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物質の波動性についての質問です。
量子力学で水素原子などの電子の分布状況を考えるとき、なぜ原子核にある陽子や中性子の波動性は考慮しないのですか?陽子や中性子がぼぁっと広がっていたら電子の確立分布(s軌道の形)が変わると思うのですが。もし電子しか確立的に広がっていないとしたら、物質波について、物質が波動性を持ち表面が揺らいでいるというとき電子だけが確立的に広がって存在しているから物質も揺らいでいると考えているのですか?そもそも物質が確立分布的に存在するのは物質の何(電子、陽子、中性子、すべて)のせいですか?
ごめんなさい、なんか聞きたいことがあちこちいってて・・・ようするに聞きたいことは、陽子、中性子は存在が確立分布的なのでしょうか?

A 回答 (4件)

#3からの続きです。



また、他の学問には無い物理学特有な自然界の捉え方が在ります。物理学者は、この宇宙で起こっている全ての現象の裏にはある統一原理があり、たとえ現在その統一原理の理解に到達していなくても、いつかはそれに到達出来る。そして、その統一原理に基づいて全ての現象は説明出来ると言う信仰を持っています。その統一原理のことを物理学の基本法則と言います。そして、このような世界の見方を一元論的な世界観と言います。

果たしてその見方が正しいのかどうかは、今のところ誰にも分りません。しかし、それを物理学者は信じているので、物理学者とはその物理教を信じている信者だということもできます。その結果、極端な言い方をすると、物理学者は個々の現象には興味がなく、いろいろな現象を観測することによって、その裏にある統一原理を探ることに興味が在るのです。その点、例えば電子工学科では、我々の生活に役に立つ何かを作らなくては成らないので、そのような統一原理には興味がなく、それよりも目の前で問題にしている現象その物の詳細に興味があるのです。

その見方から改めて貴方の質問を考えてみると、物理学者にとっては、電子が波動であり、原子核が波動でないと言う立場に立つのに大変な抵抗が在ります。さもないと、この宇宙には幾つもの原理が存在することになってしまい、一元論と言う物理教の信仰に反してしまうからです。一方工学者の立場から言えば、原子が波動という概念で統一される一元論的に出来ていようが、原子核と電子ではそれぞれ違った多元論的な法則に従っていようが、そんなことはどうでも良いことで、それよりもそれぞれを違ったように扱っておけば原子の現象が良く分かり、従ってそれで何かを作れるかどうかに興味在ります。

ですから、物理学者は何処で何を近似したかを慎重に調べることによって、決して波動像と言う統一概念を放棄した訳ではないと言うことを確認しつつ、それが物理教の信仰に反していないということを確認することに拘ります。

質問さんは電子工学者的な意味で量子力学を勉強し始めたのか、それとも物理学者的な意味で量子力学を勉強し始めたのか知りませんが、その違いを意識的に認識しておくと、どちらの道に進むにしても、その他大勢のプロとは一味違ったプロになれる筈です。
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ようこそ物理学の世界へ。



結論から言うと、原子核の質量が電子と比べて圧倒的に大きいので、原子核の波動的な振る舞いが電子の波動的振る舞いと比べて圧倒的に小さくなり、実質的に原子核の波動性が無視できるからです。そのけっか、原子核は力の中心としての役割しか演じていないと主張している訳です。

実はこれは自明なことでは在りません。これはあくまでも仮説であり、その仮説に基づいて計算で得られた結果を実験で比べてみて、その仮説が正しいということが確認されたので、教科書ではそのように書かれているのです。

折角量子力学を習い始めたのだから、物理学とは何だろう、物理学の文化とは何だろうということを、この際いつも考えながら個々の現象の勉強をして下さい。文化とは世界の見方のことです。あらゆる学問は夫々固有は文化を持っていますので、自分のやっている学問の持っている固有の文化を意識的に明確にしていないと、木を見て森を見ない中途半端人間になってしまいます。例えば、量子力学は電子工学科でも徹底的に教わるが、では、電子工学科と物理学科では何が違うのか。理論物理学では高度な数学を使いこなし、ほとんどの数学の分野は物理学が生み出して来たという歴史的な事実が在る。では、理論物理学と物理数学と数理科学と数学はどう違うのか。理学は工学とはどう違うのか等々の質問をときどきご自分でして下さい。

