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タイタニック号事故の謎について
いろいろとオカルティックな都市伝説が言われていますが
この事故をオリンピック号とのすり替えが可能だったか
物証面から調べています。今のところ

・タイタニック号の設計図より艦首左舷窓数は16個
・タイタニック号出航時の艦首左舷窓数が16個の写真
・オリンピック号建造中の艦首左舷窓数が16個の写真(船名判別可)
・タイタニック号建造中の艦首左舷窓数が16個の写真(船名判別可)
・船名不明の艦首左舷窓数が<15個>の写真(煙突が無いため建造の中期くらい?)
・タイタニック号航行中の艦首左舷窓数が<15個>の写真(船名判別不可だがAデッキ形状より)

は入手しましたが正直混乱しています。そこで

1.タイタニック号、オリンピック号の艦首左舷窓数はいくつなのか
2.事故後にオリンピック号のAデッキをタイタニック風に改修した事実はあるか
3.事故後に運行しているオリンピック号の写真(特に艦首左舷が写っているもの)はあるか

についての情報をお待ちしています。
オリンピック号の艦首左舷窓数が<15個>であり事故後Aデッキを改修したなら
出航した船を含めて窓数が16個のものは全てタイタニック号であり<15個>のものは
全てオリンピック号であると言えます。
オリンピック号の艦首左舷窓数が16個ならタイタニック号も16個なので
窓数が15個の船は謎の船になってしまいます。

逆に入手したタイタニック号の設計図が間違いでタイタニック号の艦首左舷窓数が<15個>の場合
オリンピック号の窓数は16個になり恐らく竣工直前に同時ドック入りした際に
オリンピック号にAデッキの偽装が行われ船名も書き換えられたと思われます。

本来、こんな空前の偽装が行われていたならとっくにどこかの国のジャーナリストが
あらゆる証拠を集めているでしょうから都市伝説だとは思いますが
納得できる情報がなかなか見つからないのでよろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

イギリスあたりでは有名な「奇説」のようです。



ご存じのとおり「タイタニック号」と「オリンピック号」は姉妹船です。外観もよく似ていたことから先に就航した「オリンピック号の写真」を「タイタニック号の写真」として使いまわしたこともあったようです。
現在と比べて写真が高価だった時代ですからそれも当然ですし、実際に「同一フィルムの異プリント」(背景や波影が同じ)にもかからわず、一方を「オリンピック号の写真」もう一方を「タイタニック号の写真」として紹介していたものもありましたから船名も「写真に後で書き込む」ことも行われていたようなので「写真から判断」するのは難しいでしょう。

そもそも「完成したばかりのタイタニック号」を沈めて、「事故続きのオリンピック号」を残すことに意味があるのでしょうか?
船体を入れ替えたとしても書類上は「事故が多発したオリンピック号」が残ることになりますから保険料率は高いままで不経済です。保険金をせしめるならオリンピック号を沈めたほうが得策です。
また、もし計画的に沈めるならもっと陸地に近いところやオリンピック号をある程度近づけさせて乗客の救助をさせるなどの工作をしたはずです。
結果的には被害者への補償金でホワイトスターライン社は経営が傾き売却されてしまっています。
保険金詐欺だとするとことの大きさの割にはずさんすぎます。

よくある「与太話」「陰謀論」のたぐいだと私は思います。
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ごめんなさい、先ず初めに謝っておきます。



回答で無い回答をするご無礼をお許し下さい。

参考URLです。
http://www.nazoo.org/titanic/titanic02.htm

大昔の事なので物的な証拠が殆んど無くて、今となっては可能性としてとか、疑いがあるとかのレベルでの推測しか出来ないという状況だと思います。

私の個人的な考えとしては、限りなく黒であり、オリンピック号は保険金目当てでタイタニックの代わりとして故意に沈められた保険金詐欺事件であり、沈んだのはオリンピック号で事故後はタイタニック号はオリンピック号として元気に航海を続けて無事に引退したのだと思っています。

窓の数の違いくらいしか両者を識別する事は出来ず、しかも両船の写真はどちらがどちらなのか分からず混同して記載されている写真も多く有るらしいので尚更難しい問題だと思います。

状況証拠的にはあまりにも出来過ぎなくらいに典型的な保険金詐欺のお手本のような証拠が沢山揃っていますよね。

経営難で倒産の危機にあったホワイト・スター社はタイタニックの沈没で保険金を手に入れて息を吹き返しています。
(オリンピック号のスクリューの修理をするお金が無かったのでタイタニックのスクリューを取り付けて出航させて沈めて、保険金を使って新しいスクリューを買った。衝突事故で損傷していたオリンピック号のキール部の損傷は深く修理しても長期の使用に耐えられる状態ではなかった)

