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「鶏」を「庭鳥」と書くのがダメなのに、「手の平」はよく見かけるような気がします。
小学校の頃、友人が日記か作文に「庭鳥」と書いていてクラス全体で
「今は習わないけど『鶏』という字があるから『庭鳥』は間違い」と指導されました。
「にわとり」の語源を調べたわけではありませんが
おそらく「庭にいる鳥」で、友人の発想そのものは間違いではないと思います。
しかし「てのひら」は「掌」という漢字があるにもかかわらず
「手の平」はよく見かけるような気がします(打ってる今も漢字変換できましたし…)
(近くに「花ぶさ」という店があるのですが、通るたびに上記のエピソードを思い出してしまいます)。

「にわとり」「てのひら」それぞれ他にも色々あるように思いますが
この二者の違いは何なんでしょうか?

A 回答 (8件)

> この二者の違いは何なんでしょうか?



つまらない回答になってしまいますが(汗)、「常用漢字表」において
  「鶏」には「ケイ」と「にわとり」の音訓が掲載されているのに対し、
  「掌」には「ショウ」の音はあるものの、「てのひら」の訓はない(=表外訓)
であることが、直接の理由ではないでしょうか。
(「直接の」:同表への掲載には、実際の使用頻度や委員の信条(?)などが反映
 されていたり、といったこともあるかということで)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k1981100 …
(上記サイトを表示後、ブラウザの検索機能で「鶏」「掌」でそれぞれ検索)

つまり、「にわとり」はそのものが明示されているので「鶏」を推奨し、
「てのひら」はどちらも明示されていないので、どちらでもよい、と考えた、
ということです。

・・・とはいえ、冒頭にある通り、本来この表は「漢字使用の目安を、次の表の
ように定め」たもので、その他が間違いとは言えないわけですが、特に小学校
の学校教育となると、ある程度「これが正解」という形で示さないと、教えにくいし
憶えにくい、ということで、そのような指導をされたのかな、と思います。


なお、「鶏(にわとり)」の語源については、古事記の中の歌の一節にも
  庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く
  さ野つ鳥 雉(きぎし)はとよむ
といったものがありますので、「庭鳥」でよいのではないかと思います。
(「かけ」の方は、鳴き声(「カケーッ」)からでほぼ間違いないかと)
http://www.umoregi.com/koten/kojiki/story.html?v …
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/ …
(・・・改めて検索してみたところ、順番や細かい部分で、憶え違いがあった
 ようで(汗))


> 近くに「花ぶさ」という店があるのですが

なるほど、思わず「英」の方を思ってしまうということですね。
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やまとことばに漢字を当てたものはいくらでもございます。


というか、ほとんどに漢字があてられています。
古来よりずーと受け継がれています。
漢字をあてないとわかりにくいですね。
漢語だけが漢字表記だって、そりゃ無理です。

大人 おとな
従兄弟 いとこ
伯父 おじ はくふ
叔父 おじ しゅくふ
伯母 おば はくぼ
叔母 おば しゅくぼ
玄孫 やしゃご げんそん
二十歳・
二十 はたち にじ(ゅ)っさい
三十路 みそじ
女将 おかみ じょしょう
処女 おとめ、おぼこ しょじょ ・・・・・。
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そもそも、「にわとり」も「てのひら」も日本古来のやまとことばで構成されたことばであり、極論をいえば漢字をあてる必要はないのです。



「にわとり」を「庭鳥」とかくのがだめなのはそういう表記が伝統としてうけつがれなかったからでしょう。
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#3です。



(1)卵と玉子

「たまご」は丸いから「たまご」という言葉ができたんでしょう。角ばっていたら「たまご」ではない別の言葉になっていたでしょうね。
さて「卵と玉子」と「鶏と庭鳥」の関係はよく似ています。
なぜ、玉子と卵は共存しているか考えました。
庭鳥という大和言葉に合わせた漢字表現をしそうなのは、専門家ではない女子供も含めた一般人です。
鶏は、専門家(養鶏業、学校、学者、インテリと自分では思っている人)が使うと思います。
ところが現在、一般家庭でニワトリを飼う人はいなくなり、ニワトリの現物(生体)を扱っているのは、
専門家だけになってしまいました。
だから「庭鳥」という言葉が消えたのだと思います。

