題はどうなるのだ!
国中がゴミだらけになって伝染病が発生したらどうするのだ!こんな危険なことはないのだ!

「愛する家族の身の安全が心配だから、私の町に刑務所を作らないでください。」
なんてことをみんなが言い出したら、犯罪者をどこに閉じ込めておけばいいのだ!

老人医療費が増大して医療財政を圧迫している。このまま老人医療費が増大すると、働き盛りの若い国民、我が国の経済を支え国家全体に貢献する国民が十分な医療を受けることができず健康を損なってしまうかもしれない。そうなってしまうと我が国の生産は縮小し、GDPが減少し、国民生活と国家財政が脅かされるかもしれない。

一方、もう一つ我が国が抱える重大問題がある。それは食料自給率だ。もし天候不順が世界的規模で起きると、我が国は食料を輸入できなくなり、食糧危機が発生するかもしれない。

この2つの問題を解決する方法がある。老人の定年を決めるのだ。一定年齢に達した老人には安楽死を促す。こればかりは如何に国家全体のためとはいえ強制はできないから、希望者にはとても安楽に安らかに死ぬための設備を作るのだが、極力安楽死を促進するように制度を整える。そして、人体は優良なタンパク源である。安楽死した老人の遺体を蛋白源として食料にするのだ。そうすれば、老人医療費は削減でき、食料を消費する人口を削減でき、食糧の原料も確保できるのだ。・・・・・・



これはハリー・ハリソンが小説「人間がいっぱい」(映画化名「ソイレント・グリーン」)で描いた全体主義社会です。
国家を脅かす危機は戦争だけではないのです。食糧問題もゴミ廃棄物問題も、医療費問題もエネルギー問題も国家を脅かす危機になり得るのです。その問題の解決のために、個人よりも全体を優先するのが全体主義です。

#5です。

>ありがとうございます。戦争と全体主義は一緒にしないとだめですか。。

戦争だって?君は一体何の話をしているのだ?
「愛する家族の健康を守るために私の町には廃棄物処理場を作らないでください。」
なんてことをみんなが言い出したら、我が国のごみ問題はどうなるのだ!
国中がゴミだらけになって伝染病が発生したらどうするのだ!こんな危険なことはないのだ!

「愛する家族の身の安全が心配だから、私の町に刑務所を作らないでください。」
なんてことをみんなが言い出したら、犯罪者をどこ...続きを読む

Q協調性がない人向けの仕事

お世話になります。

20代半ば女です。

私には協調性がありません。
基本的に人と接するのは面倒だから嫌いで一人でいるのが好きです。

正直、話すのは上手く接客業や営業も私は苦痛でしたが仕事ぶりは評価されていたり、事務処理能力も高く、学んだことをすぐに吸収出来るほうです。
しかし、協調性がなすぎて、職場に溶け込めなかったり、また能力の低い人と揉めたりしたことも多々あります。
愛想よく振る舞うのも得意ですが、表面的なもので、段々繕えなくなり本当の性格が出ると嫌われます。

こんな私に向いてるのはどんな仕事でしょうか?
営業や接客は異常にストレスがたまるので嫌です。

趣味や好きなもの、得意分野は、美容、健康、アンチエイジング、ダイエット、グルメ、スイーツ、心理学、人間観察、マネーです。
理解能力、説明能力はよく誉められます。
しかし、決定的に協調性がありません。

Aベストアンサー

私も、協調性のない40代半ば男です。

 20年ぐらい先を往っているオヤジの意見になります。

>>私には協調性がありません。

経営者になるしかありません。

>>、謙虚じゃなく能力の低い人、無能さを改善する努力もせず周りの迷惑をかける人がだいっきらいです。また、なぜ皆あんなに一緒にいたがり一緒に色々したがるのか分からないです。

このような人たちをビジネスのヒント(バカどもを利用する・または巻上げる)にすれば
面白い商売ができるのではないでしょうか?