修理不能で廃船にするしかないような状態だったはずのオリンピック号は、まるで新造船のように元気に23年間も現役で航海を続けています。

ホワイトスター関連の人間や荷物は航海の寸前になって全てキャンセルされて人も乗らなかったし、荷物も全て降ろされて無事だった。

タイタニックが事故を起こした後で主要な乗組員は何故か殆んど沈没を食い止めようとする努力をしていない。

氷山はあの時期としては珍しかったようですが、たまたま運良く氷山を見つけたので自ら氷山に衝突させて事故を装ったけれど、氷山が無くても船底に仕掛けた2個の爆薬を使って途中で沈める予定だった。
(事故後に2回の大きな爆発が発生していて、ボイラーなどの爆発ではないかと考えられているようだが、片側が爆発して配管が損傷すれば2回の爆発は発生しないし、水没しただけで爆発したのはおかしいとも考えられる、水没した部分のボイラーの爆発音程度では遠くにいた別の船にまでは音が聞こえないと思われるが遠くはなれていた何隻かの船でこの爆発音が確認されている)

その他にも、出航前からの目撃証言など色々と疑わしいと思える情報はあったようですが、とにかく今となっては当事の人間もみんな死んでしまっていますので、真実は暗い闇の中、いや冷たい海の底という事になるのでしょうか?
(出航前に「この船はオリンピック号じゃないか」と言い出した人がいて小さなトラブルになったという事が有ったらしいです)
(他にも、出航前に乗客たちが撮影したし写真の背景になっている船の窓の数が、タイタニック号の窓のかずと違っていてオリンピック号の窓の数と一致しているという話も聞いた事が有ります。私も質問者様の問に答えようと思いまして、この写真を探したのですがどうしても見つけられませんでした。スミマセン)

もっともっと徹底的に沈んでいるタイタニック(オリンピック?)の調査でもしない限りはこれ以上の追求は無理だと思います。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

「タイタニック」で検索されるネット上の情報はほぼ網羅しました。
現在書籍を読破中です。
状況証拠は数多くあるのですが、当時の海運事情を考慮していない
若しくは海運事情による根拠を提示していないものがほとんどで
信憑性に欠けるためまず物的証拠を探そうと思いました。

状況証拠でもっとも有力なのはレーダーの無い時代に
氷山があると分かっている海域で運行上大きな遅延も無いのに
夜間最大速力近い速度で航行する事は当時の常識からあり得ない
と言う事だと思っています。

すり替えについても実際可能だったとしても10ヶ月前に就航した
中古船を新造艦として偽装できるのか、オリンピックから移籍した
乗員を全て騙すまたは買収できるのか、オリンピックに残った
乗員に船が変わった事を隠せるのかまたは買収できるのか、
など多くの疑問は残ります。

Aデッキの改修は徹夜作業で実際2週間で行われているため
これをオリンピックに行う事は可能ですがその他船体設計に関わる
両船の差異を改修する事は不可能でしょう。

今ひとつの可能性はタイタニックはタイタニックであったが
陰謀自体は存在したと言うものですが、すり替えと言う
物的証拠が無くなる以上さらに証明は困難です。

現在もっとも有力な海底のスクリューナンバーが401である事
(これに対する明確な反論は見た事がありません)を中心に
何か証拠が見つからないか探している最中です。

もう一度「レイズ・ザ・タイタニック」をすればいいんでしょうが
コストもさる事ながら「タイタニック調査禁止条例?」のおかげで
永遠のナゾになってしまいそうですね。

補足日時:2010/06/27 13:26
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 今の時代のマスコミと当時のマスコミとは異なるでしょう。

今の時代なら多くのアイテムを使ったり、法的な物など屈指しているでしょうから決定的な証拠も出てくると思いますが。
 以前にもテレビ番組でこの話題が出ていました。

 証言は難しいでしょうし、図面も最初の図面と完成したものと異なる可能性もあります。図面通りに出来ていない可能性もある。図面がすり替わった可能性もある。部分的な図面なら可能性はあるでしょう。
 図面というのは現在でも古い図面や新しい図面が混在したりしています。そういった違いも可能性としてはあるでしょうね。公に出される図面と、現場での図面との違いも。

 当時、または少し後ぐらいの造船に関する事を調べてみるのも良いかもしれません。タイタニック以降に、手法が変わったりしているかもしれません。そういった違いから探るのも良いかも。

 偽装をしているのなら、可能な限り処分されているでしょうね。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
実際オリンピックとタイタニックはよく似ていて恐らく設計図も
共有なりコピーなりで使い回されていた部分もあったのかも知れません。

当時の造船技術や海運上の常識も現在の常識とはるかに違っているようで
状況証拠の解釈もこの点を見落とすと間違いを起こします。

1912年4月ですから日本なら日露戦争後の大正元年直前の事です。
状況証拠を解説しているものはこの点の考慮が欠けているものが多く
物的証拠を探していました。

数多くある状況証拠の正しい判断のために
この時代の海運についてもう少し調べてみます。

補足日時:2010/06/27 12:50
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