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忘れてはいけない、風化させてはいけない事件・事故・・・

国立大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件が起きてから9年の月日が経過しました。その犯人、宅間 守が死刑を執行されてから6年になります(あと2ヶ月で)。

その死刑執行に関して「その憎むべき宅間は、この世からいなくなりました。 ◆でも、子供たちは帰って来ません! ◆命は決して戻っては来ないのです!」というブログに思わず私は涙してしまいました。

また、JR福知山線脱線事故(2005年4月25日)では一人の運転士の無謀な運転のために106名の乗客の命が奪われました(運転士も死亡)。その事故の原因はさまざまな要因が指摘されました。

凶悪犯罪や重大事故は後を絶ちません。あなたにとって忘れられない事件・事故、忘れてはいけないと思う事件・事故とは何ですか。

A 回答 (8件)

 上げ足を取る他意は全くありませんので、為念。



 池田小の事件では二点。
 当時。全国で子どもが校内で殺される事件が多発していました。京都でも学童保育中の小学生が校庭のブランコで遊んでいるときに刺殺されました。未解決かつその後学校で池田小の数分の一の対策を採られることもありませんでした。
 また、池田小事件当日、池田小の側の道路はベンツなどの高級車で埋め尽くされ、道路の向かいの公営住宅の敷地にも高級車が山のように入っており、住民が買い物にも行けずべそをかいていました。
 池田小は社会的エグゼクティブの子弟の通う学校なのでこういう事が起こったのでしょう。

 地下鉄サリン事件では一点。
 事件当日、戸井十月さんだっかな、現場で見た恐ろしい光景を新聞に書いておられましたが、それが忘れられません。
 事件現場の日比谷駅では、担架が足りないため、被害者たちは駅の階段に寝かされていたそうです。現場の毒物除去が終わったので次々と電車が到着するようになったのでしょう、きちんとしたスーツに身を固めたサラリーマン・OL達が次々と階段を上り下りしたそうです。その時に、まあ救助活動に参加することはきたいしないにしても、階段に寝かされて苦しみにうめき声を上げている被害者達を、あろうことかこの立派な身なりのサラリーマン・OL達が次々に平然と踏みつけ蹴飛ばして行ったそうです。まあ、邪魔だったんでしょうが、この光景を想像して私も背筋に寒いものが走りました。

この回答への補足

> 上げ足を取る他意は全くありませんので

そういう意図は微塵も感じられません。的確な指摘ではないでしょうか。

補足日時:2010/07/12 11:44
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意図的に落とされた世界経済



アメリカ指示に従って作られた700兆円の国債(500兆円とアメリカ国債分)

この回答への補足

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補足日時:2010/07/12 10:40
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本当に痛ましい事件は多いと思います。



私が忘れられないのは「名古屋アベック殺人事件」です。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」と同じ年の事件だったかと記憶してます。

この様な未成年者の短絡的な凶悪事件は本当に許せませし、どちらの事件の犯人も、今社会でのうのうと暮らして居ると思うとやるせない気持ちで一杯です。

この回答への補足

「名古屋アベック殺人事件」⇒ 名古屋アベック殺人事件(なごやアベックさつじんじけん)とは、1988年2月23日から25日にかけて愛知県名古屋市緑区で起きた、強盗殺人・集団強姦事件。被害者が襲撃された場所の名前から「大高緑地公園アベック殺人事件」(おおだかりょくちこうえんアベックさつじんじけん)とも呼ばれる。人間が行ったとは思えない残忍な手口と身勝手な犯行動機で、日本中を震撼させた。犯人グループ計6名の大半が未成年であったことから、少年法改正に多大な影響を与えた事件である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4% …

補足日時:2010/07/12 11:40
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当事者・被害者・関係者であれば「忘れていい」事件・事故ってありえないですよ

この回答への補足

> 当事者・被害者・関係者であれば…

当事者・被害者・関係者であればそうかもしれませんが、私が問いかけているのはそういう事件とか事故にかかわりを持ったことのない人の意見なのです。

当事者・被害者・関係者でなくても大きな事件や事故の報道に接すると他人事とは思えないはずですが、時間がたってしまうと忘れてしまうのは無理はないと思うのです。自分に直接かかわりのない事件や事故よりも当面の自分の生活のほうが大事ですから。

しかし、そうであっても私たちは努めてそういう事件や事故を忘れないような心がけが大事ではないかと私は思うのです。同じ過ちを繰り返さないために、また、被害者の冥福を祈るためにも。

補足日時:2010/07/08 22:57
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忘れてはいけない、風化させてはいけない事件・事故…だけではない


今の日本、これからの日本をみつめ直そう。。。

ここにもありました。

参考URL:http://nezu621.blog7.fc2.com/

この回答への補足

大きな事件や事故が起きても私たちは、ややもすると日常の生活に追われてそれをすぐ忘れてしまいます。

しかし私たちは、自分のことだけでなく社会に広く目を向けることを忘れてはいけないと思います。

そして、そのためにこそ国民としてどういう政治家を選ぶかということが極めて大事になると思います。これからの日本のために、世界のために。

補足日時:2010/07/09 01:43
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コンクリート殺人事件。