Qプライベートなことを聴かれた時に話をそらす方法

今日、職場の同じグループ(パートさん同士)の方々とランチに
行くことになったのですが...
(一度断ったのですが、上司の方から無料券を貰ったんだよ。
貴方の都合のいい日に合わせるから一緒に行こうよ!と言われてしまい、
結局ランチを断れませんでした^^;)

正直あまり乗り気ではありません。。
なぜなら、以前一緒にランチに行った時に個人的なプライベートなことを
色々根堀り聴かれたからです。。自分も優しく話しかけられて、
ついつい嬉しくなってしまい、沢山話してしまったのが悪いのですが(T_T)

友人から
「おばさんのパートさんは、他人のプライベート話を他の職員さんに回したり
するからあんまりベラベラ話さない方がいいよー」と言われて
あぁーやってしまった...とかなり後悔しています。

沢尻エリカさんの時のように何か聴かれても「別に...」で押し通そうとかも
考えたのですが、私は今の会社に入ったばかりですし
そんな冷たい態度を取る訳には行かないので(笑)、なんと言って話を逸したら
いいかわかりません。 

私は、そのグループ内で一番若者なので、また色々根掘り葉掘り聴かれそうで怖いです。
確かに一緒に仕事してる仲間ですが、「仲良し」って訳ではないので、
仲の良い人以外に自分のプライベート話をしたくはありません。

どうしたら、相手に不愉快な思いをさせずに、プライベートなことを聴かれたら
さりげなく逸らすことができるでしょうか?
経験ある方いらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さい(>_〈)

今日、職場の同じグループ(パートさん同士)の方々とランチに
行くことになったのですが...
(一度断ったのですが、上司の方から無料券を貰ったんだよ。
貴方の都合のいい日に合わせるから一緒に行こうよ!と言われてしまい、
結局ランチを断れませんでした^^;)

正直あまり乗り気ではありません。。
なぜなら、以前一緒にランチに行った時に個人的なプライベートなことを
色々根堀り聴かれたからです。。自分も優しく話しかけられて、
ついつい嬉しくなってしまい、沢山話してしまったのが悪いのですが(T_T)

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Aベストアンサー

プライベートな質問をする人のほとんどは話題のない方です。

つまり何を聞いていいのかわからないから、「どこに住んでるの?」「ご家族は?」「付き合ってる人はいるの?」「学歴は?」・・・などと質問攻めにします。もちろん興味もあるでしょう。

こういうとき有効なのは他の方も書いている逆質問で、はぐらかされる場合は決して応えてはいけません。一方的に情報を与えてしまうと相手ばかり優位になるため、上手に引き出してお互いに人質をとっておく必要があります。(逆にそうすることで親密になることもあります)

時々「私の話なんか面白くないですよ」「特にどうってことのない日々でした」という風に相づちを打ち、「そういえばこの間のOOはどうなんですか?」「OOさんてどういう方でしょう」という仕事の話や全く違う趣味の話、会社についての歴史などを聞くのもいいですね。

それでも根掘り葉掘り聞かれたら、都合のいいくらいまで話し、後は「このくらいで勘弁してください」「あまり自分の話をするのは苦手です」と言うか、ある程度は作り話をするようにします。

作り話は適当に話し、もしも第三者に質問されてもいいような程度に!思いつかない場合は友達のことを思い浮かべたり、見聞きした話をします。そして誰かに質問されたら「実はあれ、私の話じゃありません。あまりいろいろ聞かれると嫌なんで、別の人の話をしました」と言っておけば、他の人も話を真に受けなくなっていくでしょう。

ただ嘘つきといわれると困りますよね。こういうのは自慢が入る場合に多いですから、悲しい話や辛い話にすることで案外回避できます。この相手をいなすような適当な話が出来るようになれば、もう怖くはありません。私は散髪のときや営業電話がかかっていたときなどで鍛えました。