「玉子」は専門家ではない女子供も含めた一般人が多く使うと思います。
「卵」は先程の「鶏」と同じく専門家やインテリ風でしょう。
そして「庭鳥」と違うのは「たまご」の現物は、一般家庭でも毎日のように使っています。
こういうところが、「玉子」が残っている原因ではないでしょうか。
私個人的には「卵」という漢字が書きにくいですから、「玉子」です。

(2)娘と息子

和語は「むすめ」と「むすこ」で対立関係にあります。
「むすめ」は「生(む)す女(め)」の意です。
「むすこ」は「生(む)す子(こ)」の意ですから、和語は問題ありません。
ところが漢字が「娘」と「息子」で、全然そろっていません。
こうなった経緯はよく知りません。
「息」という漢字には、「自(鼻の意)」から「心(心臓)」へ空気を送る、転じて「生まれ育つ」という意味があるらしいです。
今もし自分で作るとなると、「むすこ」⇒「息」、「むすめ」⇒「息女」とします。
ところが、こういう漢字はの言い方はチョンマゲ時代にはありまして、それはお殿様のお家の子供でした。
庶民の小倅に「息」や「子息」なんてとんでもない、ということでしょう。
そこで倅より格上で、子息より格下の、当たり障りのない「息子」ということばができたのではないでしょうか。
さて、むすめですが、チョンマゲの時代には、「むすめ」には「女」という漢字を当てていました。
「何野誰兵衛の女」とあったら、この「女」は「むすめ」と読みます。実際、娘のことです。情婦ではありません。
ところが、時代が下って来ると「女」を「おんな」と読む人が出てきて、紛らわしくなったんでしょう。
変える必要が出てきました。
そこで「息子」にあわせ「息女」にしようと思ったら、それはお姫様のことです。
しようがない、出来合いの漢字「娘」を当ててしまえということで、すっきりしない「娘と息子」になったのではないかと推測します。

以上は本当のあてずっぽうです。責任は全くもてません(苦笑)。
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#1です。



>「まつ毛」「睫毛」「睫」や
「花房」と「英」などについてはどう思われますか?

ちょっとヤフー辞書を見てみたのですが、「まつ毛」は本来「目(ま)つ毛」だったんですね。
初めて知りました。
「睫」一字だと、もしかすると読めなかったかもしれません。
個人的には「睫毛」が一番しっくりきます。

私の場合、今回の補足のご質問に対して直接的な回答らしきことを述べるには、素養が不足しているように思います。
あしからずご了承ください。
次回の新しいご質問を楽しみにしています。
答えられそうな気がしたらまた参加させてください。
   
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この回答へのお礼

「まつげ」は松葉みたいだから“松毛”だと思っていました。
(この言葉を覚えたときから語源を調べたことが無かったので…)

>個人的には「睫毛」が一番しっくりきます。
読めない人がいても毛だということは伝わりますしね。
「おのおの」も「各」一字で良いらしいですが「各々」としてしまいます。

またお世話になると思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/26 15:54

漢字伝来のはるか前から存在している日本語(和語)に、外国でできた漢字を当てはめるのには、理屈通りに行かぬところがあります。



「にわとり」は、漢字が入って来る前から日本にあった鳥だと思います。
そして、「鶏」という漢字が入ってきて、「にわとり」に「鶏」という漢字を当てたのでしょう。
一方「にわ⇒庭」「とり⇒鳥」という当て方の「庭鳥」という書き方も、立派に存在しています。
芥川龍之介も随筆に「庭鳥」と書いています。

