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最近幼い子供を殺害した少年の学校の校長が、事件後こう言ったとか。(正確には「人の命は地球よりも重い」でしたっけ?)

よく聞く言葉です。人命の大切さをたとえた言葉なんでしょう。
わたしは、この言葉にちょっと引っかかっているんです。

これ、もとは誰の言葉なんでしょうか。

そもそも、本当に「人一人の命は地球より重い」なんて思っている人っているのでしょうか。

もちろん人の生命の尊さは言うまでもありません。自分がこの世からいなくなったり、家族や愛する人の死がどれほど重大なことかもよく知っているつもりです。

それでも、「地球より重い」なんてホントに思いますか?
全人類の命、じゃなく、ただ一人の命ですよ?
じゃあ、どこかの誰かが死なないためなら、地球一個差し出してもいいの?なんて。

これが偽善的な言葉に聞こえてしまうわたしは、冗談でなくまじめに考えています。

A 回答 (23件中11~20件)

「人の命が地球より重い」なんて私にもうそっぱちな気がします。

 人の命が重かろうが軽かろうが、結局命の価値とかを決めるのは、人です。その人が命の重さを比喩して表現するのは、うそっぽく聞こえて当然だと思う。 自殺願望者に、「地球より重い」なんて諭そうとする方もいますが、私は自殺は社会においての自然淘汰の方法だと思います。 あと、世の中には偽善的な言葉が氾濫してて、それが偽善だと気づかない方が多いと思います。何にしろ、皆自分が一番で生きているので、自分がよければ最終的には納得してしまうのでしょうね。
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この回答へのお礼

わたしも自殺は一種の自然淘汰の方法だと思います。最近自殺サイトで出会っていっしょに自殺する人がいて社会問題になっていますが、それのどこがいけないのかわかりません。死にたい人は死ねばいいじゃないかと思います。(ただし当人以外の人に一切の迷惑をかけなければ、ですが)

>世の中には偽善的な言葉が氾濫してて、それが偽善だと気づかない方が多いと思います

同感です。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/19 09:29

参考程度に


「人の命は地球よりも重い」
人の命と地球とは比較できるものではありませんね。
でも校長は命を大切にしようということを「方便として」そう生徒に話されたのでしょう。あくまでも方便ですね。かってニュースキャスターが「人の命は地球より重い」といってましたが、直後に普賢岳の火砕流で報道陣を含む多くの方が一瞬にしてなくなられました。その後、「自然災害に対しては人間はなすすべもない」といったことをいってました。このように地球とは比較できないのが本当のところですね。大人が大人に対して真顔で「人間の命は地球より重い」といったなら見識を疑いますが、子供に対するものなら方便として理解できますね。質問者さんのご指摘のように大人が大人に使う方便でないことは確かです。
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この回答へのお礼

「方便」。これは確かに言えてますね。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/19 08:59

>それでも、「地球より重い」なんてホントに思いますか?


>全人類の命、じゃなく、ただ一人の命ですよ?
>じゃあ、どこかの誰かが死なないためなら、地球一個
>差し出してもいいの?なんて。

一人の生命のために地球すべてを差し出し無くなってしまう
とすると、その一人のために他の人類はすべて死んでしまう
ことになりますので、現実的に考えるとこの考えは空論に
近いかと思われます。

しかしあえて、机上の空論を前提にして議論したいと思います。


要は一人の人間の生命の価値をどう捉えるかにあるかと思うんですよ。

もし地球どころか宇宙全体を含む自然環境が、人間のため
に造られたとするならば、人間ひとりの価値は地球どころ
か宇宙全体に匹敵すると言えます。
(この仮説については宇宙発生の『人間原理』を参照されたし)


現実問題、人間ひとりと地球すべては比較できないと思います。
なぜならば地球という環境圏に人類の生存がかかっている以上、
 地球=すべての人類の生命
という図式が成り立たなくもないからです。

ただ見方を変えれば、人間本来の価値として、
 ひとりの人間=地球
という図式もありえるかと思います。
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この回答へのお礼

>見方を変えれば、人間本来の価値として、
 ひとりの人間=地球
という図式もありえるかと思います。

わかります。回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/19 08:58

beat118さんは、お子さんお持ちですか?