あまりよくないんでお薦めはしませんが、まったく関係のない人にのみお使い下さい。
ご健闘をお祈りします。(^^)

プライベートな質問をする人のほとんどは話題のない方です。

つまり何を聞いていいのかわからないから、「どこに住んでるの?」「ご家族は?」「付き合ってる人はいるの?」「学歴は?」・・・などと質問攻めにします。もちろん興味もあるでしょう。

こういうとき有効なのは他の方も書いている逆質問で、はぐらかされる場合は決して応えてはいけません。一方的に情報を与えてしまうと相手ばかり優位になるため、上手に引き出してお互いに人質をとっておく必要があります。(逆にそうすることで親密になることも...続きを読む

Q日本人 ちょっと余裕なさすぎじゃないですか?

某飲食店で店長している友人が落ち込んでました。厨房に近い裏方でスマホしてた子を見た客が、苦情をメールで本部にホームページで苦情を入れてその店にお叱りを入れたそうです。

細かいことはわかりませんけど、そういうチクリみたいことをするのが普通なのでしょうか。
スマホしてたとありますけど、ちゃんと裏でやってるわけだし、緊急連絡かどうかもわからないし。。
ちなみに友人は「普段、仕事中にスマホいじるような子ではないんだけどなぁ。」って言ってましたので、仕事に支障が出るようなことはしてないのではないかと思います。
個人的には、直接注意するくらいならわかるけど本部に連絡するのに何かいやらしさを感じました。

更に、いつかテレビ局で誤字があったら相当数の(うろ覚えですが数百件と言ってたような…)の電話やメールを含む苦情がくるみたいなことを言ってました。
例えば、誤って転落した --> 謝って転落した のような誤字も。

なんで、こんなことを書こうかと思ったかというと、下記の記事を見てからです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160917/k10010690191000.html
正直、そんなことで電話するか?ってのが個人的な感想です。更に下にあるように、クレームにつながるので、JR運転手はつい最近まで乗務中に水分補給も原則禁止されていたみたいです。
http://www.j-cast.com/2015/06/09237302.html?p=all

日本人ってなんで、他人の行為に対して鬼の首をとったようにクレーム入れたりするのでしょうか。互いに監視するのが好きなのでしょうか。
余裕なさすぎと思ってしまうのは私だけですか。
もっと寛容になれないものかと思ってしまいます。

某飲食店で店長している友人が落ち込んでました。厨房に近い裏方でスマホしてた子を見た客が、苦情をメールで本部にホームページで苦情を入れてその店にお叱りを入れたそうです。

細かいことはわかりませんけど、そういうチクリみたいことをするのが普通なのでしょうか。
スマホしてたとありますけど、ちゃんと裏でやってるわけだし、緊急連絡かどうかもわからないし。。
ちなみに友人は「普段、仕事中にスマホいじるような子ではないんだけどなぁ。」って言ってましたので、仕事に支障が出るようなことはし...続きを読む

Aベストアンサー

日本の集団主義は、農耕民族という理由だけではありません。もし、農耕民族ということだけであれば、日本だけでなく、東南アジアの米作地帯もヨーロッパの大部分も集団主義でなければなりません。ドイツ人は集団主義ですが、本来ローマ時代から農耕民族だったイタリア人なんて、まったく当てはまりませんから・・

日本人が集団主義なのは、もうひとつ「異民族戦争の経験と異民族流入が無い」ことに由来していると思います。
「異民族」というのは、違う文化や宗教、つまり異なる価値観をもつ集団のことをいいます。戦後でもインドとパキスタンが宗教の違いで別の国に分離したように、宗教的な価値観の違いは、国の違いに通じるほど大きな違いになります。