そのことに触れる前に、まず一つの忠告から。量子力学では確率という概念は根本的な概念です。プロの大工さんは道具に拘り、大事にすると聞いております。そこが素人とは違うところです。ですから、この確率という言葉を大切に取り扱えないようでは量子力学を勉強したと言っても人は信用してくれません。今後は決して「確立」とは書かないように注意して下さい。

さて、貴方の質問をまな板にして、物理学とは何かをほんの触りだけ述べてみましょう。話しが少し長くなるので、回答を2回に分けて書きます。

物理学では、常にある量が大きいか小さいかを問題にします。従って、物理的な次元を持った量では、その量に対して自分が今考察している現象に都合の良い単位の大きさを定義して、それで割った比を考え、無次元化して考えるのが基本です。例えばゾウは大きいと言いますが、それは私達の大きさから比べて大きいのであって、石油タンカーと比べたら大変小さいのです。

実際の計算でたとえ表向き無次元化していなくても、頭の中では無次元化されており、その無次元化された量が1より十分に大きいのか、1と同じ程度なのか、1より十分に小さいのかを問題にします。そして、その量が1よりも十分に小さいときはそれを無視してゼロとおいてしまう。何故なら、そんな小さい量は現実の測定で測ることができないので、そんな小さな量を問題にしてもこの宇宙が分らないからです。

貴方の質問の波動性の場合でも、原子核は電子と比べて圧倒的に重たいので原子核の波動性に付随した波長が電子に付随した波長と比べて圧倒的に短い。そこで、一先ず原子核の波長をゼロと近似して原子核の波動性は考えないことにしようという訳です。もし必要なら、その小さい効果を波長ゼロとした近似の補正項として計算すれば良いと考えるわけです。

従って、物理学者がゼロというときは、それは数学者とは全然違った意味で使われております。それはほとんどの場合、単にある量と比べて圧倒的に小さいと言っているだけです。同じように、物理学者が無限大というときも、それは常に有限な大きさの物理量のことを言っているのであり、その量が今取り扱おうとしている量よりも滅茶苦茶に大きいので、一先ず数学で言う無限大としてしまおうというに過ぎません。数学に五月蝿い人が無限大とは状態のことであり、一つの数ではないなどと言い出したら、その大きな量の逆数をゼロと置こうと言っているのだと反論して下さい。

だから、貴方の質問でも物理学者は、電子は波動であるが原子核は波動ではないというような、そうであるかないかというような数学的に曖昧さの無いことを言っている訳ではなく、近似的にそういう風に考えよるということです。そしてその仮説から得られた結果を実験や観測と比べてみるのです。
(次回の回答につづく)
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この回答へのお礼

本当に為になるアドバイスありがとうございます。僕は物理全般(特に宇宙物理)に興味を持っていて、将来すごい研究者になれるよう勉強しています。また他の質問の回答もよければお願いします。

お礼日時:2010/07/24 17:14

滅茶苦茶重いから。

無視できる<電子に比べ>。

例えば、野球のピッチャーが投げた球にも波動性が有りますが、計算するとき考慮しないでしょ?(ニュートン力学で計算しちゃう)
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>なぜ原子核にある陽子や中性子の波動性は考慮しないのですか


これをボルン-オッペンハイマー近似と呼びます。
電子に比べ原子核は「充分大きい」と考え、計算をするとき「一応」核子の動きや拡がりを「無視」します。
しかし、もちろん核子にも波動性があり確率的に分布しているので、研究者はコンピュータの能力の向上に助けられ次第に高次な近似にチャレンジしています。
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