私は子持ちです。私は質問の学校の校長の言葉を支持します。

>そもそも、本当に「人一人の命は地球より重い」なんて思っている人っているのでしょうか。

人の考えは色々ですが、私はそう思っています。もし、子供がいなくなったら、と考えるとぞっとします。多分生きる希望をなくするかもしれません。

私は、子供の命と引き換えならいつでも自分の命を差し出します。私だけでなく、皆さんそうして子育てをしていると思います。そうでなければ、育児なんてできませんよ。
お子さんをそのような形で亡くされた親御さんの悲しみを、私には想像もできません。

真剣に答えています。これは私の考えですから、ツッコミは無しにしてください。
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この回答へのお礼

真摯なお答えありがとうございます。最愛の娘がいます。まったく同感です。

あなたへの反論ではありません。一言言わせてください。

わたしの身内や愛する子供がいなくなったら、わたしにとってこの世は生きるに値しないものになります。世界がなくなってもいい、いっそ地球なんか滅亡してしまえ、そういう気持ちになるかもしれません。
そういう意味では、自分にかかわりのあるものの命は、自分にとって、地球一個と同じかそれ以上のものです。

あくまでも自分に関係があるからです。当人にとっては大切な人の命は地球より重いのです。それはわかるのです。それがわたしの前述の「オレにとって、オレの命は、地球(宇宙)全部に匹敵するほどのものである」という言葉になるのです。

しかし、当人にとっては地球より重い命であっても、どこかの誰かの命が「beat118にとって」「第三者にとって」地球よりも重いとはどうしても考えられません。

わたしの言いたいのはそこなんです。
だから福田氏でも件の校長先生でも、「地球より重いのはあなたの(またはあなたの愛する人の、または事件当事者にとっての)命でしょ?」ということなのです。

「そうですよ」と言えばそうなのです。あの事件で子供を殺された親の立場からすれば、息子さんの命は地球一個に相当する重さでしょう。だから、福田氏や校長の言葉は間違ってはいません。でももっと正確に(極端に)言えば「わたしにとってはそうではないが、殺された親にとって、その子供の命は地球より重かったはずだ」ということなのではないでしょうか?

お礼日時:2003/07/17 00:52

権力は


「あなた個人の命」を「地球の存在」よりおろそかにすることがあってはならないという意味です
憲法は「地球の存在」そのものに対する意義は何も語っていないと思います。 つまり国家権力は「地球を壊す」(誰の発言でしょう?)ことをしてもかまわないのです
アラレちゃんより(;^^)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おっしゃることの前半はよくわかります。

>つまり国家権力は「地球を壊す」(誰の発言でしょう?)ことをしてもかまわないのです

これはよくわかりません。もしよろしかったら補足をお願いします。

お礼日時:2003/07/19 08:55

これが本当なら地球はとっくにブラックホールになってますね。

まあ冗談ですが。

現実にはこれほど軽いものはないと言っても過言ではないのが事実です。毎年大勢、事件や事故で死んでいるでしょう。

それと命を最重視すると、実は何もできなくなってしまうということもあります。命が一番大切なのなら命を掛けて冒険などだれもしなくなります。私は難しいこととは思いますが命より大切なものを持つべきだし、人間というのはそれを持てるものだと思います。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおり、人(自分)の命よりも大切なものって、ありますね。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/19 08:51

憶えてます。


ダッカ事件です。
福田首相です。

共産ゲリラに屈服し、服役中の犯人を釈放するか?
人質を見捨てるか?
という選択を迫られたときに、「屈服」を選択した政府の見解です。

一般的に、政治家の言葉が「言葉通りの意味」でないように、この言葉も「言葉通りの意味」ではありません。

2つの選択肢のどちらを選択しても、必ず責任問題が起こると予想されるときに「情に訴えた方が世論は支持してくれるはず」という計算ずくの言葉です。
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この回答へのお礼

「ダッカ事件」というのはわたしの知らない(記憶にない)ものでした。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/19 08:48

 我思うゆえに我有り。

自分にとっては、死んでしまえば何も残らない訳だから、この言葉もそうだろうと思いますよ。
 しかし、生物一般から言えば、50億のヒトの1人にしか過ぎず、別に百万人死んでも、人類としては大したダメージにはなりませんね。
 又、地球も、人類なんか居なくなっても、ちっとも困りません。むしろ、ホッとするくらいかも。
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この回答へのお礼

そうです。自分にとって、自分の命は地球どころか全宇宙に匹敵するくらいものもです。自分が存在しなくなれば宇宙が存在しないことと同じですから。

だから、「人一人の命は地球より重い」ではなく、
「オレにとって、オレの命は、地球(宇宙)全部に匹敵するほどのものである」だと思います。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/16 21:18

よど号ハイジャク事件の時に当時の国会で超法規的処置をとる最に説明に使われた言葉ですね!

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この回答へのお礼

よど号事件ですか? 福田氏より前ですか?

調べてみたいと思います。回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/16 20:29

>全人類の命、じゃなく、ただ一人の命ですよ?



全人類は「一人ずつの人間の集まり」ですから、
「一人の命は地球より重い」ということは、
「全ての人間の命は地球より重い」と解釈出来ます。

別におかしいとは思いませんが?

それとも「全人類:一人の人間」という、差別化でしょうか?
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この回答へのお礼

なるほど。

>全人類は「一人ずつの人間の集まり」ですから、
「一人の命は地球より重い」ということは、
「全ての人間の命は地球より重い」と解釈出来ます。

こういう解釈なら、わかります。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/16 20:27

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