それでも、大陸の中で住んでいれば、小さな違いに目くじらを立てていたら国が成り立ちません。ですから、いろんな価値観、それも「相容れない価値観」をうまく統合して国家を営む努力が続けられています。
 そのひとつの方法が「法治国家」です。法はある程度宗教的な価値観から離れて制定することができますので、さまざまな価値観のある国では「法律に違反しない」ことが生活の条件になり、逆をいえば法律に縛られていない部分は自由で自分の価値観に沿って行動していい、ということになります。
 このような「法律に違反しない限り、自由」というと、日本人は「脱法的なことや、違法ギリギリの悪さができる」と顔をしかめる人がいますが、法律というのはそういう意味ではなく、多様な価値観を認めつつでも国を運営するのに必要なことをルールとして決める、という意味があるのです。

このような法律に対する日本人の感覚からも「多様な価値観」に日本人がいかに疎いか、それを守ることが重要ではない、と思われていることが良くわかると思います。

日本はほぼ単一民族です。いや民族は様々なのかもしれません、ですが「価値観はほぼ単一」なのが日本人です。通常、民族というのは価値観&宗教で区分けしますので、そういう点で日本はほぼ単一民族である、といっていいわけです。

ではなぜ単一で、価値観が纏まりやすく、それを守ることに意識が行き、不寛容であるのか、それは「この国(この社会)を守るために必要だから」と多くの日本人が無意識に思っているからです。

実は日本人の不寛容さルールに対する厳格さはメリットもあります。それが惜しげもなく披露されたのが3.11です。
あの時世界は日本人の忍耐力と社会性に対して賞賛の言葉を並べました。たしかにほぼ同時期に起きたアメリカのハリケーン被害などに比べれば、日本人の忍耐力と社会性は賞賛に値するでしょう。

でもなぜ日本人がそのように行動できるか、については深い分析はありませんでしたが、簡単にいえば「そういうときだからこそ、お互いがそして自分が、ルールから逸脱しないように行動しよう」とするのが日本人であるといえます。

たとえば、外国人は「電車が止まってタクシーの列に何時間も並んですごい」と言います。某国なら横入りが横行するでしょうし、そもそもあれほど綺麗に列を作ってそれが乱れないこと自体、賞賛に値するわけですが、ここでお互いの監視が行き届いている、からしない「こんなときにそんなみっともないことはできない」というのが実際のところでしょう。
 日本人は衆人環視を受け入れ、それゆえに世界的にまれな秩序を維持しているのです。災害の多い日本ではこれは社会を維持するのにとても有効であり、だからこそ日本国はこれだけの災害国でも長い歴史を保ってきているわけです。

ただ、こういうのはどうしても「価値観の変革」がないと、常に強制を強くする方向、に動いていきます。戦争や国を動かすほどの災害がないと、ゆるくならないのです。

もうひとつ、最近になって縛りが厳しくなっているのは「日本国が攻められるかもしれない」という危機感がだんだん高まりつつあるからです。一種の防衛反応です。

 実際に、太平洋戦争の前の日本は「鬼畜米英を倒せ」というスローガンが強くなり、一般市民でもそれに反対するようなことは言えなくなっていきました。日本人は危機に対して「全員がなにも言われなくても同じ方向を向いて努力する」という良い側面もありますが、その分どんどんと衆人環視が厳しくなっていく、という特性もあわせもっているのです。

たしかに、ネットが発達しいつでもどこでもクレームができるようになったのはそれに輪をかけているわけです。これが収まり日本人が寛容になることは当分ない、と私は思います。

日本の集団主義は、農耕民族という理由だけではありません。もし、農耕民族ということだけであれば、日本だけでなく、東南アジアの米作地帯もヨーロッパの大部分も集団主義でなければなりません。ドイツ人は集団主義ですが、本来ローマ時代から農耕民族だったイタリア人なんて、まったく当てはまりませんから・・

日本人が集団主義なのは、もうひとつ「異民族戦争の経験と異民族流入が無い」ことに由来していると思います。
「異民族」というのは、違う文化や宗教、つまり異なる価値観をもつ集団のことをいいます...続きを読む


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