これは脳裏に焼きついて離れません。

このような事件を起こしても未成年というだけで

加害者の顔も名前も多くの人が知りえない。

そしてその当時少年だった男と今同じ社会で暮らしている。

少年法も考えさせられるし、女子高生が受けた屈辱・親御さんの思いを思うと

本当に忘れられません。

この回答への補足

コンクリート殺人事件 ⇒ 女子高生コンクリ詰め殺人事件  

1990年(平成2年)5月21日、東京地裁で検察側の論告求刑公判が開かれたが、刑事裁判では過去に例を見ないような最大級の厳しい言葉が並んだ。

「本件はわが国の犯罪史上において希にみる重大かつ凶悪な犯罪」「被告人らの動機には酌量の余地がない」「およそ常識では考えることのできない凌辱の限りを尽くしている」

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/josiko … より )

補足日時:2010/07/08 18:10
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地下鉄サリン事件ですね。



殺人事件は年間1000件ほど起きているので
目に付いた1件だけに感情的になってもきりがないというのが本音です。

しかしサリン事件は殺人事件とはちょっとレベルの違う事件。
毒ガス散布は戦争中ですら禁止されている行為ですし、
全世界のテロの歴史の中でも上位に位置するぐらい恐ろしい事件だったと思います。


事故は私も福知山線の事故が印象深いですね。

ただ、事故を起こした原因についてよりも、事故後の対応の悪さのほうが忘れられません。

この回答への補足

確かに、サリン事件は殺人事件とはちょっとレベルの違う事件だと思います。私も今年、事件から15年目にしてそのことを改めて認識しています。

あの事件で13人のかけがえのない尊い命が失われ、6200人を超える人が傷付き、なおかつ15年経った現在でも多くの人が苦しんでいるそうですが、被害者の関係者を含めるとその数は計り知れないものに上ると思います。
  
私たちはあの事件を忘れてはならないと思います。あの事件でどれだけの人の人生が狂ってしまったことか、なぜあの事件に巻き込まれなければならなかったのかということを考えると、憎んでも憎みきれないほどの事件です。
  
世の中には悲惨な事件は後を絶ちませんが、この地下鉄サリン事件は無差別の人を狙った事件ですので誰でもがその事件に巻き込まれる可能性があったわけです。

補足日時:2010/07/08 15:53
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 二つの事件をペアとして、それを二組紹介しておきます。



 まず社会人として、二つの雪印が起こした食中毒事件です。
 一つは、oyakatahinomaruさんもご記憶されていることと存知ますが、集団食中毒事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%8D%B0% …
もう一つが、その45年前に起こした八雲工場脱脂粉乳食中毒事件(以後八雲事件)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%8D%B0% …
 詳細は貼り付けたWikiや他にもネット上や書籍を見ていただくといいのでしょうが、原因はほぼ同じですが、その後の被害は勿論、雪印の対応、そしてその後は全く異なります。
 八雲事件では即座に原因は八雲工場にあるだろうとの推測から、工場の操業を即座に停止。社長自ら責任を取って頭をまとめるなど全社一丸となってお客様に謝罪をした結果、雪印をトップ企業に押し上げることとなりましたが、集団食中毒事件では責任を中々認めようとはせず、製品の出荷を続けて被害を拡大させたばかりか、トップの対応がまずかったことと直後に子会社が牛肉偽装事件を起こしたことも手伝ってトップブランドを崩壊寸前まで追い込んでしまいました。
 
 次に国民として政治家としてどういった方を選ぶべきなのか、官僚と政治家には事件に対してどう対処すべきかという点で、阪神大震災
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E% …
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9881/ …
と、三原山大噴火
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Ningen/mihar …
 ここで申し上げたいのは阪神大震災の直前に発生した北海道東方沖地震で偵察に向かった自衛隊機の乗員が不幸なことに事故で亡くなっています。ところが、当時の社会党が反対したことで賞恤金を出せなかったんですね。つまり、殉職扱いとならなかったんですよ。
 それが、阪神大震災の際に自衛隊の対応を遅らせる遠因となるんですが、三原山大噴火の時は違いました。自衛隊に出動要請が出る前に既に三原山付近に向けて演習航海が命じられているもんだか、出動要請が来た時点で住民救出に十分な船が大島付近に集結していました。当時の中曽根首相、後藤田官房長官が現場に全ての権限を委譲するという大英断を行ったからです。
 残念なのはこれらの二組のいい結果を生んだ方が時系列では全て先に発生したということです。これからも悲惨な事故や事件が発生すると思いますが、対応をこれらの事件に学んでもらえればと考えます。
 最後に一冊の書籍を紹介しておきます。「重大事件に学ぶ危機管理」(佐々淳行)
http://books.rakuten.co.jp/rb/%E9%87%8D%E5%A4%A7 …
 今回紹介した全ての事件が掲載されています。

この回答への補足

過去の、あるいは他人の不祥事や失敗を教訓としてそこから何を学ぶかということが大事ではないのでしょうか。悪質な事件や重大な事故が繰り返されるということは、私たちがそこで何も学んでこなかった、もしくは学んだことをすぐに忘れてしまう、ということも言えるのではないでしょうか。

大きな事件や事故が起きると他人事とは思わずにはおれませんが、私たちはややもすると日常の生活に追われてそれどころではなくなってしまいます。

目先の生活が大事なことは論を待ちませんが、私たちは社会に広く目を向けることを忘れてはいけないと思います。そして、そのためにこそ国民としてどういう政治家を選ぶかということが極めて大事になると思います。

補足日時:2010/07/08 16:25
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