和語の「にわとり」にあてる漢字で、「鶏」と「庭鳥」のどちらか一方が正解で、もう一方が間違いということは、本来ないものと思います。

「菊」だと話は別です。
「菊」は中国から入ってきた花で、漢字も「菊(音読みで『キク』)」ですから、キクの花の漢字の正解は「菊」しかありませんが。

現在、「鶏」が優勢で、「庭鳥」が負けてしまったのは、漢語で使われるか使われないかの差ではないかと思います。
鶏口、養鶏、鶏舎・・・等、沢山の漢語があり、産業や科学の発展につれて「鶏」の字が多く使われ、優勢になったのでしょう。
「庭鳥」で漢語の造語は難しいですし、科学用語にはなりにくいでしょう。

「手の平」は一つの単語ではありますが、「の」という助詞を使った二つの言葉と見ることも可能です。
反対語は「手の甲」と言えますから、「手の平」の存在理由はあるように思います。
ですから、一つの漢字の「掌」と並立しているのだと思います。
それに「たなごころ」という、少し難しい言い方にも「掌」を当てるということも、「手の平」が存在する理由の一つになるかも知れません。

 芥川龍之介 「素描三題」青空文庫
・・・Kさんはそちらを見る 拍子 ( ひやうし ) に「又 庭鳥 ( にはとり ) がやられたな」と思つた。・・・

この回答への補足

回答ありがとうございます。
大変に興味深く読ませていただきました。
よろしければ、以下の点につきご意見をお聞かせください。

>鶏口、養鶏、鶏舎・・・等、沢山の漢語があり、産業や科学の発展につれて
>「鶏」の字が多く使われ、優勢になったのでしょう。
同様な例に「卵」と「玉子」があると思います。
仰るとおり「玉子」は科学用語には使われにくい印象はありますが
しっかり存在できてますよね。
(「卵」という字は個人的には字形から
卵巣を思い出すのでスーパーで書いて欲しくないですが)

>反対語は「手の甲」と言えますから、「手の平」の存在理由はあるように思います。
>ですから、一つの漢字の「掌」と並立しているのだと思います。
「娘」と「息子」についてはいかがでしょうか。

補足日時:2010/08/23 23:12
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「今は習わないけど『鶏』という字があるから」というのは的外れな理由だと思います。


しかし、基本的には「『庭鳥』は間違い」です。


「手の平」「掌」は、どちらも辞書に載っているし、
パソコンで変換もできるし、ほとんどの人がその意味を知っています。

しかし、「庭鳥」は市民権を得ている言葉ではありません(※)。
したがって学校教育の場では「間違い」と教えることになるでしょう。

「にわとり」「てのひら」の違いは、そういうところにあります。

小説や個人のブログなどであれば、特殊な読み方をさせてもいっこうに構いませんが、
学校では、まず、誰にでも通じる書き方ができるように教えます。
その立場からすれば「間違い」です。
そうでない立場からすれば、「あ、その書き方は面白いね」などと言う人もあるかも知れません。
もし、「庭鳥」という書き方が広まれば、何十年後かには、学校教育でも「正しい」とされるかもしれません。

「正しい」か「間違い」かの境目は、時代によって変わります。


(※)広辞苑には鶏の説明として「庭鳥の意」と書いてありますが、庭鳥そのものの説明はありません。
過去にはそのように書いたかもしれませんが、現代人に理解されなければ意味がないので、やはり「間違い」となります。
いろいろな辞書を引いてみて、新しい辞書に「庭鳥」と書いてある辞書が多ければ、「庭鳥」が少しずつ市民権を得てきていると考えることができます。

この回答への補足

小学校低学年の時に言われた言葉でしたが
今になって適切でないことがわかるとちょっとショックです。
でも、仰るとおりですね。

「庭鳥」が市民権を得つつあるというのは興味深いです。

回答ありがとうございました。

補足日時:2010/08/23 23:03
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どちらも書きづらい字であることは共通していますが、「にわとり」は、必ずしも庭にいるとは限らない、ということかもしれませんね。


「手の平」は、手の平らな箇所、という意味で本質的な誤りとは言えないため許容されているのではないでしょうか。

  

この回答への補足

回答ありがとうございます。

「まつ毛」「睫毛」「睫」や
「花房」と「英」などについてはどう思われますか?

補足日時:2010/08/23 23:01
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